子明の問い
諸事情により前回の投稿から間が空いてしまい、
ご心配とご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした。
本日より完結まで毎日投稿予定です。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
【前回までのあらすじ】
婦好の育った邑、好邑にて。
婦好の母の出自は謎に包まれていた。
サクは婦好の母の行方と故郷を探す。
サクはハツネを呼ぶ。
婦好の故郷探しのためである。
彼女が現れるのは決まって夕暮れ時であった。
風がさわさわと木々を揺らす。
石畳に影が落ちるなか、ハツネはサクに問う。
「故郷とは、人のことでしょうか。地のことでしょうか」
仮に生まれた土地が判明しても、縁者がなければ故郷ではない。
サクは答えた。
「両方です」
「承知しました」
影は消える。彼女の去り際には雨の匂いがした。
ハツネとのやり取りから数か月の時が過ぎた。
サクは焦っていた。
婦好は軍を第一隊隊長のレイに任せて安陽に留めている。
いたずらに時を過ごしてはならない。
ハツネ呼んだときと同じ石畳の廊下が、朝陽の色を纏う。
サクが一人歩いていると、偶然にも子明が通りかかった。
彼の頭巾に施される好邑の紋章がつややかに光る。
すれ違いざま、子明はサクに問う。
「サクさんっ! 婦好さまの母上のことを探っているというのは本当でしょうか?」
呼びかけられて、サクは振り返る。
「ええ。しかし、子明さまがなぜそれを?」
子明は、ふっとため息をついてサクを鋭く見つめた。
「やめておいたほうが、いいですよ!」
子明はサクに対して、まるで命令するように言い放った。
婦好の従弟である子明に対して好印象を持っていたサクは、青年の棘を意外に思う。
ぐっと背筋を伸ばして次の言葉を待った。
「せっかく婦好さまが好邑に戻られているというのに、せっかくの感興をさまさないでください! 婦好さまは婦好さま! それでよいではないでしょうか」
「子明さまは、何かご存知なのでしょうか」
「少なくともあなたよりは!」
サクは子明の瞳を見た。
『見』という文字は目を通じて、相手と内的交渉を図る文字である。
「婦好さまを深く知りたいと思うことは罪でしょうか」
とサクが問うと、
「王妃さまは好邑の乱を治めよとおっしゃったはずです。好邑を乱そうとしているのはあなたではないのですか?」
と子明は答えた。
婦好の姉から、乱を治めよとの令を受けたことを、なぜ知っているのか。
考えをめぐらせていたサクに、子明は三歩近づいた。
「こちら、差し上げますっ! 手を出してください」
子明の手のひらには銅が乗せられていた。
「銅……」
銅は錆びていた。
少なくない年数を刻んだものである。
「これをしかるべき場所に奉じてきてください」
「しかるべき場所とは?」
サクは顔をしかめた。
「わからなければいいのです。わからなければ、あなたはそれまでの人ということ。このような問いがわからないようなら、少なくとも俺は認めません!」
子明の低い声であった。
青年の瞳に、嫉妬の炎が見え隠れする。
新参者に対する敵対心。
サクはかつてこの目を向けられたことが幾度もある。
婦好は、良くも悪くも人を惑わせる。
サクもまた、婦好の魅力の虜にされている一人だ。
サクは静かに深く息を吸う。
「わかりました。子明さまの問に対する答えを約束しましょう」
サクは微笑んだ。
懐から絹布を取り出す。
安陽から持ち出した上質の絹だ。それを手のひらに乗せる。
子明の銅は絹の上でことりと音を立てた。
子明と約束した翌日、サクはハツネの部下から調査の報告を受ける。
「婦好さまの母上は、生きてらっしゃる?」
「ええ、伝え聞いた話ですが」
「その場所へは行けますか」
「いいえ。ハツネさまは来ない方がいい、とおっしゃっています」
「なぜでしょう」
「歓迎されないからです」
「どういうことでしょうか」
「母君は、故郷の邑の主として君臨しています。婁邑といいます」
婁邑。サクが聞いたことはない地名であった。
「商に所縁がありましょうか。鬼公の支配地域でしょうか」
「いいえ。現在はどちらにも属していないようです」
サクは訝しんだ。
数か月の調査でわかるような事実を、なぜ、秘密にしているのか。
子明はなにを隠しているのか。
「なぜ、婦好さまはそのことをご存知ないのでしょうか」
「さあ」
欲しかった言葉が得られなかったことをサクは物足りなく感じた。
ハツネなら、わからずとも意見を添えてくれただろう。
「ありがとうございます。引き続きお願いしますね」
ハツネの部下が去ったあと、サクはふと、懐から絹の包みを取り出す。
なかには子明から貰った銅の塊がある。
もしかしたら、毒があるかもしれない。
「悪意は好意で覆われているということでしょうか」
サクは闇夜に問いかけた。
そして予想した。
婦好の母が婦好を産んだこと。
婦好が好邑を治めているということ。
婁邑にとっては隠したいことなのだ、と。




