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循還の棺

 虎方との戦は勝利に終わった。

 戦勝の処理をしたのち、婦好とサクは新城へ帰還する。

 

 

 青ざめた顔のシュウが、出迎えた。

「婦好さま……、サクちゃん……」

 

 シュウの髪は乱れ、目元が腫れている。


 その表情に、サクは覚悟を決めた。

 婦好がシュウの肩を優しく包む。


 

「シュウ。なにも言わずともよい。案内を」

 

「はい」

 シュウは力なき返事ののち、幕舎の奥へ歩みを進めた。

 


 木と布で造られた簡易な建物を湿った風が通る。

 その人は奥の部屋に横たわっていた。



「セキ……!」

「ああ……! セキさま……!」

 


 ふたりは駆け寄った。まるで人形のような身体は、動くことはない。



「間に合わなかったの。わたしのせいだわ。ごめんなさい」


 シュウが頭を下げる。

 部屋の片隅にいた望白が声を出した。

 

「いえ……すでに、僕がシュウさんに引き渡した時点で、心の臓を射られていました」



 望白はずっとそうしていたのであろう。その場で膝を抱えてうずくまる。 


「僕の……せいだ」



 婦好はシュウの頭を撫でた。 

「シュウよ。つらい思いをさせた。休みなさい」

 

 続けて望白の肩に手を置く。

「望白。そなたのおかげで、セキの骸を弔うことができる。感謝する」



 婦好は優しい瞳で、セキの頬に指を添えた。


 サクの(あるじ)の、形の良い横顔に睫毛の影が落ちる。

 

「誰のせいでもない。すべてはわたしの責任だ」



「……そうですよ……! 婦好さん」


 望白はゆっくりと立ち上がった。

 震える声で、婦好の胸ぐらに掴みかかる。


「どうしてもっと早く来てくれなかったんですか! どうして……!」

 

 サクは咄嗟に望白の背を抑える。

「望白さま。婦好さまが居てくださらなかったら、この戦、どのようになっていたか」

 

 婦好はサクを制止した。

「よいのだ、サク」


  

「望白。そして、セキ。すまなかった」

 

 婦好の懺悔に、望白は歯をぎり、と食いしばって壁を拳で叩いた。

「……そんなふうに謝られたら、もうどうすることもできないじゃないですか……!」

 

 ふたたび死者に向き合う。

 シュウが死化粧をしたのだろう。セキはまだまるで生きているようであった。


「綺麗な顔だ」

 婦好は胸に手を当てて、敬意を捧げる。

「丁重に弔おう」

 

 

 婦好はセキの衣の襟を閉じた。魂が迷い出ないようにである。

 麻の飾りを襟もとに沿え、胸元には玉を置く。

 魂が戻ってくるように祈るためだ。

 

 

 婦好とサクがその場を離れても、望白は棺の前で再び膝を抱え続けた。

「まだ、目覚めるかもしれないので」


 

 一日経ち、望白の希望とは裏腹に遺骸は腐敗してゆく。

 それはセキの魂が戻ってこないことを意味していた。

 


 サクは婦好のあとをただ歩いた。

 夕陽に城が映える。

 主人の紅の衣は失われ、紺色の衣を纏っていた。

 


「サク。明後日、セキを埋葬する。準備をしておくように」

「はい」

「情報によれば、まもなく弓臤とセイランが到着するという」


 サクは歩みを止めた。


「サク?」

 

 婦好がサクの顔を覗き込む。


「顔色が優れないな」

 サクの頬に触れようとした婦好の手を、サクはなぜか避けてしまった。


「あ……」

 サクは自分でもどうしてそのように行動しているのかわからなかった。

 息のつまりそうな気が流れる。 

 震える声を、サクはやっとの思いで発した。



「申し訳ありません。本日は体調が優れないので、お話は明日でもよろしいでしょうか」

 

「サク……、無理もない。少し休みなさい」

 


 サクは婦好と瞳を合わせられなかった。

 逃げるようにして、サクにあてがわれた個室へ籠った。

 


 望白の『どうしてもっと早く助けに来てくれなかったのか』という言葉が脳裏を駆け巡る。


 己にも責任がある。一方で同じ思いを(あるじ)に対して抱いている。



 婦好と出会った頃は十四であったサクの齢は、すでに十六を数えていた。

 相応の歳月を重ねたとはいえ、さまざまなことを受け止め切れないでいた。

 


 人を殺めた。

 母を失った。

 多数の骸を見た。

 

 サクが変わりたくないと願っても、自身が変わってゆくのが自覚できるほどだ。

 その夜、サクはひとり、寝台の布団にうずくまった。

 

 心が、全身が引き裂かれるように痛い。

 

 誰かに甘えたかった。

 しかし誰もがみな、喪失感を抱えて一人戦っていた。

 だから弱さを見せたくなかった。


 

「婦好さま、申し訳ありません……」

 殺戮のときの冷たい瞳を見た時から、婦好を頼れないと思った。



「わたし、どうかしてるのです。シュウ……助けて」

 シュウは戦後の処理で最も忙しい。

 セキを失い、心身の負荷はサク以上である。

 本来であればサクは支えなければいけない立場だ。


 それができないのは、(おのれ)の弱さに違いなかった。


 

「身体中が、痛いのです」

 

 誰かに頼りたかった。

 本当はひとりでは限界だった。

 状況が、なによりも自分が、それを許さなかった。



 

 自然と涙がぽろぽろとこぼれる。

 

「セキさま……」

 

 会いたい人の名をつぶやいた。


 

『だいじょうぶかい? サク。どこか痛いのかい? さあ。はやく寝ちまいな!』

 

 ふと、セキの声が聞こえたようだった。


「セキさま……?」


 サクが顔をあげてあたりを見回しても、目の前は闇である。

 

 すべてはサクの幻であった。

 

「うっ……、セキ、さま……」




『あらぁ、こんなことで。だめな子ねぇ。軍師サマなんでしょ。しっかりしなさいよ』


「……キビ、さま……」



 顔を再びあげたところで、声の主に会えるわけではなかった。


『死は別れではない』

 婦好は以前、そのように言った。

 

 しかし、現実には死した人は、いくら願っても戻ることはない。

 我々は神ではないのだから。

 

 


「……っ……、セキさま……キビさま……!」



 サクは身体を丸めて、誰にも気づかれないように声を殺す。


 従軍したころから慕った母たちの死を悼んで、サクは夜通し涙を流した。

 

 

 



 そのとき、サクは初潮を迎えていた。


 十六歳という遅さであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 覚悟はしていました……が、やはり辛いですね。セキはみんなの母親のような存在でしたから……。
[一言] 死者の魂に心を惹かれてはいけない。 そういっても巫女という立場もあって難しいですよね。
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