裏切りの代償
義兄である弓臤より、サクへ荷が届いた。
影の者は、
「これをサクさまへと、お預かりしております」と言って、再び闇に消えた。
──兄は贈り物などはしない。必ず真意があるはずである。
サクは麻の包みを解く。
中身は、着物の帯であった。
サクがよく確かめると、帯の縫い目に木の板が挟まっていた。
兄の文字は木の板に深く彫られている。
兄が文字を使うなどよほど緊急のことである、とサクは直感した。
その文字列を読むや、サクは身震いする。
(まさか……、そんな……!)
同時に、ハツネの部下からの報告が入った。
ふたつの報告を受け、サクは思案する。
どう動かなければならないか。
どう伝えるべきか。
唇に手を当てる。
──危機、である。
◇◇◇
幕舎内に三人、サク、レイ、セキが集う。
「お二人にお伝えしなければならないことがあります」
サクは厳しい声を出した。
「望邑から、兵二千が出兵したようです」
「そう。その援軍はいつ到着するのかしら」というレイの言葉をサクは否定した。
「……いいえ。援軍ではありません」
「援軍ではない? どういうこと?」
「敵として、ということです」
「まさか……!」
「ええ。望邑から、婦好軍及び望白さまの討伐隊が出兵したとの情報がはいりました」
味方の裏切り。
後で知るほうがいいか。
今、知るほうがいいか。
サクはわずかな差で、隊長級には伝えておくべきと判断した。
「このことを踏まえたうえで、作戦を立てます」
「望白には、このことは教えなくて良いのかい……?」と、セキが問うと、
「聞いていますよ」と、望白が扉の影から現れた。
先の戦いの怪我がまだ治っていない。
望白は足を引きずりながら、サクに近づいた。
「サクさん。情報をありがとうございます」
サクはゆっくり頷いた。望白は続けて問う。
「父は、……望邑の主は動いてますか」
「望乗さまは干渉していないとのことです」
「わかりました。それがわかっただけでも、よかったです」
腹違いの兄弟の裏切り。父の不干渉。
つまり、兄弟争いである。勝った者が望邑の次の領主となることは、暗黙の法則であった。
「それでは……それらを踏まえて、作戦に移ります」
サクは作戦を繰り出した。
──限られた人と時と物で、やるべき事は多い。
【参考・サクに集まった情報の簡略図】
◇◇◇
その頃、弓臤は苛立っていた。
望白の弟たちの動向を見張っていたのである。
ふたりの愚かな弟たちは、望邑の次の領主とならんとして、望白を殺すつもりであった。
望白の二人の弟は、色白で脂の乗った皮膚をもち、まだ若いのにでっぷりとした体型をしている。
餌が良いのだろうか、見事なまでに豚だな、と弓臤は評していた。
弓臤は、彼らの会話を盗み聞く。
『得体の知れぬ商の女将軍に唆されて、兄は道を誤ったのだ』
『なに、兄と言っても女が跡を継ぐことなどということはありません。兄者かわたしです』
『そうだったな。弟よ。兄討伐の暁には、戦果を分け合おうぞ……』
『もちろんです……』
耳に届くこのような会話から、弓臤は状況を分析する。
「要は、望白が寝返ったなどという理由をつけて、望白と婦好軍を亡きものにするということか……」
望邑の領主であり父親である望乗は、この兄弟争いを冷ややかな目で見つめていた。
兄弟の殺し合いを、あくまで親として中立の立場を貫くようだ。
「くく……、生き残った子が、次の領主ということか。なかなかに激しい邑だ。ならば、少しばかりの介入をしても問題はあるまい」
弓臤は腰を上げた。
最も利する行動はいずれの道か。
隻眼の彼にしてみれば、単純な選択である。
ゆくゆくは進むべき道に害となることを未然に防ぐ。
すなわち、賢いほうを殺し、愚かな方を生かしておくのだ。
(より操りやすいのはどちらか。次男のほうが勢力としては強いが、慢心が脆さにかわる強さは御しやすい。軟弱で賢い三男のほうがのちのちに生かせばやっかいだ。末の弟というのがいけない。人心を買う恐れがある)
闇の戦いは闇で行われるものである。
弓臤は静かな足取りで出でた。
望白の末弟の警備兵を三人、静かに殺める。
通常は、護衛として闇に生きる者も雇うものだ。
望邑の三男たる男は、それまで命を狙われたことなどなかったのだろう。
弓臤は、まるで危機感のない動物の寝顔をあっという間に捉えた。
やり易い、と弓臤は感じた。
「このような薄い守りで、誰かの命を奪おうと謀るとは浅はかな」
望邑の三男の、豚のような寝息が響く。
「呪うなら、己の無用心を呪うがよい」
彼は毒の短剣でその厚い皮膚を穿つ。
まるで、祭壇の羊を断じるかのように――。
「判断を誤り、己の欲するままに肉親を陥れんとする貴様が悪い」
望白の弟、望乗の三男は静かに絶命する。
「戦で葬るのが最上の策だが、已むを得まい。まだ、婦好を死なせるわけにはいかんのだ」
弓臤は、返り血も浴びずに短剣の血を死者の服で拭った。
人に知られず去るのもまた、仕事だ。




