迷宮の新城(下)
敵の総大将である虎封は苛立っていた。
新城に攻め込むや、部下数十名とともに道に迷っていたためである。
「……ムゥ……」
行けども、行けども、同じ壁が続く。
塀を登ろうとしても壁面が研磨されており登れない。
さらに悪いことには、矢の雨が降っていた。
「壊ス……! 殺ス……!」
虎封は気を溜めて肩で塀に当たる。
部下もまたそれに倣った。
がつん、がつん、と音を立てて壁は壊れる。
これも想定内、とセキは見ていた。
しかし次の瞬間、しまった、とセキは悔いた。
壁を壊した先に、なぜか住民のうちの幼児が敵総大将の前に居たのである。
「はやく! 逃げな!」とセキは叫ぶ。
苛立った男には、格好の獲物だった。
「我ガ殺ス」
「させないよ!」
セキが隠していた扉を開けて、子を庇う。
「出テキタナ、鼠メ……!」
虎封は槍を振るう。
「うっ……!」
セキは子供を守る背中を斬りつけられる。
「……っ! あたしが守るよ! さあ、逃げよう!」
「逃ガサヌ……!」
「セキさま! こちらへ!」
シュウが手招きする。シュウは安全な場所へ導き、扉を閉めた。その場でしばらく時が過ぎるのを待つ。
「セキさま……背中に、お怪我を……!」
シュウはセキの背中に、朱の液体を見た。
「なに。……このくらい、平気さ。この子を守れたんだからね。さあ! そろそろサクの毒が効くころじゃないかい? 時間を稼ぐよ」
セキは息をあらげて痛みに耐えた。
虎封の部下の身に、次々と泉の毒の効果が現れる。あるものは手足が痺れてがたがたと震えている。
虎封だけが、平然としていた。
レイが虎封に槍を投げて、死にかけの虎封の部下を串刺しにする。
サク達が到着したのである。
サクは密かにレイと目と目で会話した。
「(あらかじめ造った誘導経路に従い、城壁まで誘導します!)」
「(わかったわ。サク!)」
虎封は、咆哮した。レイと戦う構えだ。
「巫女ハ我ガ殺ス!」
「いまです! 皆さん! 捕縛します!!」
サクの号令に、第一隊の兵士が一斉に縄を投げる。
「……児戯ナリ!」
虎封はいともたやすく、縄を弾いた。
続けてサクは攻撃を繰り出す。
「弓兵隊!」
弓兵隊が集中的に、虎封とその部隊を追い詰める。
雨のように降る矢に、虎封は黒衣をかざして防ぐ。
「クッ……卑怯者」
矢の雨の中では、うまく動くことはできない。
「退却ダ」
「待ちなさい……!」
レイは弓を置いて、矛を手に取る。レイは隊長として交戦を望んでいるようだ。
──確かに、総大将を追いつめるには好機かもしれない。しかし。
「レイさま」
サクはレイを制止して、矢を射続けさせた。
「レイさまが敵の近くへゆけば、弓兵隊の攻撃は止んでしまいます。どうか、討ち取るなら、その矢で……!」
「ふふ、弓で勝負しろということね。面白いわ」
降りしきる矢の雨の中、敵兵が城壁の突起に縄をかける。
矢の当たり所の悪いものは命を落とした。
生きているものはするすると壁伝いに逃げる。
すかさず、サクは号令した。
「第九隊!」
第九隊の女兵士たちは、高き壁から、毒入りの熱湯と、泥を敵に対して落とす。
レイは弓を引きながらその様子を評した。
「サク。あなた、まるで、キビのようなことをするのね」
敵に一定の損失を与えた。
虎封の影が敵の陣営へと消える。
敵の影がなくなったことを確認して、サクは大きく息を吐く。
「敵を、撃退しました」
張りつめていた気が、一気に緩んだ。
ほっとして、サクはへなへなとその場に座り込む。
「あんたの築城の知恵。役に立ったじゃないか! 感謝するよ!」
セキがサクに駆け寄る。
「いいえ。セキさまの経験と技術があってこそです」
セキははっとして、サクに問う。
「そうだ。白……。白は? あの子と、すれ違わなかったかい? あの子は、兵糧庫を襲うと言って、飛び出してしまったんだよ」
「セキさま。泉の道に、複数の遺体が……。望邑の戦士のものでした」
「!」
「望白さまの行方は、いま、捜索させています」
「あの子は……もう! あたしを止めようとしたんだね。しょうがない子だよ! 本陣はサクに頼んだ。あたしが行かなきゃ……」
セキは駆けだしていた。
「セキさま……!」
◇◇◇
セキ率いる第九隊の小隊が、望白を捜索する。
「望白!」
望白は、木々の隙間にいた。
部下の息はもうない。望白の頬には涙のあとが重なる。
「どうして……ここが、」
「よかった……。あたしは遺体処理を長年しているからね。実務経験の勘だよ」
「はは……セキさんも、無事、でしたか……」
「ああ。あんたがここで兵を減らしてくれたおかげさ。さ、はやく、手当を! 誰か、手伝っておくれ!」
セキの背中に回した望白の掌に、ぬるり、とした感覚があった。
「? セキさ……ん、も、怪我を」
「なに。このくらい、平気さ!」
セキは涙をうかべて望白に語りかけた。
「あんたは、賢そうにみえて、莫迦な子だねぇ。あんまり無茶をするんじゃないよ」
「セキさまこそ……」
「あんたはばかだよ……、ばか……」
「……ふふ」
新緑に刺す光のなか、望白は笑いながら気絶した。
セキらが望白を抱えて帰る。
第九隊の幕舎で、望白は横になった。
医務を司るシュウが望白の胸元を解く。
セキとサクもまた同席していた。
望白には、胸のふくらみがあった。
「女性……? まさか、望白さまは、女性、だったのですか……?」
サクの驚きに、
「そう……、そうみたいね」
と、シュウもまた目を丸めて反応する。
「あたしは知ってたよ、最初からね。だからと言って、不都合はありますか、と言いそうだねえ。この子は」
と、セキが言う。
「聞こえてます……」と望白は返事をする。
「あはは、聞こえちまったかい」
シュウは粥を渡す。
「さ。血を補うには、食べることよ。望白さま。食べられるかしら」
「……ええ、いただきます……」
戦の合間の、ささやかなひと時である。
第九隊はサクの拠り所だ。まるで、母と、不器用な長女と、優しい次女がいるような空間。
サクは弱い少女の心を抑えて、その場を去る。
まだ、戦いは終わってなどいない。
城壁へ足を運ぶと、レイが敵に見立てた藁に向かって弓を放っていた。
レイは弓の、高く遠く飛ぶさまを、愉しんでいるようだった。
「サク。この城は短期間で、良くできた城ね。住むにはちょっと面倒だけれど」
「戦いに備えた城ですので」
「さあ、わたしたちも早く休みましょう。夕刻にはまた攻めてくるかもしれない」
サクは敵の布陣を眺める。
「レイさまのおっしゃるとおりです。あの者たちは、何度でも来ます。こちらの布陣も見られています。きっと、兵を増やしてくるでしょう」
サクは、城壁の縁で今回の戦を顧みていた。
双方ともに危機であった。
しかし、もう少し深く追い詰めていれば──。
サクは目を閉じた。そして反省した。
(虎封を殺すことも、できたはずだ)
──己には、まだ、相手の命を奪うまでの思考が足りない。
ため息をつく。
どこかで歯止めはかかっている。
自分の甘さだ、とサクは思う。
なにかと理由をつけて己に制限をかけている。それは、なぜか。
──できるだけ、血を流したくない。しかし、勝利へと導かなければならない。
相反する願い。
婦好から離れると、サクは己のゆく道への疑念に気付いてしまい、それを必死で見ないように抑える。
──己の戦いとは……。
サクの髪は風に揺れ、太陽が照る。
強くあるために、サクはレイへ決意を語る。
「レイさま。婦好さまが到着するまで、きっと持ちこたえましょう」
レイが、サクの陽に輝く髪を見つめる。
「サク……、いまここに婦好さまはいないけれど。あなたはまるで、婦好さまとともにいるようね」
レイのつぶやきにサクは振り返り、まるで婦好を演じるかのように微笑んだ。




