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妹たちへの連絡を終えてほっとしたシュリではあったが、捕虜生活自体はまだ続く。
カヌレが自分のところでシュリを預かると申し出たのだが、ルークが持てる力と権力とよくわからない言い分を駆使して全力でそれを阻止した。
しかし疑い自体は晴れたので、ジャムの瓶を厨房で冷やしてもらえる自由だけは、なんとかもぎ取った。
「一応部屋は用意した。責任取れないから、あんまり部屋から出歩くなよ」
クロッカンが素っ気なく言うと、ルークが目を剥いた。
「俺の野いちごちゃんを一人部屋に? 危険すぎる!」
「おまえが一番の危険人物だ!」
(……私の名前は無視なのよね、この人たち)
切ないような虚しいような目をして沈んでいるシュリを、ルークが背中からがばりと抱き込んでクロッカンを睨みつける。
「……そう言っておいて俺の野いちごちゃんに、拷問だと偽りあんなことやこんなことをして、強制労働だと騙してあんなことやこんなことをさせるつもりなのでは?」
「それはまんまおまえじゃないか! 本当えげつないな!」
「ルーク? あんなことやこんなことって?」
ルークは顔だけ振り返ったシュリの唇に、ちゅうっと吸いついてから言った。
「こういうこと」
かぁ、と顔を火照らせてシュリは、ルークが直視できずに、頰に片手を当てて、つつっと目を逸らした。
「ハッ、勝手にやってろ」
怒ることにも疲れた様子のクロッカンが、さっさとどこかへと行ってしまい、シュリはルークと用意された部屋の前で取り残された。
部屋のドアを開けて中へと入ると、さも当然とばかりにルークが後をついてくる。
「ルークは外に出てて」
「それは無理。野いちごちゃんが言ったのではないか。片時もそばから離れたくないって」
確かにルークになかば脅されるような形でそう口にした記憶があったシュリは、渋々室内でふたりきりとなったが、念のためドアは開けたままにしておいた。
だがしかし、ルークは恋人との睦み合いを他人に見られることにまったく抵抗がない類の人種であり、危機回避にはまるで役には立たない策ではあった。
室内にはくたびれた寝台がひとつと、毛布が一枚。他は、ほこりがたまっていることと、謎の小動物の足跡が残されているだけだった。
「……まぁ、軍の寝床なんてこんなものよね」
ストイックな軍人たちが贅沢な暮らしをしているとははじめから思っていなかったが、年頃の女性としてはいささか抵抗を感じるものの、牢よりははるかにましな部屋だった。
シュリはとりあえずはじめに、窓を開けて換気した。
「ルークたちもこんな部屋なの?」
「ああ、うーん、似たようなものかな。……下っ端はもっとひどいが。これでも、野営でないだけましなんだ。女性にはつらいかもしれないが、我慢してくれ」
「いいの、平気。それよりも、たいへんね。軍人さんって」
これまで衣食住にさほど不自由なく暮らしていたが、こうして国のために働く軍人たちの大変さを知り、シュリはしみじみとそう呟いた。
「もう一度」
「え? なにを?」
「もう一度、軍人さん、と」
詰め寄ってくるルークに押し切られ、シュリは上半身を仰け反らせながら、さっき言ったばかりの言葉を繰り返した。
「た、たいへんね……軍人さんって」
ルークは、軍人さん、という響きを噛みしめているらしく、熱っぽいため息をついた。
「はじめて、軍人になってよかったと思った」
「はじめてって、ルークは中将なんでしょう? とても努力しなければ軍で出世なんてできないんだから、自分の仕事を誇ったら? まぁ……あんまり、人を傷つけたり傷つけられたりは、してほしくないけどね」
目を落としたシュリの手に、ルークがそっと口づけた。
「ならば努力しよう。俺の野いちごちゃんのために」
他愛のない会話でのことなのにルークは、わかったとか無理だとか、口から出まかせやはじめから投げ出すようなことは言わなかった。それはその場限りの言葉ではなく、誠実な彼の気持ちの表れのような気がして、シュリはまっすぐに向き合わないといけないと顔を上げた。
目を細めたルークに、微笑み返す。
「ありがとう」
しかし口にした瞬間、なぜかシュリは寝台に転がっていた。
そしてすでにシュリの上にはルークがのしかかっている。驚きの早業である。
「ル、ルーク……?」
ルークの瞳のきらめきは綺麗なのだが、その目は完全に危険な色を宿している。
「さっきはじゃまが入ったから、仕切り直し」
首筋に顔を埋めようとしたルークを、シュリは躾のできていない犬にするように叱った。
「ルーク! 妻以外の女性の寝台には乗ったらだめ!」
「え?」
ひとつの寝台に男女が共寝するのは、初夜が最初でなくてはならないと習った。国を跨ごうと、そのあたりの貞操感は変わらないだろう。
「ルークってもしかして……いつも、そんなことをしてるの?」
シュリの信頼の揺らいだうろんな目に、ルークが慌てて顔を起こした。
「そんなことはない! 決して!」
「じゃあ、どいて」
「いや、ほら。これは……拷問……だから」
(これも拷問なの!?)
「捕虜らしく接さないと、他の捕虜に示しがつかない……というか」
「……そうよね。確かに差別はだめだわ。でも……夫以外の人と寝てしまったから、私はもうお嫁にはいけないじゃない……」
それに意識がなかったとはいえ、素肌をさらしてしまっている。
捕虜として捕まった時点で、汚点がついたようなものなので今はさらではあるにしても。
「厳密にはまだ寝てはいないが……わかった。俺が責任を取って野いちごちゃんを嫁に迎える。それならいい?」
ルークが微笑んで、顔を近づけてきた。その顔を、シュリは片手で掴み、ぐぐっと押しやる。
そして至極真面目に言い返した。
「待ってルーク。なに言ってるの? 私は拷問でキスを奪うような人とは結婚なんてしないわよ?」
「……え?」
ルークは鳩が豆鉄砲を食らったような顔できょとんとした。
「え? じゃなくて。もし結婚するなら、清廉潔白で誠実な人がいいの。不特定多数の彼女がいないような人が。きっとクロッカン大将みたいな浮気の心配のなさそうな人が結婚相手としてはいいと思うのよね」
クロッカンはシュリの好みではないが、結婚相手としては優良物件だ。口うるさそうだが地位もあり部下からの信頼も厚く、精悍な顔つきで体格もいい。そしてなにより、お金を溜め込んでいそうな匂いがする。たいして使わないのにどんどん入ってくるタイプだ。
逆にルークは貧乏ではないにしても、女性に無駄なお金を使っていそうである。
彼が絶句しているところへ、シュリはさらに畳みかけた。
「ルークが優しくていい人なのはわかるけど、結婚をちらつかせて一緒に寝た相手は、結婚前に逃げるってよく言うじゃない。そんな不誠実な人と結婚なんて、どう考えても無理よ。私は初夜にどきどきしながら夫を迎えたいの。わかる?」
ルークのことは嫌いではない。それどころか、会ったばかりなのに好意を抱きつつある。
しかし他の女性の影が見え隠れするような相手に将来を捧げたら、痛い目を見るのはシュリ自身なのだ。
恋人ならまだしも、夫となると問題がある。そんなリスキーなことは、乙女だが現実主義なところがあるシュリにはとても無理なことだった。
夫は冷静に選ばなくてはならない。
出会ってすぐキスをして寝台に誘う男に、ろくなやつはいないということだ。
悲愴な顔でわなないているルークを見上げて、シュリは首を傾げた。
「どうしたの? 本気で結婚したいなんて思ってないんでしょう? 他の子たちにもそうやって結婚をほのめかしてるんじゃないの?」
シュリの言葉の数々に打ちのめされたルークが、泣きそうな顔でそろりと寝台から降りた。そしてどんよりと肩を落として、静かに部屋を出て行った。
(言いすぎたかも……)
ルークの様子は気になったが、シュリは追いかけることなくその後ろ姿を見送った。




