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 また腕に抱えられたシュリは、もういっそルークを乗り物だと思うことにした。

 乗り物だと思ってみれば、これほど楽で快適な移動手段はない。鍛えられた身体は芯がぶれないので揺れることもなく、お尻も痛くならない。

 気づくと髪の毛が食べられていることと、あちこちにキスしてくることと、頭の沸騰しそうな甘ったるい囁きだけ我慢さえすれば、大した労力もなく目的地へとたどり着くのだ。


「指先からジャムの甘い匂いがする。野いちごちゃんはきっと、どこもかしこも甘いんだろうな……。邪魔さえ入らなかったら……はぁ」


「うるさいうるさい。糖分過多で吐きそうだ」


(私もちょっと……甘いのはもうしばらくいいわ)


 指先に口づけるルークに辟易としているシュリとクロッカンだ。

 そのままある一室へとたどり着くと、窓辺で佇み森の方を眺めている白髪のおじいさんが、三人の気配に気づいて振り返った。

 そしてシュリはその顔を見て、「あ!」と声を上げた。


「カヌレさん!?」


 狩りに出て捕まったと噂されていたカヌレだったが、やはり噂通りにこちら側にいたのだ。

 シュリは捕虜仲間としての妙な親近感を覚えた。


「おお、やっぱり。赤い髪でジャムと言ったら、シュトーレン姉妹の誰かだと思ったんだよ。ガレット中将が抱っこして歩いていると聞いていたから、もしやセナかと思って心配していたんだが……シュリだったか」


 よかったと呟いてから、いやよくはないな、と言い直した。

 捕まったのが幼いセナではなく、成人しているシュリでよかったと思うのは当然のことだ。

 シュリとしても、セナが捕らわれていたらと考えるだけでぞっとする。


「カヌレさんも捕まって捕虜に?」


「いや、そうではないんだよ。わしは交渉の橋渡しのために、わざと捕まったふりをしていただけなんだ。さしずめ生きた手紙みたいなものだな。もう半分、死にかけているがなぁ」


 カヌレが笑えない冗談でひとり笑う。

 いまいち状況の飲み込めていないシュリを、クロッカンが呆れた様子で眺めた。


「リョカがすでに話をつけてたみたいだから、むこうからおまえの身元を確認したいと言ってきたんだ。この分だと、本当にただのはた迷惑な市民ということになるな」


「はじめからそう言ってるじゃない」


「俺がしっかりと身体中確認したと言ったのに」


 信じてもらえていなかったことを不服そうにするルークを、クロッカンは一瞥して問いかけた。


「きちんと服を剥いて調べたのか?」


「それはもちろんなにからなにまで剥い――はっ!」


 ルークが、しまったというように固まった。

 シュリはその信じられない一言に、わなわなと震えながら地面へと降りた。二度とこの乗り物は使えそうにない。調べるためとはいえ、服を脱がされたとあっては、平常心で顔を合わせる勇気もなかった。


「野いちごちゃん……?」


「……誰ですか、それ」


 シュリからの拒絶に、ルークがクロッカンを逆恨みして睨みつけた。

 それはさておき、シュリはカヌレへと今後のことを尋ねる。


「カヌレさん、私はいつあっちへと帰れますか?」


「たぶんそうはかからんだろうとは思うけれど、こればっかりは……ねぇ」


「でも、妹たちが……」


「確かに心配しているかもしれないな……。向こうに渡るのは難しいが、手紙を届けるくらいならできなくはない」


「本当ですか!」


「一応失敗したときのために、中身を読まれても平気な内容を書くことが条件だが」


「妹たちに無事さえ伝えれたらなんでもいいです!」


 カヌレが首から下げた円柱形の笛を吹く。すると彼方から一匹の白い鳩が飛んできて、窓枠へとぴとりと止まった。


「伝書鳩?」


 鳩は丸い目をして小首を傾げている。


「メレだ。彼女に手紙を運んでもらう。信頼できる筋の者へと届く予定だが……シュリ。名前を書かずに現状を伝えれるか?」


(名前を書かずに現状を……。そうよね、もしメレが落としてしまって拾ったのがあっちの軍人だったら、妹たちが反逆罪で捕まっちゃうかもしれない。妹たちにだけ、私からとわかるように……)


「やってみます。――ルーク!」


 ルークに頼りすぎていたからか、シュリは無意識にまた使いっ走りにしようと彼の名前を呼んだ。

 当のルークは、服を剥いて身体中を調べた件を不問にふされたことで、ぱっと表情を明るくして、「はっ!」と美しく完璧な敬礼をした。

 それを見たクロッカンが、ぎょっとして叫んだ。


「おまえっ、敬礼できるんじゃないか! なんでいつもしないんだよ!」


 敬礼中のルークは、皮肉っぽく口の端を上げると、失笑した。


「なぜ大将に敬礼をしなくてはいけないのですか?」


 このままではクロッカンの機嫌が床や壁をぶち抜きそうだと察し、シュリは慌ててルークに命じた。


「ルーク! 紙となにか書くものをちょうだい」


 ルークは懐からメモ用紙と、短い鉛筆を取り出した。

 シュリはそれを受け取り、手紙をしたためはじめた。

 内容は簡単だ。シュトーレン姉妹の自家製ジャム屋さん宛に、野いちごは届かないが心配するな、少し待てば入荷される、という旨を伝える文を書いた。

 すぐには帰れないが、心配するな。少し待てば帰れる、という意味を込めて。


「ルーク、ジャム」


 ルークは軍服のポケットから、ジャムの瓶を取り出しシュリへと手渡した。それはさっき作ったもののひとつで、手伝いのお礼として彼にあげたものだった。

 そのジャムを少しだけ、指へと乗せて、手紙の端へと塗りつける。

 妹たちが、シュリの作るジャムの匂いがわからないはずがない。黒砂糖を使っていても、きっとわかる。特別な製法はしていないが、不思議とその確信だけはあった。

 それに今現在、野いちごジャムを作っている人はいないだろう。無謀にも、野いちご摘みに出かけたシュリくらいしか。

 準備を終えたそれを、カヌレがメレの足にしっかりと結びつけた。

 そして彼女は、窓枠から大空へと羽ばたく。


「メレ、頼んだよ」


「くるっぽー」


 その間抜けな返事に、シュリには一抹の不安だけが残された。



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