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「待て待て! そいつが厨房にある食材に毒でも仕込んだらどうする! 厨房は立ち入り禁止だ!」
意気込んだのもつかの間、シュリはクロッカンによって出鼻を挫かれた。
「そんなぁ!」
「だいたい怪しいやつの作ったジャムなんか、そこのイカれた優男以外食わないだろうが」
そのイカれた優男であるルークは、シュリの作るジャムの味を想像しながら、野いちご色の髪の毛にキスをしながら時おり食むという安定の変態っぷりだ。周囲が完全に引いている。
「……だが、引き入れてしまったものはもう仕方ない。ガレット、しっかり見張っておけよ」
「言われなくとも。また横からかすめ取られそうになるのは、こりごりなので」
「私のジャムは!? 野いちごは!?」
「後で作らせてあげるから、今はいい子していてくれ。ほら、顔をこっちに向けて。ここにいる女日照りの雄どもが、君を邪な目で見ているから……ああ、だめだ! だんだん撃ち殺したくなってきた!」
危険極まりないことを平気で言ってのけたルークが、シュリの顔を胸へと押しつけて目隠しする。
ひっ、という小さな押し殺すようないくつかの悲鳴に、シュリはなにが起きたのかわからず困惑だけが残された。
頭を戒める拘束が外れて視界が光を映すと、誰もが一斉に目を逸らした。
「では、野いちごちゃん。君の手作りの甘いジャムを、さっそく食べに行こうではないか」
「ルークは食べてくれるのね?」
「もちろん。鍋ごと食べよう」
鍋ごとはシュリでもきつい。しかしそう言ってくれるだけで作る意欲がわいた。
それに採れたてなので、傷む前に早く加工しておきたいところだったのでちょうどいい。
ルークに連れられて、シュリは要塞内を「へぇ〜」と興味深く見学しながらたどり着いたのは、建物の裏手。つまり、野外だった。
しかし簡易の屋根があり、調理台や水場、釜まである。
「ここは野外演習用の調理場だ。食材は置かれていないし滅多に使わないから、ここならば思う存分ジャム作りができる」
野外でもジャムを作らせてくれることはありがたいのだが、やはり厨房に立ち入らせてさえもらえないことへの不満がシュリの中でくすぶっている。
「毒なんていれないのに、失礼しちゃう」
「あんな筋肉で頭が凝り固まった男のことは脳内から消し去ってしまえばいい。今すぐ野いちごを持ってくるから、野いちごちゃんはここでおとなしく待っているんだよ?」
「わかったわ。砂糖と、できたら柑橘系の実を持って来て」
「了解」
にこっとして敬礼したルークに、不覚にもどきっと胸が鳴った。
シュリは実は、素敵な旦那さまと一緒に調理場に立つのが夢だったのだ。
甘い果実を煮込みながら肩を並べて、他愛のないことを仲良く話しながらできあがりを待つ。そんな幸せな新婚生活を思い描いては、妹たちに知られないように布団の中で身悶えしていた。
しかし現実は理想通りにはいかない。男性は料理をしないどころか手伝いすらしないのが一般的で、こうして顎でこき使っても嫌な顔ひとつしないルークは異質であり、そして好ましく思えた。
(敵対する立場でさえなければ……もしかしたら、ね)
恋が芽生えていたのかもしれない。
(……いや、ないない。私は捕虜なんだから)
シュリは苦笑いのまま鍋を水をゆすぎ、調理器具の準備をしているところへ、やけにこそこそした動きのリョカが現れた。
「野いちごさん!」
「……リョカくん?」
その呼び名はやはり確定らしい。シュリは突っ込むという手間を放棄した。
「やっとひとりになりましたね。中将がなかなか離れないから、もうどうしようかと思いました。とりあえず、この隙にここから逃げましょう! 信頼できる人に話はつけてありますから」
「え? いいの? 捕虜を逃したら後で怒られるんじゃない?」
「う、えっと……中将は怒るかもしれませんけど、でも!」
リョカがぐいぐい腰のリボンを引っ張るので、エプロンドレスがほどけそうになり、慌ててそちらへと足を進めた。
「でも、野いちごが」
「野いちごは諦めてください! これ以上ここにいたらいろんな意味で危険です!」
「だけどルークにジャムを作るって言っちゃったから、終わるまでは帰れないわ」
「その中将が一番危険なんですってば! ささ、早く!」
まだためらいを見せるシュリに焦れたリョカが、背中を押し進めた。
リョカはシュリと変わらない身長だが、少年といえど軍人らしく力がある。問答無用で調理場から追い出しにかかった。
「中将は節操がないんです! 女の子、大好きなんだから」
「女の子、大好き……?」
シュリは胸の奥がチクリと痛んだ。
ルークが女好きだからといって、シュリにはなんら関係のないことだというのに。
だけど気づくと、冷ややかな声が出ていた。
「……わかったわ。行きましょう」
シュリが自ら足を動かしはじめたので、リョカは道案内のために前へと出た――直後、消えた。シュリの視界から、綺麗さっぱり。
「あれ!?」
いなくなったリョカを探してきょろきょろしていると、シュリの上に影が落ちた。
「誰が、女好きの節操なしだって?」
声のした方へとおそるおそる視線を上げると、仁王立ちしたルークが憮然とした表情で行く手を塞いでいた。よく見ると、その向こうでリョカがうつ伏せで伸びていた。
「……野いちごちゃん。おとなしく待っていろ、と言ったはずだったけど、俺の記憶違いだったかな?」
黙って逃げようとしたことを咎めるその口調に、シュリは狼狽してたじろいだ。
「え、と……」
「おとなしく、待っていろ、と、言わなかった?」
言葉をあえて途切れ途切れに言って強調する。
シュリは口をあうあうさせながら、冷や汗の流れる顔でぎこちなく頷いた。
「だろうね。一瞬俺の記憶違いかと思った。だけどそれなら俺の野いちごちゃんは、どこへ行こうとしていたんだろうか? ああ、おかしいな。これではまるで、俺のいない隙に逃げようとしていたみたいだ。――なぁ?」
穏やかな口調なのに穏やかさのかけらもないその響きに、シュリは後ずさりするも、ルークに腰を絡め取られて逆に密着することになってしまった。
「あ、あぅ……あ……」
「あ、じゃわからない」
「あぅ……あ、あなた、を……さ、探しに行こう、と、したの! 私、そのっ、寂しくなってしまったの! あなたが、他の女性のところに行ってるんじゃ、ないかって……」
急速に語尾が萎んでいくシュリ。身を守るため仕方ないとはいえ、嘘をつくのは気引ける。
おずおず見上げた先で、ルークが虚を突かれた様子でぱちくりと目を瞬いていた。
「……俺を、探しに?」
「お、おおお遅いんだから! 浮ついた男は嫌いだわ!」
シュリはパニック状態による謎の強気で、ルークの胸を全力で押した。
油断していたのか、なんとか脱出に成功したシュリだが、自らの言動への後悔で真っ青だ。
(私ってば、なんてことをしてるのよ! 殺されるの!?)
がくがくと震るえる足が、心の負荷に耐えきれずに膝から崩れ落ちた。地面に着く寸前で、ルークが伸ばした腕がシュリの身体を支えた。そしてそのまま、シュリをまっすぐ立たせると、その前に跪く。
ぽかんとしているシュリに、ルークが申し訳なさそうに眉を下げた。
「遅れてすまなかった。もうなるべく離れる時間は作らないようにする。どうか許してくれないか」
「ふぇ!? あ、そ、そうね」
「許してくれるのか?」
(許すもなにも……)
「ルークは悪くない、じゃない」
ルークは表情筋を緩むのを忍耐で持ちこたえ、シュリの手を取り口づけを落とした。
「他の女とは縁を切る。だから――」
「他の女ですってぇ!? 縁を切るって、なに!? やっぱり女好きの節操なしじゃないのよ馬鹿!」
シュリはルークに握られていた手を振りほどいて、大きく振りかぶった。