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「……――ということで、現国王を退位させ、王太子さまが隣国の穏健派と水面下で進められている平和条約が締結されることになれば、この小競り合いにも終結の目処が立つということになります。……他になにか質問のある方はいますか?」
ルークがキリッとした真面目な顔で、会議室を見渡した。
制服をかっちりと着こなした軍幹部の人間たちは、そろいもそろってぽかんと口を開きなが、彼の膝に乗せられたものへと視線を注いでいる。
上座に座る短髪で体格のよい軍人ひとりだけが、生真面目に軽く挙手をした。ルークよりも少し年上で、ルークとは違い本物の精悍な顔つき。そして手を挙げたことで、制服の下から隆々とした肩の筋肉が浮き上がった。
ルークは彼をちらっと一瞥してから、
「質問はありませんね。以上で報告を終――」
「おいおいおいおい! 待て待て待て、ガレット! なにさらっと無視してんだよ!」
「まあまあクロッカン大将、ここは穏便に」
諦めにも似た達観した顔で周囲がそう諌めるが、クロッカンと呼ばれた男は止まらず、びしりとガレットの方へと指を突きつける。
「できるか! なんで報告会議に余分な人間を連れてきた!」
クロッカンの指の先がまっすぐに向けられているのは、ルークの膝の上で所在なさげにしている、捕虜のシュリだった。
男たちの視線にさらされ、なんども膝から降りようと試みたものの、野いちごを返してもらうまではと己に言い聞かせ、彼の決めたことに従うしかなかった。
それに勝手に逃げては拷問が増えるだけだと、この注目にも黙って耐えている。
「どこの誰だ、その娘は! どこで拾ってきた!」
「森で捕らえました」
悪びれることなくルークは端的に説明し、シュリのこめかみへとキスをする。頰を真っ赤にして恥じらうシュリの顎を摘んで、ごく軽く唇も重ねる。
生ぬるい眼差しが、シュリをさらに沸騰させた。
(ううう……恥ずかしい。辱しめるという拷問なんて……)
「捕らえただと!? よくその口で平和条約どうこう言えたな! 今すぐ返してこい!」
クロッカンはシュリをまるで捨て犬扱いだ。
しかしルークは捨てられてなるものかと、シュリの頭をぎゅっと抱きしめて離そうとはしない。
「無理ですね。かわいい愛称もつけてしまいましたし、誰がなんと言おうともう手放す気はありません。――ね? 俺の野いちごちゃん」
(その呼称は確定なのね……)
「なにが俺の野いちごちゃんだ! もしその娘が敵の送り込んだ間諜だったらどうする! おまえの報告、だだもれじゃないか!」
「いえいえ、そこはご安心を。身体は調べました。隅々まで、それはもう隈なく。武器の類や薬品などの危険物は所持していませんでしたので、間諜ではないかと」
(私ったら、いつ調べられたの?)
記憶にないシュリだったが、とりあえず草や蔓を切るための小型ナイフを携帯していなくてよかったと胸を撫で下ろした。
「間諜がすべて武器を持っているとはかぎらない。あえて丸腰で乗り込ませたという可能性も捨てきれない。……おい、ガレット。今からその怪しい娘、拷問にかけてもいいんだぞ」
シュリはクロッカンの口調から漂う不穏なものを敏感に感じとると、ルークの軍服をきゅっと握りしめた。彼も敵なのだが、すがれるものが他になかったのだ。
ルークがとろけたバターのような顔をしているとも知らずに、無防備にも身体をすり寄せる。バターはもはや、液状だ。
「安心していい、野いちごちゃん。大将はああ見えて、か弱い者には優しいんだ」
「でも今、拷問するって言ったわよ? 私はルークがするみたいに、ところ構わず彼にもキスされるの?」
シュリのその一言で、いつもの大将と中将のじゃれ合いだとまったり水分補給をしていた幹部たちが、そろって水を、ぶはっと噴き出した。
「ちゅ、じょっ、な、なにを……」
「げほっ、まさか、仕事中に、ごほっ、そんなプレイを……?」
彼らが口から水を滴らせ、むせながら言った言葉は、残念ながらシュリにはうまく聞き取れなかった。
「言っておきますが、大将。俺の野いちごちゃんを共有するつもりは毛頭ありませんから。もしちょっかいかけようものなら隙をついて撃ち殺しますので、せいぜい背後にお気をつけを」
ルークは剣呑な目でクロッカン射抜く。それが上司に向ける目ではないことだけは、確かだった。
「するか馬鹿者! なにを教えてるんだ! おまえが一番の危険分子じゃないか、まったく……。そんなに手元に置きたいのならまず、その娘が間諜でない明確な根拠を提示することだ。さもなくばそいつは牢へとぶち込まなくてはならない」
シュリだは牢と聞き、慌てて身を乗り出した。このまま間諜だと誤解され続けたら、拷問どころか最悪、処刑されてしまうかもしれない。
「そんなっ、私は間諜なんかじゃないの! 本当なのよ! ただジャムの材料の野いちごを採りに来ただけで……! お願いします、信じてください!」
必死に身の潔白を訴えるも、クロッカンはうさんくさそうにシュリを見遣るだけだ。
なにを言ってもだめなのかと視線を落とすと、ルークがよしよしと頭を撫でて慰めた。
「俺が信じるよ」
ルークの力強い言葉にほっとするも、クロッカンは疑り深く、泰然と腕を組みながらシュリを厳しく問い詰めてきた。
「この森は一般市民は立ち入り禁止になっていたはずだ。たかがジャムのために、戦闘に巻き込まれ命を落とす覚悟だったというのか? 馬鹿馬鹿しい。もっとましな嘘をつくんだな」
シュリはがくりとこうべを垂れた。全身が、わなわなと震えはじめる。
それは信じてもらえなかったことへの絶望ではない。純粋な、怒りだった。
彼のある一言が、シュリの逆鱗に触れたのだ。
「今……なんて? たかが、ですって……?」
シュリの目がほの暗い光を宿す。クロッカンがわずかに目を見張った。
「たかが、ジャム……たかがジャムですってぇぇ!? ジャムを馬鹿にしないでちょうだい! 私の作るジャムを食べれば、私が命がけで野いちごを摘みに来たことがわかるわ! ――ルーク!」
シュリは、ぎゅいんと効果音がつきそうなほど首を後方へとひねった。
まなじりのつり上がったシュリの変貌ぶりに驚きながらも、凛としたその姿にうっとりと見蕩れていたルークは、姿勢を正して「はっ!」と、敬礼がつきそうな勢いで返事をした。
躾の行き届いた見事な犬っぷりに、幹部たちが瞠目した。
あの飼い慣らすことが不可能だとまで言われていた一匹狼ルーク・ガレットが、忠犬に成り果てたとばかりに絶句する。
「さあ! あの偏屈な男を見返してやるわよ! さっきの野いちごでジャムを作るわ。砂糖はある?」
「砂糖……黒砂糖ならば、少しは」
「黒? 白い砂糖はないの?」
シュリが瞬くと、偏屈と言われて内心イラっとしていたクロッカンが、小馬鹿にしたように長机を指でコツコツ打った。
「ここをどこだと思ってる。――戦場だぞ」
普通に話を交わしていたせいで、シュリはすっかりとそのことを失念していた。
ここは、食事は質より量な、軍人の要塞だ。
白砂糖が貴重だった時代はとうの昔に過ぎたものの、やはり価格を比べて見ると黒砂糖の方が安い。
だが砂糖よりももっと庶民的で安価なのは、蜂蜜だ。
ここも例にもれず、料理には蜂蜜を使うことが多いのだろう。
(でも、黒砂糖があるだけましよ。ジャムが作れるんだから)
「黒砂糖でいい。ジャムを作りに行くわよ、ルーク」
ルークは鼻を鳴らしたシュリを片腕で抱えて、命令に従い颯爽と立ち上がった。