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シュリはあたたかさかと心地よい揺れに包まれ、夢うつつでまどろんでいた。
あたたかいなにかに鼻をすり寄せると、嗅いだことのない乾燥草の匂いが鼻腔を抜ける。
これは煙草だろうか。癖のある、ほろ苦い香りだった。
(でも、嫌いじゃない……)
シュリの父は喫煙者だったから、よく自分で草を摘み、乾燥させて、配合にこだわり独自の煙草を作っていた。父のとは違うが、その懐かしさに浸っていると――、
「あ! どこに行ってたんですか、ガレット中将! 大将がお怒りで……って、あれ? その人は……?」
戸惑いを含んだ少年の声に、シュリの意識がふわりと浮上した。
薄く開いた目に映ったのは、瞳の大きな少年兵。ライラくらいの年頃だろうか。まだどこか軍服に着られている印象だ。
「うん? 森で捕らえた」
少し甘めの男の声が、すぐそば、シュリの頭の上から落とされた。
シュリはそこでようやく、誰かの腕に抱えられていることに気づいて蒼白となった。
座ったような格好で、足が宙に浮いている。
腕一本でシュリを抱いている人物は、反対の手には野いちごの籠を引っかけていた。
軍服からして、さっきの彼である可能性が高そうだった。
「捕らえたって……」
少年兵はシュリを見て、少し視線をあげるというのを、交互に繰り返した。シュリの頭の上に、自分を捕らえたと言った男の顔があるのだ。
おそるおそるそちらを窺う。人ひとり軽々抱えれるくらいなのだから、厳しく精悍な印象の軍人を想像していたシュリだったが、それは見事に裏切られた。
蜂蜜色の柔らかな癖毛に、優しげな面差し。鼻梁はすっと通っていて、細められた目は新緑のように穏やか。薄い唇は緩やかな弧を描いて微笑んでいる。
低めの鼻となんの変哲もない茶色い瞳、そしてそんな地味な顔に似合わない鮮やかな緋色の髪を気にしているシュリにとっては、うらやましすぎる容姿だった。軍人にしておくのはもったいない。
その彼は、困惑ぎみの少年兵へと機嫌よさげに語りはじめた。
「口寂しくてね。ここじゃあ煙草が買えないから、森に材料となる草が生えてるんじゃないかと思って出かけたんだが、ほら! 草なんかよりももっと素晴らしい可憐な花を発見して、これはもう摘んで帰らないとと意気込んで見つめていたら、最悪なことに敵が現れて横からかすめ取ろうとするではないか。だから、軽く蹴散らしてきてしまったのは……うん。仕方のないことだった。――そういうわけで、リョカくん。大将には君からうまく説明しておいてくれたまえ」
リョカと呼ばれた少年兵は、うろんな眼差しでシュリごと彼を見上げている。
とにもかくにも捕らわれてしまったシュリは、これからなにをされるのかと不安が募り、視線を落とした。拷問だろうか。恐怖に揺れる瞳を、伏せられたそのまぶたがそっと隠す。
そうしてまつげを震わせていると、唐突に柔らかなものが押し当てられた。ちゅっ、と音を立てて、離れていく。まぶたに口づけられたのだとシュリが気づいたのは、一拍遅れてからのことだった。
したのは他でもない、シュリを抱く男である。
驚きに顔を上げて、間近で目が合うと、今度は唇が塞がれた。
(あああ……! ファーストキスが!)
唇にキスを受けたのははじめてで、シュリの頰は野いちごのように真っ赤に色づいた。
それを見ていたリョカが、あわあわとし出す。
「わっ、なにを! やめてくださいよ、中将! そういうことは仕事中にしないでください!」
「なにを言う。これも仕事の一環で……いわゆる、拷問?」
(ご、拷問!? これが噂の拷問なの……!)
拷問でファーストキスを奪われるなんて、とシュリはショックでうなだれた。
こういうことは好きな人としたかったのだ。人並みにシュチュエーションにも憧れていた。シュリはジャムにはうるさいが純粋な乙女だった。
しかしすでに拷問が開始されているのならば、この抱っこ状態にも、逃げないようにという拘束の意味があるのかもしれない。
シュリはすでに、退路を断たれていた。
「ね? 俺の野いちごちゃん」
この変な呼び名も、囚人番号のような意味合いなのだろうか。
野いちごと呼ばれること自体は別に構わない。むしろ本名を名乗ること方が、後々妹たちにも火の粉が振りかかってしまいそうで怖かった。妹たちだけは、危険にさらすわけにはいかないのだ。
なのでシュリは内心安堵しながら、今度は自分から彼へと呼びかけてみた。
「……ガレット、中将さん……?」
「それもそそるが、できればルークと」
「ルーク?」
小首を傾げて上目遣い。仕方がない。斜め上に顔があるのだから。
「くっ……これはまずいな。かなり、くる。今すぐ寝室へ連れて行かないと死にそうだ! このままでは悶え死ぬ!」
「そんな不名誉な死に方をしないでください!」
リョカがぷんすかしながら、仕事しろ、と至極もっともなことを言う。
「だが、」
「不真面目でだらしのない男は、見目がよくても確実にモテませんよ」
(それはそうよね。わかるわ。私だって、いつかは働き者で真面目な優しい人と結婚したい)
ルークと目が合ったシュリは、リョカに同意してこくりと頷いた。
「……そこまでいわれては、やむおえんな。真面目に職務に従事するとしよう。リョカはこれを頼む」
手渡された野いちごの籠を受け取ると、リョカはためらいながらもどこかへと駆けていってしまった。
(ああっ……! 私の野いちごが……)
切ない思いでそれを眺めていると、シュリのまなじりにまた唇が落とされた。
「あとで返してあげるから」
「本当に……?」
「ああ、もちろんだとも。俺の仕事が終わるまでは、この腕の中でおとなしくしているんだ。できるな?」
「わかったわ!」
野いちごが返ってくることに大喜びしたところで、頰を緩めたルークが歩き出した。シュリは慌てて、その首へと腕を回したのだった。