その8
リハビリは、それは過酷なものだった。
自分の身体の一部が思うように動かないということは、想像した以上にルークの心に負担の影を落とした。
そういうときは思い出す。短かったが、人生最高のひとときを。
たいていは寸止めで終わる。事実、寸止めだったからだ。
ルークは耐えて耐えて耐えて……ある日限界を迎えた。
ちょうど隣国との平和協定が結ばれ、渡航が自由になるに合わせてのことだった。
リョカの目を盗み、松葉杖を突き、病院を脱すると森を抜ける。はやる気持ちで不思議と痛みは感じなかった。
杖で歩くことに慣れたせいでもあるので、リハビリは正しかったのだと、そのときはじめて実感した。
誰に咎められることなく国境を越えると、ルークはまず商業通りを目指して進んだ。シュリの店の住所は知り得なくとも、店を構えるのなら人通りの多い通りだろうと踏んでのことだった。
のどかな田舎の風景を堪能する余裕はさすがになく、ひたすらに足を前へ前へと動かした。この一歩一歩が恋人へと続いていくのだ。
しかし基本的に我が道を行く楽天家なルークにも、一抹の不安はあった。
(野いちごちゃんは、怒るだろうか……)
嘘とはいえ人質に取り、演技だが目の前で死んだのだ。普通ならば許されない行いだ。
(野いちごちゃんなら、わかってくれる……はず)
たとえ怒りの表情しか見れないとしても、ルークはそれでも、シュリと会いたかった。
そうして店の並ぶ通りに出て、ジャム屋の場所を人に尋ねて、怪訝と憐憫を向けからながらたどり着いた店の前で一度立ち止まった。
『シュトーレン姉妹の自家製ジャム屋さん』
看板にそうある。ここで間違いない。
店先で遊ぶ、小さいシュリもいる。間違いない。妹だろう。目が合った。
「いらっしゃいませー」
「野いちごちゃんはいますか?」
小さいシュリはきょとんとした。幼すぎて伝わらないのかもしれない。ルークは微笑んでお礼を言ってから、店の中へと踏み込んだ。
そこには、ほぼシュリと、若干背の低いシュリがいた。大人しめな雰囲気だけど整った顔立ちをしたシュリと、まだあどけなさの少し残る人懐っこそうな顔をしたシュリだ。
彼女たちが同時にルークを目に映した。ほぼシュリは控えめな微笑みで、若干背の低いシュリは快活な笑みでルークを迎える。
似ているが、どちらもやはり、ルークの野いちごちゃんではない。
「「いらっしゃいませ」」
ルークがシュリを求めてぐるりと店内を見渡すと、彼女たちは商品を探していると勘違いしたらしい。なにをお探しですか、と問いかけてきたので、ルークはこう切り返した。
「野いちごちゃんはいますか?」
ふたりは目をぱちくりとさせ、顔を見合わせてから、おずおずと木いちごジャムのビンをルークへと差し出した。
「すみません、木いちごしかなくて……」
色んな意味でそれではない、が、それを素直に受け取った。きっとこれも、懐かしいシュリの味がするだろうから。
松葉杖に重心を預けてポケットを探る。運よくいくらか小銭が出てきた。やはり日頃の行いがいいからだ。
それを会計棚へと置くとしかし、ほぼシュリが困ったような顔をした。通貨が違ったのだ。
しかし若干背の低いシュリが、まぁいいんじゃない? とその小銭を受け取った。
会計は済ませたのだが、肝心のシュリについてまだなにひとつわかっていない。
なかなか出て行こうとしないルークをふたりが少々訝りはじめたので、尋ね方を変えてみた。
「お姉さんはいますか?」
「姉さんのお知り合いですか? ごめんなさい、今野いちご摘みに出かけてて」
ルークは瞠目した。ルークがシュリを求めて来たように、シュリもルークを求めて会いに来てくれたのかもしれない、と。
もしくは、
(はじめて出会った場所で、待っているのか!)
いても立ってもいられず、ルークは恋人によく似た妹たちにお礼を言って店を後にした。
ジャムを大事にしまい込み、来た道を戻る。地面に刻んできた杖の跡をたどるように、まっすぐまっすぐ。
(早く、早く。会いたい。野いちごちゃんに、――シュリに)
行き違いになっていることも知らず、たんぽぽの咲く野原を、森へ。
(まず最初に、なにを言おうか)
会いたかった。好きだ。愛している。思いつく限りの言葉を並べる。
風が揺れる。綿毛が舞う。
駆けてくる足音が、傾いた背中を呼び止めるまで――後一秒。
「……――ルークッ!」
声を聞いた瞬間、考えていた言葉たちが、綿毛とともに空へとさらわれる。
情けないことに、頭の中が真っ白だ。
だからルークは、彼女を見つめ、ただ微笑む。
それだけですべて伝わればいいのにな、と、そう思いながら、飛び込んでくるシュリを抱きとめるために、そっと腕を広げた。
なんか中途半端な気もしますが、再会までのルーク視点でした。
今日あと1話、更新します。
16話のあとのちょっとした小話です。
とりあえず、やっといちゃつかせてあげられました。




