その4
ルークは一週間ほど、王都に滞在して仕事をしていた。仕事と言っても、建国記念式典のための警備における人員確保のための招集だ。
狙われる危険があるのならば式典なんてしなければいいのに、と思うルークだったが、早くシュリの元へと帰りたい一心で真面目に従事した。
自分が暗殺者ならばどこから狙撃するだろうかと暇潰しに考え、リョカ相手に世間話として緻密な新国王暗殺計画を披露して周囲を凍りつかせるくらいには、頭も働かせた。
そのルークのたわごとをたわごととして受けとることなく、クロッカンが警備計画にはなかったその場所に、直前になって警備の人材を配置した。
だが前国王派による新国王暗殺計画のひとつを事前に潰したことを、当のルークは知らないままだ。
軍服できりっと整列しながらも、頭の中はシュリや妹たちのお土産をなににしようかという幸せな悩みでいっぱいであった。
そうして帰宅したルークだったが、意気揚々とドアを開けて入った愛の巣には、緋色の間男の姿があった。
しかもおそろしいことに、その間男――ケビンと愛妻シュリが、楽しげに抱き合っているではないか。
夫のいない昼下がり、上がり込んだ間男がここぞとばかりに貞淑な人妻へと迫る。
(……いいじゃないか奥さん。だめよ、わたしには夫が……)
呆然とするルークの脳内ではすでにドロドロの愛憎入り混じる物語ができ上がってしまっていた。
「ル、ルーク!?」
シュリが慌ててケビンから離れる。
ますます怪しさが増す。
「なにを……してたんだ」
冷めた声音のルークに、シュリが、あぅあぅと唇を動かすも、その愛らしい唇からは肝心なことはなにも出てこない。
ルークはケビンへと視線を移した。こっちはニヤニヤしている。
ルークは腰を探ったが短剣も銃もなく、目の前の敵を始末できなかった。
「従兄妹同士なんだから、抱擁くらいするだろう?」
従兄弟なんていなかったルークには理解できない言い分だ。
本当に、銃を持っていないことが悔やまれた。
「それに昔は一緒にお風呂に入ったこともあるし、洗いっこも――」
「ケ、ケビン!? お願いっ、今は帰って!」
シュリが青い顔のまま、ケビンの背中を押して家から追い出した。
その気のおけない感じも、ルークには許しがたく見えた。
(俺だって一緒にお風呂に入ったことがないのに……)
「野いちごちゃん」
ドアを閉めたシュリの背中が、びくんとする。
逃げないように、素早くドアに両手を突いて腕の中へと閉じ込めた。
「なにを、してた?」
「な、なにって、その……」
ドアとルークに挟まれたシュリは、おずおずと顔を振り返る。
ついキスしてしまいそうになるのを自制して、ルークは威圧感たっぷりて厳しく問い詰めた。
「俺に言えないことを?」
「違うわよ! ただ……」
「ただ?」
「ケビンの紹介で、隣街で有名なお料理教室にジャムの納品が決まって……それで……」
(喜び勇んで抱きついたと?)
ジャムが絡むとシュリは周りが見えなくなるので、なくはない話だった。
「でもケビンとはなにもないわよ! 奥さんがいること、ルークだって知ってるじゃないの」
「ちまたではダブル不倫が流行ってると、近所の奥さま方が言っていた」
新婚さんでも気をつけなさいね〜、と先日からかわれたばかりだ。
「そ、そんなことしないわよ! わたしが好きなのはルークだけよ! 疑わないでちょうだい!」
思いがけずに好きと言ってもらえたルークは、単純なので頬を緩ませて厳めしさを瞬時に霧散させた。
優しい声に切り替えて、シュリの耳元に唇を寄せて尋ねる。
「本当に? あの緋色の気にくわない男よりも?」
「気にくわないって……」
ただの従兄であるケビンへの無駄な嫉妬に、シュリが頬を染めつつ呆れている。
「当たり前じゃないの。ルークは、……特別よ」
「だがあいつとは一緒にお風呂に入るのに、俺とは嫌がるではないか」
「それは……」
シュリがもごもごとしながら、ルークの腕の中で恥ずかしがっている。つい勢いあまって朱に染まったその耳を、はむっと甘噛みした。
「ルッ……!」
「……嫌?」
「い、意地悪だわ……」
仕事を終えてきたルークには、野いちごちゃん成分が不足しているのだ。
「一緒にお風呂」
「うっ」
「お風呂お風呂お風呂!!」
「わかった! ……わかったわ」
とうとうシュリが折れ、ルークは舞い上がった。
……はずなのに、なぜなのか。
ルークは隣にいるシュリを頭から足の先まで眺めた。素肌を見せているのは、ふくらはぎから下だけだ。
そしてルークも靴下を脱いで裾をまくり、ふくらはぎから下をお湯へとつけていた。
(なぜ足湯なのか……!)
まったりとするシュリに、ルークは絶望的な表情を向ける。
「一緒にお風呂に入ってるじゃないの」
「足湯はお風呂ではない! 足湯だ!」
おそらくルークの常識が正しい。足湯は、足湯だ。
「お湯に浸かってほっこりするんだから、お風呂よ。わざわざ森まで温泉を掘りに来たのに、道中なにも言わなかったじゃないの」
誰かに見られるかもしれないスリルを楽しみながら、自分たちで作った簡易温泉でいちゃいちゃするのだと思って疑わなかったのだ。
シュリがそう思わせて行動していたのが悪い。ルークはなにも、悪くない。
「……そういえば、ルークからのお土産、みんな喜んでたわね。ありがとう」
すねていたルークは、お土産を渡したときの妹たちの笑顔を思い起こして、目を細めた。それが話をすり替えるための策だとも知らずに。
ルークの扱いに慣れてきたシュリだった。
「妹ちゃんたちのお土産選びは楽しかった。お土産を買うこと自体はじめてだったから、緊張したが」
ルークはこれまで、誰かに食べ物以外のお土産を買ったことがなかった。無難で間違いのないお土産だ。
渡す相手の笑顔を考えながら、あれこれ選んでいる時間は充実していたと言える。
メアリには王都の若い女性の間で流行中の、花をモチーフにした髪飾りを。ライラには学生たちに人気の、通学用のリュック。そしてセナにはルークでも知っている有名な絵本と、そこに出てくるキャラクターのぬいぐるみをそれぞれプレゼントした。
メアリは照れながら髪飾りをつけてくれ、ライラはそのリュックを友達に見せびらかしに出かけて行った。そしてセナはぬいぐるみを相棒にして、いつも一緒だとばかりに同じ布団でお昼寝をする。
(なんて幸せなのだろう!)
人に喜んでもらえることがこれほど嬉しいことだとはじめて知った。
「ルークにはプレゼント選びの才能があるわ」
シュリに褒められ、おだてられ、気分のいいルークだ。
しかし喜色満面のシュリのテンションは、おかしな方向へと向いている。
「それに、私にも新品のホーロー鍋をくれるなんて! さすがルークだわ! 私がほしいものをよくわかってる! ありがとう!!」
「ああ、うん……」
シュリがうっとりと鍋を思い出している。本当はもっと雰囲気が盛り上がるようなものを買って来たかったルークなので、手放しで喜べずにいた。
雑貨店を回っているときに鍋を見た瞬間、思い出してしまったのだ。
新婚休暇を終えていざ仕事に取りかかろうとしたとき、底が焦げついた鍋がひとつ出てきてショックを受けていたシュリの姿を。妹たちを尋問するシュリは修羅のごとくのご立腹で、ルークの記憶にきっちりとその一件が刻み込まれてしまっていた。
そうしたらもう鍋しか思いつかず、ルークは渋々鍋を購入した。せめてもの抵抗で、パステルカラーのかわいいのを選んだ。
シュリが大喜びしてくれたのはいいが、寝室よりも調理場に長くこもられるとルークとして寂しい。毎日いちゃいちゃできるわけではないというのに。
この温泉でどうにか、仲を深めなくては。
「……そうだ、洗いっこ。洗いっこをしなくては終わらない!」
「じゃあ足を洗ってあげるわ」
ルークの想像とは違う展開になってしまった。これもすべて、足湯だからだ。
ルークはシュリの膝に、片足を乗せられる。バランスを取るために後ろ手を突いた。
足が絡み合って、これはこれで妙な体勢だ。しかもシュリが丁寧に足の指や裏側を洗ってくれると、心地よくもあるがぞわぞわとする。
シュリに親指に力をいれてやわやわとマッサージまでされ、凝り固まった足の筋肉がほぐれるのを感じてルークは、ほぅっと小さく息をついた。
「気持ちいい?」
「ん……気持ちいい」
ルークは頰をうっすら赤く染め、快感を逃しながらそう答えた。
これまであまり自分の身体を気にしてこなかったルークだが、知らず知らずの内に疲労は身体に蓄積していたらしい。
「固いわりに、すべすべよね」
シュリは少々嫉妬混じりに、肌質のことを言った。ルークは特になにもしていないにも関わらず、肌荒れを起こしたことはない。ただ皮膚が丈夫なのだろう。
ルークはすねているシュリの頬にちゅっと唇を寄せる。シュリの肌も十分しっとりとしていて綺麗だ。足湯に浸かっているからか、ほんのり上気しているところも艶っぽくてたまらない。
「俺の妻は、世界で一番可憐な野いちごちゃんだよ」
「……でも野いちごって、タネがぶつぶつしてるじゃないの」
白磁のようだ、とか、絹のようだ、とか評してもらいたかったらしい。
女心は難しい。
「俺が食べたいのは野いちごちゃんだけだ。白磁も絹も食べ物ではない。それに野いちごの花は白くて小さくてかわいいから、野いちごちゃんは野いちごだよ」
褒め言葉をふんだんに盛り込んだのに、シュリはあまり喜んではくれなかった。
女心は、やはり難しい。
「……王都は、どうだった?」
脈絡なくそう訊かれて、ルークは素直に楽しかったと答えた。仕事がではなく、お土産選びが、だが。
「王都って、綺麗な人がたくさんいるわよね……。王都なんだから」
シュリの肩がすくめられ、視線が湯へと落ちていく。
(これは……嫉妬か!)
にやけそうになったルークだったが、前に女性関係のことでケンカになりかけたことを思い出し、学習していたことで今回は慎重に言葉を選んだ。
「綺麗で華やかなドレスよりも俺が好きなのは、真っ白なエプロンドレスだ」
慎重になった結果、これまで秘めていた本音がこぼれ出た。
「少しジャムで汚れていても、それはそれでいい」
言えば言うほど、シュリの表情が曖昧なものになっていく。
「王都ではずっと、シュリや妹ちゃんたちのお土産のことを考えていた。女性を見ながら流行りのものを吟味して、お土産に生かすことしか考えていなかった。本当はホーロー鍋ではなくジュエリーが買いたかったのだが……」
しゅんとしたルークの頰にシュリの手が伸びた。
「妹たちのこと、大事にしてくれて……ありがとう」
シュリの大切なものはルークにとっても大切だ。
視線が絡んで、いざ口づけようと動いたとき、シュリはにっこりとして言った。
「ついでにケビンとも仲良くしてくれると嬉しいわ」
「……」
ついでにしては、無理難題をさらっと押しつけてきたシュリ。
人間、できることとできないことがある。
しかしそんなところも好きだ。
「……一緒にお風呂に入って洗いっこをさせてくれるのならば、考える」
ルークはシュリの答えを、喉をごくりとさせて待った。
シュリは恥じらいながら、ぽそりと呟く。
「……今日だけ、なら」
ルークは軍で培ったすべての技を総動員して、シュリが翻意する暇を与えず機敏かつなめらかな動きで彼女の身体を抱き上げた。
「今すぐ帰ろう! 我が家に! お風呂にっ!!」
裾を曲げたまま、裸足のまま、ルークは甘い妄想を糧にシュリを抱え、森を疾駆した。
帰り着いたときには目を回したシュリが戦力を失っていたので、ルークは心置きなくお風呂に連れ込んだ。
ただし。後で怒られたのは、言うまでもない。




