その3
王太子の国王即位より、平和ボケしはじめた国の情勢だが、いつなんときどこの国が攻めてくるかもわからないので、軍人たちは気を緩めることなく日夜訓練に励んでいる。
国を支える軍人たち。そしてその彼らを支えるのは、家族だったり、恋人だったりと、まあ人それぞれである。
ルーク・ガレット中将にとってのそれは、野いちごちゃんこと愛妻のシュリであり、アーノルド・クロッカン大将にとってのそれは、先日までは彼を慕う部下たちだった。
しかし恋人ができたとあっては話は変わってくる。部下たちは手のひらを返したように、クロッカンの世話を焼かなくなった。応援半分、妬み半分である。
元々なんでも一人でこなせてしまうクロッカンだったので、世話など焼かれずとも平気ではあるが、時間外労働を邪魔をして恋人を大事にしろオーラを放つ彼らには、少々辟易としていた。
休みの日はしっかりと休んで恋人との愛を育めという、遠回しな配慮であることは重々承知である。
しかしそんなことをされなくても、クロッカンは元々メアリに会いに行くつもりだった。
ただ少しばかり、恋愛ごとに無頓着だったせいか、ただ会うだけにしても手土産やら服装やら、相手の機嫌を損ねてしまわないかどうか考えすぎて、頭が痛くなっていただけなのだ。
結局クロッカンはクロッカンなので、自分らしくないことをしようと考える時間こそが無駄だという結論に至り、昼をすぎてようやくメアリに会いに来たのだったのだが――。
そこにプライベートで一番会いたくない男がいることを、すっかりと失念していた。
店内に入るなり、近所の奥さま方に囲まれ、笑顔でジャムを勧めるルークの姿が目に飛び込んできた。
なぜ休日を同じ日にしてしまったのだろうか。
クロッカンはルークの予定を確認するのを怠った過去の自分の浅はかさを本気で恥じた。
「これは今朝、妻との共同作業で摘んだ野いちごを、たっぷりと使用した野いちごジャムです! 野いちごの前で愛し合ったからか、ほら! いつもよりも野いちごが照れて真っ赤に、そして俺たちにあてられて甘い仕上がりになっています! 完売しないと妻をねっとり愛でれないので、奥さま方、どうか買ってください!」
(あいつは本当に、どこでも馬鹿な言動だな……)
呆れを通り越して感心する。
「婿さま、じゃあそれもひとつもらうわ。子作りがんばってね」
「がんばります!」
「わたしもひとつ……いいえ、ふたつちょうだいな、婿さま。かわいい赤ちゃんを期待してるわね」
「お任せください!」
敬礼するルークと、微笑ましげにジャムを買ってはあたたかい言葉をかけていく奥さまたち。
地域住民に愛されてはいるようだった。
(だめな子ほどかわいいってやつか)
わからなくはない。クロッカンもルークの腕は買っているし、その裏表のない単純な性格は、相手をすることにこそ疲れるものの、嫌いではない。
客が引いていき、店内にいたクロッカンがようやく気づいたルークは、なぜかカッと目を剥いた。
「貴様っ、この変態ロリコン大将が! 妹ちゃんを野いちごちゃんの代わりにして、あんなことやこんなことをさせる気なのだろう! 許せん! なにも知らない無垢な身体に、なにを仕込む気だ!」
「おまえとだけは一緒にするな!」
ルークのテンションにつられて、どうしても声を大にして突っ込んでしまう。それに怒鳴るくらいの勢いで対抗しないと、間違って飲み込まれかねない。
ルークは余裕な表情で、ふっ、と笑んだ。
「残念だったなロリコン大将。野いちごちゃんは国が認めた正式な俺の野いちごちゃんなのだから、なにをしても許される!」
(本当、不憫な女だな)
こんな男に執着されたばかりに。
「そして野いちごちゃんの妹ちゃんたちは今や、俺の妹でもある!」
妹たちのこともきちんとかわいがっているようで、クロッカンはその点に関してだけ安堵した。
家族ができて嬉しいのだろうと、一瞬微笑ましく思ってしまったほどだ。
軍に入る人間には二種類いる。箔つけのための腰かけエリートと、軍に入るしか生きる道がなかった者だ。ルーク・ガレットは後者で、叩き上げながら中将にまで上り詰めた。
ほとんど才能と運と持ち前の明るさだけでだ。
ただ、この先どうがんばっても中将以上になれないだろう。人を統率する力が、皆無だからである。
こればかりはクロッカンが手を尽くしたとしても、どうしようもなかった。
(国家の安寧のために、そんなくだらないことに手を尽くしはしないがな)
そんな永久中将ルークは、出入り口へとつかつか歩いていき、ドアを開けた。
「大将といえど、隙がないわけではない。暗殺の機会はいくらでも巡ってきますから、どうぞあの固い要塞の寝台で永遠の安眠を。そしてどうぞ、お帰りを」
「おまえはそんなに俺を殺したいのか。いいぞ、殺してみろ。そうしたら次の大将はおまえだな。気楽な中将と違って、毎日を忙殺されて愛する妻に会える日も減るだろうが、仕方ないよな。大将なんだから」
あの不遜なルークの表情が固まった。これはいい。
大将になって仕事に追われて妻に愛想を尽かされるところまでの想像が、めまぐるしく変わる表情へと表れている。
そんなルークに、クロッカンは最後に追い討ちをかけた。
「間男には気をつけろよ」
「の、野いちごちゃん……!」
悲愴感たっぷりのルークは、店の奥へと駆けていった。
しばらくして、シュリの悲鳴と二階へと駆け上がっていく足音、そして飛び乗ったことで派手に軋んだ寝台の悲しい音が聞こえてきて、店内には静けさが取り戻された。
無人となった店に、とたたっと駆けてきたのは、セナだ。無垢な眼差しでクロッカンをじぃっと見上げて、両手を伸ばす。
「だっこ」
セナは幼いがクロッカンを怖がることはない。
なのでクロッカンはためらうことなくセナを抱き上げた。
「メアリはいるか?」
「ううん。メアリちゃんはおかいもの。ライラはね、学校。それでシュリ姉は、お兄ちゃんと野いちごつみごっこ」
子供になんてことを覚えさせているのだろうか。クロッカンはうろんな目を二階へと向けた。
「セナはひまだから、おいちゃんと遊んであげる」
「おいちゃん……か」
その通りだが。
しかし、子供となにをして遊べばいいのだろうか。
クロッカンは危険きわまりない訓練しか浮かばず、眉間に皺を寄せた。
セナはその皺をなぞって遊ぶ。
そんなほのぼのとした店内に、メアリが買いもの籠を下げて帰宅した。
「ただいま……って、え?」
メアリがクロッカンとセナを交互に見て、首を傾げている。セナもつられて首をこてんとした。
このかわいらしい生きものたちはなんなのだろうか。
(……いやいや。これじゃあロリコンだ)
三十目前の男が十六の少女と付き合っている時点で十分ロリコンである。しかしメアリからの好意の度合いの方が大きいので、メアリが年上好きという見方をすれば、合法的なニュアンスにすり替わった。
まずはルークの暴走の件について口を開こうとしたのだが、クロッカンは二階から妙な騒がしさを感じ取ると、さすがは大将という素早さで退避行動に移った。セナは抱いたまま、クロッカンは買い物籠を適当な場所へと置かせて、帰ってきたばかりのメアリをドアの方へとくるんとひっくり返して背中を押す。
外へと出ると、営業中となっていた札を裏返した。
「鍵はあるか?」
なにが起きたのかわかっていないメアリがかばんから鍵を取り出し、クロッカンは戸締りをしっかりとすると、二人を連れてあてもなく歩きはじめた。
「なにがあったの……?」
「セナがおいちゃんと遊んであげるの」
「セ、セナ!? おいちゃんじゃないの! 大将さん!」
残念ながらそれも名前ではなかった。
「たいしょーさん?」
「うん。大将さん」
「……俺にも名前があるんだが。まさか、知らないとか言わないよな?」
メアリがあわてふためきながら、知っているとこくこく頷き訴えた。
(知ってたのか。あえての、大将さんなのか?)
「たいしょーさんの、お名まえは?」
「アーノルド・クロッカンだ。おまえの名前は、セナだな?」
セナはこのときを待っていたとばかりに目をキラキラとさせて、びしっとかわいく敬礼をした。
「ふしょーセナ・シュトーレンでありますぅ! ジャムを食べるしょぞんでありますぅ!」
クロッカンは、ひくっと顔を引きつらせた。
軍随一の馬鹿による悪影響が、もうすでに出ているとは。
「……?」
メアリはのんきにもセナの自己紹介を微笑ましげに聞き、クロッカンの顔を不思議そうに見上げている。
彼女に任せてはおけない。クロッカンの教育魂に火がついた。
「セナ。お前は、不肖じゃない。『わたしはセナ・シュトーレンです』だ。言ってみろ」
「わたしはセナ・シュトーレン……です?」
「そうだ。ガレッ……お兄ちゃんの真似だけはなるべくするな。あいつの話だけは今後、真面目に聞くなよ?」
「おはなしも?」
「お話?」
「あなにおっこちた女の子が、かっこいいぐん人さんとらぶらぶしてけっこんするおはなし」
思いがけない話に、クロッカンはメアリと同時に顔を赤くした。自分たちのことだと思ったのだ。
なにがどうなりそうなったのか。ルークの思考回路がクロッカンにわかるはずがない。
「わたしたちは、まだっ……その……」
「あ、ああ。まだなにも、な」
「さいごにちゅーするの。メアリちゃん、したことある?」
メアリはパニックになって、顔をぶんぶんと横に振った。
それに横でほっとするクロッカンだ。
「たいしょーさんは? したことある?」
クロッカンは黙り込んだ。敵に捕虜として捕らわれても国家のために口を割らないであろう大将としてのプライドにかけて、黙秘を貫いた。
「……」
「したことないの?」
「……」
「大将さん……?」
メアリが不安げに、口を閉ざすクロッカンを見つめる。クロッカンはだんまりだ。
「じゃあセナがしてあげる」
抱っこで顔の距離が近かったセナが、クロッカンの頰にかわいく口づけた。
他人から見ればただただ微笑ましい光景であるが、メアリはわなわなと震え出した。
「セ、セナぁっ! わたしもまだ、したことがなかったのに……!」
妹に恋人への初キスを奪われた乙女メアリの泣きそうな顔に、セナは目をぱちくりとさせた。
「メアリちゃんも、したかったの?」
「したかったの!」
(したかったのか)
反応に困るクロッカンに気づいたメアリが、自分の発言に気づいて真っ赤になった。
「泣かないの。セナがしてあげるから」
セナがメアリの頰にちゅっとキスをする。
「そういうことじゃ……」
眉を下げるメアリに、クロッカンは言った。
「その内な」
クロッカンとしてもキスくらいならば、結婚前にしてもいいだろうと思っている。しかしセナの前でできることではないので、次回に持ち越した。
セナの前でも妻を愛そうとしていたどこかの中将と大違いである。
「その内……」
想像したのか、頰を染めてほんのりと微笑むメアリを、クロッカンは危うく抱きしめてしまうところだった。セナがいなければ額にキスぐらいしていたかもしれない。
この年下の恋人の手本になるような付き合い方を心がけなくては。
クロッカンは改めてそう決意したのだった。
進展のない二人です……。




