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その1




 ルークは思う。新婚生活とは、拷問の連続のようなものだと。



 店を経営するシュリは普段早起きである。

 小鳥のさえずりよりも早く起床して、在庫表を確認してから、野いちごをはじめとする各種果実を摘みに森へと出かけなくてはならないからだ。

 しかしそのシュリは最近、寝台からなかなか出ることが叶わない。ルークが足枷のようにしがみつき、行かせまいとごねるのだ。

 ルークとしては、小鳥のさえずりを聞きながらシュリといちゃいちゃとまどろみたい。

 そんなルークをよそに、シュリは呆れながら身体を起こしてしまった。


「ルーク。いい加減仕事に復帰したらどうなの?」


 ため息混じりにそう言われたルークは、現在進行形で怪我の療養を理由に、仕事に戻ってはいなかった。もうすっかり、それこそシュリを夜の間中翻弄できるほど回復しているのにである。もちろんそんなことをシュリが容認するはずなく、初夜から二、三日は仲良くしていた二人も、今はしっかりと十分な睡眠を取っていた。

 もちろんよく眠れているのはシュリだけで、ルークはお預けと言う名の拷問に耐えるばかりだ。

 しかし一度仕事に出たら、いつこの愛の巣へと帰宅できるのがわからない。シュリと同じ寝台で眠るどころか、軍の固い寝台で寂しく一人寝をしなくてはならないのは今のルークにとっては苦痛以外のなにものでもなかった。

 だからもうしばらくは静養し、休暇を楽しむつもりだった。


「……ほら、まだ本調子ではないから。仲間の足を引っ張るわけにはいかない」


 一見いいことを言っている風だが、ただ男所帯の軍に戻りたくないだけの講釈であるとシュリにはお見通しのようだ。

 さっさと寝台から起き出し、邪魔をしてくるルークをはたいて部屋を後にした。

 残されたルークは慌ててその閉まりゆくドアの隙間をすり抜け追いかける。


「待って、野いちごちゃん」


 シュリの背中に張りつくルークは、甘い匂いのする緋色の髪にキスを落とした。しかしシュリは少し頬を染めはするが、キスを返してはくれなかった。

 口寂しいと無性に煙草が吸いたくなる。

 しかしシュリとの甘いキスのために、それだけはどうにか我慢した。ただし、不満をもらすことだけは我慢できなかった。


「新婚なのに、おはようのキスもない。なんてことだ、これが倦怠期というやつなのか……」


「ルークがなかなか寝台から出してくれないから、時間が押してるのよ。果実は鮮度が命なの。わかる?」


 ジャムのことになるとシュリはそれ一直線になり、ルークの存在すら忘れることもしばしば。ルークは寂しさをこらえて、置いていかれないようシュリを腕で抱え上げた。――が。


「ルーク! 怪我してるのにだめじゃない!」


 叱られ、渋々地面へと下ろした。


「だが――」


「ルークは留守番よろしくね」


 シュリはエプロンドレスを身につけたまま、籠を手にするとあっという間に家を出ていってしまった。


「……」


「お兄ちゃん、また泣いてるの?」


 振り返るとそこに、小さなシュリがいた。

 それはルークの目の錯覚で、実際はセナだった。パジャマで大きなぬいぐるみを引きずり、眠たげに目を擦っている。

 まだ子供なのだから、眠っていても不思議ではない時間なのに、騒がしかったせいで起きてしまったらしい。


「……泣いてはいない。留守番という大役を任されたんだ。ほら、お兄ちゃんは軍人さんだからね。――ところで、お姉ちゃんたちは?」


「ねてる」


 他に世話をする人がいないのならば仕方ないと、ルークはシュリのいない心の穴を埋めるためにもセナを抱き上げた。


(野いちごちゃんとの間にもし、女の子が生まれたら……)


 そんな妄想を最大限に膨らませながら部屋へと連れていき、セナを布団に入れると、ルークは物語を語って寝かしつけることにした。

 野いちご摘みに出かけた少女とかっこいい軍人さんの恋のお話だ。聞き手がいると、熱が入る。

 少女はかっこいい軍人さんに助けられて、一目惚れするという内容だ。

 ルークは自分とシュリの話のつもりで話はじめたのだが、銃を出すと子供には刺激的すぎる。なので少女が落とし穴に落ちてそれを助けたことにした。そうなると怪我をしているので要塞で手当てをしなくてはならない。ここで出てくる軍人さんは下心のないかっこいい軍人さんなので、当然手当てを終えたら部屋から出て行こうとする。だけど少女はそれを引き止める。その葛藤たるや!

 ルークは自作の話で身悶えた。

 そして最後は、少女が軍人さんのことを好きすぎて抑えきれずに逆プロポーズをし、思い叶ってハッピーエンド。

 脚色した結果、どこかで聞いたような話になったのだが、ルークが気づくことはなかった。

 終始一貫して、シュリとの恋物語だ。

 そしてセナから健やかな寝息が聞こえてきたところで、ルークは起こしてしまわないようそろりと静かに部屋を出た。しかしそこでタイミング悪く起きてきたメアリと運悪く鉢合わせてしまった。

 セナの部屋から出てきたルークに変な誤解が生じたのか、メアリがたじろいだので、すぐさま否定する。


「いや、違う。寝かしつけただけで」


「えぇと……ごめんなさい」


 メアリが申し訳なさそうに肩をすくめた。

 ロリコン疑惑はどうにか払拭できたらしい。

 しかしメアリは確認のためか、セナの部屋へと入っていった。

 彼女はあのクロッカンに目をつけられた憐れな義妹だ。シュリの妹なのだから、ルークから見てもかわいい。だからあのモテない野獣に目をつけられたのだろうか。

 しかしかわいいはかわいいのだが、ルークからすればまだまだ子供だ。シュリが食べ頃の甘い野いちごだとすると、メアリはまだうっすらと色づきはじめたばかりの未熟さの残る果実。あと数年は寝かせないと、普通は手を出そうとは思わないはずなのだ。これはおかしい。


(まさか……! 実は野いちごちゃんに邪な気持ちを抱いていて、妹ちゃんで代用をしたのではないだろうな! あの変態ロリコン男め! 成敗してくれる!)


 見当はずれな怒りは後日クロッカンと顔を合わせたときに持ち越しとして、ルークはシュリが帰ってくるまで暇すぎたので、唯一できるレモンの蜂蜜漬けを作った。


(これを見せて褒めてもらおう。あわよくばエプロンドレスを脱がして……いやむしろ、エプロンドレスは着せたまま……)


 妄想だけは無限大だった。


「ああだめだ! 禁断症状が出てる! キスがしたい! キスがしたい! キスがしたい!! もっとねっとり愛し合いたい……この蜂蜜とレモンのように!」


 その叫びと後ろ姿に、調理場に足を踏み入れようとしていたメアリが、一時停止した。あくびをしながら起きてきたライラを慌てて引っ張り、自らの目と記憶から、今見たことを消去させた。

 メアリの中には、姉が愛されているという印象だけが残された。

 ルークはそんなことはつゆほど知らず、うな垂れたまま作業台を軽く叩く。


「……」


 外に銃を持ち出そうとしてクロッカンに取り上げられたので、作業台を叩くしかできない危険度の低いルークだ。悶々としても、ところ構わずぶっ放つことはない。

 ルークはふらりと洗濯物の山へと向かい、洗濯前のエプロンドレスを抜き取ると匂いを嗅いだ。ジャムとシュリの匂いがする。

 

(野いちごちゃん……)


 ルークはエプロンドレスを抱きしめながら、野いちごジャムを舐めたりして寂しさを紛らわせていると、想いが通じたのかシュリが早めに帰宅してくれた。


「野いちごちゃん!」


 ルークはエプロンドレスを放った。本物が来たのでこれはもう不要だ。

 シュリは調理場に入るとルークがいたことに驚き、それからふと首を傾げてすんと鼻を鳴らしてあたりの匂いを嗅いだ。宙に漂うレモンの爽やかな酸味と蜂蜜の瓶から、なにをしていたのかを正確に理解したのか、瞬いた。


「もしかして、レモンの蜂蜜漬けを作ってたの?」


「ああ!」


 ルークが自信作を掲げると、シュリが破顔した。


「それを持って明日から仕事に復帰するつもりなのね?」


「え?」


「偉いわ、ルーク!」


 褒められてルークはきょとんとした。シュリの目はすでに先を見据えてきらめいている。


「しっかりと宣伝して来てね! 野いちごもたくさん摘んで来たから、さっそくジャムも作るわ! これは先行投資よ。メアリもクロッカン大将を捕まえたから、ゆくゆくはあの要塞内に販売所を設けさせることだって夢じゃないかも! シュトーレン姉妹のジャムと軍人蜂蜜レモンで、隣国に攻め込むわよ!」


(軍人蜂蜜レモン……。それは果たして、売れるのか?)


 商売に関してはずぶの素人のルーク。だがシュリがこんなにも喜ぶならと、蜂蜜レモンとジャムを抱えて久しぶりに仕事に出るのもいいかと単純な心が傾きはじめた。

 

「野いちごちゃんのためならば」


「ありがとう、ルーク」


「シュリ……」


 なんとなく見つめ合った二人は、自然と唇を重ね合わせた。

 シュリが恥じらいですぐに踵を下ろす。

 ルークはふと指についていた蜂蜜を、シュリの唇へとなぞるように塗ってみた。艶々に光る唇は、それだけでおいしそうだ。

 その指でそっとシュリの唇を割る。彼女は受け入れて、甘い顔でルークを見上げた。

 たまらずシュリへと、もう一度吸いつく。さっきよりも格段に甘さが増した。

 蜜を絡めあって、流れる動作で作業台へとシュリを寝かせた。嫌がるそぶりはない。久しぶりに、愛し合える。ルークの感情は昂った。


(エプロンドレスは着せたまま……)


 そして口づけを深め、シュリのなだらかな曲線を手のひらで這ったところで――。

 戸口から無垢な疑問が投げかけられた。


「ここで遊んだらだめじゃないの?」


 あわを食ったシュリがルークを押しやり、がばっと身体を起こす。そこにいたのはセナだった。

 そのセナの純粋な瞳にさらされ、シュリは神聖な調理場での不純な行いに恥じ入りったらしく、ルークから距離を取った。

 セナには調理場はお仕事をする場所だから、遊んではいけないのだと教えていたのだ。

 絡み合った二人は、遊んでいように見えたのだろう。セナはぷくりと頰を膨らませている。


(ああ! なんてことだ! もっと深い眠りにつかせていれば……! もう起きてしまったではないか!)


 シュリがセナを抱っこして、そそくさと調理場を出て行く。一度振り返った顔には、ごめんね、と書かれていた。

 妹優先なのは、仕方ない。子供はみんなで大切に育てるべきだ。

 しかしなぜ、世間は子供を大事にするくせに、子供を作る行為は恥じるのだ。むしろ応援してしかるべきではないのか。

 ルークは心の中で、都合のいい持論を展開し続けた。

 要点をわかりやすくまとめて交渉してみよう。


 そしてシュリ、もしくは自分に似た子供を作ることに励もうという流れへとうまく持っていけたら――。


 ルークの頭の中は蜂蜜以上に甘ったるいことになっていた。




 しかし当然だが、シュリから賛同など得られるはずもなく、妹たちの前では容認するのは軽いキスのみという、真逆のルールが設けられてしまった。



 こうしてまた、ルークの受難ならぬ拷問の日々は続くのであった。




次回もルーク予定です。呆れずついて来ていただけたら幸いです。

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