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本日二回目の更新です。そして最終話なので、長めになっております。




 あの日から、一月が経った。



 平和条約が結ばれたことで、争いがあったことさえ嘘みたいに戦いは終結し、ようやく両国の渡航が自由になった。

 シュリには真っ先に行くべきところがあった。

 野いちごを摘みに行くと妹たちに告げて籠を掴むと、脇目も振らず森へと向かった。森の向こうにある、隣国の要塞を目指して。

 しかし目的の要塞を目の前にすると、そこからは先は怖くて足がすくみ、進めなくなってしまった。

 ルークがあの後どうなったのか、聞いて知ってしまうのが怖かったのだ。


 誰かに見つけてもらえたのか、それとも――。


 ルークを撃ったケビンとは、あれから一度も口を聞いていない。なにを言われてもシュリは頑なに耳を塞いだ。仕事だから仕方ないとは、割り切ることはできなかった。

 妹たちはケビンへとシュリのことを話していたらしい。捕らわれているだろうこと、そして心配しなくてもいいと本人が言っていたと言うこと。


(それなのに……)


 シュリが迎えに行かなければ、ルークはあのまま隠れてやりすごしていたのだろう。ふたり殺されるよりはと、ルークがシュリを人質として守ろうとしたことだけは、目を覚まして放心している間にようやく思い至った。

 この一月、生きた心地など一度もしなかった。ひたすらジャムを作って現実逃避し続けた。

 あらゆる後悔の念から、どうしてもそこから足が前に踏み出てずに、シュリは踵を返す。

 しかし野いちごを摘むと言ってきた手前、籠に少しだけ野いちごを溜めて、とぼとぼと店まで引き返した。


「……ただいま」


 店に入り、お手伝いのつもりなのか床に花を並べていたセナの頭を撫でていると、品出しをするメアリとショーケースを乾拭きしていたライラが顔を見合わせてから言った。


「あれ、姉さんもう帰ってきたの?」


「あーじゃあ、行き違っちゃったんじゃないの? さっきのお客さん」


「さっきのお客さん?」


「うん。姉さんになにか用があったみたい。野いちご摘みに行ったことを伝えたら、ではそちらに向かいますって言って、ジャムを一つ買って出て行ったの」


「ジャムを買いに来たにしては、変わった男の人だったよね? なんかね、足が悪いのか片方だけ松葉杖をついてて」


「……松葉杖を?」


 シュリはどくりと心臓が脈打つのを感じた。

 近くにいたメアリの肩を掴んで顔を寄せる。


「他には!? 他にはなにか、変なことを言ってなかった!?」


 姉の剣幕に、メアリが首をすくめた。


「え、えぇと……そういえば、姉さんのことをなにか変な呼び方で……確か――」


「野いちごちゃんだよ!」


 セナが得意満面で言った。


「本当に!?」


「野いちごちゃんいませんかーって、言ったもん!」


 疑われたと思いぷんすかするセナをぎゅっと抱きしめてから、シュリは店を飛び出した。

 店から森へ続く道行きのひとつに、杖をついた丸い跡が残されていて、シュリはそれを手繰りながら追いかけた。

 駆けて駆けて、とうとう遠くに、見つけた。

 足を引きずり、松葉杖をついて、まっすぐに森へと向かう、その後ろ姿を。

 そよ風で野に敷き詰められていた綿毛が、空へと舞い上がる。似たようなふわりとした癖毛が、綿毛と一緒に揺れる。


「ルーク……ルークッ……! 待って、ルークッ!」


 声が通る。地面へと突かれた杖が、そこで止まった。振り返る。彼の瞳に、シュリの瞳に、お互いが映し出された。……ふたりだけが。

 そしてルークが、そっと微笑む。


(ああ……よかっ、た……)


 先に足を踏み出したのはシュリだ。

 ルークの身体を気遣いながらも飛びついた。そこに生きていることを実感するために、きつく抱きしめる。


「……野いちごちゃん」


「よかっ、た……よかった……」


「……うん」


 ルークの、松葉杖をついていない方の手が、シュリの背に添えられて撫で下ろす。

 言葉もなく抱き合って、そして彼の胴体を遠慮なくしめつけていたことに気づくと、シュリは血相を変えて身体を離した。


「お腹の怪我は!? 撃たれてあんなに血がでてたのに、もう動いてて平気なの!?」


 シュリの目の前で脇腹を撃たれたはずなのに、強く腕を回していても痛いそぶりも見せない。触った感じでも、包帯を巻いていたりする様子もなかった。

 ルークは脇腹を見下ろしてから笑った。


「ああ。あれはほら、これ」


 ポケットから取り出したのは、さっきまで店頭に置かれていたジャムだった。野いちごではないが、鮮やかな赤色をしている。これは木いちごジャムだ。


「え?」


「野いちごちゃんが血だと思ったのは、これ。ジャム」


「……ジャム?」


 なにを言っているのか理解できていないシュリに、ルークは丁寧に説明する。


「野いちごちゃんは知らなくて仕方ないかもしれないが、戦闘服の下には撃たれても致命傷にならないように防弾着を着てるんだ。だから普通、胴を狙われても死なない」


「で、でも、倒れなかった……?」


「あれは毎日大事に大事に食べていた野いちごジャムをだめにされたことと、俺がふがいないばかりに野いちごちゃんを危険にさらして、あまつさえ他の男に奪われたことへの、ショックで」


「な、なによそれ! 心配したのよ! わたしがどれだけ心配したと思ってるのよ! 馬鹿!!」


 ルークの胸を手加減なしで叩きながら、ぽろぽろと涙がこぼれて頰を伝った。安堵で、泣きじゃくるシュリのまなじりにルークが口づける。叩く手を取り、手のひらにもひとつ。


「……ごめん。本当はまずい状況だったんだ。野いちごちゃんを無事に引き渡して、俺は死んだふりをしておかないと、たぶん殺されていたと思う。……不服だが、俺の野いちごちゃんを奪ったあの緋色の男に情けをかけられた」


「ケビンが?」


「……他の男の名前を呼ばないでくれ。傷に障る」


 ルークが脇腹を押さえた。そこは今しがた怪我していないと言ったばかりの場所だ。シュリはそこを軽くはたいた。


「そんなわけないじゃない。でもケビンがどうして?」


「あれから話をしていないのか? 一度も? ……ああ、もしかして! 俺の野いちごちゃんは、俺のために操を立てていてくれたのか!」


「そういうのは今はいいから、どうしてなの?」


 ルークが少しだけすねた顔をする。


「……あの手紙がきちんと届いていたからじゃないかと」


 そこでシュリは自分の頑なさを呪った。ケビンはそのことを話そうとしてくれていたのに、すべてに耳を塞いでしまっていた。どちらにしても信じていたかはわからない。自分の目で確かめるまでは、きっと半信半疑でいただろう。


「野いちごちゃんが庇ってくれてたから、匿ってる人間だと察して殺しはしなかったんじゃないか? 腕は本当に撃たれたが、ほら。かすり傷だった」


 ルークは腕を曲げたり伸ばしたりする。もうすっかり完治したようだ。


「それより、野いちごちゃん。俺はそんな話をするために来たんじゃないのだが」


「生きていることを知らせに来てくれたんでしょう?」


「いいや、違う! 俺の生死などこの際どうでもいい! 今ここにいるのは、野いちごちゃんに一回目の求婚をして、あの日叶わなかったファーストキスを存分に味わうためだ!」


(……ルークはやっぱり、ルークだわ)


 片腕で抱きしめられたシュリは、ルークの背へと腕を回した。


「早くキスがしたくてたまらない。貪りたい。食べ尽くしたい。だがファーストキスらしく初々しくすべきか……これは悩みどころだ」


 ムードもなにもない。ルークに急かされて、シュリはあの晩の続きをすることにした。顔を上げて目を閉じると、ルークの手のひらが頰へと添えられた。

 唇が重なる。ファーストキスというには慣れすぎた彼の唇に、シュリはそれでもうっとりと身を任せた。

 シュチュエーションは悪くない。離れ離れになった恋人が、青空に綿毛の舞う野原で再会して、キス。

 悪くないどころか、最高に素敵だ。

 名残惜しそうに唇を離したルークが、熱のこもったため息をこぼした。


「ああ……病院を抜け出して来たかいがあった……」


 幸せに浸っていたシュリは、一気に現実へと引き戻された。


「だめじゃないの! 早く帰って!」


「だが」


「だが、じゃないわよ! いいから行くわよ!」


 ルークの手を取ったシュリは、なるべく歩調を合わせて進んだ。


「ルークは私がいないとだめね」


「それならば、また俺の捕虜になってくれないか? 一生、捕虜に」


「嫌よ」


 ルークががくりとうなだれる横で、顔を朱に染め、目を逸らして、シュリはこう切り出した。


「ルークが私の捕虜になって」


「え?」


「……い、嫌なら別に……いいわ」


 恥ずかしくなってきたところで、ルークがはっとして口を開いた。


「嫌ではない! ただ逆プロポーズに浸っていただけで!」


(逆プロポーズ……?)


 シュリとルークとの間に、微妙な認識の齟齬が生じている。シュリは遠回しな告白をしたのであって、求婚をしたつもりはなかった。


「野いちごちゃんから求婚してくれるなんて! なんてことだ、夢のようだ! 足元がふわふわする!」


「それは怪我が悪化してるのよ!」


 一刻も早く病院へと連れて行かないと。

 ルークに効果的な言葉はもう、これしかなかった。

 妹たち以上に手のかかるルークに、シュリは腹を括った。


「早く怪我を治して。そうしたら、いくらでも結婚してあげるから」


 それを聞いたルークは嬉しそうに笑って、シュリの顔を覗き込む。


「はじめて会ったときから、俺の心は君の捕虜だよ。――シュリ」


 シュリは名前を呼ばれて、驚いた。


「私の名前……知ってたのね」

 

「当然だよ。だからこの心の捕虜に、甘い拷問を」


「足が直ってからね」


 シュリは軽くあしらった。今度からはキスをしないことが拷問になりそうだ。

 しょんぼりしたルークの手を引きながら、シュリはゆっくりと、ふたり出会った森へと歩き出した。






END


最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございます!これにて完結です!

こんなにたくさんの人に読んでもらえるとは夢にも思っていませんでした。

ブクマや評価、感想やコメントをくれた方々、そしてこんなルークを生あたたかく見守ってくれて優しいみなさま、本当にありがとうございました。


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