13
蜂蜜レモンのおかげかは不明だが、ルークの懲罰房暮らしはついに終止符が打たれた。
だから自室へと戻って身体を休めると思いきや、寝台に横になるシュリを、縁に肘をついて眺めている。
「はぁ〜、天国。だけど……くっ、地獄でもある」
ばすんっ、とルークの頭が寝台に伏せる。
「目の前におあつらえ向きに大好物が皿に乗って無防備に置かれているのに、待て、とか! 犬なのか? 俺は飼い犬なのか! なぜ中将である俺がこれほどまでに苛酷な拷問を受けている! 拷問がしたい!」
「……ルーク。心の声が全部もれてるわ」
シュリはもう、呆れることに疲れそうだ。
「ぐぬぅ……しかし、我慢しよう。我慢だ我慢。初夜に野いちごちゃんが寝台でどきどきしながら待っててくれると思ったら、どうにか耐えられる気がする」
(結婚しないって言ってるのに。まったく話を聞かないわ、この人)
シュリは毛布にくるまり、ごろんとルークの方へと向いた。ランプの明かりに照らされ、くぅくぅと苦しげに唸っている彼をまじまじと観察する。
こうして顔をちゃんと見たのは、初日以来かもしれない。
(まつげ長い……)
目を伏せているので、まつげの影が落ちて、長さがより強調されていた。
シュリはおもむろに指を伸ばして、ルークのまぶたをつんと突いた。
片目を閉じて小首を傾げた彼は、唸るのをやめてきょとんとしている。
「野いちごちゃん?」
「まつげ、私よりも長い」
「え、そう?」
その自覚はないらしく、ルークはぱしぱし瞬くと、自分の指でまつげを摘まんで、上まぶたごとみょーんと引っ張った。
「ぷっ。やだルーク、変な顔っ!」
「え? おもしろい? 俺、おもしろい?」
「おもしろい」
褒められたことが嬉しかったのか、ルークが照れながら頬をかいた。ちょうどそこはシュリがキスマークを消すために擦りすぎた場所で、まだ赤さを残しているように感じられた。
「……痛くない?」
ルークはシュリの視線に気づいて、頬を撫でた。
「え? ああ、全然。もうすっかり忘れてたくらいだ。……野いちごちゃんは? まだ怒ってる?」
「ちょっとね」
当初の怒りはだいぶ収まっているが、こうして記憶を引っ張り出されると、まだ完全ではないことが明らかだった。
少しすねているシュリに、ルークは笑ってしまうのをこらえるかのように、表情を引き締めている。嫉妬されることがよほど嬉しいのだろう。しかし正直な口元は次第に緩んでいく。
「早くこの戦が終わればいいのに。そうしたら野いちごちゃんを迎えに行って、そこでまた求婚できる。……だが、俺が行くまでの間に隙をついて、どこの馬の骨ともわからないような男が横入りしてくるかもしれないな……」
ルークは起こるかもわからない先のことに真剣に悩み、打開策を思いついたのか居住まいを正した。
「今の内に先行予約をしておきたい。一番から百番くらいまでの求婚する権利を、この俺にください」
求婚の予約なんてはじめて聞いた。結婚こそ断ったシュリだが、求婚の予約には特に断る理由がなかった。それはルークが自分の意思ですることであり、シュリが拒絶できることではない。
しかし百回も挑戦されたら、さすがのシュリも折れてしまいそうだった。
「そんな男の人はいないわよ。ジャムと妹たちと店の利益と生活のことしか頭にない、ファーストキスを拷問で奪われるような女なのよ? だいたい捕虜になってる時点で普通の結婚は無理じゃないの」
シュリは悲しかったり恥ずかしかったりで、毛布に顔を半分埋めた。
するとなにを思ったのか、ルークが血相を変えて立ち上がった。
「なんだと! どこの誰だ! 俺の野いちごちゃんのファーストキスを拷問と称して奪いやがった悪漢とは! おのれっ……見つけ次第、スライスして蜂蜜に漬けてやる!」
突っ込むところが多すぎる。
しかしまずは、手にした短剣をしまわせるのが先決だった。
シュリは身体を起こして、なんなく両手を上げた。降参のポーズだ。ルークが傷つけてこないことはわかっているのだが、下手に動いて怪我をしないための防衛措置だ。
「ルーク。自分で自分は蜂蜜漬けにできないでしょう?」
「自分で自分はさすがに無理だが、野いちごちゃんがどうしてもと言うのならやれないこともな……え?」
(気づくのが遅いわ。それで、やれちゃうのね……)
「ルーク? 自分が拷問でファーストキスを奪った悪漢じゃないの。……もう忘れたの?」
「そんな……野いちごちゃんのファーストキスが、まさか、あれだったのか? ……な、なんてことを……俺はなんてことをしたんだ……」
後悔しているのか、ルークが短剣を落として膝をついた。拳で床を殴りつける。
「なんてことだ! なぜもっとじっくりと味合うことをしなかったのか! つい気が急いだ! ああっ、野いちごちゃんのファーストキスを、俺はなんて粗末に扱ってしまっていたのか……なんてもったいないことを……!」
「……そうね。ルークはルークよね、どんなときも」
シュリは横になりながら、もう慣れたルークの変態っぷりをじっくりと眺めた。不思議と彼をかわいいと思ってしまう。もうその時点で、かなり絆されてしまっていることに気づいた。
「じゃあ、これまでのはなしにして、次するのを本当のファーストキスにするっていうのはどう?」
拷問のキスでも、やや脅されてしたキスも、やはり純粋さに欠ける。
本当に好きで想いを伝えるためのキスを、最初にしたいと思いシュリが提案すると、ルークはしばし考えた後、寝台へと片肘を突いた。
古い寝台が、ギシリと軋む。
「相手は俺でいいの?」
真剣な面持ちで覗き込まれたシュリは、見慣れたルークの顔なのにどきりと心臓が跳ねた。
――ルークでいいのか。
嫌ではない。では他の誰かならばどうだろうかと考えて、シュリは瞠目した。他の誰かとキスをする想像ができなかったのだ。
刷り込みというわけではないが、シュリにとってその相手は彼しかいない。だから、こう答えるしかなかった。
「ルークがいい」
ルークの強張っていた顔が柔らかくほどけて、シュリの頰へと手のひらを添えた。顔が近づく。吐息が触れる。そして唇が重なり合おうとした、そのときだった。
なんの前触れもなく警鐘が打ち鳴らされ、要塞内を駆け抜けるように、けたたましくその音が鳴り響いた。
それは、緊急事態を報せる合図だった。




