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「ちょっと、野いちごを摘んでくるわね」


 シュリはいつものようにそう告げて玄関のドアに手をかけると、三人のかわいい妹たちが全員がかりでしがみついて、泣きながら行く手を阻んだ。


「野いちご!? 姉さんなにを血迷ったことを言ってるの!? 命を捨てに行く気なのっ……!?」


 二女のメアリが、シュリの籠を持っていない左腕を掴んですすり泣く。


「そうだよ! 野いちごなんてなくても、さくらんぼでいいでいいじゃん! カシスだってブルーベリーだって人気だし! 野いちごのために危険を冒すなんておかしいじゃんよぉ……!」


 三女のライラが、シュリのエプロンドレスのリボンの結ばれた胴にしがみついて泣き叫ぶ。


「シュリ姉行っちゃやだ! やだやだ! 死んじゃやだぁーー!!」


 まだ小さな四女のセナが、スカートの上から太ももに抱きついてわんわん泣きじゃくった。

 みんなシュリを行かせまいと必死だ。

 そんな心優しい妹たちを得たことを感謝して、シュリは彼女たちを諭すように言い聞かせた。


「みんな……心配してくれるのはありがたいわ。けどね、今朝、ついにそのときを迎えてしまったの。――そう、野いちごのジャムが底をついたのよ」


 三人とも、はっと息を飲んだ。

 砂糖で甘く煮込んだ無添加自家製野いちごジャム。その在庫がとうとうなくなってしまった。

 その事実の重さに、彼女たちの涙が一時的に止まった。


 『シュトーレン姉妹の自家製ジャム屋さん』


 それがシュリたちの店の屋号である。

 多種多様な果実を使ったジャムを取り揃え、中でも開店当初からの一番人気は、採れたての野いちごをふんだんに使った、野いちごジャムだった。

 その看板商品である野いちごジャムがないとなると、遠方からわざわざこの店まで足を運んでくれたお客さまがどれだけ失望することだろうか。


 まして、今のような状況下においては。


 野いちごが国内に出荷されなくなり、早数ヵ月経つ。

 最大の野いちごの産地は、シュリたちの店から目と鼻の先の森の奥にある。けれどそこは、もはや物理的に手の届かない遠い場所となっていた。

 なぜならそこは現在、この国の領土とは言えなくなっているからだ。

 隣国との境界であるその森は、今や緊迫張り詰めた戦闘区域。度々発砲音が風に運ばれて聞こえてくるほどの危険地帯。

 どちらの国の領地でもあり、どちらの国の領地とも言えない、非常に危険な、地獄への入り口だった。

 自軍に捕らわれるならばまだしも、敵軍に捕虜として捕らわれたら、生きてこちらへと帰ってこられるかもわからない、死線である。


 しかし。ジャムでみんなを笑顔に! をモットーにこれまで客のニーズに答え続けてきたシュリにとって、在庫不足というのはあまりにも耐えがたい事態だったのだ。


 そう、たとえ――死ぬよりも。


「大丈夫よ。夕方には必ず帰ってくるから」


「籠いっぱいの野いちごよりも、姉さんの命の方がなん億倍も重いの! それをわかってるの!? 行かないでよ姉さん……」


「平気よメアリ。心配性なんだから。ちゃんと危ないと思ったらすぐに引き返してくるから」


「シュリ姉が楽観視しすぎなんだよ! そう言ってこの前も狩りに出かけたカヌレのじいさん、帰ってこなかったじゃん!」


「こら、ライラ! じいさん、だなんて。お年寄りを敬わないとバチが当たるわ。あの人はあれでも、なん代か前の宰相さんだったのよ」


「ああもう、じいさんのことなんてどーでもいいよ! もし捕虜になったら!? 監禁されて、拷問されて、強制労働させられて!! 死ぬよりつらい思いをするのはシュリ姉なんだよ!?」


「うわぁぁーーん!死ぬのやだぁぁーー!!」


「みんな大袈裟よ。セナ、大丈夫よ大丈夫。野いちごを摘んだら、お姉ちゃんは帰ってくるから。それまでメアリとライラが遊んでくれるわ」


 ぐすぐすしているセナの頭を撫でると、ぽろんと大きな涙の滴をこぼしてから、渋々というようにこくりと頷いた。


「メアリとライラも。大丈夫よ。もし万が一夜まで待っても帰ってこないようなら、軍にいる従兄のケビンに知らせてくれて構わないから」


「でも、」


 まだ受け入れられないメアリとライラを制し、シュリはキリッとした表情を作ると、心の声を最大限に撒き散らした。


「――いい? 野いちごはね、今……高価なのよ! 前の十倍の値で売れるの! この機会を利用しないでどうするの! 多少の危険は伴っても、その分だけ利益がついてくるわ! いくら店を構えたからって、このチャンスを生かせないようじゃ今の時代、いつか食いっぱぐれちゃうのよっ!」


 シュリに気圧される形で、妹たちはおずおずと拘束を解いた。姉妹だけで店を経営することの大変を、身に染みて知っているからである。

 リスクを回避していては、よそに先を越されてしまう。思い立ったが吉日だ。

 しかしそれにしても、弾丸飛び交う森へ野いちごを摘みに行こうと気軽に言えるのは、国中探してもこの長女だけだろうと妹たちは思った。


 金の亡者だ、と呟いたのはメアリかライラか……。


「じゃあ、行ってくるわね?」


 シュリはにっこりとする。

 もはや妹たちに止めることなどできなかった。彼女の心はすでに、野いちごへと、そしてその先の利益へと先走って向かっているのだから。

 そうして身軽になったシュリは、不安げな妹たちをよそに、危険極まりない野いちご摘みへと、意気揚々と出かけていった。




 妹たちの不安が見事的中するとも知らずに……。




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