章1(視座№:A1) その4
その夜。
墨染邸には僕を含めて4人が座卓を囲んで作戦会議をしていた。
無垢材の座卓には人数分の『神罰代行』書類のコピーとお茶。そして神咒。
神咒は大小様々な形態を持つが、普段はタロットカード大のカードとして形象転換(収納)しておけるようになっている。とはいえ三式軍刀『不倶戴天』は――書類上の所有者は祖父、墨染征義だが――他の神咒を完全破壊する性質から鹵獲に向いておらず、僕たちの神咒は『不倶戴天』以外にない。
座敷の雰囲気は曇因していた。
若頭の添田至誠の携帯電話が鳴った。スーツの胸ポケットからスマホを出す。
「添田だ。ああ……例のはどうなった?」
若、すみません。と小声で手刀を切って、添田は障子戸を開けて部屋から出て行く。
部屋に降りる沈黙。手詰まり感。
無理もない。僕たちは完全に後手に回っていた。
「学校で申請を受けてなかったら。や、試合形式が意味するところを吟味してたら……」
「吟味も何も『隠れんぼ』は文字通り『隠れんぼ』だったじゃない」
翠玲が鋭くツッコミを入れてくる。別に普通の発言だと思うが、鋭く感じたのは僕が鈍っているせいだろう。
僕は悔やんでも悔やみきれない。
今回の攻略方法は、出会い頭にGPSの発信機を仕込むことだった。あのとき一度、姐さんが羽交い締めにしているのだ。
僕はプリントアウトをもう一度読む。
期限は今日から一週間。もう始まっているので正味あと6日だ。
範囲は墨染家を中心に半径30km。
「うちから半径30km以内って、実際どのくらいなんだろう?」
「調べてありますわ」
姐さんはノートパソコンの画面を僕に向けた。
地図上に墨染邸を中心として半径30kmの円が表示されている。
北はさいたま市、所沢も含んでいる。東は船橋を越えて千葉。南は横浜だし、西は府中市、相模原まで……。
そこまで絶望感に包まれて、僕はふと思い出した。
「そういえば、『神罰代行』って皇居を中心に半径5km以内で行うって取り決めがありましたよね?」
姐さんが顔を上げた。
「そうですわ」
お互い顔を合わせる。一方、翠玲は首を傾げた。
「どういうこと?」
「連中が墨染組を滅ぼそうとする大義名分は、文字通り神罰代行だからだよ」
我々墨染組が体質として天皇陛下に忠誠を誓うように、敵は火頂宮サスラ・プロミネンスの目の届く範囲でしか『神罰代行』を行わないと決めている。
だから皇居――実際にはその上空1kmに空中繋留されている御召豪華客船『ひのとり』から半径5km圏内が(地上部分半径約4.8kmの範囲が)ゲームの有効範囲となる。当然、そのたび発表される神罰代行ルールより、こちらの効力の方が上位だ。その範囲には墨染邸が含まれる。
「つまり通常『神罰代行』の行われる範囲だけが隠れ場所ってことね」
「重ねあわせて範囲が絞れたらもっとよかったのですが、さすがに半径30kmでは皇居どころか都心周辺全部入ってしまいますね」
それでも――。
マシェル捜索範囲が現実味を帯びてきた。
「いいね」
「ねえ、あるま君。これは聞き流して欲しいんだけど」
翠玲が神妙な顔つきで言った。
「代行者は有効範囲から外には出られないわけでしょ。だったら避難命令を出してその地域を無人にすれば捜しやすいんじゃない?」
「……というと?」
翠玲が何を言いたいか、うっすら分かっている自分が怖い。
でも一応尋ね返す。
翠玲がさらっと答える。
「残ってる人間を全員殺すの」
うわぁ……。
さすが女王様、翠玲様。考え方がサイコパス。
「今、考え方がサイコパスだって思ったでしょ」
「なんで分かるんだよ!」
相手を適切に虐めるためには観察眼に長けていなければならないのだろうか。いや、僕の反応が分かりやすいだけなのかもしれないけど。
と考えを巡らせていたら、姐さんが正解を言ってくれた。
「そう思うのが正常です」
湯気立つ茶杯から口を離した姐さんが、ほうと熱のある息を吐いた。
僕は咳払いする。
「なんにせよ」
翠玲の意見は『勝利条件2の達成』、すなわちマシェル・イヴランタン殺害を目指すというものだ。
しかし皇居の周囲でそんなことできるはずがない。避難命令を出すには自治体の協力が必要だし、そもそも墨染組は形式以上に深く、深く天皇陛下に忠誠を誓っている。その御寝所を騒がそうなどもってのほかだった。
「悪くないよ、翠玲。前提に無理があることを除けばだけど」
翠玲の意見は聞き流してしかるべきだ。それは本人も重々承知している。
ただ彼女の言葉で気づいたことがあった。
僕は勝利条件にもう一度よく目を通し、姐さんに尋ねた。
「誰が殺しても条件2は達成されるんですよね?」
「はい。今回は『決闘』ではありませんし、あるま様がそれをしなくてはならないと書かれていないかぎりは――」
あ、と姐さんが何かに気づく。僕の考えと同じだと良いけど。
「ならば勝利条件1においても、誰がマシェルを見つけてもよい。しかも『隠れんぼ』である以上マシェルは隠れた場所から移動しない。となると通行人は除外されるし、普通に生活している人も除外される……可能性としては――」
「「路上生活者!」」
姐さんと声が重なる。ちょっと嬉しい。
そうなるとさらに隠れる場所は限定される。
一週間もとどまって隠れられる場所なんて都内にもそうないからだ。
もっとも原始的だが効果的な攻略方法がある。
怪しいやつを片っ端から触って『見ーつけた』と宣言すれば良いのだ。
「さすがです、あるま様。でしたら組の人員を使えるだけ投入していただきましょう。添田さんを呼んできますね」
姐さんはうきうきと華やいで部屋から出て行く。
幸い墨染組は戦前から続く日本で三本の指に入る巨大組織だ。東京裏世界の隅々までほじくり返すことにかけて一日の長がある。ネズミ一匹逃しはしない。
そんな僕に、不快そうに顔をしかめたのは翠玲だった。
「あるま君……悪い顔してるよ」
「思いつけたのは翠玲のおかげだよ。ありがとう」
翠玲はつぶやくように顔を逸らして茶杯に口をつける。
「べ、別に大したことは……」
だがそれは姐さんが淹れなおしたばかりで、翠玲は熱い茶杯からすぐに口を離した。
そしてなぜか恨めしげに僕を睨むのだった。
(続く)