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章7(視座№:A5)

 明晰夢。

 白一色の茫漠とした空間にベッドだけがあり、僕はそこで寝ていたらしい。

 頬を突かれる感触に目を覚ますと、翠玲がすぐ近くで僕を見ていた。

「あ、起きた」

「……だれ?」

 声をかけてから不思議に思った。翠玲じゃない。どうして気づいたのだろう。

「翠玲だよ」

「……」

 無言で見続けていると、根負けした彼女が首の後ろを掻いた。

「はあ……。はいはい、私よ。ごめんなさい」

 マシェルは頬杖で唇を尖らせた。

「どうして分かったの?」

「さあ。どうしてお前がここに?」

「負い目でもあったんじゃない? どこかの神様が切ない女の子にお別れの時間だけ許してくれたって感じで」

「お別れって」

 マシェルは立ち、持っていた花束をサイドボード上のガラス花瓶に移し替えた。

 その白薔薇の花束には見覚えがあった。

 翠玲に贈ったはずのものをマシェルが持っている。

 僕は手のひらで顔を覆った。

「嘘だろ! あれ(・・)、お前だったの?」

 顔の下半分を花に埋めながらマシェルは目を細めて僕を見る。

「うふふ。そうだよ? キスしたのも、デートしたのも私――お葬式に出たのは違うけど」

「甘々だったとき全部かよっ」

「でも――悪い気はしなかったでしょ?」

 僕は深く溜め息をついた。

 今が夢の中だとすればどんな矛盾があってもおかしくないが、ひどく混乱してきた。

 それ以上に大きな問題が目の前に立ちはだかっている気がした。

 今まで僕が守ろうとしていたのは翠玲だったのかマシェルだったのか。

「なあ……どうして翠玲は、じいちゃんを殺そうと思ったんだ」

「それは言えない」

「なんで?」

「私とあの子の秘密」

「夢の中だぞ、お咎め無しだろ?」

「うーん、それもそうね」

 マシェルは話しはじめた。

「あのとき事故を起こしたのは墨染組の若い衆だって話は知ってるよね?」

「ああ、もちろん」

「実は違うんだ」

「……何が違うんだ?」

「車を運転してたのは本当はジジイだった」

「……そう、なのか」

 驚きはある。でも冷静に考えれば分からなくもない。

 頭を守るために尻尾を切り落とすことはどこの業界でも珍しくなく、というか当然の措置だ。

 開示されればどうってことはない話だった。

 祖父は僕の急病で自ら車を運転し事故を起こした。

 そして警察が来る前に若い衆と席を交代し身代わりを立てた。

 念を押して言うが、それはごく普通に行われること。だから驚きも失望も僕の中には起こらない。

 だが翠玲の家族を奪った張本人こそは祖父だったという紛れもない事実をどうするのか。

「事故を起こした後、ジジイは自分だけ罪を逃れた。幼い翠玲はその場面をしっかり見てた」

「でもすべての罪を免れたわけじゃない」

「被害者からすれば、その程度で許されること自体がナンセンスでしょう。だから私は、あの子の復讐を遂げさせてあげようと思った」

「つまり――」

 僕は言う。

「お前が神罰代行で降りてこなけりゃ、翠玲は復讐なんて思いもしなかった」

「ああ、私が誑かさなきゃこうはならなかったかもしれない」

 マシェルは素早く首を振った。

「『もし』はないよ。それに翠玲は最初から、自分の手でジジイを殺すことにこだわってた。私と組めば絶対にバレないようにできるって言ったのに聞く耳を持たなかった」

「背中を押したやつがよく言えるな」

「だったら思いとどまれば良いじゃない。あの子は全部わかってて、その上、私のことまで利用したんだよ?」

 結果的に、マシェルさえ絶望させた。

「でもよかったね」

「何が」

「この世で真相を知るのはあるま君だけ。私に誑かされたおかげで、翠玲は可哀想な女の子のままでいられる」

「……」

 言葉が出なかった。

 もちろん、僕が真相を明かすことはないだろう。

 折り込み済みだった。

 マシェルと同じに、この僕も、翠玲の計画の忠実な駒として使われるのだ。

 言いようのない感覚だった。

「実際あの子の扱いはあるま君には重すぎるよ。ジジイが殺されたあと、私はなんとか翠玲を止めようと動いてみたけど、結果はご覧の通りだもん。君に手がかりを残すので精一杯だった」

「手がかりなんてもらってないけど」

「『神咒図鑑』」

「あれ、お前がやったのか!」

 マシェルはやれやれと首を振る。

 僕はあっけにとられながら、口ごもる。

「お前……その……ありがとうな」

「ふふふ。お礼のちゅーは?」

 ん~と迫り来る顔に、僕はデコピンで弾き返す。

「にゃんッ」

 翠玲なら烈火のごとく怒るところだが、顔は同じでも根っこの性格は真逆らしい。

 首をすくめたマシェルは言った。

「じゃあ、そろそろ起きなよ・・・・。起きたら愛しの翠玲ちゃん・・・・・が待ってるよ」

 僕はそのまま覚醒しようとしたが、最後に一つだけ聞きたいことを思い出した。

「あのさ――翠玲は僕のことを……好き、って思ってくれてたのかな? もしお前に記憶があるなら……」

「『もし』はないよ」

 マシェルは眉を顰め、初期の魔女らしい口調で唾棄した。

「チッ……そんな都合のいい話があるかよ。てめーの人生を根こそぎ奪った男を好きになるわけねーだろ」

「……悪かった」

 マシェルはかき消すように手を振った。

「あー、いや。うそうそ。ちょっといじわる言ったかも」

 首の後ろに手を当てるマシェル。

私が・・あるま君を好きになったのは、もしかしたら翠玲の記憶に恋愛感情があって、それを私が錯覚しただけかもしれないからね……そういうの、なかったとは言えないよ」

 今度は僕が眉を顰める番だった。

「え、お前……僕のこと好きなの……?」

「え?」

 驚いた瞳が僕を見た。

 マシェルの顔がみるみる赤くなっていく。

「な、な、んなわけないでしょ!」

「そ、そうだよね?」

 マシェルは目をそらして頬を膨らませた。

 その手にはどこかで見たことのあるブザーボタンが握られており。

「……ばか」

 床が四角に抜け、僕はベッドごと暗黒へと落ちた。


×     ×


 目が覚めた。

 明け方のグラデーションがかった空の色がのぞく半壊した屋根。

 部屋中に残る『天嵐』との戦いの痕……。

 今度こそ現実に戻ってきたようだ。

 身体の不調は嘘のように消えていた。むしろ万全の状態といってもいい。

 ふとベッドサイドで、翠玲が腕枕に頭を乗せて居眠りしていることに気づいた。

 起こさないようにゆっくりと手を抜こうとしたが翠玲は目を覚ました。

「おはよう」

「ん……ああ、おはよ、あるま君。……元気?」

「おかげさまで」

 僕は左手を持ち上げた。そこに指輪が鈍く輝いている。

「へえ――よく知ってたね、これが神咒だって」

「それ、神咒だったんだ。知らなかったよ?」

 翠玲は半睡の表情で微笑んだ。

 僕はそんな彼女の様子をしばらく見つめる。

 そして自分でも何を思ったか、左手で右手の中指を後ろに引き絞ると、まだうつらうつらしている翠玲の額を弾いた。

「にゃんッ!」

 よく通る高い音がした。

「……もう、なにすんのー?」

 翠玲が涙目で自らの額をさする。

 その瞬間、僕の脳にある何かの回路が賦活されるのを感じた。

 勢いのまま翠玲の手首をつかみ、ベッドに引っ張り上げる。

「きゃっ、あ、あるま君?」

 ドキドキした翠玲の瞳が僕を見つめる。

 僕はさらに引き寄せる。

「元気にはなったけど、今度は元気が有り余ってるんだよね」

「きゃああ、ちょっとっ―――」

 僕は指輪を外した。

 なぜか指輪が全く違う形に変わる。

 犬がつけるような首輪へと。

 なぜそうなるかは分からないが、形象変換はたしかに神咒である証拠だ。

 用をなすなら何も問題はない。

 手に入れることは相手をモノにしてしまうこと。意識を剥奪すること。つまり――。

 そんな言葉が耳をよぎった。

 翠玲は首輪をつけられている間、大人しく目をつむっていた。

「よく似合ってる」

「……何言ってるのよ、ばか」

 翠玲は恥ずかしそうに頬を染めた。まったく初めてのはずなのに、初めてとは思えない既視感のあるやり取りだと思った。



×     ×

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