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章4(視座№:A3) その3

 部屋に戻ると必要な書類を作ることにした。

 それは神罰代行運営委員会に当てた資料開示請求だ。

 敵も日本国の枠組みの内におり、なんと郵送すれば届くようになっている。

 必要な資料は今回の『神罰代行』の詳細な記録だ。

 しかし、手元に届くまでは、おそらくかなりの時間がかかるだろう。

 待つだけではいけない。できることをする。

 それまでに調べておくことは、犯行に使われた拳銃のこと。そして犯行時刻前後の祖父の部屋に誰が出入りしたかということ。

 犯人がマシェルだと分かっているから一度は不要だと言った2つの情報だが、やはり確かめておきたい。それに関してはどちらも添田に頼めば分かるはずだ。

 扉越しに、翠玲の足音。台所へ降りていく。

 しばらくして炊けたご飯の良い香りがしてきた。

 身体が空腹を訴えはじめる。

 たしかさっき、今日の夜はお弁当だと言っていた気もするが、ご飯だけは家で炊いた方がおいしいからね。

 僕は書類作成を中断して座敷へ向かう。

 添田もいるのでは?と思ったのだが、座敷にいたのは姐さんだけだった。

 家事をしないと思っていたけれど、どういう風の吹き回しか洗濯物をたたんでいる。マシェルの変身じゃないだろうな。

「姐さん、添田は?」

「なかなかお見かけしませんね。ここ数日とくにお忙しいようで」

「そっか。ちょっと頼みたいことがあったんだけど」

「伝えておきましょうか?」

「ううん、直接言うから大丈夫です。急ぎでもないし」

 ご飯できたよ、手伝って、と向こうから声がした。

 扉を開けると、食事を盆に乗せて運んできた翠玲と目が合った。

 つん、と澄ましたまま盆を渡して、僕とわずかも一緒にいたくないかのように顔を引っ込める。機嫌が治るまで時間がかかりそうだ。

 全国チェーンのお弁当屋のおかずとご飯と味噌汁という実に生活感ある食事が並ぶ。

 じいちゃんがここに座っていた頃は、少なくともじいちゃんの分だけは絶対に手作りのご飯が出されたものだが、そうした気を遣う必要ももうない――。

 同時に、その長方形の座卓の空席が埋まることももうないのだ。

 手をあわせる。翠玲と姐さんと僕だけの食卓だ。

「三人だけだと、ちょっと寂しいよね」

 何気なく僕は言った。

 姐さんも口数が多い方ではなく、僕が学校であったことを二、三喋ると話題が少なくなる。

 僕と翠玲は学校ではだいたい一緒にいるので情報共有もへったくれもない。今までは行儀が悪いと言われて食事時にテレビはつけなかったが、つけて見るようになるのも時間の問題かもしれない。

 墨染邸には人の出入りがたくさんあるが、彼らと一緒に食卓を囲むこともなかった。当然だ。彼らは昔っぽく言えば家族のようなものだが、本質的に家族ではないのだ。

 逆にいえば、ここにいる僕たちは、少なくともじいちゃんにとっては本物の家族だったということだ。

 僕は軽い気持ちで提案してみた。

「若い衆と一緒に食べてみようか。少しは前みたいに賑やかになるかも」

「絶、対、に、イ、ヤ」

 翠玲の目が本気で拒絶していた。

「うるさい、暴れる、品がない、煙草臭い」

「そ、そうだよね、ごめん」

 すごすごと肩を狭めて引き下がる。

 そんな親の仇みたいに言わんでも……。

 その様子を見ていた姐さんが口を挟んだ。

「翠玲。教えたでしょう。女性というのは男性を立てるものなの」

 翠玲の眼輪筋が痙攣したのが見えた。

「お言葉ですけど、私とあるま君のことなんだからほっといて。小姑にとやかく言われる筋合いはないわ」

「黙りなさい。私は今も昔もあなたたちの教育係です」

 姐さんはきっぱりと反論を斬り捨てる。

 あの、何か重要な単語が華麗にスルーされた気がするんですが。小姑って言ったよね。どうして姐さんもそこに触れないの。怖い。

「それにあるま様は貴女には強く出られないのよ。それくらい分かるでしょう?」

「それは……」

「貴女に必要なものあるま様に対する気遣い」

「……はいはい、分かったわよ!」

 舌打ちする翠玲。

「古い価値観かもしれないけど、貴女はこの家の人間なのだから、しっかり心に留めて」

「分かったって言ってるでしょ。……ごめんなさい」

「ちゃんと相手を見て謝る」

 翠玲は言われた通りに、僕に身体を向けて謝り直した。なんとも居心地が悪い。正座したお尻がむずむずする。

「あるま君、過ぎたことを申しました。反省します」

 小さいうちからそう教えられ、骨の髄まで染み込んでいることもあり、姐さんの教育勅語は有無を言わせない強さがある。僕も翠玲も、良く言えば価値観を継承しているし、悪く言えば染まっている。

 ただ女二人の言い争いに挟まれた僕としては、この空気はいかんともしがたいものだった。

「姐さん、僕は気にしてないから……」

「何を甘ったれているのやら」

 姐さんは静かに箸を置いた。

 あ、これ僕も怒られるパターンだ。

「女子一人御しきれずに次の墨染を背負って立てると思っていませんか。もし翠玲が今後偉そうな口をきいたら、殴りなさい。威厳を示してくださらないと」

「何言ってんのよ! あ、あるま君が、そんなことするわけないでしょ……」

 翠玲が無意識に僕に助けを求める。

 その明らかに怖気づいた声に、十年前の事故直後の顔が重なって見え痛々しい。

 姐さんの極端な忠告はあまりに旧時代的だ。仮に翠玲に暴力をふるったとして、得られるものは軽蔑と虚しさだけだ。そんなの分かりきっている。

「そうだよ、僕はそんなこと……」

「慣れないうちは、私が代わりにやってもいいのですよ」

 翠玲が肩を震わせて謝った。

「あ、謝るから……ごめんなさい、もう言いません、もっと気をつけるから……」

「だから何? これはあるま様の問題なの。あなたに人の権利はないのよ、お人形さん」

 翠玲が怯えるのも無理はないことだ。

 姐さんは口先だけの酔狂は言わない。やると言ったことは絶対にやる。

 しばらく不穏な空気が支配したが、姐さんみずから均衡を破った。

「といっても、いきなりは荷が重いでしょうから、あるま様にはまず、別の方法で翠玲を従わせることに慣れていただきましょうか。うふふ」

 僕たちは二人同時に首をかしげた。

 いや、そんなことより姐さんは一体何を言ってるの?

 いろんな意味で嫌な予感しかしない。

 姐さんは座卓の上に何かを置いた。

 安っぽいプラスチック製の、ボタンを押すと鳴る無線式ブザーだった。

 箱型の押しボタンが緑色、音と光で知らせるタイプのブザーはピンク色。

 満を持して、姐さんは言い放つ。

「あるま様、今夜その子に夜這いをかけていただきます」

「ぶへええっ」

 何も口に含んでないのになんか出た。

 毎度のごとく突き抜けて昭和だな……。

 さすがに僕でも夜這いの意味くらい分かるし、そんなことお膳立てされても困る。なんとしても阻止しなくてはいけない。

「待ってください。いくら姐さんに言われても、僕は男である前に紳士として生きてます。そんな野蛮なことはできない」

「あらあら、その通りです。よく分かっておりますね。さすがです、あるま様」

 嬉しそうにうなずく姐さん。

 ああ、なるほど、僕はきっと試されていたんだ。

 ここで話に乗ったらゲームオーバー的なドッキリ企画だったのだ。

「男は女を部屋に呼びつけるものです。わざわざ迎えに行く必要などありません」

 全然、違ってた。

 斜め上を飛び越えて姐さんの計略が思い通りに進んでいく。

 ごめん、翠玲。僕にはもう止められない。

 姐さんは僕にボタンを、翠玲にブザーを押しつけた。

「ルールは簡単。ブザーが鳴ったら、翠玲はあるま様のお部屋へレッツゴー」

「あの……断る権利はありますか?」

「あると思う?」

「待って! ね、姐さん、そんな強引な――翠玲、断っていいから!」

 しかしながら。

 僕、墨染在天(高校二年生彼女いない歴=年齢および童貞)の声は届かなかった。

 不敵な微笑みを浮かべる姐さん。

 対して「こんな脅しに屈するものか」と次第に憎悪と決意を煮え滾らせた顔になっていく翠玲。

「やってやるわ。鳴ったら、彼の部屋に行けばいいのね」

「み、翠玲さん!?」

 ああ、もうやだ。この美少女、絶対に姐さんへの対抗心だけで言ってるよ。

 そんな僕の諦めをよそに、翠玲は珍しく柔和なまなざしで僕を見た。

「でも鳴らさないよね。あるま君はそんな人じゃないって信じてるよ」

「ああ、それはもちろん――」

 僕は力強く頷こうとした。

 もちろんだ。鳴らすはずがない。この僕を信じてほしい。

 そうやって難局を乗り切って、僕と翠玲の清廉潔白な絆を姐さんに感じてもらおう。

 翠玲は星きらめく瞳を閉じて、もう一度開いた。

 ぬるっとした、いつもの微笑みがそこにあった。

「そんな勇気もないだろうし」

 ぷーくすくす、と笑いをこらえる翠玲。

 そこには本当にいつもの翠玲しかいなかった。

 僕は決意した。

 見てろよ。

 絶対に鳴らしてやる。


(続く)

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