表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/27

章8(視座№:M3) その2

 きょうだいってなんぞ、と思った人もいるかもしれないけど、私とあるま君はもちろんきょうだいではない。

 きょうだいではないから、兄妹とか姉弟という漢字をあてることもできない。

 制度上の話だけすれば、浮葉翠玲という少女は墨染家にあずけられた里子だ。二人は十年前から一つ屋根の下で同居ラブコメしてたことになる。いやラブコメしてたかは分からないけど、少なくとも今みたいにドロッドロの愛憎関係ではなかっただろう。

 和室に入り、あるま君は御神燈提灯がいくつもぶら下がる神棚に手を合わせた。

 私も後に続いて形だけ手を合わせる。

 墨守という言葉には墨の字が入るが、墨染の家は博徒系をルーツにもつ昔気質のヤクザだった。

 初代組長は墨染征義(まさよし)。あるま君との続柄は祖父。

 墨染組が日本で三本の指に入る巨大組織にまで成長したのは、ひとえに戦後の混乱期に活躍した彼の任侠としての器にある。

 平成に入って暴対法の締め付けで急激に弱体化したものの、二十一世紀を迎えたばかりの2001年に起きたある歴史的事件をきっかけに莫大な資金源を獲得、再び東京の覇権を握るまでに復活した。もちろん私たちは教科書でしか知らないけれど。

 私があるま君の後ろについて家を出ると、学校まで送迎してくれる車が待っていた。

 いつも通りの光景。私たちの日常。

 こういう家の場合、黒塗りの高級車を想像するかもしれないけど、停まっているのはアルファロメオだった。

 運転席から長身の女が颯爽と出てきて、あるま君のために後部の扉を開ける。彼が乗り込むと呼吸するかのごとく自然に扉を閉め、運転席に戻っていく。

「……」

 いつも通りだ。いつも通り過ぎて感情にさざ波すら立たない。

 道路に残された私は自分で扉を開け、あるま君の隣に乗り込み、自分で閉める。

 むしろ、私が乗るまで待ってくれるだけでもありがたいくらいだ。

 車が出るより先に、あるま君が口を開いた。

(ねえ)さん。そろそろいじめるのはやめてやってくれませんか?」

「えっ」

 声を出したのは私。

「何?」

「あ、ううん、あるま君が優しい……なんか怖い……」

 あるま君は間髪入れずに運転席へ声を投げかけた。

「やっぱり、塩対応でいいですよ。姐さん」

「うそうそ、ごめんなさい、優しくしてください!」

 運転手の女が事務的な口調で答えた。

「ご心配なさらなくても、そのつもりです」

「そのつもり!?」

 車のバックミラーからは気取った制帽しか見えない。

 運転席の女は嗜虐的なルージュの微笑みだけこちらに浮かべてみせ、車を発進させた。

 のどかな住宅街の坂道を電撃的に下りていく。塀越しの緑が情熱色のボディに照り返して目にも鮮やかだ。

 ちなみに墨染家の送迎がアルファロメオなのは、そこの女の妙なこだわりのせいだった。性能や見た目ではなくエンブレムに毒竜が描かれているのが好きなんだと。変わった女だ。私だったら車庫で眠っているジャガーやBMWの方が絶対(助手席に)乗りたいと思うんだけど、まあ目上の人よりも高級な車に乗るのはよくないという不思議な遠慮がある世界なので私に口出しできることではない。

 そんなこんなで毒竜、じゃなくて運転手の髪も情熱色の深い赤だった。

 男所帯の墨染家で唯一の女手。名前はミラヴェル・ロゼラ。二十代後半でシチリア人らしいが虚偽である。実際は年齢も出身地も定かではない。

 彼女は墨染家の……なんだろう。よく分からない。

 ただ私と彼女の間には浅からぬ因縁があるので深入りしたくないし、端的に言って殺したい。ミラヴェルも私に対して同じ考えを抱いているが今はそれどころじゃない(・・・・・・・・・)ので休戦協定を結んでいるにすぎない。彼女にしてみればその呪詛は私の数百倍は強いのだ。赤ん坊の頃から目を掛けていた愛しのあるま君を、どこの馬の骨とも知れない泥棒猫に盗られてしまったのだから。ざまあみろだ。この達成感だけで十年は自殺せずに済む。

 車が中央区に入った。

 そのとき、あるま君のスマホが緊急警報を鳴らした。

 私たちはぎょっとした顔でお互いを見合わせる。

 サイレンと踏切の音を混ぜて高周波に乗せたような、ライブ中の武道館にいても聴き取れる不快極まりない騒音だった。

「『神罰代行(しんばつだいこう)』が申請された……?」

 あるま君はポケットから出したスマホの画面を見て表情をこわばらせる。

 驚いたのは彼だけじゃない、私も同じだ。

「で、でも『神罰代行』って一度やったら90日以上空ける約束のはずだよね?」

「いや、前回のが取り消しになったから! ……誰のせいだよ。翠玲のせいじゃないけど」

 だったら私のほう見ないでくれません?

 私はシートベルトを外して席を詰め、横から携帯の画面を覗き込む。

 彼は『延期』の表示に触れた。

「受けないの?」

 彼は溜め息をつきながら軽く頷いた。

 これは尋ねた私が野暮だった。

「忌中だ。祖父ちゃんの四十九日が終わるまでは受けられない」

「ごめん」

「なんで謝るんだ。翠玲も墨染家の一員だろ?」

「そうだけど……ごめん」

 携帯の画面にある選択肢は『受諾』と『延期』の二つしかなく、どちらにせよ申請が来たら最後には受けるしかないのだ。

 先延ばしにしても次の『神罰代行』までの期間が短くなり自分たちの首を絞めるだけだ。その『延期』も法事など特別の事情がない限りは一度に3日、最長9日までしか引き延ばせない。だが今回は忌中で、少なくとも50日の延期が可能なはずだ。

「向こうには伝えてあるはずだよね?」

「サスラが弔問に来たんだから当然分かってると思ってた」

「あー、それ伝わってないよー。『テンペスト』はサスラ様から完全に縁切られてるもん。絶縁だよ、絶縁。破門より上だよ?」

 あるま君は疲弊したように目元を手で覆った。

「どうすればいいかな?」

「本来は『神罰代行』が始まる前に通達しておくべきだったけど、筋が通らない連中じゃないから事情を話せばいいと思うよ」

「本当に、大丈夫?」

 あるま君が困った顔で私を見てる。

 わ、わ、わぁ……超可愛い。庇護欲半端ない。トイプードル並の可愛さなんですけど!

 思わず頬が緩むけど、ここはきりっと引き締めなくては。

 私はあるま君の頼れる相談役なのだ。首輪付きの飼い犬だけどご主人様を安心させるのも私の役目だ。

 私は彼の手を自分の両手で優しく包み込んで励ます。

「うん! 大丈夫だよ。心配しなくても、あるま君には私がついてるからね?」

 そのとき、チッ、と運転席から静かな舌打ちが聞こえた。

 次の瞬間、車が一回転する勢いでドリフトし、車一台分のスペースに華麗に縦列駐車した。

 急な制動と遠心力で、シートベルトをしていなかった私は車内で放り出される。

「痛っっっっ!」

 実際は「痛っ」ではなく「んごっ」という変な声が出た。

 思いっきり後頭部をぶつけて悶絶する私に、運転手は涼しい声でのたまった。

「着きましたよ」

 よろよろと涙目で車から降りる。車が停まった路肩の方向とドリフトの回転方向を頭のなかで組み合わせると明らかに逆向きに回転していることがわかった。

 わざわざあるま君と反対方向に吹っ飛ぶようにドリフトさせたってことだ。

 恨みがましい目を向けると、ミラヴェルが降りて車のそばで一礼し、にこやかに私たちを見送った。

「お気をつけていってらっしゃいませ」

 雨上がりの地面はまだ濡れているが、空は気持ちよく晴れている。

 校門から少し離れているが、ここは学校の前だ。

 私たちが背を向けると、しばらくしてミラヴェルの車が去っていった。

「なんか不思議だよね、ミラって。いがみ合ってるはずなのに、見送りだけは絶対に笑顔でしてくれるの。あるま君がいないときでもだよ。変じゃない?」

「まあ、そうだろうね」

 あるま君は校門に向かって歩き出した。私はすぐ隣をつかず離れずテトテト着いていく。

「どうしてか知ってるみたいね」

「もし最期に見せた顔が『怒った顔』だったら、後悔するのは自分だから」

「あ……」

 あの毒竜みたいな女にも、そういう感情ってあるんだ。意外だった。それを私にまで適用するなんて。

 あるま君は歩きながら私に顔を向けた。

「とくにうちは、朝家を出た人間が、夜生きて帰ってくるとは限らないからね」


(続く)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ