章4(視座№:A3) その2
階下で「ただいま」と涼やかな声がした。翠玲と姐さんが買い出しから帰ってきた。
下へ行って出迎える。
「おかえり。早かったね」
「そう?」
翠玲からスーパーの袋を受け取って運ぶ。
「今日お弁当だけどいい? 明日はちゃんと作るから」
「ああ、うん、別にいいけど……」
そのとき、妙な違和感を覚えた。
正体はすぐに分かった。
彼女の服装だ。
部屋で見たときはショーパンに黒ストッキングだったのに、今はミニスカートでニーソックスなのだ。
それはそれで非常に好ましいけれど……。
「翠玲、いつ着替えたの?」
「え? ずっとこの格好だけど、どうして?」
「い、いや、なんでもないんだけど……」
翠玲は怪訝そうに首をひねる。
僕は咄嗟に平静を装ったが、冷たいものが背筋を下りた。
おいおい、嘘だろう。
じゃあ、部屋にいた翠玲の服装はどうやって説明するんだ?
可能性として考えられるのはマシェルだ。
だが、まさか。
今しがた更新された図鑑に『本地垂迹』は一度変身したことがある人間にはもう変身できないって書いてあるじゃないか。ロジックでもトリックでもなく情報として正確なのは神咒図鑑だ。
そもそも神罰代行初日、マシェルは僕たちの目の前で姐さんと翠玲に変身している。
このふたりにはもう変身できないのだ。
「………」
僕は、どうにも気持ち悪くて、翠玲が台所にいるうちに、急いで彼女の部屋をのぞきに行った。
猫が脱走しないよう、そっと扉を開ける。
もちろん、部屋には誰もいなかった。
扉を閉める。
……待てよ。
扉を閉めかけて、僕は部屋の静寂に気づく。
その違和感の正体を探る。
そうか。
猫だ。部屋のどこにも猫が見当たらないんだ。
勉強机の横のケージにも入っていない。
窓やベランダの出入り口は閉まっている。
中に入って調べたほうがいいか迷っていると、後ろから冷たい声がした。
「何してるの」
「あっ、いや、これは!」
「部屋、入らないでって言ったよね?」
「入ってません! まだ!」
僕は扉を閉めた。じつはちょっとだけ敷居に足がかかっていたけど、たぶんセーフだ。
振り返ると翠玲が腕を組んで仁王立ちしていた。視線が凍りつきそうだ。
「み、翠玲さん、猫ってどうしたの?」
「部屋にいないときは外に出してる。ケージに閉じ込めるの可哀想だし、でも壁とか引っ掻かれたら嫌だし」
「じゃあ、猫を外に出すために戻ってきてたんだ?」
翠玲の眉が難しくなった。
その瞬間を、僕はけっして見逃さなかった。
「とにかく」
咳払いする翠玲。
「今度勝手に入ったら、去勢するわよ」
「はは、お手柔らかにね」
いつもの戯れだと思って僕は優しく微笑み返した。
その瞬間、黄金の右膝が炸裂した。
「……ひぐッ……!」
空気漏れする僕の悲鳴。
股間を押さえて僕は数秒床から浮いた。
あまりの強烈さに絶叫して悶絶して倒れ込みたい。なのに、翠玲の右膝は僕の大事なところに炸裂したままいっこうに解放してくれる気配はない。
翠玲はエロティックに身体を寄せて耳元でささやいた。
「私は本気」
殺す気だ。
僕の幸せを運ぶ3億のコウノトリを絶滅させる気だ。
ようやく脚が離れ、僕は床に這いつくばる。
ソックスの柔らかな足指が僕の鼻先をくすぐった。女子高生の足の裏の匂いがする。
うずくまる僕を尻目に、翠玲はドアノブに手をかけた。
「質問。あるま君にとって、私は何?」
「ぼ、僕の世界の半分です……」
「違う。全てよ」
バタン!
と、扉が閉ざされた。
ひどすぎる……。さっきの恥じらってた乙女はどこに……。
廊下に残された僕は、痛がるのをやめて、しばらく沈黙する。
もしかしたら翠玲が心配して様子を見に戻ってくるんじゃないかなと期待したからだ。
でもそんなことはなかった。
僕は芋虫みたいにみじめに廊下を這って部屋に戻った。
(続く)
シン・ゴジラはいいぞ。




