章4(視座№:A3) その1
次の日の夕方。
忌引きで遅れた分を取り戻そうと部屋で勉強していると、スマホアプリ『神咒図鑑』に更新通知が2件入ってきた。
「……え、2件? なんで?」
そのアプリには『神罰代行』で戦った相手の神咒が登録されていくというポ○モン図鑑機能がついており、神咒の詳細な情報を見ることができる。ただし『神罰代行』が終わらないと登録されないため、これまで役に立ったことは一度もなかった。
それなのに今回は違った。
登録されたページはなんと『本地垂迹』だったのだ。
僕は背もたれから離れ、画面に食い入る。
「魔女の神咒が図鑑に載った!?」
『金剛不壊』が登録されているのは分かる。『不倶戴天』が破壊したからだ。
しかし。
まだ倒してないのに、どうして?
混乱するが冷静に思考を巡らせなくてはいけない。
考えられる原因は二点ある。
ただ僕は『神罰代行』の第2ラウンドを経験したことがないので憶測でしかない。
ついこの間まで、同じ相手/同じ神咒と『神罰代行』の仕切り直しができることさえ知らなかった。
もっともサスラが作らせた図鑑の情報は正確なので、ありがたく頂戴しておくことにする。
二つの原因のうち、ひとつは『第1ラウンドが終わった時点ではじめから情報開示されるシステムだったのではないか』ということ。
もうひとつの原因は――おそらく蓋然性はこちらが高いと思われるが――。
良いところで部屋がノックされた。
「ひゃい!」
背中あたりから変な声が出る僕。
扉越しに翠玲の声がした。
「ミラと夕飯のお買い物に行ってくるわ」
「あ、ああ、いってらっしゃい。気をつけて」
スマホを持って固まる僕。
じーっと僕を見つめる翠玲。
「……勝手に部屋に入らないでね。もし下着が欲しいなら、洗濯物まだ畳んでないから、居間に」
「しないよっ。逆にやれって言われてるみたいで怖い!」
「私のとは言ってないわ……もしかして、あるま君……」
「か、考えてない! そんな不埒なことは一切考えたことがないです!」
っていうか今の誘導尋問でしょ!?
「冗談よ。洗濯物畳んでないのは本当だから、そこはあるま君の理性と相談してね。行ってきます」
階段を降りていく柔らかい足音。
……素直に「時間があるなら畳んでおいて」で済む話なのに、変なこと言うもんだから『神咒図鑑』のことを言えずじまいだったじゃないか。
さてこそ、『神咒図鑑』が更新されたもう一つの理由として考えられることだが――。
ピンポーン。
なんてタイミングだ。今度は宅配便が来た。
僕は慌てて下へ降りる。その宅配には心当たりがある。
僕は玄関に走る。
他の誰かに――とくに翠玲に――受け取られると説明がめんどくさい。
絶対に自分がサインしなくちゃいけない。
幸い翠玲はすでに姐さんと出かけたあとだった。
お届け物は、いつか約束したフラワーギフトだった。
花瓶のいらないアレンジメントでも良かったけど、本人がご所望だったので花束を。
そいつを持って翠玲の部屋へ向かう。
勝手に部屋に入るなと言われても、別にやましい気持ちはないから大丈夫だろう。
それに帰ってきて部屋に飾ってあったらきっと翠玲が驚くだろう。面と向かって渡すのが気恥ずかしいというのが正直なところだけど。そんな軽い気持ちで翠玲の部屋に入った。
そうしたら、出かけたはずの翠玲がいた。
「うわあ!」
「に――にゃあっ!」
子猫を抱えていた彼女がビクッと飛び上がる。僕も心臓が跳ねた。
「の、ノックしてよ、びっくりするじゃん!」
「ごめん! さっき出かけたと思って――」
「も、戻ってきたのよ。その、猫が、気になって」
「そ、そっか……」
翠玲は猫を床に離す。
さっきは扉越しで見られなかったが、今日の翠玲の服装はホワイトのニットセーターにグレーのワンタックショートパンツ、および、端的に言って撫でまわしたい黒ストッキング。
思わぬことになってしまった。
僕は今明らかに花束を持っている。
翠玲にこんなものを贈るなんてはじめてだ。
というか翠玲に限らず、花を贈ること自体が人生ではじめてだ。ネット通販で買ったのだって、花屋に行って買ってくるなんて選択肢は僕の中にはなかったからだ。
花束を背中に隠したまま、僕はどうしていいか分からなくなっていた。
早く渡さないと恥ずかしさで踵を返してしまいそうになる。
そうなったら後世ヘタレと罵られかねない。
僕は意を決して、それを差し出した。
――この前はひどいこと言ってごめん。
――翠玲が僕の分まで涙してくれたおかげで僕は救われました。
そう――贖罪と感謝を込めて、薔薇の花束を押し付けるように差し出した。
「え……私に?」
「お前に。受け取ってほしい」
翠玲はおずおずと差し出されたものを受け取る。
ガサっと包みの音がする。翠玲はブーケの薔薇にそっと触れ、表情を華やがせた。
「白い薔薇ね……」
「あ、赤い薔薇って、なんか姐さんのイメージあるし」
僕は隠喩を気にするタイプなので、花言葉とかも調べて選んでいる。ぶっちゃけ花言葉とか調べる男子って気持ち悪いとか思われないかなと不安がよぎるが、一応、白薔薇の花言葉は、純潔、深い尊敬、そんな感じのところだ。赤薔薇はちょっと重すぎる。
そんな僕の思惑を見透かすように、翠玲がちょっと気取りぎみに口角を上げた。
「それで選んだのが、『あなたは私にふさわしい』?」
「そ、それは……」
なんで詳しいんだよ。顔が爆発しそうだ。もうダメだ、部屋に戻りたい。
「じゃ、じゃあ、僕はこれで――」
「あ、待って!」
くいっ、とシャツの裾を引っ張られる。
振り返ると、彼女はうつむきがちにもじもじとしていた。
「えっと……なんて言ったらいいのかな。その、私、こういうのもらうの初めてで……」
「僕だって、花あげるのなんて初めてだよ」
翠玲がはっとして、いつもより身を縮めて、真っ赤になった頬を冷ますように片手を当てた。
うわ、乙女だ。
でも嬉しい。思わぬ眼福に心が跳ねる。
というか自分から欲しいって言っておいてそんな反応されたら、可愛くて仕方ないんですけど!
僕の視線に気づいた翠玲が慌てた。
「も、もう、大丈夫だから。行っていいよ。ほら行って。じゃあね、バイバイ!」
ぐいぐい背中を押され部屋から締め出される。
扉が閉まる。
僕は背後に翠玲の気配を感じながら、自室に戻った。
扉近くの壁に手をつく。
「はぁぁぁ……」
やばい、息が止まっていた。
……なんていうのか。
自分から進んで柄にもないことをするのって、命の奪い合いをしているときよりも緊張するんだな……。
悶えるってこういうことか。
しばらく壁に額をつけてよく分からない青春の悶えを繰り返したのち。
僕はようやく『神咒図鑑』のことを思い出した。
「……」
急速に青春の身悶えが沈静化していき、反動のように僕の身体に冷たい風が吹き抜ける。
マシェルの神咒『本地垂迹』がどうして登録されたのか。
もしかしたら、それこそが、マシェルがあれ以来『神罰代行』の『し』の字も言ってこなくなった理由になるかもしれない。
それは、
僕たちは、
実はマシェルとの『神罰代行』に勝利していたのではないか?
という可能性。
いや、勝利したという言い方は良くないかもしれない。
マシェルが神罰代行を放棄したあの時点で負けていたというべきだ。
だって僕たちは結局マシェルを見つけられなかった。
放棄と敗北は別問題だ。
マシェルが放棄したのは、彼女が勝利した後の権利についてだった。
そしてマシェルが敗北する条件で当てはまるのはただひとつ。
エリアの外に出た。
何か掴めそうだ。
だけど、まだユウレカの光を掴むには何かが足りなかった。
「……だいたい、それが分かったからなんだって言うんだよな」
負けると分かってエリアの外に出た理由はもちろん僕には分からないし、それが分かって何になるのかも不明だ。しかも全てマシェルの神咒が『神咒図鑑』に登録されたことからの推測にすぎない。
可能性。全ては可能性の話だった。
(続く)
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