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章3(視座№:A2) その5

 サスラが湯気立つマイセンに手を伸ばす。

 異世界神は高貴な唇をその縁にふわりとつけ――。

 細い眉が、むぎゅうっと中央に寄った。

「ふええ、にがっ」

 子供みたいに顔をくしゃっと歪めてカップを戻す。

 ようやく化けの皮が剥がれた。

 僕は添田によくやったと意思疎通しロシアンマフィアみたいに腕を組み交わす。

「はー、もー、やめじゃ、やめじゃ――せっかく人が気を遣ってやったというのに」

 清楚の糸が切れたサスラはジジイ言葉になってソファに身体を沈めた。

 妙齢の女性型だった身体がしゅるしゅると縮みはじめる。

 服装も僕の記憶に馴染んだ、シースルーのフリルスカートが異世界的なワンピースに変わっている。

 ふかふかのソファにお尻を落とし、足の先がぷらぷら浮いて。

 異世界神は無邪気な小学生サイズに変貌した。

「疲れたのはこっちだ。敬語の殴り合いとかマジ勘弁してくれ」

「同感じゃ。わしも自分の家であんなお悔やみ申し上げられたら、間違いなく蹴っ飛ばすじゃろうな」

「分かってんじゃねえか。蹴っ飛ばすぞ」

「きゃっきゃっ」

 サスラは幼女特有の笑い声を出す。そしてあらためて僕を見た。

 異世界幼女神の特徴を述べる。僕がこの世で一番可愛いと思っている翠玲によく似た、少し眠そうなつり目。だが超然として柔らかく、キツい印象はない。メイクの仕方がナチュラルなのが原因だろう。むしろ顎が細くて童顔でさえある。まあ、今の外見は小学生サイズだが。

「しばらく見んうちに、大きくなったのう、あるま」

「そう言うあんたは小さくなったな」

「そんなわけあるか。これは省エネじゃ、省エネ。ほれ、今流行りの『ロリババア』ってやつじゃ」

「特に流行ってないからな? 一部熱狂的なファンがいるだけだからな?」

 自分で自分のこと『ロリババア』って呼ぶやつ初めて見たわ。

「きゃっきゃっ」

 幼女が笑う。

 さてこそ。

 これまでも話には出ていたが、いざ前にすると、誰だってその存在の尊さに圧倒されるはずだ。

 わざと横柄かつ対等な物言いで自らを補強・・しなければ、すぐにそのあしゆびにかしずいてしまいそうになる。

 火頂宮サスラ・プロミネンス。

 祖父が向こうに飛ばされたとき、自らの崇拝者(カルト)を操って新たな国を興し、異世界の版図を塗り替えようとしていたのが彼女だ。そのときは今の姿から想像もできないほど邪神めいており、非常に巨大で、全身から炎を噴き上げるクリオネのような姿だったという。

 彼女は世界を生み出した根源に連なる原初生命体的な存在だが、不朽の肉体を持つわけではなく、古くなったら燃え尽きて新しく生まれ変わる。よって今日まで何度も死と再生を繰り返して生きてきた。今の身体は、おそらく先ほどの大人状態の外見年齢ほど生きていると思われる。

 僕のことは赤ん坊の頃から知っているし、まだ盟友だった頃はよく一緒に遊んでくれた。

 そんなサスラは今ソファに横になっている。

 沈む感触を楽しもうと、その場でころころ回転したり、寝そべったり。

「サスラ、スカートめくれてるぞ」

「え~お兄ちゃん、ロリコンなのぉ?」

「お前の方が何歳(いくつ)だよ!」

「こっちの世界では、外見が18歳未満の女児に欲情したら抹殺されてもかまわんのじゃろ? わしに欲情して殺されるならむしろ本望じゃろ?」

「ロリババアには適用されねえよ。知らんけど!」

 それ自体が特殊なゲームの話だからな!

 しかし、ここ数年、サスラは住まいである空中繋留豪華客船『ひのとり』に籠もって姿を見せることはなかったが、話してみると昔とさほど変わっていないことに安心した。

 考えてみれば当然で、悠久の時を生きてきた彼女が、たかが数年で変わってしまうなんてことなかったのだ。

 だからこそ不思議だった。

「どうして、じいちゃんの葬式に来なかったんだ?」

 ソファを堪能していたサスラがぴたりと動きを止めた。ばつが悪そうに座り直す。

「行きたかったが……炎が暴走してな……」

「暴走?」

征義まさよし殿が、我が友が、身罷みまかられたと知らされた瞬間じゃった……突然目の前が暗くなって――」

 小さな両手を固く握ったサスラが小刻みに震えだす。

「半身を失ったような痛みが我が身を貫き、腹の底から怒りと悲しみが渦を巻き――ア、ア、アァァァァッ……!」

「ちょ、待っ――」

 ガタガタと部屋が揺れだす。

 サスラの姿が再び見目麗しい女性へと成長し大きくなっていく。だがその形相は怒りに満ち、髪は茹だり逆立ちーー。

 耐え難きに耐えかねたサスラは立ち上がった。

「薄汚い蛆虫どもめ!! 我が怒りの炎に焼かれて死ぬがいいッ!!」

 猛獣じみた咆哮が邸全体に響き渡り、サスラの頭の角が灼爛(しゃくらん)し爆発的に炎を噴き上げた。

 一瞬で天井を舐め尽し、ガラスを砕き、サスラ自身を火の渦に飲み込む。

 火頂宮サスラ・プロミネンス。

 火頂(かちょう)とは灼熱の王冠で、サスラの場合は感情の激化で燃え上がる角状器官が、まるで獄炎の王冠を戴いているように見えることからその名がついたといわれる。本来は日本や中国で使われた拷問具の名称だ。

 制御を失った乱神の炎を、僕たちは床に伏してやり過ごす。葬儀に来られないわけだ。会場がいくつあっても足りないし確実に人死が出てしまう!

 天井からの放射熱でそろそろ火傷じゃ済まなくなってきた。

 早く止めないと家も身体も持たない。

「サスラ!」

 大声で呼びかけるが炎の轟音にかき消されてしまう。

 どうすれば――。

 そのときテーブルの上のカップが目に入った。

「この、正気に戻れ――!」

 僕は残っていたコーヒーをサスラにぶっかけた。

「――ふええ、にがっ」

 うえっ、ぺっぺ、と舌を出すサスラ。

 その瞳が理性の光を取り戻す。曲を収める指揮者のように手を振ると、炎が一瞬で収束した。

 もちろん被害も元通りになるかといえばそんなことはなく、部屋の上半分は消し炭になっていた。

 子供に戻ったサスラは、ソファにちょこんと座って苦い顔をしている。

 大人状態では剛毅な甲殻状の角が、今はクリオネを思わせる白く薄く柔らかい触覚になっていた。

 それもしょんぼり垂れている。

「すまぬ……」

「平気だ、保険入ってる。もっとも誠意は見せてもらうけどな」

「せ、誠意? か、金か? か、身体か?」

「手足を切断して生オナホってのはアリだな」

「ないわ!」

「どうせ復活できるんだ、一度くらい経験しても良いだろう」

「よーくーなーいー!」

「冗談だよ」

「お、お、お前が言うとシャレにならんもん!」

 また火を噴かれても困るので本題に入ろう。

「お願いがあります」

 僕は遺言書を机に置いた。

「添田を次の組長に認めていただきたい」

「ふむ」

 自らも遺言書に目を通すサスラ。

「別に構わんが……一つ、聞かせてくれんか」

 僕は顔を上げた。

「マシェル・イヴランタンが見つかったら、どうする?」

「どうするもこうするも、殺す」

「もし困っておるようなら、帝国(ウチ)から何人か『兵隊』を出してやっても良いぞ」

「まさか『(かがりび)』を?」

 サスラは大仰にうなずいた。

 全身から血の気が引く。知らず手に嫌な汗がにじみ出てきた。

「……と、(とぶら)い合戦はするにしても、『炬』は……」

「なんじゃその世界が終わったような顔は……そういえば前に貸したことがあったのう」

「思い、出したくも、ない」

「何があったんじゃ? そんな顔になるほどの面白い、じゃのうて大変なことが?」

 サスラは半笑いで聞いてくるが、興味本位で聞いていいことではない。僕は本気だ。

 それは記憶の底なし沼に封印して金輪際外に出してはいけない。

 でも思い出してしまった。

 当時中学生だった僕はとても未熟だった。『神罰代行』で負けそうになり、一度だけサスラに助太刀を――つまり『炬』の救援を求めてしまったのだ。

 『炬』はサスラ直属の警備部隊の通称だ。マル暴の刑事はヤクザと見分けがつかないが、『テンペスト』を取り締まるべく組織された彼女たちも僕たち善良なる人間市民からすれば大差はない。

 むしろサスラから選りすぐりの超攻撃系神咒を与えられ、敵を倒すためなら都庁が崩壊しようがスカイツリーが折れようが山手線がひっくり返ろうが知ったこっちゃない、と考えている『炬』の方が害悪だったりする。

 『炬』を動員した結果として当時の敵は瞬殺、墨染組は労なく勝利を手にした。

 だがそのとき『炬』の隊員に支払われた報酬、というか代償として――

「僕は全裸で縛られたまま三日三晩、全身の性感帯を針でつつかれる拷問を……ああっ……」

 性癖を歪められたことに対する怒りと恥ずかしさがさざ波返して、耐え切れず全身を使って悶える。多感な時期の男子に対する強制的な性感帯開発は万死に値する犯罪だ。決して今思えばご褒美だとか思ってない。僕は怒ってる。激おこなんだぞ。

 サスラが震えていた。今にも爆笑しそうな顔で。

「おいこら」

「ぶふっ……すまぬ、すまぬ……ぐふふっ」

 むせたり、涙目になったりして、それはしばらく続いた。僕はムカ着火ファイヤーである。

 ようやく落ち着いたサスラはソファに座り直した。身体が小さいので何度も座り直さなくてはいけない。

「いい加減にしろ。とっとと承認してもらいたいんで・す・け・ど!」

「怒るな、怒るな。ぶふっ」

「いや、マシェルの処遇についてどうするかって話だったっけ」

「そうそう。お前はマシェルを許すのか、許さんのか」

「僕は家族を殺されて喜ぶ人外じゃあない。端的に言って殺す。次の『神罰代行』でカタをつける」

「は? ……『神罰代行』で?」

 サスラは一瞬よく分からないといった顔をした。

 だが深く息を吐くと、遺言書をテーブルに戻した。

「では、添田殿の継承を認めることはできんな」

「なんで!?」

「今までお前は征義殿の代理(・・・・・・)じゃった。今後も『神罰代行』を続けたいというのなら、征義殿のもつ全てを受け継がなくてはならぬ」

「そ、添田の代理じゃダメなのか?」

「代理というのがそもそもイレギュラーな対応なんじゃ。実際はどうあれ、書類上の征義殿は非常に高齢。よって孫のお前に特別に(・・・)代理としての参加を許可しておったのじゃ」

 つまり添田が組長になった場合、それを引き継ぐのは添田ということになり、僕の出番はなくなる。

 僕はいよいよもってお払い箱だ。

 僕は無意識に添田を見ていた。渋凛々しい・・・・・表情は澱みない禅のようだ。

「自分は、若の意見を最大限尊重します」

「添田――」

 言うと思った。

 僕は自分の眉根が強張るのを感じた。

 マシェルを倒して、この手で祖父の仇を討つには、墨染組を継承しなくてはならない。

 しかし――。

 客間の煤けた天井の一部がパラパラと崩れた。

 僕はゆっくりと口を開いた。

「添田が継ぐ」

「若っ!」

 添田が身を乗り出す。反射的に抗議しかけたのだろう。

 僕は黙ってまず首を振る。

「組のために一番働いてくれて、僕なんかよりよっぽど有能だ。添田が継がない理由がない」

 これが僕の意見だ。

「僕は祖父の跡を継がない。『神』は死んだ。墨染組は今後一切の『神罰代行』を拒否する」

「マシェルは、倒さんで良いのか?」

「良い。『炬』を出してくれ」

「本当に良いんじゃな?」

「良いと言っている。男に、二言はない」

 サスラは子供っぽい赤みのある膝を打った。ぱちん、と可愛い音がした。

「ならばこのサスラ・プロミネンス、慎んで認めよう。墨染組の継承は――」


×     ×


 その数日後、添田至誠の襲名披露は無事にとり行われた。


(続く)

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