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章3(視座№:A2) その4


 二日が過ぎた。

 あれからマシェル、ならびに神罰代行運営委員会なるものは完全に鳴りを潜めていた。

 祖父が亡くなって七日のうちは気を遣っているのかもしれない。

 そもそも今うちに来られても、足蹴して追い返す自信があるほど忙しかった。

 誰もが自分のすべきことを見つけ、忙しさに救いを求めながらも、きちんと祖父の死を受け入れようとしている。そんな墨染組に、僕は、言ってしまえば誇りのようなものを感じていた。

 ただ一つ、どうにものっぴきならないことがあり途方に暮れている。

 次の長のことだった。

 遺言書は約束通り開封され、滞りなく処理が進んでいた。

 しかしその遺言書には『必ずサスラ・プロミネンス(乙)の認めを得ること。もし乙が認めず、別の者(墨染組の者に限る)を指名した場合は協議において決定すること』

 と――まさかの文言が附されていたのだ。

「じいちゃん、異世界神のこと信頼しすぎでしょ」

 読んだ瞬間、僕は思わずそう言ってため息をついてしまったほど。

 サスラ・プロミネンスとのホットラインはもう存在しない。

 神政メーレイジアが日本政府と結託したときから、彼女と墨染組との盟約は破棄されたようなものだった。

 祖父と異世界神は長く個人的な友好関係にあったようだが、今はもうサスラへの連絡手段はちょっとやそっとじゃ思いつかなかった。

 それに……。

 僕は葬儀でのことを思い出す。

 通夜のときも告別式のときもサスラの椅子は空席だった。

 ――もしかして祖父は、サスラとはすでに縁が切れていたのではないか?

 空席事件は、組の幹部たちも口々にサスラに不信を表すほどの重大な出来事だった。(弔電は来ており、香典も届いていたが……)

 そんなわけで添田も新しい組長を名乗るに名乗れず、襲名の儀も行われず、ただ代行として職務を行うだけの状態が続いていた。


 帰宅すると、家の前に見知らぬ車が止まっていた。

 告別式から日も経っていないため、弔問に来る客人もまだまだ多い。

「わ、わ、わ、若ぁ~っ!」

 玄関を入るなり、添田が飛び出してきた。

 夕食の準備中に慌てて来たのか、エプロン姿のままだ。

 間違っても若い衆ではない。

 この男、伊豆を発し関東を束ねる最古参組織、墨染組の組長(代行)である。

 ただまあ、添田も溜まっていたのだろう。

 昭和人の祖父は男が台所に立つのをあまり良しとしなかったのだ。

 それも、もう咎める者もいないわけで。

「御勝手に立つなとは言わないけどさ。僕が暗殺犯だったら、その格好で警察に発見されるんだぞ?」

「冗談言ってる場合じゃありません!」

 添田は僕の背中にまわり、家の中へ押し込む。

「ご帰宅早々で申し訳ありませんが応接室までお願いします。すぐに! ああ、でも、手洗いうがいは忘れずに!」

 それだけまくし立てると添田は再び奥の廊下へ消えてしまった。

 添田の奇妙な言動に首をひねりつつ、学生服のまま、客間へ向かう。

 東映任侠映画さながらの賭場だった墨染邸は景観を重視しており、障子を開けば粋な庭園が濡れ縁の向こう側に広がるのが特徴だ。現代の裏社会の大物たちは城塞のような都心の高級マンションに隠れ住みセキュリティに大金を使っているというが、僕はこの邸の風通しの良さが好きだった。

「入ります」

 僕は膝を折り、縁側の障子戸を開く。

(あれ……?)

 外と内の空気が繋がった瞬間、僕はふわりとした懐かしさを鼻腔に感じた。

 そして。

 室内にいる弔問客を目に入れた。

 僕は、目を疑うより早く、今以上に居住まいを正した。

 白だ。圧倒的な貝殻色の乳白。そこには世界を統べる白き炎が存在していた。

 僕が動くより早く、中の弔問客は座敷の畳に指をつき、深々と頭を下げた。

 豊かな髪には一条(ひとすじ)の乱れもなく。

 そして、かんばせを上げ、言葉をくだたまわった。

「生前の征義様より深い御厚誼(ごこうぎ)を賜っておりました――サスラ・プロミネンスと申します。本日は遅れ馳せながらお悔やみを述べに(まか)り越しました。先の御葬儀に参列できなかったこと、誠にお詫びの言葉もございません。御令孫様のお悲しみのほどをお察しし、心より御冥福をお祈り申し上げます――」

 よどみなく、五線譜に繰り出されるような日本語。

 光輝、そして香気――微風さえ感じる降臨。

 やばい――飲まれる・・・・

 僕は、一瞬――認識の上では永遠――遅れて頭を下げた。

「こっ――このたびは御弔問いただきまして誠に有難うございます。火頂宮かちょうのみや殿下の御厚情に祖父もきっと喜んでおります。祖父ばかりでなく孫である私の方にも、心の籠もったお言葉を賜りまして、生前の祖父への御厚誼に深く感謝申し上げるとともに、過分の御芳志ほうしを賜りましたことを、厚くお礼申し上げます――」

 よし、言い切った。その気になれば咄嗟に舌が回るらしい。だがまだ終わりじゃない。

「どうぞ、御焼香しょうこうをなさってください」

「ありがとうございます。では――」

 僕に笑顔を向け、祖父の仏壇に向かう異世界神。

 静かに手を合わせ、お線香をあげる異世界神。

 なんだこれ。

 いや……なんだこれ。

 世界が惑動わくどうする。

 僕の脳内でマーラーの交響曲第九番ニ長調第一楽章が厳かに鳴り響く。

 下賤なる民の視線は大地に固定される。

 生命を超越した白磁のような肌。炉の炎を宿した灼眼。透き通る乳白色の髪のあいだからは、角を思わせる二対の放射器官が髪留めのように生えている。

 しとやかに美しく、それでいて抑えられたかのように非好色的で、焼香する挙措きょそに、指先に、洗練された悲哀を漂わせるそれは神格にのみ許された情緒。うなじの繊細美がやばい。

「御多忙のなか大変失礼いたしました。私はこれで――」

 優雅に立ち上がり、去ろうとするサスラ。

 僕は引き止めるのも忘れて魅入っていた。

 何か忘れてる。

 そうだ、遺言書!

 ああ、でも駄目だ、僕にはサスラを引き止めることができない。

 だって、もう声が出ないもん。

 そのとき縁側の戸が開いた。

 添田が珈琲カップを乗せた盆を持ってきた。

「せっかくですから珈琲をどうぞ!」

 さすが添田! 墨染組ナンバー2! 今はナンバー1代行!

 やってくれると信じていた。

 僕たちはここでサスラを帰すわけにはいかないのだ。

 添田が壁になりどうぞどうぞと半強制的にソファをすすめる。

 サスラは困惑しつつも押し戻されるように座り、僕と添田も下座に移る。

 珈琲豆の香りと、そこはかとない緊張感が漂う中――僕は遺言書を添田から受け取った。


(続く)

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