章3(視座№:A2) その1
あと五分経って翠玲が帰ってこなかったら様子を見に行くと決めて、海向こうのビル群とスマホ画面を交互を見ながら座っていると、突然、浅黒い外国人観光客が声をかけてきた。
「ワタシ、日本ハジメテキタ。チョットオシエテ」
「はい、どうしました?」
「LINEやってる? てかどこ住み?」
「……」
僕は不信の目つきを向ける。
「キミ可愛いネ! 名前オシエテ! 聞いたら帰りマース!」
ナンパ外国人は手を合わせて頭を下げる。日本はじめてとか絶対嘘だろお前。
名前だけで帰ってくれるなら、と親切な市民である僕はつい答えてしまう。
「あるま」
「キュート! ドンナ意味?」
名前聞いたら帰るんじゃなかったのかよ。まあいい、鼓膜に刻め。
「天に在すと書いて在天。すなわち『神』だ」
手の中で突然スマホが震えた。耳に当てる。
唾まで飛んできそうな勢いで添田の声がした。
『どこにいらっしゃるんですか若!! ご無事ですか!? いや、それより今は、お、落ち着いて聞いてくださいッ!』
「落ち着け。何があったの?」
『オヤジさんが、殺されました』
「……は? ご、ごめん、も、もう一回――」
そのとき、別の場所から声がした。外国人の声で。
「やっと電話してきた。聞こえたろ? ――ジジイが死んだのさ!」
そいつから視線を逸らしたことに気づいて、すぐに睨みを戻すが、遅かった。
足が浮いた。
意識が追いつく前に押し倒される。無重力感と遅くなった世界。
僕の目の前で、無数の鴉羽が風に乗って吹き荒れる。
何が起きているのか分からない。
僕の目の前で、
変身が解かれた――。
鴉羽の嵐が天上へ吸い込まれるように消える。
そして。
ぎりぎりと僕を締め上げる腕の先に現れたのは。
黒色の防塵マスクを被った『魔女』だった。
「どーも、あるま君。マシェル・イヴランタンでっす」
背中が芝生にぶつかった。
世界の速度が元に戻り――僕と魔女は激しくもみ合いになる。
「魔女ッ、貴様ァッ……!」
「あははははは! 残念だったな! ジジイは、私が、殺したッ! お前が楽しくデートしてる間に!」
「嘘だッ! 何かの、間違い、だッ!」
じいちゃんが死んだ。
嘘だ。
人はいつか死ぬ。
嘘だ。あの祖父殿が死ぬのはもっと先だ。神が死を許しても僕が許さない。
だけど添田が、あの添田が、魔女と同じ言葉を。
「嘘だ! 嘘だと言えぇっ!」
「嘘じゃない。ジジイは私がきちんと始末した」
嘘だと言ってくれ。質の悪い冗談だと。
混乱して動けない僕の頬を慈しむように撫で回してくるマシェル。
「でも安心してね? そう簡単には絶望させねーから。この程度で心が折れてもらっちゃ困るんだ。よく聞きな。ゲームの存続に関わる重大なことだよ。いいか?」
マシェルは言う。それは宣言だった。
「――私は『神罰代行』の権利を放棄する」
僕は勢いよく身体を起こす。
「ふざけるな!」
「あはははは!」
マシェルが笑い声をあげながら転がる。
魔女は小柄で軽かった。
今度は僕が上になる番だった。
「なにが可笑しい!」
「『放棄した』と言った!」
「それに何の意味がある!?」
視界が反転する。
再度マシェルが騎乗位に。
魔女は恋人同士が愛撫するように顔を寄せた。
「『神罰代行』は、誰が一番早く墨染のじーさんを殺せるかを競うゲームなんだよ。当然、賭けの対象だ。私たちが一切協力し合わず、わざわざ一人ずつ、こんなふうに『神罰代行』を挑むなんて、変だと思わなかった?」
「こんなことを、金のために?」
「その通り。仁義だ、任侠だ、神殺しの名誉だなんだの言ったって、結局はカネだよ、かーね。お前らだって一緒だろう? ヤクザのぼん?」
じいちゃんは違う。たしかに、今組織の大部分は理念も理想もない。弱きを助け、強きをくじく、男の中の男――男が惚れる男なんてのは映画の中だけの存在だ。
だけどじいちゃんは違う。僕が憧れ、いつかはその背中に追いつきたいと願ったじいちゃんは……。
マシェルはおかまいなしに僕の腹上に座り、頬をゆるめ悦に入る。
「しかして私は、清澄な魂の声に従って宣言する。『神罰代行の勝利によって享ける権利を放棄する』」
マシェルは頼んでもないのに該当する規定をそらんじる。
「『神罰代行者(甲)が、勝利条件を達成したのち、8時間以内に勝利を宣言しなかった場合、もしくは8時間以内に神罰代行の権利を放棄した場合、甲の行った神罰代行は初めから行われなかったものとして扱う』――」
神罰代行は初めから行われなかったものとして扱う。
「じゃあ今回の『神罰代行』は――」
僕の言葉が終わる前に、マシェルは肩をすくめて肯定した。
「なかったことになる」
「い、生き返るんだな!? じいちゃんは戻ってくるんだな!?」
「あっはっは。たわけ」
マシェルの人差し指が僕の額のど真ん中を押し戻す。
「おみゃーの頭はかえるまんじゅうか。死んだ人間が生き返るわけあーせんて」
「そんな、なんで」
なんで名古屋弁。僕は混乱極まって泣きそうになる。
「だーかーら、てめーのジジイは死んだの! そんだけならまだしも、私が『神罰代行』を放棄したことでジジイの死には意味すらなくなったの。分かる? お前のじいちゃんはただ無駄に殺されて、九十九年のなっがーい人生に何も意味も残せず終わったの。おお『神』よ、無駄に死んでしまうとは情けない!」
僕は絶叫していた。
怒りに任せて、九段に飛ばす勢いでマシェルに掴みかかる。
血が昇りきった反攻を、魔女はあっけなく返り討ちにする。
再びマウントを取られる。
そして魔女は、スカートの内から電動ドリルを引き抜く。
「どこから出してんだよ!」
高く掲げられたドリルが太陽の逆光の中に消える。
「あははっ、絶望した? 絶望した? さあ、『神』さま――ゲームを続けよう!」
「ふざけるな! 『神』は死んだ! お前が殺した!」
「お前が『神』になるんだよ! 墨染在天!」
ギュイイイイイイイン!
天蓋を穿つ音で回転。狂ったような笑い声が重なり、穿孔針がじりじりと頭蓋に迫る。
「大人しくドリルをくらえ!」
「うっ……ぐううっ!」
ただの人間にすぎない僕には、魔女の手を抑えるので精一杯だった。
少しでも力を抜いたらドリルにやられる。
小柄な体躯のどこに秘めているのかと驚くような恐ろしい力だ。
「……」
そんな命の取り合いのさなかにもかかわらず、僕の脳裏にはある違和感が急速に肥大化していた。
マシェルはなぜ、今になって僕を殺しにきたのだろう?
今回の『神罰代行』は、このまま期限を迎えていればマシェルの勝利で終わったはずだ。
皇居の半径5km圏内といえば『東京』そのもの。
東京駅も、秋葉原も、新宿も、東京の主要な界隈がほぼ含まれている。
そんなところで『どんな人間にも変身できる能力者』を見つけられるはずがない。
見つけられるはずがないのに、僕たちは勝負を拒否できなかった。
その時点で確実に代行者側が勝利できたゲームだった。
なのにマシェルは、あと1日残して『神罰代行』の権利を放棄した。
それが何を意味するのか。
「…………」
マシェルは『神罰代行に勝利していない』ということだ。
いくら最終目標が墨染征義の暗殺だったとしても、それは今回の『神罰代行』の勝利条件を満たしていない。彼女ら神政メーレイジアの民草にとって書状の拘束力は絶大だ。
どうして勝ってもいないのに『勝利した場合の権利を放棄』できるのか――。
「お前、何を企んでる?」
僕は死力を尽くして魔女に問いかける。
「あーん? 言ってる意味がよく分から――F××K!」
魔女が突然奇声を上げて何か回避する。
のしかかる圧とドリルの脅威が消えた。
直後、風が。
それは風切り音となり、鋭利な閃光が僕の瞼を舐め。
残照は銀。
――切り裂いたのは、軍刀の鈍!
刃が穿った場所に魔女はいなかった。
切れ味の余波だけで、僕のウィッグの前髪が、はらと頬に落ちる。
颯爽と、僕の前に現れた彼女の真紅の髪が遠心力で広がる。
右に三式軍刀、左に鉄鞘を携え。
身の危険を感じて距離をとった魔女と、対峙する。
「怪我はない?」
「姐さん、どうして!?」
ミラヴェル・ロゼラは答えず、背を向けたまま、魔女と睨み合う。
先に緊張を解いたのはマシェルだった。
なぜか彼女面してぷくっと頬を膨らます。
「もう。『デート』の邪魔しないでよね。今日のところは見逃してあげるけどさあ」
手前勝手な言葉だけ残し、鴉羽のマントを大きく翻す。
マシェルを中心にして羽根の嵐を舞い上げた。
一瞬だった。
その嵐に乗じて魔女の姿は忽然と消えていた。
姐さんは緊張した面持ちをようやく解き、ふうと肩を下げる。
神咒『不倶戴天』がタロットサイズのカードに戻る。
「遅れてごめんなさい。まさか貴女のほうにマシェルが現れるとは思わなくて……」
姐さんは僕を支えて優しく立ち上がられてくれる。
うーん、このピンチに駆けつける女伊達っぷり。端正な横顔のコンボに惚れ直しそうだ。
ふと姐さんの動きが止まる。「んー?」と眉を寄せ、妙な顔つきになる。
そして突然、唇を戦慄かせはじめた。
「あ、あるま、様?」
僕もその瞬間、大変なことに気づいた。
女装のこと、すっかり忘れてた。
うあぁ、しまったぁ……。
しかも姐さん、今まで僕だって気づいてなかったよね?
地味に嬉しい、じゃなくて。
姐さんが驚きのあまり固まっている。
いや違う。よく見たら口元を押さえつつ、熱っぽい視線で何事か囁いていた。
「待って。ただでさえ可愛いのに女装って、嘘でしょ、なんなのこれ、私にどうしろと、神様、私を殺す気ですか?」
「……」
姐さんに限って万に一つもないだろうが、気色悪がられなくてよかった。
むしろ禍々しい腐のオーラが出ているのは気のせいだと思いたい。
「そうだ姐さん、じいちゃんは! じいちゃんはどうなったんですか!?」
「え? 征義様がどうかなさったのですか?」
「聞いてないんですか!?」
「その、私は、今朝からずっとこちらについておりましたので」
そのとき、別方向から翠玲が走ってきた。
「あるま君!」
肩で息をして、トイレに行く前より辛そうになっている気がする。
「で、で、電話のこと。本当、なの?」
翠玲にも連絡は入っているようだ。
ならばなおさら、ここで説明や議論をしていても始まらない。
「分からない。早く帰ろう。帰って、確かめないと」
僕がすべきことは、それを自分の目で見ることだった。
(続く)




