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章2(視座№:M1) その3

「どうしたの、翠玲。そわそわして」

尾行(つけ)られてるじゃない。あるま君みたいに自分が監視されるのを受け入れちゃったら気にならなくなるかもしれないけど、私は気になる」

「いや、あれ翠玲についてる監視だからね。墨染あるまはここにいない・・・・・・ことになってるし」

「え……」

 やたら私の背中にチクチク刺さるのはそのせいだったわけ?

 いや、その中にはすれ違う男たちの熱視線もある。

 美少女二人が手をつないで浜離宮恩賜庭園を歩いているのだ。二度見しない男がいたらそいつはなんていうか残念だ。とても残念だ。

 そればかりでなく、外国人観光客に写真をせがまれる。撮り手ではなく、私たちを東京名物と勘違いして被写体になってくれとせがまれるのだ。

 カメラを向けられるたび、あるま君はつないだ手をぎゅっと握ってくる。

「ちょっと休む?」

 気分が優れないのか終始うつむきがちな彼に私はたずねる。

 彼は首を振った。うつむきがちのその顔は……なぜか下唇を噛むように笑っていた。

「東京は人が多すぎるね。バレるかもしれないって思うと、ちょっと興奮してくる」

 呆れた。

 私はつないだ手を離した。

「筋金入りの変態ね」

 私は三歩先を歩いていく。

 でもそれは、彼氏の変態ぶりに呆れたわけじゃなく、先を行くことで海を見ながらお弁当を食べられる場所へそれとなく誘導するためだ。

 良い感じの芝生を発見した。静かで、海もよく見える。

「どう、気分転換にはなったでしょ?」

 私が得意気に言うと、海に向かって伸びをしたあるま君が微笑み返してくれた。

「異世界の侵略者に勝負を挑まれてることも、あと二日もしないうちに墨染組がなくなるかもしれないことも、何もかも嘘みたいだ」

 私たちは手入れの行き届いた芝生の上にレジャーシートを敷いた。

 二人で膝小僧が斜めに交差するように座ると、今朝作ったお弁当を取り出す。

 離れたところには、同じくシートを敷いておにぎりを食べている家族がいる。

「ねえあるま君、私たち、周りから見たらどう思われてるかな?」

「そこが問題だ」

 あるま君は眼球だけを動かして尾行……じゃなくて無断護衛者のいる方を確かめる。

「僕たちはあくまで自然な友達を装わなくてはいけない」

「というと」

 あるま君は真面目な顔で答える。

「おままごとをしよう」

「高校生にもなって何を言ってるのこの男」

 あるま君はろくろを回して弁明する。

「知らないの? 今女子高生の間で本気おままごとが大ブームなんだよ。女子同士ならこれをやらないと怪しまれちゃうよ!」

 嘘つけ。

 私は疑いたっぷりに腕を組んであるま君に言った。

「ふーん。じゃあ『本気のおままごと』ってのを見せてよ」

「分かった。それじゃあ僕が高校生の娘役やるから、翠玲は初めてお父さんに会う彼氏役やって」

「なんで私が男役なのよ!」

 もう遅かった。あるま君には届かなかった。

「ねえ、お父さん、この人が私の彼の翠玲くん」

 何かはじまったんですけど……。

 しぶしぶながら私は正座し、あるま君に対面する。

「む、向かいましたるお父様には初のお目見えと心得ます、手前、生国は東京、世田谷は祖師谷そしがやまかりおります。縁持ちまして、あるまさんとお付き合いさせていただいております。姓は浮葉、名は翠玲と申します。稼業未熟、若輩の身ではございますが、万事万端よろしくお願いなんして、お引き立てのほどお頼み申し上げます!」

 深く頭を下げる。しょうがないでしょ。だって今日はあるま君にとことん付き合ってあげるつもりだし。

「これはつまらないものですが、お口に合うとうれしいです」

 すすすとお弁当を差し出すと、あるま君が言った。

「そこへあるまの許嫁が登場」

「待て! お前なんぞにあるまは渡さん!」

 私は空中を押して扉を開けたことを表現する。オスカー獲れる。

「やめて、私のために争わないで!」

 あるま君が悲劇のヒロインを演じる。もうやだこの男。

「……あ、今の許嫁じゃなくてお父さんのセリフだった?」

 私の忍耐もそこまでだった。

「もう、どうでもいいから早く食べてよ! せっかく早起きして作ったんだから」

「えー、翠玲だってノリノリだったじゃん……て、これ手作りなの?」

「そうよ。ふん」

 あるま君は茶番を中断して、お弁当に興味を示す。

 一口食べるなり、美味しい、と褒めてくれる。

 もう遅いけど、一応嬉しい。

 うふふ。

 あとはほっぺについたごはん粒を取って、私が食べてあげる演出をすれば完璧だ。

 そんな目論見もといご褒美演出を、やはりこの童貞はあっけなく投げ捨てるのだが。

「でも翠玲、包丁握れるようになったんだね。よかった」

 ぽろっと出た彼の言葉に、私は怪訝な顔を浮かべる。

「包丁くらい握れるわよ。子どもじゃないんだから」

「だって、包丁握れないからいつもバタフライナイフ使ってるんだよね?」

 え……?

 そして、私の感覚が停止する。

 あるま君の言葉が呼び水となって、記憶の扉が開かれた。

 『祖師谷一家殺害事件』――。

 あれは。

 クリスマス前の冬のこと。

 都内に住む叔父さんの家族だけが、親戚で唯一交流があったこと。

 叔父さんはIT企業の経営者でお金持ちだったこと。

 叔父さん夫婦は姪っ子の私をとてもかわいがってくれていたこと。

 叔父さんの家には広い庭があり、そこにテントを張って天体観測ができるようになっていたこと。

 泊まりに来ていた私は、叔父さんたちに黙って夜中にひとりで庭のテントに潜り込んでいたこと。

 流れ星を見て、幼稚園で自慢したかったのだ。

 でも結局寝てしまって、寒さに震えて目が覚めたときには深夜だった。

 夜の闇が怖くなり家の中へ戻ると、鍵は開いていた。 

 リビングのテレビはつけっぱなし。

 なのにソファに座る叔父さんは頭からソファのカバーをかぶっていて。

 私が面白がってそれをはぎ取ると、叔父さんは喉を切り裂かれて死んでいた。

 カバーの裏にはべっとりと血飛沫。

 階段にはやはり布団シーツをかけられた叔母さんが。私は気付かず、つまずいた拍子に叔母さんの上に倒れた。右目に包丁を突き立てられた叔母さんと目が合った瞬間、私は気絶した。

 あとからニュースで知ったのは、その家の一人娘は子供部屋で頭蓋骨を鈍器で砕かれて殺されていたらしい。もしテントに潜り込まず一緒に寝ていたら私も同じように殴り殺されていた可能性が高いということだった。

 現場に残された遺留品から外国人が犯人ではないか、また家の構造と家族の人数を知っていること、被害者の顔を隠すようにしていることから顔見知りの犯行ではないかとささやかれたが、結局、犯人はまだ捕まっていない。

「……うぷっ」

 激しいフラッシュバックに、気分が悪くなり、その場でうずくまってしまった。


 私は一人、なんとか近くにある公衆トイレにたどり着く。こんなところ彼には見られたくない。

 水を流して、洗面所の鏡に、自分の酷い顔を映す。

 目の下がとくに不健康だ。首筋を黒い影が渦巻いているように見えた。

「私は……いつまでも、死につきまとわれてる」


 そのときポーチの中で携帯電話が鳴った。


(続く)

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