中
四
それからわたし達はお昼を食べてそこを出ると、また車に乗って走り出した。
目的地まではまだかなりの距離があるみたい。途中にこれまた有名な温泉街があって、ママの提案でそこで一泊してこうってことになったの。
「そうするとわたし、いつまで学校休むの?」
とにかく気になったのはそのことだった。するとママが答えた。
「もう、いいのよォ。学校なんて気にしない、気にしない」
さっき待ってる間にけっこうお酒を飲んだみたい。ママったらすっかり出来上がってるの。
急に笑い出したり、カーラジオから流れる曲に合わせて歌ったりと、大変よ。
そんなことより、学校へ行かなくていいってどういうこと?
そりゃ勉強は好きじゃないからその点は嬉しいけど、これじゃ友達に会えないよ。
親友の里奈にはCDを貸す約束してるし、今度の休みに行く映画の計画もたてなくちゃ。それなのに。
大人ってホント勝手。パパやママの都合でわたしの予定が潰されちゃうなんて、ひどい話だよね。
子供をなめるな! そう言いたいわ。
♪
でもここまできたらもう諦めるしかないみたい。一人で帰るなんて到底無理な話だし。
仕方ない。この小旅行に付き合うしかない。
それで。泊まったホテルはとってもいいとこだった。
パパったらどうしちゃったの? 言いたくないけど家は貧乏。お金に困ってたはず。それなのに。この辺では一番大きくて立派なホテルに入って、最上階の部屋を選んだの。
案内されたそこは天井からクリスタルガラスのシャンデリアが吊り下がって、フワフワのダブルベッドが二つ、大きなバルコニーからは湖が見下ろせて。窓からは息を呑むような景色が広がっているの。
♪
わたしはママと早速温泉に入ることにした。天然の鍾乳洞を利用して作られた地下の露天風呂。
温泉がここの売り、だそうだから豪華でいい感じなの。平日だし、まだ時間も早かったせいか、わたしとママ以外そこに人はいなかった。ひろーい浴槽を独占出来るんだもん。そりゃいい気分よ。わたしとママはお互いの背中を洗いっこなんかして。ふざけて笑ってた。
でもねママはお酒が切れてきたのか、だんだん不機嫌になってきたの。
そういう時のママって最悪なの。近づきたくない。下手に声を掛けたら最後、何のかんの理由をつけて怒り出すんだから、触らぬ神にたたりなしよ。
そしてついにママは暗い顔して黙り込んでしまった。もう二コリともしないの。
チャポーン。水滴が湯船に落ちる音が怖いくらい大きく響き渡ったわ。
ママは完全にうつ状態になってた。
温泉につかってるその姿は、まるで首だけが浮かんでるようで、怖いったらない。何を考えてるんだろう? 苦しそうな表情を浮かべているの。
すると、唐突にわたしの目に見えてきたものがある。そう。例のマボロシが始まったの。
ママの周りを黒い霧のようなものが取り囲んでいた。それは次第に形をとり始めて、とぐろを巻いた蛇のようになった。
それがママを締め付けていく。ママは苦しそうに眉間に皺を寄せ目を閉じている。
さらに見続けていると、蛇の頭が人の顔になっていくのが判ったの。驚いたわ。だってその顔に見覚えがあったんだもの。
それはおじいちゃんだったの。確かにそう。ママのお父さん。つまりわたしのおじいちゃん。
思えばおじいちゃんとはずっと会ってない。忘れちゃうくらい前に電話で話したきり。
よく知らないけど仲が悪いみたいなの。だからかな? おじいちゃんの顔を持つ蛇がママを苦しめているのは。
わたしはどうすることも出来ずにそのマボロシを見つめてるしかなかったの。
♪
ホテルの食事も豪華だった。
テーブルにずらっと、見たことも聞いたこともないような珍しい料理が並んでる様子には圧倒されちゃった。
そしてまた不安になったの。だってこれ全部で幾らになるのかしら? 子供のわたしが心配することないのかもしれない。けどやっぱり気になっちゃうわ。何度も言うけど家はお金に困ってるはずだもの。
「最後の晩餐だな」
するとチキンの照り焼きを頬張りながらパパが一言もらしたの。
最後の晩餐って、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵で有名なはりつけにされる前、キリストが弟子十二人と共にとった夕食のことでしょ。
やだ、何で今そんなこと言うのかな。不吉な感じ。
ママはそれを聞いて苦笑いしてる。そしてワインを一口。
豪華で楽しいはずの夕食を家族三人は暗い顔で過ごしたの。
♪
そんな豪勢な夕食が終わると、パパとママはホテル内にあるバーへお酒を飲みに行った。
「ユウもどうだ、行くかい? 今夜は特別だ。何、チップを払えば子供だって入れてくれるさ」ってパパはゆうけど。
わたしは丁寧に断った。久しぶりの夫婦水入らずの場に割り込むほど野暮じゃないし。それにこれ以上、酔っ払ったママに付き合うのはうんざりなの。疲れちゃった。一人になりたい。
それでわたしは一人で、最上階にある広い部屋にいる。壁一面の窓から見える夜景の綺麗なことといったらどうだろう。思わず息を呑んじゃう。
ルビーとかサファイアとかダイヤとか。暗闇にばらまいて光りをあてたらこんな感じになるに違いない。いい気分。
でも高揚した気持ちもすぐにしぼんじゃう。で、気になるのは今後のことで。
パパとママがわたしに隠し事をしてるのは確実だと思うの。でもそれを二人は話そうとしない。わたしにとってショックなことだからかな? うん。きっとそうに違いない。
わたしは考える。親友の里奈のこと。クラスメイトのこと。気になってる男の子のこと。
小学生の頃はずっと学校が嫌いだった。でも里奈に会ってから全てが変わった。
別に何でもないことだったのだ。ちょっとしたコツさえつかめば、みんなの輪に入るのは簡単なことだった。それを里奈は教えてくれた。
大事な親友。やっと手にすることが出来た楽しい学校生活。
このままじゃそれを失いそうな気がする。嫌な予感。
それらをなくしたくない……絶対に。そんなことを考えているうちにわたしは眠ってしまったの。
♪
静かだった。ベッドにうつ伏せになって寝ちゃってたみたい。
窓の外は暗い。さっきと同じ。と思ったら、違ってた。どこがって? 窓の外の夜景。窓灯り、ネオン、車のヘッドライト、街路灯。そうした光りが全く無くなってた。
ほんとに何も無いの。停電なのか、とにかく不穏な感じがした。
パパ! ママ!
部屋には誰もいなかった。
時計を見たわ。午前二時半。こんなに遅い時間なのに、まだバーから帰っていないなんて!
そして気付いたの。時計の秒針が止まったまま動かないことに。
ああ、またアレが始まったんだわ。
アレ……わたしだけが見ることの出来る、マボロシ。
急に室内の空気が変化したのが判った。暑いのか寒いのか、ねっとりとまとわりつくような、水の中にいるような感覚。耳の奥がツーンとして何も聞こえなくなったの。
息苦しい。部屋を出ようと思った。ドアを開けて廊下に出て、驚いたわ。
だって左右どっちを向いても、廊下がずーっと伸びていて終わりがなかったから。そう、廊下が無限に伸びてたの。
怖くて先へ進むことが出来なかった。だってそうでしょ? 元の部屋に戻れなくなったら困るもの。
でももう遅かったみたい。
振り返ったら、今、出てきたドアがゆっくりと薄くなっていくところだった。そして、ついには消えてしまったの。後には何もない只の壁があるだけ!
残ったのはまっすぐに伸びた一本の廊下。そこにわたしは一人ぼっち。
こんな心細いことってないよ。泣き出しそうになっちゃった。どうしたらいいの?
しばらくすると何かを感じた。正体の判らないものが近づいてくる気配に胸が圧迫されたように苦しくなる。
わたしは通路の奥に目を凝らしたわ。
すると奥から順番に廊下の天井のライトが消えていくの。ポンポンポン、とまるで音をたてるみたいに一つ一つ順番に消えていく。それはまるで暗闇が生命を持って、こちらに近づいてくるようだった。
怖かった。このままじゃ暗闇に飲み込まれてしまうわ。
そしてそのまま、どうすることも出来ずに、ついにわたしの頭の上にあるライトも消えてしまったの。
暗闇。それは正真正銘の暗闇だった。
何も無い。上も下も右も左も。引力のない宇宙に浮かんでるみたい。あるのはただ、暗闇だけ。
不思議なのはだんだんと恐怖感が消えていったこと。慣れてきたとかそういうんじゃない。何も考えられなくなってくの。
体の感覚が無くなって。手も足も失ったみたいな感じ。このままわたしは消えてしまうんだ。闇と同化してしまうんだ。そんな風に思った。
♪
そこで目が覚めたの。部屋の中は差し込んだ朝日の白い光りで充たされてた。
自分の体を確かめた。足、おなか、胸、顔。大丈夫ちゃんとある。闇に呑まれてなんていない。
ベッドにはパパとママが寝てた。静かな寝息も聞こえてくるの。
良かった。こちらの世界に戻ってこれたんだ。
でもね、わたしの不安は消えなかった。アレは何かの前触れじゃないか、って思ったから。わたしの本能が迫ってくる危険を告げている。そんな気がしたの。
ベランダに出ると夕焼けみたいな朝日を受けて、湖や小さな街が赤く染まっていた。空は不思議なピンク色をしてる。
綺麗というより、それはとっても不気味な眺めだった。
五
ホテルをチェックアウトして、さらに車での旅は続いたの。
パパはより一層、神経質な暗い顔になってハンドルを握り、ママもずっと黙り込んでる。二日酔いかしら。
わたしも口を閉ざしたまま。もう質問する気力もないの。
気がつくと外の景色は、家とかが減って、代わりに畑と空き地が多くなっていた。
大きな牛舎が現れて、牛が一斉に走ってくるのを見た時はあせったわ。
その日はとにかくずっと車の中にいた。昨日みたいにどこかに立ち寄るってことがなかったの。それもそうよね。だって寄り道するような場所すらないんだもん。
車を降りたのはご飯を食べる時くらい。高速のサービスエリア。
昨日のご馳走は何だったのかっていうくらい、今日は地味。お昼ごはんは一杯五百円のラーメンよ。
トラック運転手のおじさん達がいるくらいのもので、そこは閑散としてた。
食べるのが早いパパは爪楊枝で歯の間を掃除しながら外を見てる。すると急にその顔が真っ青になって、額には珠のような汗が浮かび始めたの。
「さあ、もう出よう」
落ち着きをなくした震え声で、パパは立ち上がる。
「あら、そんな急がないでよ」
ラーメンをまだ食べかけのママが抗議の声を上げた。でもパパは無視。
「行くんだ。早く、さあ立って!」
窓ガラスの向こうにわたしは見た。駐車場にぽつんと立つ黒服の男を!
夜中に出発した時に、マンションのホールに立っていたあいつ。
服装、シルエット。何より全身から立ち昇る禍々しい気配は確かにあいつに間違いなかったの。
どうして奴がここにいるの? 後をずっと尾けてきたのかしら?
パパはわたし達を追い立てて、ワゴンに乗るとアクセルをふかし、急発進した。
やっぱりそうなんだ。わたしは確信した。パパは黒服の男から逃げているのだ。
♪
制限速度いっぱいで、車は走り続けた。真剣な表情で運転に集中するパパの様子から、追い詰められた精神状態が手に取るように伝わってきたの。
黒服の男から逃げるのに必至なのね。もう余裕ぶっこいてるひまなんてないんだわ。
いつのまにか高速を降りて、車は枯れ木が点々と並ぶ荒野のまっすぐに伸びた一本道を走ってた。
もう建物なんてないし、行き交う車さえも見かけない。そんな場所。ってかここは日本なの?
北へ向かってるみたい。エアコンが効いてるにも関わらず、車内は寒くって、わたしとママは後部スペースに積んであった毛布を出すとくるまった。
太陽が傾いて山間の向こうに沈もうとしてる。照らされて赤く染まった大地を車は進む。
まだ心配なのか、パパはしつこくバックミラーに目を向けて後ろを確かめてる。
つられてわたしも確かめたけど、大丈夫。追ってくるような車は見当たらない。まくことに成功したんだわ。
でも日が落ちて辺りが暗くなっても、パパは車は止めることなく疾走を続けたの。
六
車内の揺れが激しくて、わたしは目を開けた。
「ここはどこ?」
うとうとしてたみたい。すでに外は真っ暗。何にも見えないの。
車はなおも激しく揺れて、どうやら坂道を登ってるようだった。いや違う。山を登ってるんだわ。
突然、視界がはれて、下に宝石のように輝く街の全景が見えたの。
けっこう高いところまで登ったみたいね。いったいどこまで行くんだろう。
パパもママも、もう何も言わない。ずっと黙り込んでる。
わたしは言いようのない不安にただ震えたわ。
♪
それから約一時間後、ついに車は停まったの。
「さあ着いたぞ。ママ、ユウ、降りて」
パパに言われて外へ出る。
「寒ーいっ」
わたしとママ、同時に声を上げる。夜、しかも山の上だもん。当然だよね。
「ねえ、どうするのこんなとこで」
わたしは聞いたの。
「何言ってんのよ、ほら、あすこに泊まるのよ」
「えっ?」
暗くてよく判んなかったけど、ママの指をさす方を見ると一軒家のシルエットがあったの。
近づくとそれは丸太で作られたロッジだった。
「ここが僕ら家族の新しい家になるんだよ」
パパが言った。
六
朝になってわたしは改めて、昨夜初めて訪れたこのログハウス調のロッジの中を眺め回したの。
部屋が幾つくらいあるんだろう?
二階に六室、一階には大きなリビングがあって、トイレ、お風呂も大きくて綺麗だった。
そうなの。家自体が出来たばかりって感じで、壁も床も染み一つないみたいなの。
わたし達三人が泊まるには広すぎる。そう、無駄に広すぎるって感じなの。
ドアを開けて外へ出る。寒い。それも当然だった。だって四方を取り囲むように並ぶ山脈のてっぺんはどこも白い笠が被ってたんだから。
もうここは冬なんだわ。
薄曇のグレイの空の下に広がる大地は、灰色の森と岩場ばかりで、暗く沈んだ色をしてる。いかにも北国って感じ。世界の果てに来ちゃったんだって気がした。
ここが旅の目的地だったの? それにしては随分と淋しくて、何もない所だった。
その後パパと近くの村まで車で行くことになった。
車中、わたしは聞いてみたの。
「ねえ、昨日の夜、ここがわたし達の新しい家って言ったでしょ? あれってどういう意味?」
そうなの。あの言葉、気になってた。パパは言ったわ。
「いや、言葉どおりの意味だよ。これからここに住むようになるんだから」
「住む……。ねえパパ、いつまでここにいるつもりなの? わたし、学校をそんなに休んでいいの?」
「ああ、うん」
どうしてかな。パパは急に口が重くなって、はっきりとした答えを返してくれないの。
「ねえ、里奈にも会いたいの。遊ぶ約束だってしてるんだから」
「里奈?」
「そうよ。わたしの親友、里奈よ。いつになったら会えるの?」
「ああ、そっかそっか。うん、うん。会えるさ、そりゃまたいつかね」
パパの様子はやっぱり変だった。まるで何か隠し事をしてるみたいに。
「そんなことよりさ、ユウ。ここが有名な観光スポットって知ってるか?」
気をそらそうとするように説明を始めた。
♪
パパによるとここは知る人ぞ知る、通受けする観光スポットってことらしい。よく判んないけど。
湖があったり、滝があったり。登山やキャンプをするのにも丁度よくて。夏は登山、冬はスキーと一年を通じて楽しめる所らしいわ。シーズンは観光客で賑わうんだって。
話し振りからするとパパは随分とここを気に入ってるみたいだけど、わたしにとってはどうでもいい。早く帰りたいだけなの。
車で二十分くらいで村についたわ。
小さな村。でも思ったよりも清潔な感じだった。
ほとんどの家が、お土産物屋とか定食屋とか旅館とかで、村の財政は、観光客によってもたらされているんだって判った。
パパが用事があるっていうんで、わたしは一人でこの辺を歩いてみることにしたの。
小さな駅前の通りを外れると、民家が並んでてその先に学校があった。
木造立ての小さな学校。きっと通ってる子供の数なんてたかが知れてると思う。通ってる子はどのくらいいるのかしら? ひょっとしたら全生徒で一クラス分の人数がいるのかさえ疑わしいわ。
赤茶けたガラス窓、その向こうに子供らしき影が動くのが見えた。そうか、今日は平日だもんね。授業中なんだわ。さらに近づいて、中の様子を確かめたの。
いかにもいなか然とした雰囲気の子供たちの姿に、いやな気持ちになる。もしわたしがここに通うことになったとしたら、また学校嫌いに戻っちゃうと思う。友達も出来ずに、一人ぼっちになるに違いない。
その後は、スーパーで数日分の食料や雑貨類なんかを確保して、わたしとパパはロッジに戻った。
♪
眠ってた。
変な物音に目を覚ますと、カーテンを透かして外は青白い光りに満たされていた。
何かに呼ばれたような気がして立ち上がり、窓の前に立った。
信じられない。眠っている間に何が起こったんだろう?
空には丸い、電球のようなお月様。その光りに照らされた大地は一面、白い絨毯が敷かれていたようになっていた。
雪。それは雪だったの。
十二月。
ここは多分、北の方。しかも山の上だから雪が降っても不思議じゃないけど……。
突然だったからびっくりしたの。だって寝る前まではそんな気配、少しもなかったんだもの。
今は何時なの? 時計を見ると午前二時半だった。
とすると眠っていたのは五時間くらい。その間に雪は降ったのね。そして今はその雲も晴れて、月が出ている。
雪は音を吸収するって言うでしょう? だからかな、とっても静かだった。ツーンと耳鳴りがしてるみたいに。
これは現実? 不安になった。また例のマボロシを見てるのかもしれない。
っていうのも自分の体が浮いてるように軽く感じられたからなの。体が無くなって意識だけがある。ほら、何て言うんだっけ? ゆーたいりだつ? そう、そんな感じなの。
そして、窓というスクリーンに映し出された光景を見つめている。決してその中へ入ることは出来ない。
するとそのスクリーンに誰かが入ってきた。見覚えのあるシルエット。それもそのはずよ。パパだったの。
いつの間に起きだして、外へ出たんだろう?
ゆっくりとおぼつかない足取りで歩いてきたパパは、立ち止まった。月光が照らす、雪の大地の上。ぽつんと取り残されたみたいに、どこか頼りなく。
パパは誰かを呼んでいるみたいに見えた。いや、それとも逆に誰かに呼ばれているのかもしれないわ。
……?
最初パパが二つに分裂したのかと思った。アメーバーみたく。
でも違った。もう一人、パパの横に誰か別の人が立っていたの。
いつ、どこから現れたの? その人は空中から浮かび上がるようにして、突然にそこに現れたの。
黒い姿をしたそれは男だった。本当に頭のてっぺんから足先まで。全てが黒いの。
すぐに気付いた。それがわたし達を追ってきた、あの黒服の男だってことに。
どうして奴がここにいるの? 確かにまいた筈なのに! 判らない。でも奴はそこにいる。特殊な能力でも持っていて、ここを探し当てたのかもしれない。
不思議なのはパパがそいつと平然と向き合ってることだった。あんなに怖がってた相手なのに。
パパと黒服の男、向き合って何をしてるんだろう?
黒服の男が近づいていく。そしてついにパパと重なって……そして二人は同化した?
そして次の瞬間、パパは倒れていた。
黒服の男の姿は消えてた。もう跡形も無くなってるの。
……何が起こったの? 判らない。でもとにかく悪いことが起こったんだわ、それだけは判ったの。