第8話:イリィ=ポリス~city of forest~
気付くと、いや気付くという表現も憚れるような、一方的に、強制的に意識を覚醒させられたような、それでもって微睡の中にいるような、そんな不思議な感覚がシャルルを襲った。
それは不快でもなく快くもなく……というよりそのような感覚がこの世界に残っているのかも疑わしかった。
こんな世界に引き込んだ主には……心当たりがあった。誰とは言えないのだが心当たりがあるのだ。その辺もこの世界のようにぼんやりとしていた。ただ、随分と久しぶりにこの世界に引きずり込まれた……気がする。
――少年……でもなくなったか。しかしまだボクからみれば少年だから少年でいいかな?
―勝手にしろ。
――この世界の記憶はこの世界に来なければ復活しない。現実の君はただ夢を見た。とだけしか認識できないんだ。だから不思議なのかもしれないね。
こちらのことなど全て見通しているのだと言うようになんでもない独り言のような感想にまでコメントしてくる存在。これがこの世界の主でシャルルを引きずり込んだ張本人、と予測を立てているのだが。
――そうさ! ボクがこの世界の創造主で君を招待したのさ! 少年、君はとても興味深い存在からだからね! 時々現世から招待するんだけど大抵はパニックを起こして沈んでいくんだ。つまらないよね。ボクと会話してくれるのなんてごく僅かさ。その中でも君は君の現実と同じように思考し続けられる! なんとも面白い存在じゃないか!
―大抵の奴は沈んでどうなるんだよ
――自分を認識できずにそのまま何をしているのか自分がパニックを起こしているのかもわからないまま死んでいくのさ・・・おっと、これは君に聞かせるまでもないことだったね。ボクとしたことがちょっと口を滑らせてしまったな。
―おい……そんな物騒な世界なのかよここ。
――大丈夫。本当の意味で死ぬわけじゃない。ただちょっと廃人になるだけだよ。
―死ぬよりひどいな。もう呼ぶなよ。帰してくれ。
――ちょっとそれはできないかなぁ。だって……少年、ボクはちゃんと忠告したのに動き出しちゃったしね。
口調、態度は変わっていないのに急に纏う雰囲気だけガラッと……強大な者の圧倒的な、つい跪きたくなってしまうようなものに変わった。
―ふん。べつにこの国をどうこうしようってわけじゃない。ただ仕事の依頼を終わらせてまた元の生活に戻るだけだ。
――それはムリだよ。もうこの国は変わろうと……いや、終わろうとしている。その流れを早めるも別の方向に持っていくも、少年、君次第だ。少し経てばわかる。君が中心に世界が動くことになる。とてもとても寂しい英雄としてね。
―ばかばかしい。仕事が原因で動いてもこの付近だけだ。片田舎がどうかなったとこであの帝都が崩れるモノか。
――まあいいよ。今の君にわかれというのも酷な話さ。ただ・・・理解できたら、帝都までおいで。帝都の中心の中心まで。そこに君が知りたいことは全部ある。もちろんボクだって待ってるさ。恋する乙女のように健気に待っててあげるよ。
―男か女かもわからんような奴に待たれたってな。理解する日は来ないと思うからそのまんま待ちぼうけさせると思うぜ。
そういうと輪郭も曖昧なあの影は……見えないはずなのに寂しそうに微笑んだ。・・・なぜ。
――もう今日は時間切れみたいだよ。さあ、行っておいで。君のいるべき場所へ。君のするべきとをするんだ。
イマイチ味方か敵かわからない。
――そしてボクのところにはやくおいで。
そしてニタァと……ただし今回は無理やり作ったような顔で送り出した。
シャルを送り出し、影が一人になった真っ暗な世界。
――だって、その仕事を依頼した本人が崩そうとしているんだよ。どうかなるに決まっているじゃないか。そして少年、君はいつ彼の掌から飛び降りて自分で動き出すのかな? ボクは……とてもとても楽しみだよ。
そしてニタァっとやっと影らしくシャルルが消えて行った方に向かって嫌な笑みを浮かべ……すぐに悲しそうな笑みに変わるのだった。
それは今にも泣きだしそうな表情で……。
――少年……いや、シャル。早く逸れるんだ。君は君の道を……。
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祭りも終わり街は後片付けに追われて祭が終わったあとの、その独特な寂寥感に包まれている。それは祭に何らかの形で関わったものが全員共有しているものであり、この5人もまたその中の一人であった。
「終わっちゃったね」
呟くユリアがうなだれる。何があっても元気な彼女も今日は少し寂しそうである。
「そう寂しそうにするでない。始まりがあれば終わりがあるのじゃ。それはこの世の理。諦めい。」
アスタルテが励ましているのかイマイチわからない言葉をかける。
「それに、毎日がお祭りだったらこんなに楽しくないと思いますよ。やっぱり非日常を演出するからこそあんなに楽しめるものなんだと思いませんか?」
「毎日がお祭りなちょっとイッちゃってる奴もいるけどな。そいつらがまともな生活を送っているかは甚だ疑問だが」
イズーナの励ましに納得の表情を浮かべたユリアがシャルの声に顔を輝かせ振り向く。
「あ、おかえり~。どうだった?」
「全然ダメだった。そっちは?」
「私たちもダメだった~。あーもう! なんでなのよ!」
ユリアが八つ当たりで足元の土を蹴る。
現在5人はシャルルと他の4人で分かれてそれぞれ移動手段の確保に奔走中であった。あったのだが……なかなか上手くいかずにこうして祭りの寂寥感に包まれ現実逃避中の最中であったのだ。
「これからイリィに行こうって行商人が少ないし、その中で5人も世話できるほど余裕があるとこなんてほとんどないしなぁ」
「用心棒するって言っても雇う気がある人は最初から雇ってますし……私たちが闘えるかも疑問視する方も多いみたいで……」
「甲冑なんて旅には邪魔だっての!! あんたらまとめて吹き飛ばしてほしいの!? あーもぉ!!」
最後にはこんな感じで……。と首を横に振り諦め顔のカレン。
そんな二人をみてため息を漏らすアスタルテをみつつどうするかなぁとシャルルは今後の見通しを立て直し始める。
と、その後ろを一台の荷車が通るのにユリアが気付く。
「ちょーっと待った!」
「っぶねーな! 何やってんだ!」
馬車が飛び出したユリアのギリギリ目の前で止まる。
「ねぇ、これからイリィに行く予定ない? 行くんだったらちょっと腕が立つ5人も一緒に連れてってほしいんだけど」
怒りの形相で馬車から降りてきた行商人にまくしたてる。
「あぁ? イリィ? あんなとこ今から行く奴なんてワケアリか死にたがりかよほど金に困ってる奴だろ。それに一昔前ならいざ知らず今の時代に用心棒なんかいらねぇよ。それにいるとしたって嬢ちゃんみたいなのなんて雇わないよ」
「はぁ!? 私ここの街の精鋭部隊よ? 私らより腕利きなんてそうそういないと思うんだけど!?」
ムキになり言い返すユリアだがなぜか本当の事を言っているように見えない。
「わかったからどきな。商売は速さが勝負なんだ」
行商人も手で追い払い、馬車を再び走らせる。
「バーカバーカ!」
その後ろでユリアが口をイーッとして罵る。
「ユリア姉さん、もうやめなよ……」
「こんな感じで大体交渉にもならんかったの」
……頭痛くなってくるな。とシャルルが頭を抱えていると後ろから気弱な声が5人にかかる。
「あのすみません……」
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「イリィ=ポリスは元々排他的な土地なのです。その排他性はこの国が建国された時から続くのだとか。そのせいか特産物、周辺国との関係などなど、かなりの情報が庶民には周知されておらず行商人の間でもイリィに行く時はそれなりの覚悟を持って行く人ばかりです。」
そう講釈してくれているのは気弱な声でイリィへの同行を許可してくれた行商人であった。名をアルノーと名乗った。後ろの台車には彼の妻と子供がイズーナ達と談笑を交わしている。
「そんな危ない国へ行くんだな」
妻と子もいるのに、と言外に含んだシャルルの言葉であったがアルノーは笑って答えた。
「私たちは、その……皇帝お墨付きの行商人でしてね。身分が保証されているんですよ。だから行けますし、あなたたち5人も無事にイリィに入れさせることができる算段がつきますけどね。普通の行商人でしたら行きたいところではないですねぇ」
「そうか……運がよかったんだな」
皇帝お墨付きの行商人に同行させてもらえたこと、随分と大きい商売をしているみたいでコンテナと呼んでも差し支えないような大きな台車を曳いていたこと。さらにその行商人は品をイリィに取りに行くので馬車に余裕があったこと。行けるかどうかだった状況を考えればできすぎである。
「税の取り立てが厳しいですけどねぇ。身の補償金と割り切って払ってますよ。死ぬのは嫌ですからねぇ。それにしてもイリィでは今、治安が悪いのによく行こうとしますね」
「まあ、人探しでね。それより治安が悪いってどういうことだ?」
何も知らないふりをしてどこまで一般市民まで情報が流れているのかを探るシャルル。
「それがどうにも人さらいが起きているみたいなんですよ。それも両方」
「ん?両方……てどういうことだ?」
「イリィではエルフと人間が住んでいるのですが、いつからか奴隷制が始まってしまって。エルフの奴隷を持つことが望ましいとされてきたのですよ。力あるものは多くのエルフ奴隷を持っていると聞きます。その奴隷制に反対するエルフたちが人間の子供を攫っている、という噂だったのですが、エルフの方も子供が攫われているみたいで。制度が制度ですからお互い疑心暗鬼になっちゃって、イリィでは一触即発の事態みたいですよ」
「ふーん……随分と詳しいんだな」
「まあこれでも行商人やってますからね。噂話は早く耳に届くんですよ。それが自分の身の危険につながるようなことなら特に」
何か嫌な思いをしたことでもあるのかアルノーは遠いところを見つめるようであった。
遠いところを見つめれば近くがおろそかになるのは当たり前で……。
馬の制御を誤ったのか急に止まる馬。跳ね上がる馬車。重なる悲鳴……。
泣きわめく子供をアルノーがなだめ、興奮する馬をアルノーとその妻が宥めている間に横転した台車をおこしていると既に日暮れが近かった。
「すみません、皆さん」
「問題ない。どうせあと一回の野宿は避けられなかったのだ。明日には着くのだろう?」
「はい。明日の夕方くらいには着くと思います」
「やったー! 明日はお風呂に入れるよ! 何日ぶりだっけ?カレン」
「3日ぶりですね。しかしフォスを出て改めて思いますけど私たちの街ってけっこう孤立してますよね……。これで一番近い街だなんて……」
一番近いという理由で行先を決めたイリィだがそれでもシャルルたちが出発したフォスを出てすでに2回目の野宿であった。
「今日も夜の見張りはシャルがするのですか?」
「あぁ、イズたちは朝昼夕に頼みっぱなしだしな。それにどうしても気になるんだ」
「誰かに見られてる気がする、ですか。私たちは何も感じませんけどね……」
昨日の夜からそれに気づきイリィに近づくにつれて強くなるのだがシャル以外にはわからないらしい。森も深くなりそのせいで自分以外気付かないのか。しかしそれだと自分が気付くのはおかしいと堂々巡りでもどかしい気もするし自分が敏感になりすぎているとも思えるが用心しておくに越したことはないのだ。
「アスタルテは?」
「アスタルテちゃんは……」
「顔を青くして呻いて横になってるよー。まさかアスタルテがこんなに乗り物に弱いなんてねー」
最強の神だと自称するはずのアスタルテは馬車での旅が始まって1日目から乗り物酔いをおこし死んだような顔で過ごしているのだった。
普段の言動が言動なのでいい気味だとも思うのだが、アスタルテが万全でない状態で戦闘になってしまったら契約状態にあるシャルルにどう影響が出るともわからないので今後の移動手段に悩まされるシャルルであった。
「おはようございます。シャル」
「ああ、おはよう。じゃあ昼になったら起こしてくれ」
特に異常はなく朝を迎えたシャルはイズーナが早朝に起きてくると同時に台車に上がり寝息を立てるのだった。
「もう……せっかく二人きりなれたっていうのに……」
イズの愚痴など聞く間もなく夢の世界へ旅立ったシャルにいたずらしたい気持ちもあったが空間的には二人きりではないので抑え、朝食の準備を始めるイズーナ。
「……二人きりだった孤児院暮らしが懐かしいですね。そんなに前ではないですのに」
「そこの馬車。止まれぇい!」
完全に森の中、という地点。急に検問所が見えてきた。
事前に後ろへと言われていたシャルルたちは後ろのコンテナで待機。アルノーの妻と子どもだけが姿を見せる。
どうやらアルノーの言っていたことは本当のようでコンテナの中など調べられたりせず、シャルルたちがみつかることもなかった。
「ここでいいですかね」
検問所から離れ、近くに民家もない絶妙な位置でアルノーが後ろを、つまりシャルルたちを見やり言う。
「あぁ助かったよ。ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ。おかげで無事にここまでこれましたよ。できればこの後も御一緒で来たらいいのですが……」
「こっちは何日滞在することになるかわからないからな。気持ちだけありがたく受け取っておくよ」
「そうですか……。残念です。では! 人探し、見つかるといいですね」
「ありがとう。アルノーもいい商談になるといいな」
「はい」
他の四人も思い思いにアルノーの妻や子供と別れの言葉を交わす。
「では!」
アルノーが馬車を走らせアルノーの妻が会釈。子供は見えなくなるまで手を振っていた。
「そういえばシャルー。今回あの子とあんまりお話ししなかったねー」
馬車が見えなくなるまで子どもと同じように元気よく手を振りかえしていたユリアが問う。
「普段、孤児院やって子供の世話させられてるんだ。なんでこの旅の間も子供の世話をせにゃならん」
「見張りでタイミングがなかなか合わなかっただけでしょう、もう……あんなに夜に布団をかけ直してあげてたのに意地っ張りなんですから」
イズーナが何か言ってくるが無視し、あたりを見回す。
「や……やっと馬車に乗らなくて済むのかの……。もう馬車は嫌じゃ……。もう嫌じゃ……。今後馬車に乗るくらいなら歩いていくんじゃからな……いいか……」
ゲッソリしたアスタルテがカレンに支えられながら恨み節をぶつけてくるのも無視。
「さて……イリィに着いたはいいがどうしたものやら」
とどっちに行こうか決めかねていたシャルルが一点を見て静止。
それに気づいた4人もシャルルがみている方向へ目を向ける。
そこには一人の男性と、一人の女性―しかし見るからに人間ではなく耳が長いのでエルフであろう―が立っていた。
一瞬前には何もなかった場所にだ。
「誰だ」
敵意もあらわに問いかけるシャルル。
相手は落ち着いた素振りで一礼し、エルフは、その衣装の両端を持ってお辞儀した。
「お待ちしていました。シャルルさん、イズーナさん、ユリアさん、カレンさん、アスタルテさん。フリードリヒ様からご紹介承っております。どうぞこちらに」
そんな話、シャルルたちは聞いていない。
しかし他に行くあてもなくシャルルたちは二人の傍に行き、景色に飲まれた。
一瞬前まで7人がいた場所には今は誰の姿も見つけることはできない。
誰にも見られることなく謎の二人は姿を現し、シャルルたちを巻き込んで誰に見られることも無く消えたのだった。