コンビニの小鬼
一番最初にその緑色の小鬼を見かけたのは十二月中旬の月曜日、午後八時五分。
隈弥が通う学習塾の前にあるコンビニの、ガムなどを置いてある棚の上だった。食玩のフィギュアがこんなところに紛れ込んだのかと思って、手を伸ばす。
食玩類のおまけをレジを通す前に確かめてから買おうとする者は、意外に多い。店の側からすれば万引きなどと同じく窃盗と変わらない迷惑行為なわけだが、そうと知るつつも平然と無法な真似を行う者は、意外に多い。食玩にもフィギュアにも興味がない隈弥自身はやったことはないが、コンビニやスーパーでそうしている現場を、隈弥は何度か目撃している。
すると身長十センチほどの緑色の小鬼はいきなり身じろぎをし、小さな棍棒をふりまわして隈弥に向かって歯を剥き出した。
隈弥は、目を丸くする。
「生きているのかよ、これ!」
小さく叫んで、すぐに周囲を見回す。
隈弥に注目している者はいないようだ。どこに仕掛けられているのかよくわからない防犯カメラには、挙動不審な隈弥の様子が記録されているんかも知れないが、隈弥はそこまで警戒しているわけでもない。
なにより、隈弥自身、大人にとがめられるようなことをなにもしていない。
ただ、この、緑色の小鬼という、不可解なものがこの場に存在しているということについて、ひどく不審に思っているだけだ。
隈弥としては、今、不用意に大人たちの注目を浴びていなければ、それだけでよかった。
「お前、どこから来たんだ?
どうしてこんなところにいるんだ?」
隈弥は、声をひそめて緑色の小鬼に囁いた。
緑色の肌色をした、半裸の小鬼。ぼろ布を、腰のみのように体に巻いて局部を隠しているだけのまっぱだか。頭のてっぺんに角が生えているのだから、やはり鬼の一種なのだろう。
その緑色の小鬼は、隈弥に向かって歯を剥き出しにして威嚇してくるだけで、意味のある言葉を吐かない。逃げもしない。
「いっけね!
バスの時間!」
しばらく緑色の小鬼とにらめっこをしていたが、隈弥はすぐに我にかえる。
このコンビニの前から隈弥の自宅近くにまで、路線バスが走っている。そしてこの八時十分発のバスを乗り逃がすと、次のバスが来るまで三十分以上待たされるのだ。待たされてもコンビニでマンガ雑誌などを立ち読みして時間を潰せばいいようなものだが、帰りが遅くなると両親に盛大に怒られる。
だから隈弥は、緑色の小鬼が気にならないわけではなかった、その日はなんの買い物もせず、急いでバス停まで戻ることにした。
「うっそでぇ!」
翌日、学校で隈弥は、級友の翔太にコンビニにで出会った小鬼のことをはなした。当然のように、翔太は隈弥のいうことを信じなかった。隈弥自身も、例えばこの翔太から同じ内容のことを聞かされたとしたら、絶対に信用しなかっただろう。だから、翔太が信じてくれないこと自体は、実は、どうでもいい。
「ほんと、ほんと」
それでも隈弥は、嘘はついていないと翔太にアピールした。
「だからさ。
翔太が持ってるお下がりの携帯、貸してくれないか?
今夜もあの小鬼がいたら、それで撮影してくるから」
翔太は父親が昔使っていた携帯を持っている。機種変しているので、今はもう電話としては使用できない。カメラもそこそこ高性能だったし、音楽も聴くことが出来た。学校に持ってくるのは禁止されているが、翔太は何度か自慢げに隈弥をはじめとする級友たちにその携帯を見せびらかしていた。
「え? あれを?
そうか。
それが目当てか」
「目当て、っていうか、本当にいたんだって。
緑色の小鬼が。
これくらいの大きさで、ガムの棚の上に……」
「だから、信じられねーって!
他に、それを見たやつ、いねーのかよ!」
「いねーよ!
おれだけだったんだよ!」
「それじゃあ、証人作れよ。しょーにん。
隈弥の他にそれを見たってやつがいたら、携帯貸してやるよ!」
「そーかよ! 絶対だかんな!」
どうしようか、と考えつつ、隈弥は翔太に断言していた。
「絶対、証人連れてくるからな!
そんときは、絶対、携帯貸せよ!」
ほぼ反射的にそういってから、さてどうすればいいだろう? と、隈弥は本格的に考えはじめる。
休み時間が終わり、授業時間に突入しても隈弥の考え事は止まらない。
目撃者を作る。
そのためには、あのコンビニに誰かを連れていかなければならない。
昨夜小鬼を見かけたのと同じ時間帯であることが望ましい。
となると、親しい級友たちは自動的に除外されてします。午後八時前後というのは、隈弥のような小学四年生にとっては、気軽に外出できる時間ではないのだ。
それに、あのコンビニがある場所は、隈弥たちが住む町からは遠すぎる。
隈弥が様々な条件を考慮しているうちに授業が終わり、給食時間になり、再び授業がはじまり放課後になっても、いいアイデアは思いつかなかった。
「勅使河原くん、掃除ちゃんとやってよ!」
あんまり考え込み続けたので、掃除当番の最中に、栗栖明菜に怒鳴られてしまった。
「いつもは率先して掃除をさぼって遊んでいるくせに!
少しは真面目に掃除しろっていうの!」
「ごめん。考え事をしてた」
上の空のまま、隈弥は反射的に明菜に答えている。
「考え事? あんたが?
いったい、なにを?」
「今夜午後八時頃、猿股木町のコンビニにいってくれる人はいないかなーって……」
「ああ、あのコンビニ。
いいよ、別に。
どうせ、バスが来るまで時間が少しあくし」
「え?」
「猿股木町のコンビニって、塾とバス停のすぐそばにあるあそこのことでしょ?
どうせあんたと同じ塾に通っているんだし……」
「そういや、そうだったな」
放課後も学校でも、この栗栖明菜とはあまりはなしたことがなかったので、隈弥は明菜と同じ塾に通っていることをすっかり忘れていた。
「じゃあ。うん。頼むわ」
「昨日は、このへんにいたんだけどな……」
「なにが?」
「見ればわかる」
「なに、それ」
その夜の午後八時過ぎ、隈弥と明菜は猿股木町のコンビニに来て、落ち着きのない様子であたりを見回していた。
「昨日は、この、ガムの棚の上にいたんだけど……」
「だから、なにが!」
「見ないと信じられないもの」
「なに、それ」
「だから……あっ!」
あちこち視線をさまよわせるうちに、ふと視界の隅に動く物体を関知した隈弥は、そこに視線を戻してようやく目当てのものを見つけることが出来た。
「……え?」
隈弥の視線をたどって、明菜も振りかえる。
そこで、二人の動きが止まった。
ビニールの小袋にパッケージされたボールペンとかが吊されている棚の上にいた緑色の小鬼と、目があっていた。
「ちょっと、わいや!
なんなの? これ!」
「見ないと信じられないもの」
「見ても信じられないわよ!」
明菜がいきなり大声を出したので、緑色の小鬼がビクリと全身を振るわせる。
気づけば、レジに入っていたバイトが、不審そうな表情で隈弥や明菜の方に注目していた。
「大声を出すなって!」
「ごめん。
でも……なに、これ?」
「わかんない。
おれも、昨日みつけたばかりだし。
とりあえず、ちゃんと見たな。見えてるな」
「見えてる。
緑色の……動いているってことは、生きてるの? これ?」
「たぶん。
CGでもロボットでもないくさい」
「バカ!」
「それよりも」
「なに?」
「急がないと、バスに乗り遅れる」
「あ!」
「証人連れてきたぞ、翔太」
「長谷部くん!
本当にいたのよ! あそこのコンビニに!」
「緑色の小鬼が?」
「そう! 緑色の小鬼が!」
「へー。ふーん」
「……なに、その態度」
「口裏、合わせてるんだ。
お前ら、いつそんなに仲良くなったの?」
「そういうんじゃない!」
「とにかく証人連れてきたからな、翔太。
今度は証拠を見せてやる。
だから、携帯を貸してくれ」
「なに、まだそんなことをいってるわけ?
携帯でその小鬼を撮影して、お前、どうすんの?」
「おれが嘘をいっていないと証明する」
「おれたち……じゃなかった。
わたしたち、でしょ?」
「栗栖、うるさい。
今は、翔太とおれがはなしているんだから」
「う」
「翔太。
こっちは証人を連れてくるという約束を果たした。
お前も携帯を貸してくれるという約束を果たせ」
「ま、いいけどな。
今日、学校が終わったらいつもの公園に持って行くよ」
「今夜もいるかな?」
「わからないよ。実際にいってみないと。
ってか、栗栖。
なんでお前もついてきているわけ?」
「気になるから。あれが。
それに、どうせ塾の帰りだし」
「あ、そ。
ついてくるのはいいけど、邪魔はするなよ」
この晩は、昨日や一昨日ほど手早く緑色の小鬼を発見することが出来なかった。
隈弥、明菜、二人で手分けして狭いコンビニの中を探し回ったが、一向に小鬼の姿が見つからない。
「もう、バスが来ちゃうよ」
「心配なら、先に帰れ」
弱音を吐く明菜に対して、隈弥はそっけなく対応した。
もともと、明菜は自分でついてきているだけであり、隈弥としてはいてもいなくてもよい存在だと思っている。
「そんないじわるなこと……あ」
「見つけた?」
「あそこ! お弁当売場のところに!」
「お!」
隈弥はあわてて携帯のカメラ機能を立ち上げ、慣れない手つきで幕の内弁当の上で大の字になって寝そべっている小鬼の姿を撮影した。
その晩、二人はギリギリでバスに乗り遅れずにすんだ。
「ほらね。
実際に、いたでしょ?
ちゃんと、写っているでしょ?」
翌日、なぜか明菜が、昂然と胸を張って、翔太に携帯の画面をつきつけた。
「確かに、写っているけどさ。
これ、人形かなにかじゃないの?
動いていないと、見分けがつかないじゃん」
「そんな!
ちゃんと動いていたってば!
このときも、お腹がちゃんと動いていて、息をしているってわかったし……」
「でも、証拠はないよね?」
「……うっ」
「それに、こんなのが実際にいるとしたら、どうして、大人たちは誰も騒いでいないわけ?」
「……ううっ」
「なあ。
もういいんじゃね?」
言葉に詰まる明菜に、隈弥は助け船を出した。
「おれとしては、この写真が撮れた時点で、もう満足しちゃっているというか……」
「うるさい!」
なぜか、明菜はキレる。
「動いているところを見せればいいんでしょ?
だったら今度は、動画を撮影してくるから!」
「なあ、おい、栗栖。
本当にやるのか?
おれは、もう手伝わないからな」
「別にいいけど。
じゃあ、その携帯、こっちに渡して」
「おれが翔太から借りたもんなんだけどな。これ」
「それがないと、撮影出来ない!
それに、わたしから翔太に返しても同じことでしょ!」
「ま、いいけどな。
じゃあ、おれは肉まん買ってから、先にバス停にいっているから」
「どうぞ。
ご勝手に」
「ほら、翔太!
今度はちゃんと動き回っているところをばっちし撮影してきたから!」
「おお。
本当だ。
ハッピーターンの袋にしがみついて登ろうとしている」
「これで、小鬼が本当にいるってことがあんたにも、ようやく、わかったでしょ?」
「ああ。そうだな。
こりゃ、本当に、いるみたいだ」
「でしょ? でしょ?」
「栗栖。
なんでお前が、得意そうになるんだよ。
もともとこいつを見つけたのは、おれなんだけど」
「わいや。あんた、途中で飽きてたじゃん。
最後までやり遂げたのは、このわたしだから」
「はいはい。
これで気がすんだのなら、もういいだろ。
翔太に携帯返せよ」
「まだ、気がすんでいない。
携帯は、ちゃんと翔太に返すけど」
「まだなんかやるのかよ……」
「今度は、あれを捕まえる」
「勝手にしろよ。
おれはもう、つきあわないからな」
「おれも」
翌朝、栗栖は本当に緑色の小鬼を捕まえて学校に持ってきた。
「マジかよ」
「マジよ、マジ。
ほら、見て。
これ、これ!」
栗栖が鞄の中から大きめの広口瓶を取り出す。
もともとは、ジャムかなにかが入っていたのだろう。
その中には緑色の小鬼が入っていて、透明な瓶の壁面を両手で叩いていていた。
「こうして見ると、少しかわいそうになってくるな」
「なに?
捕まえたのが、間違いだっていいたいわけ?」
「別に、そんなことをいいたかったわけでもないけど」
「おー。
必死になって、暴れてる。
よほど外に出たいんだろうな」
隈弥、翔太、明菜が瓶の中の小鬼を見ながらそんなことをつぶやいていると、他の級友たちも興味を持って寄ってきた。
「なになに?」
「なんだかよくわからないもの」
「わっ。
鬼だ!
小さい鬼がいる!」
「本当だ!
緑色の、小さな鬼だ!」
すぐに、クラス中の生徒たちが瓶を目指して集まってくるようになり、騒然とした状態になってしまった。
「はいはーい。
みんな、静かにー。
もう授業がはじまりますよー」
担任の紫糸川先生が教室に入ってきても、興奮した子どもたちは、なおも騒ぎ続ける。
「みんな、どうしたの?
なに?
これ? これが原因なの?」
紫糸川先生は、騒ぎの中心を素早く見定め、子どもたちを押しのけて、話題の中心となっている瓶を取り上げる。
「なに、これ?
こんなもの、誰が持ち込んだんですか?
学校に、授業に関係のないものを持ち込んではいけません!」
紫糸川先生が大きな声を張り上げると、クラス中が、一気に、静まりかえった。
「この瓶を持ち込んだのは、誰ですか?」
「栗栖さんです」
「本当ですか?
栗栖さん」
「はい。
本当です。
でも、それはとても珍しいもので……」
「なにが珍しいのですか?
なんにも入っていない、空の瓶ですが?」
「……先生。
その中に入っている、緑色の小鬼が見えないのですか?」
「緑色の小鬼?
なんですか、それは?
先生には、なにも見えませんが?」
隈弥と明菜は、ここに至ってはじめて、なぜあのコンビニで、誰も小鬼の存在について騒がなかったのか、その理由を知ることが出来た。
どうやらあの小鬼は、子どもの目にしか見えないようだ。
「それでは、授業をはじめますよ……」
絶句する明菜の様子には頓着せず、紫糸川先生
は小鬼が入った瓶を無造作に教卓の隅に置き、いつも通りに授業を開始する。
瓶に閉じこめられたままの小鬼は、そのままずっと瓶の中で暴れ続けたが、すぐに体力が尽きたのか、ぐったりとして動かなくなった。
最初のうちは物珍しそうに瓶の中を見ていた子どもたちも、いくらもしないうちに興味を失い、緑色の小鬼に注目する者はすぐにいなくなった。
緑色の小鬼が最後に注目を浴びたのは掃除の時間であった。
「おい。
これ、どうするんだ?
お前、持って帰るのか?」
掃除当番だった隈弥は教卓の上に放置されたままの瓶に気づき、栗栖にそう声をかける。
「もう、どうでもいいよ。そんなの」
栗栖は、即座にそう答えていた。
「飽きたっていうか、わいやに任せる」
「こんなもの、任されてもな」
このときの隈弥は、実に面倒くさそうな顔をした。
「しゃーない。
帰りに、どこかで放してやるか」
「そうだね。それがいいと思う」
「だけど、結局なんだったんだろうね。これ」
「だから、よくわからないものなんじゃね?」
「なによ、それ。よくわらないものって」
「よくわからないものは、よくわからないものだよ。
これ、先生には見えなかったから、たぶん、他の大人も見ることが出来ないんだ。
だから、誰もこれを詳しく調べることが出来なくて、いつまでもなんだかよくわからないもののままなんだよ」
「そうだね。うん。きっと、そういうことなんだと思う」
隈弥の言葉に明菜も頷いてはみたものの、実のところ、あまりよくわかっていなかった。
「とにかく、いつまでも閉じこめたままでもかわいそうだから、帰りに逃がしてあげよう」
隈弥も明菜も翔太も、他のクラスの子どもたちも、いくらもしないうちに緑色の小鬼の存在をすっかり忘却し、そのままどこにでもいるつまらない大人になった。