フラグ4「自転車ラプソディ」前編
朝。七枝と一緒に登校すると、門の前で一人の女の子が待ちかまえていた。
「聞いたわよですよ! 春野……先輩!」
七枝よりも小さい立花麻由が、清太をビシッと指さしてきた。正直やめてほしい。他の生徒の注目の的だ。
「立花。こんな目立つところで恥ずかしい真似はやめてくれ。話なら聞いてやるから」
「誤魔化しても無駄よですよ! この女ったらしです!」
「……一年にも伝わってるのか。ていうか、ですを付ければなんでも敬語になると思うなよ」
それでも涼香の言いつけを守ろうとしているところは、健気だなと思う。おかしな日本語になってるけど。
「これから広まるのよです。私は昨日涼香さんから聞いたのよです」
「す、涼香から? な、なんで」
「どうせすぐ広まるから教えてあげる、って言ってたわです」
そうかもしれないけど……。なにも麻由に教えなくてもいいのに。
「とにかーく! とっとと追ってきた人とくっついちゃいなさい! ですよ!」
「……は? なにを言い出すんだ突然」
「転校よですよ? 引っ越しよですよ? それがどれだけすごいかわかってる? です」
「う……まぁ」
確かにとんでもないことだ。しかも実は一美は次期生徒会長候補とまで言われていたのだ。前の学校では生徒だけでなく、先生たちの間でも大騒ぎになっているかもしれない。
「えっと~……麻由ちゃん?」
「あ! 七枝さん! おはようございます!」
「え、なんだ? お前ら知り合い?」
「うん。この子、駅前の立花食堂の娘さんだからね。たまにお父さんやおじいちゃんたちと食べに行ったりしてるから」
「そーなのか……」
そういえば一昨日、涼香との待ち合わせに遅れた理由は、家の事情だとか言っていた気がする。そうか、店の手伝いをしていたんだな。忙しい、と言っていたのも、昼時だったからだろう。
「春野さん伊奈さん家はうちのお得意様ですから! ……あれ? 春野って、もしかして」
「そーだよその春野さん家のお孫様だ」
「げ……です」
ものすごく嫌そうな顔をする麻由だった。わざわざですを付け足すこともないだろうに。
七枝や涼香にはちゃんと敬語が使えているんだから、清太に対して変な言葉使いになるのはわざとだろう。そんなに敬語で話したくないのか。
「あたしより、せーたが麻由ちゃんと顔見知りなのがびっくりだよ~」
「ああ、それはこいつが……えっと涼香の腰巾着で」
「誰が腰巾着よ! ですか!」
「じゃあ金魚のフン」
「な……! 女の子に対して言うことじゃないわ! ですよ!」
「お、落ち着いて麻由ちゃん。もー、せーたも煽らないでよ~」
「悪い悪い……つい」
「ふーっ!」
「ほら麻由ちゃん。どうどう。校舎に入ろ? ね?」
「うー……わかりました。七枝さんが言うなら」
七枝は麻由の頭を撫でながら、校門をくぐっていく。清太はため息をついて二人の後について中に入る。
昇降口に入り、二人がそれぞれの下駄箱に向かって離れるのを見計らい、麻由に声をかける。
「なぁ立花」
「なによですか」
「この学校で涼香って、有名人なのか?」
「はぁ? 知らない。……そんなの関係ないもん」
素の言葉遣いでそう答えると、麻由は背を向けて下駄箱の奥へ消えてしまったのだった。
*
「三年の風間涼香先輩? もちろん知ってるわよ~」
どうしても気になった清太は、結局休み時間にマサとユズを廊下に連れ出して聞いてみることにしたのだった。当然と言えば当然だけど、二人はこの学校のことに詳しい。
「有名、なのか?」
「まーな。二年の間でもみんな知ってると思うぜ」
「そうなのか……。どう有名なんだ? いい意味でか? 悪い意味でか?」
「どっちでもないんじゃねーか?」
「そうね。あのね、春野クン。風間先輩は好奇心の塊と言われているのよ」
「好奇心の塊……ああ、それはなんとなくわかるな」
「面白いことが大好きで、面白いことを見付けるとなんにでも首を突っ込みたがるの」
そういえば昨日、清太たちのことを間近で見た方が面白そうだと言っていた。
「前にこんな逸話があるわ。うちのクラスの……ほら、小田山クン。彼、浅丘さんと付き合ってるんだけどね」
「え、そうなのか?」
驚くが、まだその二人の名前を聞いてもピンとは来ない。浅丘については一昨日そんな話をチラっと聞いていたが、日鷹のこともあり、どの子がそうなのか確認するのを忘れていた。清太はなんとか、彼と彼女だろうか、という顔を思い浮かべてみる。
「二人の仲を取り持ったのが、風間先輩なのよ」
「へぇ……それは意外っていうかなんていうか。いったいどういう経緯で?」
「なんでも、小田山クンの告白シーンにね、たまたま居あわせて目撃しちゃったみたいなの」
「ええ?」
「それでね、告白しようとした小田山クン、テンパっちゃってて。よくわからないことを口走ってて、浅丘さんもちょっとぼうっとした子だから、告白だってわからなかったみたい。それでね、見かねた風間先輩が姿を現して、小田山クンのよくわからない告白を指摘して、わかりやすく言い直させたんだって。それで二人はハッピーエンドを迎えたってわけなのよ」
「な、なるほど……」
「あとはそうだな、夏休みに学校のプールを解放するようになったのって、風間先輩が一年の時に生徒会長をけしかけたからって話もあるな」
「それが本当ならとんでもない……もとい、すごいな。そりゃ有名にもなる……」
「そうね。でも、いいことばかりじゃないのよ。三年の先輩のケンカを助長させたという話もあったわよね?」
「夜中に意味もなく学校に忍び込んだとかな」
「新一年生をたぶらかしたっていう噂も最近聞いたわね」
それはおそらく麻由のことだろう。
「ていうか、なんだよ、神楽坂の次は風間先輩が気になるのか?」
「春野クン……もしかしてこの学校でもハーレムを作るつもりなの?」
「作らないよ! ていうか前の学校でだって作ってない! ただ、ちょっと知り合って……。有名だって話を聞いたから、気になっただけだよ」
「ふーん、まぁいいけどな」
「不思議な魅力のある先輩よね……。春野クンが気になるのもわかる気がするわ」
「……ユズにわかられるのも微妙だけど」
でも、そうか。二人から聞いた話は、涼香の性格を考えるとどれも本当な気がする。
「もういいか? チャイム鳴るし教室戻ろうぜ」
「ああ……」
二人と一緒に教室に入り、席に着く。
『はぁ? 知らない。……そんなの関係ないもん』
麻由の言葉を思い出す。
同時に、七枝が清太のことを見る目が変わらなかったことも。
(そうだよなぁ……)
有名だとか、そんなの関係ないんだ。涼香は涼香なのだから。
*
その日の放課後。七枝は一美と一緒にどこかへ行ってしまったので、清太が一人で帰ろうとしていると、昇降口で涼香に呼び止められた。
「ちょっと、こっちこっち」
「お、おい、どこ行くんだよ」
涼香に手招きされついて行く。校舎沿いに歩いていき、裏側に回る。すると――
「うお……」
――視界を埋め尽くす、薄紅色。
校舎を囲う塀の端から端まで綺麗に植えられた桜が、空を覆うようにして咲き誇っていた。
「すごいな、これは」
廊下の窓から桜は見えていたけど、実際校舎裏、桜の根元にやってくるとまた印象が違ってくる。満開に咲いた桜が立ち並ぶ様子はまるで桜並木のようだ。
「なかなか校舎裏なんて来ないからね。ちょっとした穴場かな、ここは。塀もあるし、後ろは小山になっていて、森みたいになってるから。向こう側からは見えないしね」
「これを見せるために呼んだのか?」
「ん? ううん。これはついでかな。本題はね……ちょっと、悪だくみしようと思って」
「わ、悪だくみ? どういうことだよ」
「まぁまぁ。ここだと職員室から見えちゃうから、もうちょっと奥に行こ。ほら、あそこの岩、座れるから」
涼香が指を指したのは、横長の大きな岩。校舎のすぐ下に置かれたそれは、ちょうど二人が座るのにいい大きさで、しかも校舎に寄りかかれる。
清太と涼香はそこに並んで座って、桜を見上げた。
「これ、ここで花見したら最高だな」
「そうね。ふふ、わたしはもっといい場所知ってるけど」
「え、どこだよ」
清太が聞くと、涼香は人差し指を頬に当てて言った。
「さあね? どこでしょー?」
「むう……。まぁいいよ。それでなんだよ、悪だくみって」
「そうですよ、なにをするんですか?」
「ん?」
「あら?」
桜を見上げていた二人は更に顔を上げ、声のしたほうを見る。
「涼香さん! こいつ……いえ、春野先輩なんかに付き合わせなくても、麻由がなんでも手伝います! いえ手伝わせてください!」
立花麻由。見上げた涼香の顔を、目を輝かせて窓の上から覗き込んでいた。
「麻由。どうしてそこにいるのよ」
「はい! 廊下を歩いていたら二人を見付けまして! ビックリしました。最初は消えたかと思ったんです。そしたらここ、岩があるんですね。そこに座っただけだったんですね」
「……ストーカーかよ」
「は? ……ほらほら春野先輩。もう帰れですよ」
「あんたたち相変わらず仲が悪いわね……。でも麻由。今回は清太がいないと無理なのよ」
「え……ど、どういうことですか? 麻由じゃダメなんですか?」
「なにをする気だ……」
清太がいないと無理な悪だくみ。……嫌な予感がする。
「清太のクラスの、神楽坂瑠流子。彼女を……」
「か、神楽坂さんを……?」
「神楽坂先輩って、もしかしてあの……。え、涼香先輩、いったいなにをするんですか?!」
おそらく麻由も、瑠流子がここらの地主の娘だということを知っているのだろう。驚いた声を出す。そしてそれを見て涼香はニヤリと笑う。
「……彼女を、自転車に乗せる!」
「……へ?」
「じ、自転車、ですか?」
思わず涼香の顔をマジマジと見てしまう。言いたいことは、わかる。麻由は知らないだろうが、瑠流子は自転車に乗ったことがなく、できれば通学に自転車を使ってみたいと思っていることを。しかしそれは親に止められていることを。しかし……。
「待ってよ、そんなことしたら、せっかく僕が……その」
「フラグを折ったのにって? 大丈夫よ、あくまで発案者はわたし。偶然話を聞いちゃったって、切り出すわ。そして、清太も手伝わせるからって言って、安心させる作戦よ」
「う、うーん……大丈夫か、それで」
「大丈夫よ。あんたはあくまで助手! 余計なことを言わなければきっと大丈夫」
「そうかなー……。まぁ、神楽坂さんに自転車乗せてあげたいって、僕も思うけど」
「でしょー? だからこっそりね。例えばこの校舎裏でちょっと乗ってもらうだけなら、家の人にもバレないでしょ?」
「そう、バレるのはまずそうなんだよな。でもここなら外から見えない、か」
「えっと……二人とも――」
「あ、麻由。ごめんね、今回は、少人数の方が都合がいいの。神楽坂さん、あんまり目立ちたくないっていうか、お嬢様って感じで見られるの、好きじゃないみたいだし」
「――え? あ、はい……」
「だからこのことも絶対秘密よ?」
「それは、はい。わかりましたけど……」
「で、作戦なんだけど、明日の放課後か……朝でもいいかな。神楽坂さんに声かけるから。清太は自転車、用意できる?」
「ああ。なんとかする。使ってないママチャリがあったと思う」
「清太の家、近くよね? だったら放課後一旦帰って取ってきても余裕ね」
「そうだな。……しかし悪だくみって、なにかと思ったよ」
「悪だくみは悪だくみでしょ? みんなに内緒だし、なにより神楽坂さんの家の人にバレないようにしないといけないんだし。油断しないでよ?」
「わかってるけどさ……。そもそもなんで今になって、そんなこと言い出したんだよ」
「ほんとはすぐに提案したかったわよ。だけど、転校生一美ちゃんの暴露で、それどころじゃなかったじゃない」
「ぐ……。それを言われると、痛い。あ、ていうかあの話がバレてから、神楽坂さんと話してないんだよな。どう思われてるんだろ……」
「え、まじ? なによそれ」
「しょうがないだろ……」
「はぁー……。絶賛フラグ折り中だし、仕方ないかー。ま、なんとかなるでしょ」
「軽いなー……」
「これくらいでいいのよ。作戦は柔軟に。臨機応変に動けるようにしておかないと!」
「はいはい。……ってか、もしかしてさ」
「なに?」
好奇心の塊――。清太は先ほどマサたちに聞いた話を思い出していた。
「クラスのやつに聞いたんだけど、えっと名前が……そうだ、小田山。カップル成立させたの涼香って本当か?」
「ああ、小田山君と浅丘ちゃんね。なんか挙動不審な男の子が校舎裏に入っていくのが見えてね。……まぁつまりここだけど。で、その後すぐにぼうっとした感じの女の子が追うようにして校舎裏に入っていったから、もしかしてって思って追いかけたのよ」
「……あぁ」
偶然居あわせたわけではなく、覗く気まんまんだったわけか。
「そこは気を遣おうよ」
「だって、面白そうだったんだもん。それにわたしがいたから上手くいったのよ? だったら結果オーライじゃない」
「そうだけどさ」
出会ってまだ間もないけど、やっぱり涼香は涼香だと、改めてそう思う。
「じゃあプールの話は本当?」
「あれ、そんな話まで? あれね、生徒会長をけしかけたってなってるけど、最初は先生に持ちかけたのよ」
「……え?」
「プール開放してくださいよって先生に言ったら、生徒会を通せって言われたの。その先生はともかく、生活指導の先生は厳しいから、例え生徒会通しても無駄って思ったんでしょうね。だから、もし通ったら先生に監視員してもらう約束を取り付けて、生徒会長に話したの。でね、その生徒会長、女の人だったんだけど、すっごく話の合う人でね! なんて言ったと思う?」
「面白い、とか?」
「そう! まさにそれ! すぐさま署名集めをして、生活指導の先生にかけあってくれたの。先生はやっぱり結構渋ってたんだけど、なにしろ生徒全員の署名が集まったもんだから、無視することもできなくてね。で、決め手になったのが、最初の先生が監視員をしてくれるっていう点だったみたい」
「それって……」
「うん。その先生が面倒見てくれるならいい、ってなって。その先生がプール開放が決まったことを知った時には、わたしと会長が全校生徒に結果を知らせた後だったわ」
「よく、取りやめにならなかったな」
「今さら引っ込みがつかないでしょ? 生徒全員敵に回すようなものよ」
「それもそうか……」
「ま、さすがに休みの日全部解放、とはならなかったけどね」
「さすがに先生の休みが無くなっちゃうもんな」
「そういうこと」
「でもそれすごいなぁ」
「そうでもないわよ。小さな学校だしね」
「うーん……いやそれでもすごいって」
少なくとも前の学校では、例えそんな話になったとしても通らない。それ以前に全校生徒の署名も難しかっただろう。
「あの……麻由、先に帰りますね」
「あら。うん、バイバイ、麻由。気を付けてね」
「はい。また明日です」
「じゃあな」
廊下を去っていく麻由に軽く手をひらひらと振り、気付く。なんか、元気がないような。
「ね、他にはなんか聞いてたりする?」
「え? ああ。そうだな、喧嘩の助長とか、夜の学校に忍び込んだとか……」
「ケンカの助長?! えー、どのことだろう」
「心当たりがない?」
「ううん。逆。ありすぎて……」
「あ、あるのかよ」
「つ、ついよつい。助長っていうかね、なんかくだらないことで言い争ってるから、つい横槍を入れたのよ。そしたら、ずばり図星を突いちゃってね。それが火に油になってねー……」
「そ、それは標的が涼香になるんじゃ」
「そうなりかけたんだけどね。えーと、確か…クラスの女の子が、陰口を叩いているのが本人に聞こえちゃったことがあったの。それで口喧嘩になったんだけど」
「どんな陰口?」
「女の子……Aさんってしよっか。Aさんがね、ある日いわゆる盛りヘアーにしてきたのよ。それをBさんが似合ってないって言ってたの」
「なるほど」
「それでね、どんな喧嘩になったかっていうとー……」
A「はぁ? これがダサいって、あんたこそ流行りに乗れてないんじゃない?」
B「流行りとかじゃなくて、あんまり似合ってないねって話してただけよ」
A「ウソ! ダサいって言ってたのはっきり聞こえたんだからね!」
B「どっちでもいいじゃない。似合ってないのは同じなんだし」
A「やっぱり言ったんじゃない! ふん、あんたが流行りに乗れてないだけよ。どこが似合ってないっていうの?」
B「ギャルっぽく見せたいんだろうけどさー。そうは見えないのよね」
A「それが流行りに乗れてないっつーの。なによ、自分がじみーな髪型だからってひがんでるの?」
B「はぁ? なにいってんの。あんたこそわかってないのね。やっぱね、黒髪ロングがいいの! いまはこっちのが流行りよ? あんたみたいに似合ってない盛りヘアーしたって、騙されて遊ばれてぽいされちゃうだけ!」
A「はぁーー?! ばっかじゃないの。騙されるとか、なにバカにしてんの? あんたのほうこそ、そんな地味な髪じゃ遊ばれもしないわ。騙されるだけだっつーの」
B「はぁーーーー?! ばかじゃないの? 目腐ってる?」
A「あんたこそ頭沸いてんじゃないのー?」
涼香「ね、BはつまりAの盛りヘアーは失敗していて、むしろオバさんに見えるって言いたいのよね」
B「はぁ?! そ、そこまで言ってないわよ!」
涼香「で、AはBの、黒髪ロングの綺麗系を狙ってるけど髪が痛んでて艶がないからあんまり綺麗じゃないって言いたいのよね」
A「はぁ?! 私だってそこまではっきり言ってないわよ!」
B「ちょっと、はっきり言ってないってことは、思ってるってこと?」
A「な……Bこそ、そう思ってたってことでしょ!」
B「ご、ごまかさないでよ! 言いたいことあるならはっきり言いなさいよ! このオバさん!」
A「ちょっと、いまなんて言ったのよ地味女」
「そんな感じでね、すぐに矛先は喧嘩相手に戻ったわ。お互い遠回しに言っていたことをストレートに言い直しちゃったってわけだから」
「なんてことを……。ああ、それも強すぎる好奇心のなせる業か……」
「わ、悪気はないのよ? むしろとっとと言い争いなんてやめてほしかったのよ。教室の空気悪かったし。……最悪になっちゃったけど。うまくいかないものよね」
こっそり、面白かったけどね、と呟いている辺り、本当に悪気がなかったのか疑いたくなる。
「夜の学校については、秘密。機会があれば、今度教えてあげる」
「なんだよ、気になるだろ」
「そうそう、気にしてなさい。楽しみができるでしょ?」
「はぁ……。ま、いいや」
なんだかな。でも、色々と面白い話が聞けた。……面白い、と思ってしまった辺り、涼香に毒されてきているのかもしれない。
「ところで、話戻すけど」
「なんだ?」
「清太は、神楽坂さんのこと、どう思ってるの?」
「どうって……。まだ知り合ったばっかりだし、今はそういうこと考える余裕は……」
「そうじゃなくって。彼女の、自転車の話を聞いて、どう思った? どう、考えてる?」
「こないだも似たようなこと聞いてきたよな。そりゃ、あんな話聞いたら……なんとかしてやりたいなって思ったさ。だけど僕は、前の学校と同じことは繰り返したくないし」
「だから、誰かがなんとかしてくれることに期待した?」
「それは……」
思わず、言葉に詰まる。涼香の言いたいことはわかる。前の学校でのことがなければ、涼香が提案するまでもなく、自ら瑠流子を自転車に乗せてあげようと考えたはずだから。ずっとそれが引っかかっていたのは事実だし。そしてそれをしないということは……。
「他人任せ、って言いたいのか? ……わかってるよ。だけど」
「わかってないじゃない。……っていうのは、さすがにキツイかな。清太の前の学校でのことは、もうトラウマみたいなものっぽいし?」
「トラウマか……そうかもしれない」
「ま、わたしが偉そうなこと言える立場じゃないけどさ。半分自分の好奇心で動いてるわけだし。でもね、やっぱなんとかしてあげたいじゃん? 自分のことは置いておいてもさ」
そうだ、なんとかしてあげたい。そう思う気持ちは、別に悪いことじゃない。だけどそうすることが、恋愛に繋がってしまうと考えるようになってしまった。清太にそのつもりがなくても、周りはそうは見てくれない。だから、なにもしない?
「……わかってるんだよ、おかしいってことはさ。だけど……」
「うん。今はそれでいいんじゃない? だからさ、わたしが提案してあげたんだよ。それなら、清太も協力できるし、あの子の願いも叶えられる」
「なんか、逃げ道用意してもらったみたいだ」
「いいじゃん。ぐるぐると袋小路にはまった思考に、隙間を入れてあげたのよ。その隙間を通って、結果的に目的地にたどり着けるなら、問題ないじゃない」
「そんなもんかな」
「そんなもんよ」
ちょっとだけ釈然としないけど。でも、結果的に瑠流子が念願の自転車に乗ることができるのなら、瑠流子の視点から見て幸せならば、清太の視点なんて関係ない。
「わかったよ。明日、僕もきちんと協力する」
こうして、神楽坂瑠流子自転車乗車作戦は、実行に移されることになったのだった。
*
作戦は、驚くほどスムーズに進んだ。
「わぁ……ここ、桜並木みたいになっているんですね。知りませんでした」
涼香と共に校舎裏にやってきた瑠流子は、まず立ち並ぶ桜を見て感嘆の声をあげる。
校舎裏の短い距離だけど、でもこの場所を自転車で走るというのは、いいかもしれない。
桜並木の下を優雅に自転車で走る瑠流子を想像し、素直にいいと思った。
「あ、春野さん。今日はありがとうございます。自転車、用意してくださって」
「いや……ほら、僕は涼香に協力しただけだから」
ちなみに、予め休み時間に瑠流子と話をしてみたけど、特に清太に対して態度が変わるようなことはなかった。一美による暴露の影響はとりあえず無さそうだ。もっとも、あのことについて詳しく聞いたわけじゃないけど。
「はい。それでもです。私の自転車に乗りたいという願いを叶えてくれる、その協力をしてくださるんですよね。本当に、ありがたいです」
頭を下げる瑠流子に、思わず恐縮してしまう。隣の涼香は、なんだか面白そうに笑っている。
「じゃ、瑠流子ちゃん。自転車、乗ってみよ」
ぽんと肩を叩く涼香。呼び方が名前にちゃん付けになっている。瑠流子が名前で呼んでほしいと言ったのか、涼香が勝手にそう呼んだのか。
「は、はい。風間先輩」
頭を上げた瑠流子が、緊張した様子で頷く。運動神経は悪くないと言っていたけど、初めて乗る自転車だ、緊張するのも無理はない。
「安心して。わたしたちがサポートするから、ね?」
「はい。お願いします」
涼香が自転車の後ろを掴み、清太が横に立ちハンドルを軽く支える。万が一転倒しそうになったとき、支えられるように併走する予定だ。
「では……乗ります」
サドルは低めにしてある。瑠流子が座っても普通に足を着くことができる高さだ。
「瑠流子ちゃん、ペダルに足を乗せてみて」
「は、はい」
左足を支えにして右足をペダルに乗せる。次いで左足もペダルに乗せると、さすがにぐらぐらと揺れたので清太は慌てて自転車を支えた。
「こ、これは、バランスを取るのが難しいですね」
「大丈夫よ。漕いでた方がバランス取れるから」
「そうなんですか?」
「うん。じゃ、漕いでみよっか」
「はい」
ゆっくりと足に力を込めてペダルをこぎ始める。それに並んで清太も横からハンドルを支えつつ歩き出す。
「う、動きました……!」
当たり前のことに、驚いたような、ちょっと嬉しそうな声を出す瑠流子。清太はある程度スピードが出てきたところで、ハンドルから手を離した。
「あ……! きゃ」
瞬間、少しぐらついたけれど、すぐにバランスを取り直す。
「ごめん。スピード出てくると、僕の手が邪魔になってバランス取りにくくなると思うから」
「だ、大丈夫です。ちょっとびっくりしただけで……」
涼香が後ろで支えているとはいえ、あっさりバランスを取った瑠流子は、自分で言っていたように運動神経がいいようだ。
時々ハンドルをぐらつかせながらも真っ直ぐ進んでいく自転車。だんだんスピードも出てきて、瑠流子の表情も柔らかくなっていく。
「瑠流子ちゃん、上!」
「え? あ……」
そこには、空を覆い隠すほどの桜。花びらが舞う桜並木の中、自転車は走る。
「すごい……。気持ちいいです、自転車」
スピードを増す自転車を、追いかけるように清太は走り出した。
瑠流子の頭上に花びらが落ち、風によって長い髪を伝い後ろに流れていく。そんな物語の一シーンのような、美しい光景を清太は間近で眺めていた。
「風が心地良いです。春野さん、風間先輩」
「そう? よかったー」
と、後ろの方から涼香の声。その声が遠いことに、瑠流子が気付き、びしっと表情を固めた。
「振り返っちゃだめ! 大丈夫、スピードに乗れてるから!」
いつの間にか涼香は手を離していた。今、瑠流子は一人で自転車を漕いでいるのだ。
「神楽坂さん、大丈夫。自転車、一人で乗れてるよ」
「……! は、はい! そうですね!」
自信を取り戻したのだろう。そのまま瑠流子は、前を見て自転車をこぎ続ける。
「あの、春野さん」
「な、なに?」
さすがに息が上がってきた清太はなんとか返事をする。
「どうやって、止めればいいのでしょうか」
「……え?」
笑顔で聞いてくる瑠流子。前方には校舎を囲む塀。
「ぶ、ブレーキ! ハンドルの下の! 掴んで!!」
「あ、これですか」
ギュッとブレーキを掴み、自転車は急停車しようとするが、そこはずっと放置してあったママチャリ。キキキキーッ! と耳障りな音を立てながら、すぐに止まらず減速しながら塀に向かって走っていく。
「か、神楽坂さん!」
ほとんど止まりかけていた自転車が、しかし間に合わす塀にがちゃんとぶつかる。
「きゃっ」
自転車も瑠流子も無事だったが、そのままぐらりと横に倒れていき――
「危ない!」
――間一髪、倒れる瑠流子と自転車を横から清太が抱き止めた。
「あ、ありがとうございます……」
「あちゃー。大丈夫? 二人とも」
「な、なんとか……」
涼香が駆け寄ってきて、倒れかけた自転車を反対側から支えて起こす。同時に瑠流子は自転車から清太側に降りた。
「大丈夫? 神楽坂さん」
「はい……春野さんのおかげです」
瑠流子の顔が自分のすぐ下……目の前にある。すごく近い。
「っと、ごめん!」
瑠流子を抱きかかえていることに気付き、清太は慌ててその手を離した。急に離したせいで、瑠流子は少しよろけたけど、気にした風もなくニッコリ笑っている。……が、涼香には見えなかっただろうけど少しだけ頬を赤くしているようだった。
ちなみにその涼香は瑠流子の後ろで、あーあとでも言いたげな顔をしていた。
「それにしても、まさかブレーキを知らないとは思わなかったわ。ま、確かに説明してなかったし、乗ったことないんだもんね」
「すみません」
「ううん謝るのはうちらの方。説明不足でごめんね。危うく怪我させちゃうとこだった」
確かに、それはもう基本事項として知っていると思い込んでしまった、涼香と清太の責任だ。
「ごめん、神楽坂さん。怪我とかしてないよね?」
「はい、私は大丈夫です。春野さんの方こそ大丈夫ですか?」
「まぁ僕は。ちょっと足を打ったけど、問題ないよ」
ペダルやらなんやらが足にぶつかったけど、大したことはない。
「そうですか? もし、怪我をしていたら言ってくださいね」
「大丈夫だって」
「そうそう。清太なら問題ないわよ。男の子だし」
「ふふ、そうですね。男の子ですもんね」
「ははは……」
その理屈はともかく……。実際多少は頑丈にできているし、本当になんともないからよしとしよう。
「どうだった、瑠流子ちゃん。初めての自転車は」
「はい、風が心地よかったです。それと、この桜……」
振り返り、校舎裏の桜並木を眺める。
「見る場所、そして見方で、随分と印象が変わるものですね。自転車からの、桜が流れる景色。とても綺麗でした」
「瑠流子ちゃん、桜は好き?」
「はい。うちの庭にも大きな桜が一本あるのですが、やはりこうして並んでいるのを見ると違いますね。壮観です」
庭に桜の木があるというのも、それはそれですごいと思うけど……。やはりこう立ち並んでいる姿は見事なものだ。
「そっかそっか。それならよかったわ。じゃあもう一回……あ、そろそろお迎えが来る時間かな?」
「あ、そうですね……」
瑠流子は名残惜しそうに桜を見上げ、そして清太たちに振り返る。
「今日は、歩いて帰ることにします」
「え? どうして?」
「なんとなく、です。自転車で帰ることはできませんが、せめて自分の足で、歩いて帰りたくなりました。……おかしいですか?」
「そんなことないわよ。ね?」
「うん。おかしくないよ」
「そうですよね。ふふ、では私はそろそろ行きますね。迎えの運転手に、それを伝えなければいけませんし」
「うん。気を付けてね」
「はい。……春野さん、風間先輩。今日は本当にありがとうございました。とても自信が付きました。すぐには無理かもしれませんが、頑張って父を説得して、自転車通学させてもらおうと思います」
「そっか。頑張ってね、応援してるから」
「僕も応援してるよ」
すると瑠流子は、にっこりと笑い――
「はい! ありがとうございます!」
――思わずハッとするような、笑顔。
瑠流子はもう一度ぺこりと頭を下げると、桜並木の下を歩いて戻っていった。なんだか今にも、駆け出しそうな足取りで。
「……よかった」
「そうね。瑠流子ちゃん、いい笑顔だった」
確かに、教室では一度も見たことのない、とびきりの笑顔だった。いつもの綺麗な、穏やかに浮かべる笑みと違って、活発で元気な、明るい笑顔。ああいう顔もできるんだ。
「アクシデントはあったけどね」
「う……」
「抱きしめちゃってさー。あれじゃフラグが立たないようにわたしが提案した意味ないじゃない」
「そ、それは! しょうがないじゃないか!」
思い出すとちょっとドギマギしてしまう。なんかいい香りがしたし……。先日、七枝と似たようなことがあった時は、こんな風には思わなかったのに。
「ま、しょうがないけどねー。さーてどうなることやら」
「涼香~……」
「冗談よ。ね、それより、宿題わかった?」
「宿題?」
「忘れたの? どうして、瑠流子ちゃんのことを窮屈そうに見えるのか」
「それは……。あ、少しだけわかったかも」
「へぇ?」
「さっきの笑顔だよ。あんな笑顔、教室じゃ一度も浮かべてない。そりゃ出会ってまだ短いから、たまたま見てないだけかもしれないけどさ。……ほんとはあんな風に笑えるのに、いつもはそれができていない。それを感じたから、窮屈そうだって思えるのかなって」
「んー、それはあるでしょうね。でもそれは、今あの笑顔を見たから思ったんでしょ? こないだの状況で、どうしてそう思ったのか。それが宿題よ?」
「む、そうか……」
「でも、そうね。本当はあんな風に、自由に笑うべきよね。人は笑顔でいるべきなのよ」
涼香は瑠流子が去っていった桜並木を眺める。
自由に笑うべき。笑顔でいるべき。
そうなのかもしれない。清太もそう思う。
だけど、そう言った涼香は、何故かじっと遠くを見つめ、なんだか――思いつめているように、見えてしまったのだった。
*
その夜。春野伊奈家の共同部である庭に面した縁側に、七枝と並んで座っていた。例によって七枝は風呂上がりで、トレードマークのツインテールを降ろしている。暑いのか、アイスを食べつつ足をぷらぷらさせていた。ちなみにアイスは小さいソーダバーだ。
「実は今日さ、神楽坂さんを自転車に乗せてあげたんだよ」
「えぇ?! ほんとに?」
唐突な清太の言葉に、七枝は咥えていたソーダバーを落としそうになる。
「本当。これ、他の人には内緒な」
誰にも知られないよう、こっそり行われた作戦だったが、瑠流子と仲のいい七枝には話しておこうということになったのだ。
「あ、そっか~。だからうちの自転車、貸して欲しいって言い出したんだね。あれ? でもなんで自転車? いったいどこで?」
「ん? 神楽坂さん、本当は自転車通学したいって話……聞いたことないか?」
「うん。なるべく歩いて通学したいとは言ってたけどね」
「そうなのか。……まぁいい。とにかくな、この間たまたまそんな話を聞いちゃってさ」
「なんとか自転車に乗せてあげたくなっちゃったの?」
「その通りだ」
「大丈夫なの? その、瑠流子さんのお家にバレたら……」
「放課後、校舎裏でこっそりやったからな。誰にも見られていないはずだ」
「はず、ね。……そっか。ね、せーた」
「なんだ?」
「それ、せーたが提案したの?」
「まぁその……実は僕じゃない」
「そう。じゃあ誰が言い出したのー?」
「……涼香だよ」
七枝の前で涼香の名前を出すのにはちょっと抵抗があったが、むしろそのために今、七枝に話しているのだ。
「風間先輩。そっかぁ……」
七枝は呟いて、アイスの続きを食べながら夜空を見上げる。
この町の夜空は、都会と違って星が多い。とても綺麗な星空なのだけど、今は七枝の様子が気になってそれどころじゃない。
「あー、やっぱ、気になるよな……? その、なんで涼香が絡んで来てるのか、とか」
「うーん……それは別に、かなぁ。それよりなんであたしに話してくれたの?」
「そりゃ神楽坂さんと一番仲いいし。本人も、七枝には話したいって言ってたからな」
「そうなんだ。じゃあ瑠流子さんからじゃなくて、せーたが話してくれたのは風間先輩が絡んでるからだね」
「……ぐ」
ずばり言い当てられて、思わず返事に詰まった。そう、涼香が絡んでいるからこそ、七枝には先に話しておいたほうがいいと判断したのだ。学校でそのことを知り雰囲気が悪くなるよりも、前もって知らせておいたほうがいいと思ったのだ。……まさか言い当てられてしまうとは思わなかったけど。
やっぱりというか……涼香の話になると、七枝の雰囲気が少し変わる気がする。
「もう……気にしすぎだよー」
「……すまん」
とはいえ気にもなる。どうして涼香に対してだけ、七枝の態度は厳しいのだろう。クラスでは誰にでも明るく対等に接しようとしているのに。もしかして年上が苦手とかなんだろうか。
「さてと、あたしはもう寝るね。せーたもお風呂入っちゃいなよ」
「あ、ああ。そうだな」
「そうそう。あたし明日、学校先に行くね」
「え? ああ……別にいいけど」
どうせすぐ近くだし、無理して一緒に登校する必要はない。
「なにか用事でもあるのか?」
「ちょっとね。じゃ、せーた。おやすみ~」
「おう。おやすみ」
立ち上がり、居間の方に戻っていく七枝を見送って、清太は思わず首を傾げる。
しかし清太が気になるのは、やはり七枝の涼香に対する態度だった。涼香と過去になにかあったんだろうか。話をしたのは、この間が初めてっぽかったのに。
今度涼香の方に聞いてみようかと思う、清太だった。
またまた前後編です。後編に続く!