フラグ2「立つフラグはすべて避ける」前編
伊奈七枝。清太の父方の叔母(つまり父の妹)の娘で、清太と同い年の従妹。
そういえば、叔母さん夫婦もこの町に住んでいるんだった。娘である七枝がいるのは当然だ。
それをすっかり忘れていた清太は内心でかなり驚いていたが、そんなことを知られればバカにされかねないので、動揺が表に出ないように押し隠しながら、家までの道を並んで歩いていた。
「も~、本当にあんなところでなにしてたの? おじいちゃんとおばあちゃん、ご飯作って待ってるんだよ? ほら急いで急いで!」
「わ、わかったよ。悪かった」
時計を見ると、昼の一時を回ったところだった。ご飯と聞いて、清太も自分が空腹であることを思い出す。孫が来るのだ、ご飯を作って待っていてくれるというのは、よく考えれば当然だった。本当に、悪いことをしてしまった。
清太が引っ越してくると聞いて、七枝もじいちゃんの家に遊びに来ていたのだろう。遅いから探しに出たというわけだ。
「それにしても七枝。久しぶりだな。元気にしてたか?」
「え? うん。ひさしぶり~。……それより、ビックリしたんだからね? いきなり引っ越してくるなんて」
「ああ、それはその、父さんたちが……」
「知ってるよー。海外出張でしょ? ほんと、急だよね。せーたも大変だ」
「まぁ……仕方ないよ」
この町に越してくることを選んだのは清太だけど、詳しい説明をするには前の街、学校でのことまで説明することになりそうだからやめておいた。
「せーたが住んでた街より絶対不便だよ、この町。なにも無いから。電車に四〇分揺られれば、デパートがあるちょっと都会っぽい所に出られるけどね~」
「そうだっけ? ……ああ、そういえば小さい頃連れて行かれたこと、あったかも。よく覚えてないけど」
「夏休みにしか来なかったからね。それも小さい頃の話だし。ここ数年、ぜんぜん来なかったよねぇ」
「その辺の文句は、父さんたちに言ってくれ」
確かに、中学に上がった頃からこの田舎には来なくなっていた。理由は特にはなかったと思う。父さんたちから話が出ることもなかったし、なんとなく、だ。
「そういえば、よく僕だってわかったな。あそこにいたの」
「そりゃわかるよ~。小六の時から変わってないんだもん」
「それはお前の方だろ」
最初はすぐには思い出せなかったけど、子供の頃の記憶と比べて、七枝は本当に変わってないなと思う。
「む……そんなことないもん! 背だって伸びてるんだよ?」
「僕だってだいぶ伸びたぞ」
「そ……それはその、確かにせーた、身長すっごい伸びてあたしより大きいし、顔立ちもちょっとだけ大人っぽくなったけど……でもやっぱりせーたはせーただよ」
「そうか? ……ま、お前もこのツインテールといい、やっぱり七枝は七枝だよ」
ぽんぽんと頭を叩く。身長、本当に伸びてるんだろうか。それに見上げてくる顔、タレ目がちな目も小さい頃のまま。つまり童顔だ。同い年、高校二年のはずだけど、七枝は随分幼く見えてしまう。昔は……そんなこと思わなかったと思うのだけど。
「あ、ちょっと~、人の頭触らないでよぉ」
「悪い悪い」
「も~……」
子供扱いされたことが不満なのか、ちょっとだけふてくされた表情。割とおっとりとしている彼女だが、怒る時は怒るし、感情はしっかりと表に出す方だ。今も頭のツインテールを左右に揺らして不機嫌さを現している。うん、やっぱりあんまり変わっていない。それが子供扱いになることはわかっているけど、変わってないものは変わってないのだから仕方がない。
だから、機嫌もすぐに、それこそあっという間に治るだろう。
「おっと、家、そこだよな」
「あ、うん。よく覚えてたねぇ」
パッと、さっきのことは忘れたかのような笑顔で振り返る七枝。やっぱり。
「別に道は難しくないからな。駅から遠いだけで」
「そうだね。田んぼ突っ切って、橋渡ればすぐだからね~」
懐かしい、木造平屋。敷地はかなり広く、庭もあったはずだ。
七枝がからからと引き戸の玄関を開けて、先に入る。
「ただいまー。ほらせーた、上がって上がって。おじいちゃーん、おばあちゃーん、せーた連れて来たよ~!」
清太も後に続こうとして、ふと表札が目に入る。
「あれ……?」
「ほら、せーた!」
「う、うん……」
七枝に手を引っ張られ、清太は家の中に入る。靴を脱ぎ、七枝の後に続きながら問いかける。
「なぁ……。表札がさ、なんか変な風になってたんだが」
「んん? 表札? 傾いてた?」
「いやそういう意味じゃなくてさ」
嫌な予感がする。もう一度ちゃんと聞こうとして、しかし居間に到着してしまう。
「おぉ、いらっしゃい。清太ちゃん」
「よく来たね。どうした、迷ったかい?」
「い、いや……遅くなってごめんなさい。あ、久しぶり、ばあちゃん、じいちゃん。これから、お世話になります」
「堅いことはええから。ほら、荷物置いて、はよ座りなさい。お腹空いたろ」
「麦茶でも淹れましょうかね」
「あ、あたしやるよ。おばあちゃん、座ってて。清太も座って座って~」
「ああ……」
とてとてと、七枝は台所に入っていく。仕方なく清太はテーブルに座った。
「あのさ、じいちゃん。この家って」
「ああ、懐かしいだろう。けどなぁ、この家も昔と変わったところがあってな」
「変わったところ……。あ、あのさ、さっき表札見たんだけど、もしかして」
「はい、麦茶」
とん、と置かれるコップには、なみなみと麦茶が注がれている。
「お、ありがと。それで、その」
「あ、お父さんとお母さんならまだ仕事だよ。夕方には帰ってくるからね」
「七枝の、お父さんとお母さんが……夕方に、帰ってくるんだ。……えー、つまり」
さっき玄関で見た表札。そこには、春野・伊奈の二つの名字が書かれていた。それが意味するところは――。
「ちゃんと挨拶しないとだめだよ? 今日から一緒に住むんだから」
「――やっぱりか!」
清太の驚きの声に、七枝、じいちゃん、ばあちゃんはきょとんとするのだった。
*
つまるところ、清太の祖父の家は二世帯住宅になっていた。
もともと広かった家だ。じいちゃんばあちゃん二人が住むには広すぎるし、二人ももう歳だ、なにかがあった時のためにも一緒に住むというのは良い選択だと思う。
家の西側、玄関入って左側がじいちゃんたちの生活スペース。春野家。反対東側、入って右側が七枝たちの家族、伊奈家のスペースになっていた。とはいえ、単に部屋で分かれているだけ。台所は兼用だ。居間も最初は分けていたが、台所は一つなのにわざわざ分けるのが面倒になり、結局、広い伊奈家側の部屋で一緒に食事をしているらしい。一応清太は、じいちゃんたちのスペースの一室を使う。しかし……。
「……知らなかった」
「ええ? うそぉ?」
夜。七枝と共に食器洗いを手伝いながら、台所で話していた。
「おっかしいなぁ。伯父さんたち知ってるはずだよ?」
「…………」
しかしここで、清太は父親たちに恨み言を言うことはできなかった。なぜなら、もしかしたら聞いていたかもしれないからだ。七枝の家族がこの町にいることすら忘れていたのだ、十分可能性はある。
引っ越し前、正直、清太はそれどころではなかった。逃げ道を用意され、そこに逃げ込むので精一杯。逃げた後のことなど考えていなかったようなヤツなのだ、逃げた先でのことを考える余裕などあるはずがない。例え聞いてあったとしても、そんなの右から左へ抜けてしまい、頭の中に留まることはなかっただろう。
「……まぁ、別にいいんだけどさ」
ちょっと驚いたというだけで、よく考えれば問題があるわけではない。賑やかでいいと考えるべきかもしれない。
「い、いいの? だって、その~……」
「別に問題ないんじゃないか?」
「せーたがそう言うなら、いいんだけど~……」
七枝の家族がいることは、今の清太にとってそれほど重要なことではない。それよりも、明日からの新しい学校生活の方が大事だし、気がかりだった。
「そういえば、やっぱ同じ学校だよな。僕たち」
「それはそうだよ。この町にそんないっぱい学校はないし、この町の子はだいたいうちの学校……北カグに通ってるよ」
北カグ、というのは私立北神楽高等学校の略。清太が明日から通う学校である。
「どんな学校?」
「どんなって、普通だよー。あ、でも各学年一クラスしかないの。せーたの前の学校に比べたらずっと小さい学校なんじゃないかなぁ」
「そっか。まぁ、そうだろうなぁ」
「それでも一クラス分の生徒が集まるのは、やっぱりこの辺りに学校がないからかな~。遠くにある公立か、私立のうちかっていうところだと思うよ」
「へぇ……そうなのか」
確かにこの田舎町だけでは、一クラス分の生徒は集まらないだろう。そこまで子供は多くないはずだ。電車通学してくる生徒もいるのだろう。
(ということは……昼間会った彼女も、同じ学校かもしれないな。よし)
「せーた?」
「ああ、いや。ていうかさ、その呼び方止めようよ」
「なんで? 普通に呼んでるだけだよ?」
「なんとなく。発音がだな」
「ふっふっふー。春のセーターってからかわれるのが恐いのかなぁ?」
「う、ぐ……」
小さい頃から、セーター、セーター、と言われてきたのだ。それほど馴染んだあだ名ではなく、清太をからかう際に使われる言葉だった。
「気にしすぎだよー。高校生にもなって、そんな親父ギャグみたいなあだ名を使う人いないよぉ」
「……だといいけど」
「ねぇねぇ。それより、せーたの前の学校でのこと教えてよ」
「ま、前の学校?」
「うん。どういう学校で、どういう友だちがいて、とか」
七枝の何気ない、当たり障りのないはずの質問が、胸に突き刺さる。
「そ、そのうち、な」
前の学校でのことなんて、無理だ、話せるわけがない。
……見知らぬ初対面の女の子には話せたのに。
そこで気付く。ああ、初対面だったからこそ、話せたのかもしれない、と。七枝のように、自分をよく知る人にはなんとなく話しにくい。
「しょうがないなぁ。むぅ、約束だよ?」
清太は返事をすることはできず、水を止めタオルで手を拭く。そしてそのまま自分にあてがわれた部屋へ逃げるように台所を出る。
「あ、せーた」
「な、なんだ? 話ならまた今度……」
「ううん、違うの。……これから、よろしくね」
「ああ……。こっちこそ。よろしく」
七枝は笑顔で、手を振った。清太は手を振り返し、今度こそ台所を後にする。
そして思う。
もし前の学校でのことを知っても、七枝は今みたく笑ってくれるだろうか……。
*
翌朝。七枝に叩き起こされ支度と朝食を済ませて、登校時間にはだいぶ早い時間に家を出た。ちなみに女子はセーラー服、男子は学ラン。前の街では高校がブレザーで、中学は学ランだったから、こうして再び学ランに袖を通すとまるで中学時代に戻ってしまったかのようだ。
「……それにしても早すぎないか? 時間」
「い、いいんだよ。ほら転校生なんだし、職員室行ったりしないといけないんでしょ?」
「そうなんだけどな。それにしても早すぎるっていうか……。先生来てるのかな」
「もう、細かいことはいいでしょ~。早起きは三文の得なんだよ」
何故か七枝は顔を少しだけ赤くして、早足で前を歩いていく。
そういえば朝起こしに来た時、なんだか嬉しそうに叩いてきた。もしかしたら、単に自分を叩き起こしてみたかっただけかもしれない。……変な従妹である。
学校は家から結構近い。じいちゃんの家よりも少し奥へ行ったところに、私立北神楽高等学校はある。だから案内自体も必要がないほどで、あっさり到着してしまった。
幼い頃に見た、学校。まさか自分が通うことになるとは思わなかった。
二人で校門をくぐろうとしたところで、後ろから車がやってくるのに気付いて端に寄る。
「うわぁ……すごいぞ、黒塗りベンツだ」
こんな田舎町でお目に掛かるとは。場違いもいいところである。
車はそのまま校門の前で止まる。運転席のドアが開き、比較的若そうなスーツ姿の男が降りてきて、反対、こちら側に回り込み、後部座席のドアをゆっくりと開ける。そしてそこから、七枝と同じセーラー服に身を包んだ女の子が姿を現した。
まず目に飛び込んだのは、ストレートの長い黒髪。艶のある美しい髪がさらさらと肩からこぼれていく様子に、思わず見惚れてしまう。ちらりと見えたその顔は、雰囲気に見合った美人顔。綺麗な白い肌が眩しい。
女の子は姿勢良く車から降りると、門の方へ数歩足を進め車の方に振り向く。髪がふわりと舞った。
端正な顔立ちに真っ白な肌、見事な黒髪。正に、絵に描いたようなお嬢様だ。
「瑠流子さんだ」
「るるこ……?」
「うん。クラスメイトだよ」
運転手は少女、瑠流子に「いってらっしゃいませ」と声をかけて運転席に戻り、車を発進させる。清太は呆然とベンツが去っていくのを見送った。
「あら? 七枝さん。おはようございます」
「おはよー。瑠流子さん」
「はい。七枝さん、そちらの方は……?」
「うん、あたしの従兄のせーた。昨日引っ越してきてね。ほらせーた、挨拶挨拶」
「え? あ、ああ。七枝の従兄の、春野清太、です。よろしく……お願いします」
「なるほど、あなたが……。これは、失礼しました。私は神楽坂瑠流子と申します。以後よろしくお願いします」
「はぁ……」
瑠流子が頭を下げるのに倣って、清太も深々と頭を下げる。
「……あれ? 僕のこと、知ってるんですか?」
「ええ。お噂はかねがね」
「……かねがね?」
まさか……前の学校でのことを知っている?
「そちらの七枝さんから」
「あー! ちょ、ちょっと瑠流子さん、し~っ! あのねせーた、転校してくることを話しただけだから!」
「どうしました? なにをそんなに慌てているのです?」
「な、なんでもない~……」
「ああ……」
思わず安堵の声が洩れる。それはそうだ。前の学校でのことなんて、知っているはずがない。七枝にも話していないのだ。出会ったばかりの彼女が知っているわけがない。……どうも、過敏になってしまっているようだ。
「はぁ。それよりお二人とも、今日は随分とお早いですね」
「あ、それはね、ほら、せーたは転校生だから。職員室行ったり色々あるんだよ~」
「なるほど。そうなのですね」
「うん! でも、瑠流子さんも早いね。いつもこんなに早いの?」
「それは……その、他の方には内緒にしていてくださいね。春野さんも」
「ん? 内緒ってなにを、ですか?」
「本当は、徒歩で来たかったんですが……。今日は新学期初日ということで、車で行けと言われてしまいまして。ならせめて、みんなが登校してくるよりも早い時間に、とお願いしたのです。あの、あまり車で登校してくるところは、見られたくないもので」
「ははぁ……なるほど。いいですよ、内緒にします」
「ありがとうございます。春野さん」
「辛いところだね、瑠流子さん。大変だぁ」
「いえ……。大変だとか、ましてや辛いだなんて、そんなことを言うわけにはいきませんから」
その言葉に、清太は思わずギクリとする。
『モテる男はツライってか』
『やめろよ。そんなの――』
「――それでは、私は先に教室に向かっていますね。また後ほど」
「うん、またあとでね」
二人の声ですぐに我に返る。
瑠流子は礼をして、校舎に向かってゆっくりと歩いていった。
どうして、急に思い出したんだろう。前の学校での記憶、あれは確かみんなに告白された直後くらいに……。
「でも……みんな、知ってるんだけどね」
「え? な、なにをだ?」
七枝の言葉に再び意識を引き戻される。前の学校のことではないとわかっていても、やっぱりつい身構えてしまう。
「瑠流子さんだよ。たまに車で登下校してること。だってそうでしょ~? あんな派手なベンツで登下校してたら、人の少ない時間帯選んだってすっごく目立つよ」
「あぁ……それもそうだな」
「でも、みんな特になにも言わないんだよ」
「そうなのか?」
「うん。瑠流子さんの家はね、この辺りの地主さんなの。名字も、神楽坂だし」
「神楽坂? あ、そういえば」
この辺りの地名は確か神楽坂と付いていたはず。学校の名前も北神楽だ。
「瑠流子さんも特別そのことを気取ったりしないの。大人しい、いい子なんだよ。でもやっぱり、みんなそれを気にしちゃうし、目立たないようにしても目立っちゃうんだよねぇ」
「ふーん……」
頷き、しかしこうしてなるべく人目に付かないように早く登校したり、気を遣い続けるのは、瑠流子自身やっぱりかなり大変なんじゃないかな、と思うのだった。
*
担任になる先生はやはりまだ来ていなかったため、清太は職員室の椅子に座らされぼうっと待つことになった。七枝は案内をするだけしてとっとと教室に行ってしまったので、清太は暇を持て余すことになる。すべては七枝が早く起こしたせいだ。
ようやく来た若い男の先生に挨拶し、続いて校長室に移動して校長先生に挨拶。それからまた職員室でしばらく待たされて、チャイムが鳴りホームルームが始まる時間になってようやく教室へと向かうことになった。正直、清太は待たされ疲れ少しウトウトしていたところだった。
しかしいざ教室を前にすると、さすがにぼうっとしていた頭ははっきりし、緊張する。
(そうだ……今日から、やり直すんだ)
逃げてきた自分。すべてを放り投げて来てしまったけど、だからこそ、同じことを繰り返さないようにしなければいけない。
(みんな……ごめん。僕は、とても卑怯だけど……)
ここから、新しい自分になるんだ。
「よし、入ってくれ」
先生に呼ばれ、清太は真っ直ぐ前を見て教室に入り、そのまま教壇の脇まで歩く。ちょっと早足になってしまったかもしれない。立ち止まり、そこで九〇度ターン、教室を見渡し一旦動きを止めて、絶妙なタイミングで頭を下げ礼をする。
「春野、清太です。親の仕事の都合で、引越してきました。これからよろしくお願いします」
再び一礼。軽く拍手があがる。よし、出だしは完璧だ。目立たず普通の挨拶。
頭を上げて、教室をもう一度見渡す。後ろの方の席で七枝がこっそり手を振っているのを見付ける。窓際近くの席に、さっき会った神楽坂瑠流子の姿も見付けた。一クラスしかないのだから当然なのだけど……。
(あれ……いないな)
しかし、昨日土手で出会った風間涼香の姿はなかった。一番後ろにある空席は、自分の席だろう。他に空席はない。
狭い町だから――。
花見の話とか、この学校のことだと思っていたけど、別の学校なのだろうか。
「えー。春野は伊奈の従兄なんだよな。伊奈、校内の案内はお前に任せていいか」
「は~い」
先生の言葉に、教室内が少しだけどよめく。でも驚きの声はあまりない。むしろ、やっぱりとか、本当だったんだ、という声がちらほら聞こえる。どうやら予め、転校してくるのは七枝の従兄だと情報が回っているようだ。
「あー、静かに。じゃあ春野、一番後ろのあの席がお前の席だ」
「はい」
清太は返事をして、机の間を抜けて一番後ろの席に座った。窓側から三列目だ。
机は六列五席に、清太の席を含めた三列は、机が一つずつ多く六席。どうやら男子の方が多いようで、両サイドの列には机が無く、左、一列飛ばして一番窓際列の飛び出た机に、男子が座っている。その男子と目が合うと「よっ。よろしくな」とガリガリ頭を掻きながら手を挙げてきた。
「よろしく」
フケが舞うのが見えてしまったが、清太は冷静に会釈しながら応えると、満足したのか彼は前に向き直った。次いで反対、右側。同じく一列空いた隣の男子の席。さっきの男子と同じように目が合うと「ふふっ、よろしくね」と微妙にしなを作って手を振ってきた。
「よ、よろしく……」
……少し気味の悪くなった清太は自分の方から視線を逸らし前を向く。
清太の斜め左前には、瑠流子が座っている。七枝は廊下側の後ろから二番目。ちょっと離れている。それから、名前も知らないクラスメイトの頭を見ていく。人数は三〇人くらい。確かに、この田舎町だけで揃う人数ではないなと思う。半分くらいは電車通学なのかもしれない。
それでも三二人(七枝を除けば三一人)。ちゃんと名前を覚えられるか心配だった。この学校は各学年一クラスしかない。ということは一年時からのクラス替えが無いということで、自分だけがクラスメイトのことを知らないのだ。自然、自己紹介など行われない。
(がんばろ……)
*
今日は始業式なので、体育館で始業式の後ロングホームルームで終わりの予定だ。清太の紹介が終わるとすぐに、先生の指示で全員廊下に出てぞろぞろと体育館へと向かう。
「よ、転校生」
「ああ、えっと……」
左の肩を叩かれ振り返ると、そこには窓際に座っていた男子生徒がいた。
「俺、原田正男」
「原田君」
清太は心の中でメモする。七枝と瑠流子を除けば、初めて名前を知ったクラスメイトだ。座っている時はわからなかったが、背は清太よりも高く、そしてお腹も少し……いや結構出ている。学ランのボタンを全て外しているのは、ひょっとしたら苦しいからなのかもしれない。
「マサでいいぜ。春野」
「え? ああ、わかった。マサ、ね」
ちょっと慣れ慣れしいな、と思ったけど、こういう奴は今の清太には非常に助かる。クラスに溶け込むきっかけになってくれるからだ。それに、なんとなく……前の学校で最後まで仲の良かった友人に似ている。体型はまったく違うけど、雰囲気が。
(女の子のことばかり気にしてたけど、アイツにもなにも言わずに逃げてきちゃったな)
「ぼくも、よろしくね。春野クン」
「えっ。……えーっと」
反対、右の肩をぽんと叩かれ振り返ると、そこにはマサとは反対側の隣の席の男子がいた。
「ぼくは半田譲。ユズでいいわよ」
「ユ……ユズ、ね」
マサとは対照的、線の細い、整った顔立ちの……言ってしまえば女の子のようなカワイイ顔立ち。いや、妙にクネクネしていて仕草や口調が女の子っぽいからそう見えるのかもしれない。
……さっきも少し思ったのだけど、もしかして、彼は。
「あ、今オカマとか、ホモとか思ったわね? でもそれはハ・ズ・レ。ぼくはね、女の子にしか興味がないの。だから安心してね? ふふふ」
「ユズはな、女の子を眺めるのが生き甲斐の男なんだよ。それが高じてこうなったんだ。悪い奴じゃないんだけどな。俺もまだこいつのお姉言葉に完全には慣れていない」
「そ、そうか……」
変なのが多いのかな……この学校。
「なぁなぁ、お前伊奈の家に住んでるって本当かよ?」
「ああ、それは……」
答えようとして、慌てて口を噤む。ああ、そうか。そういうことか。七枝が昨日、問題があるとかないとか言っていたのは、こういうことか。確かに、あんまりそういう話が広まるのはよろしくないのかもしれない。今頃気付く。
「隠すな隠すな。てか、みんなもう知ってるっての」
「へ?」
「あのなぁ。こんな田舎町で、そんなの隠し通せると思うか? 引越しの荷物が運び込まれた時点で、伊奈の家に誰か来るってのは筒抜けなんだよ。その上、お前が伊奈と一緒に歩いてるとこ見たやつもいるしな」
「そう、なのか」
なんだ、慌てて損をした。確かにマサの言う通りだ。この狭い田舎町で、一緒の家に住んでることを隠すなんてのは不可能だろう。瑠流子の車登校と同じ理由だ。
「まったく羨ましいよな。それで、なんかないのかよ」
「なんかってなんだ?」
「ドキドキイベントに決まってんだろ! 略してドキベン」
「なんだよその略。体に悪そうな弁当みたいだな。それか野球。……ていうか昨日引越して来たんだぞ。そんなの、あるわけない」
「春野クンはツッコミ気質かしら? それより、嘘はいけないわよ! 少なくとも、パジャマ姿くらいは見てるんじゃないのぉ? 隠しちゃだめよ。ぼくにきちんと、報告してっ」
「う……。いや、見てないぞ。昨日は部屋の片付けで疲れてたし、先に寝ちゃったしな。ていうか、報告なんてするかっ。そもそもドキドキするようなことなんてないだろ」
「おま、なに言ってんだよ。伊奈超かわいいじゃん。男子の間でも結構人気高いんだぜ?」
「そうよそうよ! ああ七枝ちゃん。クラスでもトップクラスよね。君の中にある幼さは女の子にとって一番の宝なのよ! そのことに本人も気付いて欲しいわ」
「ユズの感想はともかくな。カワイイのは間違いないわけだし、性格もいい。ちょっとほわんとしてるがな。誰にでも大抵笑顔で接してるし、人気あるのは当然だろ?」
「そうなのか……? 意外だな……」
「意外じゃねーよ! はっ。待てよ、こいつと仲良くなれば、あくまでこいつの家に遊びに行くという名目で伊奈の部屋を覗けるということかっ」
「いいわね! 七枝ちゃんの私服姿も見放題じゃない!」
「聞こえてるぞ。部屋は覗けないと思うぞ。私服姿はうちに来なくても見る機会あるだろ」
「ばっかだな、覗けないのなら覗くまでだろ」
「お出かけ用の私服じゃなくて、家でのラフな格好が見たいのよ!」
「お前ら……」
清太は心のメモに注釈を加える。馬鹿、と。
ため息をついて廊下を歩き、体育館に入る。すでにみんな体育館に入っていて、清太たちは一番最後。上級生、三年生もすでに並んでいた。
しかし一学年一クラスというのがどれだけ少ないか、清太はようやく実感した。二学年の全生徒が入っても体育館半分も埋まらない。後ろの方はがらんとしてしまっていてなんだか寂しい。もっとも、体育館が無駄に広いせいもあるかもしれないけど。
清太はマサたちと二年生の列に並ぶ。そしてふと、横の三年生の列に目を向けると……。
「……え? あっ」
髪を肩で切り揃えた黒髪。切れ長の目に、好奇心の強そうな大きな瞳。そして楽しそうに、面白そうに笑みを浮かべている少女。
昨日とは違うセーラー服姿の風間涼香が、清太を見てピースをしていた。
*
(上級生……先輩、だったんだなぁ)
歩きながら、そんなことをぼんやりと考える。
放課後。七枝に連れられて、清太は学校内を歩いていた。案内するとのことだけど、各学年一クラスのこの学校は、そう広くはない。グラウンドと体育館だけは無駄に広かったけど。すぐ終わるから、とのことで、昼ご飯を食べる前に案内をしてもらうことになった。
(あー……涼香に思いっきりタメ語で話しちゃったな。しかも呼び捨て。あの時は私服だったし、学年なんてわからなかったからなぁ)
それにしても、学年が違うという考えには至らなかった。何故だろう。あんまり年上という感じも、年下という感じもしなかったのだ。……年上に見えなかったというのは、少し失礼な話かもしれないけど。いや、下でも同じか?
先輩にタメ語。話し方なんて、彼女は気にしないような気がするけど……今度一応確認してみよう。学年は違っても、同じ学校ならば話す機会もあるはずだ。
「ちょっと~。せーた? 聞いてるの~?」
「え? ああ、聞いてる聞いてる」
「ほんとー? ほら、あそこが購買。それでね……」
「あっちが学食だ。すげえだろ、こんな田舎の小さい学校でも学食くらいはあるんだぜ」
「学食はいいわよお? 一人ね、綺麗なお姉さんがいるの! この学校の卒業生で――」
「もう……なんでマサくんとユズくんまで付いて来たの~?」
「いーじゃん。暇だし、こいつとは友だちだからな!」
「そうそう、友だちなのよー」
「そうなんだ? へぇ~……いつの間に?」
それは清太が聞きたかった。さっき言ってたこと、本気で考えているんだろうか。
「せーた、すごいね。よりによってこの二人と最初に友だちになるなんて」
こっそりと、二人に聞こえないように耳打ちしてくる。
言いたいことはとてもよくわかった。よりによって七枝が『よりによって』なんて言ってしまう理由も。だからため息をつくだけで、それに答える。
「あはは……。さてと、だいたい見て回ったよね~。そろそろ帰ろっか。おばあちゃんがご飯作ってくれてるはずだよ」
「おう、そうだな」
「お、いいな。じゃあ俺もお邪魔して……」
「ぼくもぼくも……」
「二人とも早く帰った方がいいと思うよ~?」
「帰れ」
「……はひ」
「つれないわねぇ……」
しゃがみ込み泣き出したマサとユズを放っておいて、清太と七枝は歩き出す。
「あれ、せーた、鞄はー?」
「教室だけど……って、なんだよ、持って来てるのかよ」
「なに言ってるのよ~。そのまま帰るから鞄持って来てって、ちゃんと言ったよね?」
「う……」
そういえば、言われたような気も……。どうにもぼうっとしていたようだ。最近こういうことが多い気がする。気を付けよう。
「……取ってくる。先帰っててくれ」
「もう……。家で準備して待ってるからね」
「はいはい」
「ぐすん。あ、俺たちも帰る」
七枝と、立ち直りとぼとぼと歩くマサとユズに手を振って、清太は教室に向かった。
学校は、校舎の一部が二階建てになっていた。清太たちの教室がある所がそうで、二、三年の教室は二階にある。もう二つ特別教室という名の空き教室が奥にあるけど、そこは万が一、二クラス分の人数が集まった時のための予備の教室だそうだ。……おそらく使用されることはないだろう。一階には奥から音楽室、化学室、美術室の順で並んでいて、一番手前に一年生の教室。ここまでが二階建て部分で、階段の正面に昇降口、平屋部分に職員室、校長室、図書室と並ぶ。そしてその先から外に出ると、購買部のある食堂と体育館が、渡り廊下を通じて繋がっている。
清太は階段を上がり、一番手前の二年の教室に入る。するとそこには、まだ一人、生徒が残っていた。
(あれ、神楽坂さん……?)
神楽坂瑠流子。彼女は自分の席に座り、窓から外を眺めていた。
暖かい、春の日差しが差し込む窓近くの席。一人肘を突いて外を眺める少女。腰元まで伸びた長い黒髪が、日差しを受けて輝いている。窓から風が入り込み、真っ直ぐに切りそろえられた前髪が微かに揺れ、きめ細やかな白い肌を際だたせる。窓から吹き込み心地よいそよ風を受けながら、少女は穏やかな笑みを浮かべていた。
――なんだかとても、絵になる姿だった。すべてが少女を美しく魅せ、調和の取れた完璧な――とはいえ、このままずっと見ているわけにもいかない。意を決して清太が教室の中に入ると、瑠流子はゆっくりと振り返り――調和が、崩れた。
「……春野さん。どうされました?」
「いや、僕はその、鞄を取りに……」
別に普通のことなのだけど、自分がその『完璧』を崩してしまったようで、なんだか罪悪感を感じてしまい、ついしどろもどろになってしまう。
「ああ。そういえば、七枝さんに学校の案内をしてもらっていたんですね」
「そういうこと……です。神楽坂さんはどうして残ってるんですか?」
……罪悪感とは別に、瑠流子が相手だと何故だか敬語が混ざってしまう。彼女が敬語を使ってくるからだろうか。
「私は……。朝と、同じ理由です」
「朝? あ、そっか。なるほど」
「はい。そろそろ、迎えが来ると思います」
黒塗りの目立つベンツでの登下校。毎回ではないようだけど、迎えに来て貰う時は少しでも目に付かないよう、下校時間を遅くしているようだ。
「家、遠いいんですか?」
「そうですね。歩くと二〇分以上はかかります。私はそれくらいなら、歩けるのですが……。自分の足で歩くの、好きですし」
「そうなんだ。確かに歩けない距離じゃなさそうですね」
「……本当は、自転車に乗れれば、一番いいんですけど」
「自転車? そっか、徒歩二〇分なら自転車だとちょうどいいですよね」
「やっぱり、そうですよね」
「ん? どういう意味……ですか?」
瑠流子は少しだけ顔を伏せ、ちょっとだけ悲しそうな顔で言葉を続ける。
「自転車は危ないからと、乗せてもらえないのです。登下校に時間がかかるのなら、車で送り迎えするからと……」
「自転車が危ない……。うーん、まぁそうっちゃそうだけど……」
転倒の危険性というのはあるのかもしれないけど、慣れてしまえば滅多にないことだ。ある意味では徒歩よりも安全だ。もっともこの辺りの治安的に、襲われるだとか物騒な心配は必要ないかもしれないけど。
どういう意味での安全性でも、やはりそれなら車で、となってしまうのだろう。
「私こう見えても、運動神経はそんなに悪くないんですよ。危険だからと自転車に乗らせてもらえませんが、転んだりする危険はないと思うのです」
「今まで、ちょっとでも乗ったことは?」
「ありません」
もしかしたら過去、家で乗ったことがあり転んだんじゃないかと予想したのだけど、違ったようだ。きっぱりと否定されてしまった。
「ということは……なるほど」
だとしたら、本当に親が心配し過ぎているだけなのだろう。
「自転車……乗ってみたいんですけどね。風が気持ちよさそうです」
ふと、じいちゃんの家にも自転車……ママチャリだけど、あったのを思い出す。それを今度学校に持ってきて、ちょっと乗せてあげるというのはどうだろうか。
「そうだ――」
(――って、待て待て!!)
提案しかけて、慌てて言葉を止める。
これは、この流れは、前と同じだ。友人にも言われたじゃないか。
『変にお節介して回るから、そうなるんじゃねーの? 普通はそんなうまくいかないもんだけどさ。お前の場合八方美人ってわけでもねーじゃん? だからかもな』
「なんですか? 春野さん」
「い、いや。なんでもない、ですよ」
いけない、動揺してしまっている。冷静にならないとだめだ。
「あの……春野さん」
「ななな、なんですか?」
「その、私に敬語なんて使わなくて構いませんよ」
「え? それは、ええとなんとなくっていうか……」
「なんだか喋りにくそうですし、無理しないでいいんですよ」
今のは動揺してしどろもどろになってしまっただけだけど、どうやら勘違いしたようだ。いや、してくれたようだ。
「ええと、じゃあ……わかりまし……わかった。神楽坂さんも、敬語使わなくていいです……いいよ」
「私は、誰に対してもこういう話し方になってしまうのです。すみません」
「はぁ……」
なんだかちょっとずるいが……。でも自分はいつでも敬語というわけではない。瑠流子のように家でしつけられたわけでもないから、変な感じになるし、普通に話した方が自然だ。
「それと、できれば瑠流子と、名前で呼んでください」
「それは……でも」
「お願いします……。その、私――」
清太はそこでハッと気付き、慌てて声を出す。
「わ、わかった。善処するよ。すぐには無理かもしれないけど。ああ、えっとそうだ、早く帰らないといけないんだった。ばあちゃんと七枝が待ってるんだった!」
瑠流子がなにを言おうとしたのかはわからない。だけど、聞いてしまったら……また同じことを繰り返すような、そんな気がしたのだ。だから慌てて言葉を遮る。それはもう、一種の強迫観念のようなものだった。親しくならないよう、流れを切る――。
とはいえ強引に話を途切れさせてしまったかもしれない。気を悪くさせてしまったかもしれないと思ったが、瑠流子は特に気にした風もなく、笑みを浮かべる。
「それはいけません。ほら、お急ぎにならないと」
「う、うん。急ぐね」
清太はほっとして、机の上の鞄を手に取り、教室の出口に向かう。
「……それじゃ、また明日」
「はい。また明日、お会いしましょう」
手を振り、清太は教室から駆けだす。
心の中になにか暗く重い物を抱えたようだった。
*
清太は急いで階段を下り、昇降口に辿り着いて、靴箱に両手をついた。
「はぁ~~~~……」
盛大に、吐き出すようにため息をつく。なにやってるんだろう、自分は。
「なにやってるのよ」
「ううわあぁぁ!」
後ろから声がして振り返ると、そこには楽しそうに笑っている涼香の姿があった。
「え、エスパーかよ!?」
「は? ウェハース?」
「全然違う! …………はぁ。まったく、ビックリした」
「失礼ねぇ。……それにしても、やっぱりまた会ったわね」
始業式の時も見かけたが、初めて会ったときのボーイッシュな格好ではなく、セーラー服姿。前に見た時よりもちょっとだけ幼い感じに見えるのは、そのせいだろう。
「そう……そう、です、ね」
「ん? どしたの、なんか畏まっちゃって」
「いやほら、実は先輩後輩という関係だとわかって」
「そうね。ま、わたしは昨日話を聞いてる時に気付いてたけど」
「……? あ、そうか。学年の話もしたんだった」
昨日の時点で、涼香は気付いていたのだ。
そういえば別れ際、自分のことを『おねーさん』と言っていたのは……こういうことだったのか。ただの悪ふざけだと思っていた。
「そういうこと。でもいいよ? 今更話し方変えられるのもなんか嫌だし。清太も、話にくいでしょ?」
「まぁ……。涼香がそう言ってくれるなら、普通に話すよ」
瑠流子と同じことを言われているのだけど、涼香の場合はすんなり受け入れられた。実は年上と話をするのはあまり得意ではないけど、やはり出会い方というのは大事なのかもしれない。
「うむ。よろしい。ていうかほんと、そんなの気にしなくてよかったのに」
「念のためさ。こういうことは、きちんとしておかないとって思って」
「ふーん……。ま、そうよね。……うん。その通りかも」
なにやらブツブツと、腕を組んで考え始める涼香。
やはりというかなんというか。彼女はそんなことを気にするタイプではなかった。
「それにしても、キミも大変ね」
「大変?」
「そ。さっきの、見てたわよー?」
「さっきの? ……あ」
忘れていた。さっきまで、瑠流子と教室で会話をしていたのだ。もしかして――。
「き、聞いてたの?」
「偶然ね。わたし、隣の三年の教室にいたし。帰ろうと思ったら、たまたま」
三年の教室から帰ろうとすれば、自然二年の教室の前を通ることになる。仕方がないと言えば仕方がないけど……。
「立ちそうになったフラグを無理矢理へし折る。同じことを繰り返さないって、本気なのね」
「フラグ……? 旗? よくわからないんだけど」
「親しくなるチャンス、ってところかな」
「ふーん? あ、そうか。自意識過剰とか思ったのか? ……いいんだ。前だってそんなことを気にしないで行動していたら、ああなったんだから。気にしすぎて悪いことはないはずだ」
「わかってるって。わたしは、事情を知ってるんだから」
そうだ……彼女は、この町で唯一、前の学校でのことを知っている。
「あれで……いいのかな」
「なにがよ」
「だから、神楽坂さんだよ。自転車も乗せてもらえないなんてさ。その……」
「彼女、地主の娘さんよね。三年の間でも有名よ」
「うん。金持ちは金持ちなりに、色々あるんだなって。きっと周りからは、そういう得する部分だけしか見てもらえないんじゃないかな。実際には自由のない、窮屈な思いをしてそうだなって思うんだ」
「……どうして、そう思う?」
「え? あれ、なんでだろう。……ああ、そうか。確かに僕の想像に過ぎないのかも。だけどなんか、なんとなく……そう見えるっていうか」
「……そう。だったら、その先をもう少し考えてみるといいわ」
「その先……?」
いつの間にか、涼香は真剣な顔になっていた。
「そ。わたしが今、聞いたでしょ? どうしてそう思うのか。どうして、そう見えるのか」
「そんな、理由なんて。ほとんど自分の想像だよ。それに、そんなに難しい想像ではないと思うんだけど」
「みんなが想像できるのなら、得する部分しか見てもらえないってことには、ならないんじゃない? お金持ちでなに不自由なく暮らしているってほうが、イメージしやすいと思うし」
「うーん……確かにそういう風に思う人もいるのかな」
「どうして清太は真っ先に、窮屈な思いをしていると想像したのか。その理由を考えてみて」
「う……むぅ」
涼香がなにを言いたいのか、清太にはよくわからなかった。そんなに重要なことだろうか? どうしてそういう想像をするのか。その理由なんて……。
「ま、これは宿題ね」
「宿題って……」
「じゃ、わたしはこれで。ちょっと約束があってね。そのために時間潰ししてたのよ」
「教室で?」
「そ。悪い?」
「いや、ぜんぜん?」
ここでうっかり悪いと言おうものなら、瑠流子も悪いと突っ込まれるのが目に見えている。
「ふふーん。それじゃ、またね。清太」
「ああ、うん。また」
一瞬悔しそうな顔をしたあと、今度は逆に嬉しそうな顔になり、笑顔で手を振って去っていく涼香。
「なんだかな……。ま、いいか。早く帰らないとまた七枝に――」
「――こらー! せーた、なにしてるのよー」
遅かった。手遅れだった。
涼香の代わりに、靴箱に現れたのは七枝だった。
「ごはん冷めちゃうでしょ? ほら急いでよー」
「わかったわかった。ちょっと待ってろって」
清太は素早く靴を履き替え、玄関に向かおうとする。が、七枝が立ちふさがっているため出られない。
「なんだ? 早く帰るんだろ……?」
七枝は黙ったまま、睨むように清太を見上げる。
「ああ、悪かったって。ごめん。そんな怒るなよ」
鞄を取りに行っただけなのに、帰りが遅くなってしまったことを怒っているのだと思い、素直に謝ったのだが……七枝はそんなことが聞きたいんじゃない、とばかりに、睨み続ける。
「……誰かと、話してたの?」
「え……?」
その通り、たった今まで涼香とここで話をしていた。それで遅くなったわけだけど……。
「あ、ああ。実はちょっと……」
「あら? まだお帰りになっていなかったんですね」
後ろからかかる、その声は。
「あ、瑠流子さん」
「へ? あ、あれ? 瑠流子さん、どーしたの?」
「私はその、少し事情がありまして。これから帰るところです」
「あ、そーなんだ」
ここで用事があった、と言い訳しないのは、さすがというか、単に嘘の吐けないだけなのか。
「七枝さんは、ここで春野さんを待っていたんですか?」
「ううん。遅いから迎えに来たんだよ」
「そうでしたか。すみません、七枝さん、春野さん。私と教室でお話ししていたせいですね」
「え、ええ? そうなの? せーた」
「う、うん……まぁ」
そうだ、涼香との会話で遅くなったのは確かだが、その前に瑠流子と話をしていたのも原因の一つだ。
「七枝さん、春野さんを許してあげてください。私が話しかけてしまったばっかりに、春野さんは帰るのが遅くなってしまったのです」
「そ、そーだったんだ……あ、ううん! だいじょうぶ、怒ってないから。うん!」
少し焦った顔をしていたが、最後にはいつもの笑顔で瑠流子に頷いていた。
「……それじゃ、急いで帰るか?」
「あ、そうだね。瑠流子さん、また明日ね」
「はい。また明日です」
七枝が手を振って小走りに玄関に向かう。清太も瑠流子に手を挙げて、靴箱を後にしようとする。
「それじゃ、また」
「はい……ありがとうございます」
瑠流子は、清太にお辞儀をした。
……どうやら、先に帰ろうと促したことに、感謝してくれたようだ。
車のことは、七枝も気付いていただろうけど。
(やっぱり、色々と……窮屈そうなんだよなぁ)
瑠流子の様子と、涼香の言葉。
清太の感じる印象に、やっぱり理由なんてないと、思うのだった。
フラグ2、長くなってしまったので前後編です。
後編に続く。