第3話 黄金の門
サトウ氏が目を覚ますと、そこは見渡す限りの純白の世界だった。
地平線もなければ空もない。ただ、足元に綿菓子のような雲が広がっているだけだ。
「やれやれ、シェルターの換気システムが故障したときはどうなることかと思ったが……。どうやら、運良く『あちら側』に来られたらしいな」
サトウ氏は独りごちた。彼は生前、数えきれないほどの人々に嘘の救いを売りつけ、私腹を肥やした男だ。本来なら行き先は決まっているはずだが、彼は持ち前の厚かましさで、ここが天国の入り口だと決めつけることにした。
前方には、真珠のように輝く大きな門があり、その脇に一台の事務机が置かれていた。そこに座っているのは、翼の生えた男――天国の受付係だった。
「お名前を」
「サトウです。地上では人々に救いの手を差し伸べる活動をしていました」
受付係は、分厚い名簿をパラパラとめくると、困ったような顔をした。
「サトウさん……。あなたの記録には、随分と多くの『塩』の売買データがありますが」
「おや、ご存じでしたか。あれはただの塩ではありません。不安に震える人々の心を清める、聖なる触媒だったのですよ。まあ、いわば私はボランティアのようなものでしてね」
「なるほど、ボランティアですか。ですが、あいにく天国は今、満席でしてね。しばらくここで待機していただくことになります」
サトウ氏はニヤリと笑った。待機。それは彼にとって「商機」と同義だった。
霧の中の商談
サトウ氏は、同じように門の前で途方に暮れている幽霊たちを見渡した。皆、生前の未練や不安を抱えた、弱々しい顔ぶれだ。
「皆さん、聞こえますか!」
サトウ氏は、雲を台座にして演説を始めた。
「天国は満席だと言われましたね? しかし、なぜ満席なのか、その真の理由をご存じですか?」
幽霊たちがゾロゾロと集まってきた。
「理由? ただの定員オーバーじゃないのかい?」
「甘い、甘すぎますよ! 実はね、天国の内部でも『新型の汚れ』が流行しているんです。地上のウイルスなんて目じゃない、魂そのものを腐らせる恐ろしい汚れです。だから入場の制限がかかっているんですよ」
幽霊たちの間に、さざなみのような動揺が広がった。死んでなお、彼らは「消滅」という二度目の死を恐れていた。
「ですが、ご安心を。私は生前、特権階級だけが知る『魂の除菌法』を研究していました。この雲を練って、私の念を込めた特製の『除菌団子』を飲めば、どんな汚れも一瞬で消える。今なら皆さんがお持ちの『徳のポイント』と交換して差し上げましょう」
逆転のロジック
サトウ氏の商売は、死後の世界でも爆発的に当たった。
幽霊たちは、天国に入るために必要な「徳」の蓄えを、次々とサトウ氏に譲り渡した。彼の手元には、莫大な量の「徳」が積み上がっていった。
ついには、受付係の天使までが彼の元を訪れた。
「サトウさん、大変なことになりました。あなたのせいで、他の皆さんの徳がゼロになってしまい、誰も天国に入れなくなってしまった。逆に、あなた一人だけが、始まって以来の『超高徳者』になってしまったのです」
「おや、それは重畳。では、私は一番良い席へ案内してもらえるのですかな?」
「ええ、ルールですから。ですが、その前に一つ……。あなたが広めた『魂の汚れ』という噂ですが、あれを信じた幽霊たちが怖がって、門をくぐろうとしないのです。どうにかしてください」
サトウ氏は肩をそびやかした。
「簡単ですよ。私が『完全除菌済み』の看板を門に掲げればいい。ただし、その看板のレンタル料として、天国の維持費の半分を私に譲渡していただきたい」
皮肉な結末
サトウ氏は勝利を確信した。
地上のウイルスをダシにして金を稼ぎ、死後の不安をダシにして天国そのものを手に入れる。これこそが最高のビジネスモデルだ。
天使は溜息をつき、真珠の門を開いた。
「分かりました。あなたの望み通りにしましょう。サトウさん、あなたは今日から、この天国の『所有者』兼『唯一の居住者』です。さあ、中へ」
サトウ氏は意気揚々と門をくぐった。
しかし、そこにあったのは、黄金の椅子でもなければ、美しい音楽でもなかった。
そこは、これまでの白い世界よりも、さらに徹底して何もない、「完全無欠の真空」だった。
「これは……どういうことだ?」
「お忘れですか。あなたは皆に教えたはずです。『魂の汚れ』を完璧に除菌せよ、と。その教えを忠実に守った結果、天国からは不純物である『感情』も『記憶』も『他人の気配』も、すべて除菌されて消えてしまったのです」
サトウ氏は慌てて引き返そうとしたが、背後の門は静かに閉ざされた。
「あなたは唯一の居住者として、そこで永遠に過ごすことになります。そこにはウイルスもなければ、デマを信じる愚か者も、金を払うカモもいません。あなたが作り上げた、完璧に清潔で、完璧に孤独な帝国です」
サトウ氏は叫ぼうとしたが、空気さえも「除菌」されたその場所では、声一つ上げることができなかった。
真珠の門の外では、徳を失った幽霊たちが、天使の計らいで「ただの土」へと還り、再び地上の森を潤すために降っていった。
結局、一番の「除菌」が必要だったのは誰だったのか。
天国の受付係は、サトウ氏の名前を名簿から消すと、新しいページを開いて次の客を待った。




