EPISODE 03:RIPPLE ─ 波紋
兵舎地下に設けられた司令室。幾重にもロックのかかった扉を抜けると、仄暗いモニタールームの中央に、氷室律がいた。
線の細い、ともすれば少年にも見えるような男だ。顎先まで伸びた真っ直ぐなプラチナブロンドの髪、人形みたいな造形の顔が、ブルーライトに照らされている。
律は薄暗い空間に背を向け、眼前の多層モニター群に視線を這わせている。彼の前のデスクには、先ほど回収された死体の生体データがリアルタイムで転送されていた。
扉が開き、灯音と焔が入室する。焔は襟元の焼け跡を手で払いながら、律に軽く顎をしゃくった。
「帰ったぜ。死体は冷凍保管庫に回した。身元は不明、登録番号も勿論不明。たぶん、ブースター使ってる」
律は振り向かず、手元の端末を操作する指を止めない。光に照らされた無機質な画面に、解析中のデータが次々と浮かび上がっては消えていく。
「……脳波の断裂と、内臓の温度変化。爆散のタイミングと、異能の出力にズレがある。自爆じゃない、制御不能だ」
灯音が眉をひそめた。躊躇いがちに口を開く。
「つまり暴走?」
「未登録異能者、しかもブースター使用者。異能の出力リミッターが存在しない。発現の瞬間に、自壊するリスクを抱えてる」
焔が忌々しげに舌打ちする。口の端を引きつらせ、苛立ちを隠そうともせず言い放つ。
「誰かがブースター打たせて放ったってことか。兵器じゃねえか」
沈黙が数秒、空気のように沈んだ。誰もがその可能性に対して、薄ら寒さを覚えていた。律は静かに頷き、端末を閉じてようやく背を預ける。
「その答えが、明日第四部隊から届く」
彼の目はすでに次の展開を読んでいた。だが、心の奥底で感じる嫌な予感は、データには映らない。
翌日、ブリーフィングルームには亡霊部隊の全員が顔を揃えていた。テーブルを囲むのは、狙撃手の九重朔夜、精神干渉の異能を使う如月澄玲、衛生兵の羽柴紫、そして前線から戻った焔と灯音。
硬質なフロアに靴音が響く中、テーブルの一角、黒革の椅子に、焔がふてぶてしく腰を下ろしていた。背もたれに体を預け、無造作に両足をテーブルに乗せている。
「ねえそこ机」
先に来ていた灯音が咎めるようにぼそっと言ったが、焔は気にも留めず欠伸をひとつ。
「あ?気にすんなって。この席俺ンだし」
「りっちゃんに怒られるよ」
「あいつだって今更気にしねえよ」
しばらくして規則正しい足音とともに、氷室律が入室する。折目正しく隊服を纏った彼の視線が一瞬、焔の足に向いたが、何も言わず資料端末を操作しながら報告に入った。
律が前方のホロディスプレイを操作し、解析結果の映像を全員に提示する。
《第四部隊医療解析チームより提出:検体01の解剖報告》
淡々とした合成音声とともに、死体の体内構造がホログラムとして浮かび上がる。視神経から脳幹へ、そして脊髄付近──L3~L4領域にかけて、黒く変質した組織が映し出される。
「ここ、腰椎付近に人工的な注入痕がある。第四部隊の言葉を借りるなら、“異能中枢への直接刺激”。ブースターを使って、意図的に暴走を引き起こした形跡だ」
異能コアとは、生体に宿る異能の根源的構造であり、能力の発現・制御・拡張に不可欠な中枢機関である。脳幹部に近接して存在する特殊な神経核組織で、視床下部付近に位置する。この領域は本来、生命維持・感情制御・内分泌調節などを担う極めて重要なエリアであり、そこに異能コアが融合・形成されることで、生体全体の神経ネットワークに異能を統合させている。
律の説明に、澄玲が小さく息をのむ。
「つまり、あの異能暴走は"事故じゃない”ってこと?」
律はその言葉に小さく頷き、続けてホログラムを切り替えた。《脊髄神経節・L3〜L4断面スキャン》と表示された新たな画像が浮かび上がる。そこには、神経組織に強引に接続された異質な構造体──コアと思われる球体が、神経線維と癒着するように存在していた。
「それだけじゃない。先日の未登録異能者──司法解剖の結果、異能コアが脊髄のL3/L4神経節近くから摘出された」
律の声は静かだが、どこか底冷えのする響きを孕んでいた。
「通常、異能コアは視床下部周辺で形成される。これは先天的異能者に共通する生理的特徴だ。しかし今回の位置は明らかに不自然だ。外科的に異能コアを移植された痕跡がある」
焔がテーブルから足を下ろし、鼻を鳴らすように笑った。
「ンなことできんのかよ」
「理論的には可能だ。だが安定性は低く、副作用のリスクも高い。……実際、あの個体も暴走の末に死亡している」
律はホログラムに映る脊椎の断面図を示しながら、視線を上げる。脊椎周辺に微かに発光する楕円形の異物。周囲の神経繊維と奇妙に癒着している様子は、自然な成長の産物とは思えない。
「これは偶発的なブースターによる異能暴走事件ではない。人工的に異能者を“製造”し、意図的に暴走させた……としか思えない。それも、適合率の極めて低い方法で、強引に異能中枢へ刺激を与えるような手段で、だ」
紫が声を震わせ、灯音が低く息をつく。
「そんな……異能を“後から埋め込む”なんて、本当に……?」
「……実験だよ。人間をサンプルにした、失敗前提の……」
実験。それは極めて非人道的な人体改造に他ならない。この異能者が自ら望んで異能コアの移植を受けたのか、あるいは逃げ場のない事情に追い込まれたのか──その真実は闇の中だ。
だがひとつだけ確かなのは、彼の命が研究室のケージに入れられたマウスよりも軽く扱われていたという事実だった。
「今回の事例が最初ではない可能性もある。他にも同じように暴走して死んだ異能者が、記録にも残らず処分されてきたとしたら……」
律が淡々と結論を下す。
「偶発的な事故ではなく、人工的に異能者を“作ろうとした誰か”の意図を感じる。……組織的な犯罪の可能性がある」
室内に、しんと沈黙が落ちた。
今、彼らが向き合っている敵は、ちょっと法に触れただけの未登録異能者などではない。何者かによって計画され、設計され、作り出された異能者たち——そしてその裏には、異能の根本的な価値観を塗り替えるほどの“思想”が存在している。
冷たい照明の下、ブリーフィングルームに重く静かな空気が漂っていた。