EPISODE 01:TRACE ─ 痕跡
21XX年。
世界は、かつて“異能“と呼ばれた特殊な力の発現と共に大きく変貌を遂げた。
一部の人間が生まれながらにして持つこの力は、初めこそ超常の奇跡と崇められたが、やがて災害となり、犯罪となり、兵器となった。
各国政府は異能保持者を管理・抑制するため、法整備と共に軍事的な利用を開始。
中でも《特務異能対策班 第十三分隊》は、異能に対抗するため異能をもって組織された精鋭部隊である。
公式記録にすら残らない、影に潜む“捨て駒“たち。
通称、《亡霊部隊》と呼ばれていた。
空は黒に近い藍色に染まっていた。
濁った空気を裂くように、複数の黒い影が瓦礫の上を滑走する。舗装が割れたアスファルトの隙間から、無造作に草が伸びている。誰もいなくなった商店街のアーチには錆びついた看板が風に揺れ、時折ギィと軋む音を立てた。
よく見れば建物の外装は焼け焦げ、ところどころ溶けたように歪んでいる。路上には、熱衝撃で黒く焼けた車の残骸。中に人の影はない。ただ、焼け切らずに残った衣類の裾や焦げた子ども用の靴が、ここに誰かがいた痕跡をぼんやりと残していた。
街灯が少なく、辺りにはほとんど光が届かない。重金属とプラスチックの焦げた臭いがマスク越しに鼻をつき、嫌な頭痛を引き起こす。
「ここが中心地ね」
そう呟く女性の声が、街に吸い込まれていく。
天城灯音。毛先が外にはねたミルクティーブラウンのポニーテール、小柄ながら動きは俊敏。装備ベストの上からぶら下げたガジェット類が、彼女の動きに合わせてガチャガチャと音を立てた。
彼女が手に持った小型のセンサーは、異能の発動時に発生する微細なエネルギー粒子を感知する。思った通り、センサーには微弱な異能反応が残っていた。
事前調査の報告によれば、以前ここで確認されたのは高密度の“熱圧縮型“異能。目の前一帯に広がる焼け跡はその力の痕跡──この街を“灼いた誰か“がいた証だ。
ちょうど足元にある不自然なほど綺麗な“穴“。まるで爆風の中心地が、正確にこの場所だったとでも言うようだ。
ここはもう、誰も帰ってこない場所になっていた。
《亡霊部隊》はこういった“死んだ街“に派遣され、過去に起きた“異能の痕跡“を日夜回収・調査し続けている。
瓦礫の山を踏み越え、ひしゃげた車の残骸の隙間を縫うように歩く。灯音と連れ立ってもう一人、長身の男が無言のまま後ろから着いていく。どうやら爆風は人通りの多い時間に発生したらしい。
「クセェな、ここ」
灰まみれのジャケットの前を開けたままの男がそう呟く。神代焔。燃えるような深紅の髪を、無造作にハーフアップに纏めている。長い前髪の間からは、なかなか精悍な顔つきが覗いていた。彼は焼け焦げた建物の一角で立ち止まり、口元を袖口で覆いながら顔を顰めた。地面に染みついた血液と、焦げた鉄と、腐った何かの混ざった臭いが風にのって鼻をつく。
「化学物質の残留があるかもしれないから、マスク付けてってあんなに言われたのに」
感知センサーを持ったままの灯音が焔の方へ振り返る。焔はいつもこの調子だった。いくら上層部や隊員が言い聞かせても、ほとんど言うことを聞いた試しがない。灯音はまるで呼吸を整えるだけですとでも言うような、小さなため息をついた。
「異能の残留エネルギーは、このブロックに集中してる。熱源感知は……ないね。もう異能者は逃走済みか、あるいは」
「死体か?」
焔があっけらかんと答えると、灯音は肩をすくめた。
「まだ断定はできないけど。見てみる?」
「お前、こういうの平気だよな。神経どうなってんだよ」
「何年この仕事やってると思ってんの?死体なんかより、生きてる異能者の方がよっぽど怖いっつーの」
軽口を交わしつつ、二人は倒壊しかけたビルの一階部分へ入っていく。中は暗く、埃が舞い、空気は酷く乾いていた。朽ちた机や書類の残骸が散乱し、異能の余波と見られる融解跡が床に転々と残る。
「ここ、オフィスだったみたいだね。パソコンも書類もみんな焼けちゃってる」
「……チッ、おい。気配がする」
「ん?」
「逃げた異能者か、野良か。どっちにしても出てこいよ」
焔が声を上げた瞬間、どこか遠くでガラスの割れる音がした。ビルの外だ。二人が同時に動く。焔は拳を構え、灯音は腰元の端末を操作して指先に微かな電磁ノイズを纏わせた。
「……今の、見た?」
灯音が小さく呟く。
ガラスの割れた音のする方へ向かう途中、瓦礫に埋もれた廃ビルの影を抜けた瞬間、ひときわ濃い異能反応がセンサーに引っかかった。異能反応:高圧熱源感知。強度:Aランク相当。
焔は無言で頷き、足元の砕けたガラスを蹴散らして前方へ出る。風が、焦げたプラスチックの臭いを運んできた。
──誰かがここでついさっき、火を使った。
焔はヘッドセットを抑えながら、司令室との通信が繋がっていることを確かめる。コンマ数秒のノイズの後、聞き慣れた声が耳に入ってきた。
「律、聞こえるか」
『ああ、反応を確認した。追跡しろ』
無機質な通信音に続いて、ノイズ混じりの声が響く。
氷室律。《亡霊部隊》の隊長であり、司令官である。無駄のない喋り方と静かな口調の奥に滲む圧──それだけで聞く者の背筋を正させるものがある。姿は見えずとも、その声は常に現場の中心にあった。
「なんか妙だ。焼け跡はあるのに、焦点がバラけてる。狙って撃った感じじゃねえ」
『異能暴走の痕跡か……灯音、地形データを送ってくれ。推定逃走ルートを割り出す』
「了解!」
灯はベストの上にぶら下げているガジェット類の中から小型のスキャナーを外し、空中にかざす。周囲の地形がスキャンされ、それが司令室に送られる仕組みだ。機械いじりが趣味の、灯音のお手製スキャナーである。
『データ受信。北東に廃駅跡がある。地下からの逃走ルートが複数存在する』
「わざわざ潜るタイプか?めんどくせえな」
「でも、逃げ慣れてる感じするね。りっちゃん、相手の異能の詳細わかる?」
『熱圧縮型。焔の異能と系統は似ているが、性質が異なる。恐らく逃走用に一部強化されたものだ』
「強化ねえ……今流行りのドーピングか?」
最近未登録異能者の間で、一時的に異能の出力を高めるドーピング剤が流行っているという話を耳にしていた。神経伝達の閾値を一時的に引き下げることで、異能の発現頻度と出力を人為的に底上げする。俗に“ブースター“と呼ばれ、使用後は神経系への過負荷による震えや言語障害を引き起こすこともあるとして、国はこれを違法薬物と定めていた。
『可能性はある。だが断定はできない。慎重に追え。焔、お前の異能使用は最小限に。灯音が先導しろ』
「りょーかい……うし、行くぞ」
「あんたこそ、くれぐれも暴走しないでよね」
二人の姿は焦げ跡の先、闇に呑まれた地下通路へと消えていった。