9.懐かしさ、あるいはぬくもり
夢を見た。
知っているようで、何かが違う、そんな光景。
家々は荒れていて。草木は枯れていて。人通りは少なくて。
世界はこんなにも寂しいのに。丘に立ち、都を見下ろすその男の目は、きらきらと輝いている。
“ごらん、八雲。皆、ここで生きている。人の営みが、都を作っているんだ”
瞬きをして、言われた方角を見る。朝市だろうか。その一角だけ、多少は賑わっている。皆、疲れ、やつれているのに。食べ物を買い求める顔はほっとした笑みを浮かべている。
隣の人物は、それを嬉しそうに眺めていた。
風が吹く。肌を撫で、髪を揺らした一陣の風が、丘を下って都を駆け抜けていく。
“腕がなるね。時代を、国を、一緒に作っていこう!”
両手を広げ、彼は、……張角は、温かな笑みでそう告げた――。
* * *
「――さひ……、あさひ……、朝陽!」
「…………ふぇ?」
頭の上から降ってきた声に、朝陽は重い瞼を開く。寝ぼけ眼を頑張ってこらすと、心配そうな顔をした一生と目が合う。
(朝か……?)
木目の天井も、視界の端に写り込む古箪笥も、見慣れた朝陽の部屋の物だ。
いつの間に寮に戻ってきて、眠りについたんだっけ。昨夜は土蜘蛛が現れたり、みんなが捕まったり、色々あって大変だったのに――。そんなことを考えながら一生の整った顔を眺めていた朝陽は、三秒くらい経ってようやく飛び起きた。
「いいい、一生! お前、身体は大丈夫なのか!?」
そうだった。昨夜は霊溜まりの霊魂を祓いに行った先で、土蜘蛛に襲われるというハプニングがあったのだ。
幸い、一生たちは気を失っていただけで命に別状はなかった。とはいえたっぷりと霊気を奪われたことに変わりはなく、大事を取って医務班に回収され、医務棟で一晩を過ごしたはずだ。
担架で運ばれていった一生たちの姿を思い出し、朝陽は両手をワキワキとして身を乗り出す。見たところ顔色も悪くないし、すっかり元気なように見えるが……。
すると一生は、顔をしかめて目を逸らした。
「――私はむしろ、あなたこそ目を覚まさないのではと思ったのですが」
「え、なに? やっぱ気分が悪い????」
よく聞こえなかった朝陽はますます身を乗り出す。けれども答える代わりに、一生は首を振って立ち上がった。
「私の思い過ごしならいいんです。……朝から邪魔をしました」
端正な切れ長の目で朝陽を一瞥をしてから、一生は部屋を出て行った。取り残された朝陽は、床の上に座ったまま首を傾げた。
「なんだったんだ、あいつ……?」
“走りなさい、我が主!! 祀殺神八雲が、彼の獲物を燃やし尽くしてしまうまえに――――!”
八雲に煽られ、土蜘蛛と交戦を始めたあと。
朝陽は、それはそれはえらい目にあった。
“ふはははは!! 主殿!! そんなへっぴり腰で、大丈夫ですかな!?”
“ぎゃあああ!?!? 八雲!! お前、蜘蛛の糸の防御は任せろって豪語してたよな!?”
“これは愛の鞭にて!! これしきの攻撃を易々と躱せなくては、主殿の目指す『最強に強くて、最高にカッケえ退魔師』にはなれませんぞ!?”
“だから、人の全力の夢を笑うんじゃねええええーーー!!!!”
顔を洗った朝陽は、昨晩のアレコレを思い出してげっそりと肩を落とした。
(八雲のやつ。なぁにが、貴方を全力でサポートいたします、だ。あいつ絶対に、すったもんだする俺を見て笑いたかっただけだろ!)
おかげで大変だった。蜘蛛の糸を頭からかぶりそうになったり、あわや鋭い鋏でお腹を真っ二つにされそうになったり。
自慢の俊敏さを活かして間一髪で攻撃を躱しはしたけれども、何度となくヘンテコな踊りのような動きを披露してしまった。そのたびに、八雲は腹がよじれるほど笑い転げていた。
とはいえ、八雲に助けられたのも事実。結果として朝陽は生きているし、一生たちも無事だ。ギリギリの戦いだったけれども、土蜘蛛もなんとか祓うことが出来た。見習い退魔師としてはあり得ない快挙だ。
(だからって、あいつに感謝するのはなーんか釈然としないけどな!)
苦笑いしつつ、朝陽は渡り廊下を歩く。そうして食堂に足を踏み入れた途端、わっと食堂の中が沸いた。
「英雄の登場だ!!」
「うわっ!?」
びっくりして、朝陽は入り口で足を止める。すると瞬く間に、食堂に集っていた先輩たちが朝陽を取り囲んだ。
目を白黒させる朝陽を、先輩たちは背中をバシバシと叩いたり、頭をぐちゃぐちゃに撫でるなどして、もみくちゃにした。
「朝陽ぃ! お前、昨晩はお手柄だったなあ!」
「土蜘蛛を一人で祓ったんだって? すごいじゃないか!」
「しかも、捕まっていた一生たちを助けたんでしょ? やるわねえ!」
「あ、あざっす!」
先輩たちに好き勝手されながら、朝陽は頬を紅潮させて背筋を伸ばす。昨晩は医務棟に一生たちが運び込まれるなどバタバタしていてそれどころではなかったが、一晩経って一生たちの無事が確定したことで、改めて朝陽を褒めに来てくれたらしい。
その時、先輩たちの分厚い壁をかき分けて、一人の退魔師が輪の中心に飛び込んできた。
「朝陽ちゃーーん!! 無事でよかったよーーーー!!」
「八千代さん!?!?」
泣きながら朝陽に抱き着いてきた、ザ・美人。誰にでも気さくで明るい百徳院のアイドルで、朝陽の密かな憧れの女性である八千代に抱きしめられ、違う意味で朝陽は真っ赤になる。
動揺する朝陽にしがみついたまま、八千代はわんわんと泣いた。
「ごめんね、ごめんね! 私たちの事前調査が甘かったばっかりに……! いっちゃんたちのことも、助けてくれてありがとうだよーーーー!」
「や、八千代さん、落ち着いて! 霊溜まりに土蜘蛛が吸い寄せられたのは、先輩たちの調査が終わったあとだろうって、周防さんも言ってたじゃないっすか」
「でも、でもーー!」
「八千代の言う通りだ」
人垣をかき分けて、もう一人、先輩が現れる。さらりと黒髪を揺らす彼は、八千代と一緒に事前調査を行っていた法月だ。目を丸くする朝陽に、法月は見ているこちらがびっくりしてしまうほど、きっちりと直角に頭を下げた。
「土蜘蛛が現れたのが調査が済んだ後だとしても、あの霊溜まりが安全で、お前たち見習いを連れて行っても問題ないと判断したのは俺たちだ。危険な目に遭わせてすまなかった。皆を助け、無事に帰ってきてくれたことに、改めて礼を言う」
「やめてくださいよ、法月さんまで!」
本格的に背中がむず痒くなってきて、朝陽は慌てて両手を振る。「だが……」と眉尻を下げる法月に、朝陽はにかっと笑ってみせる。
「全員無事で、全員生きてるんです。それでいいじゃないですか。霊溜まりも無事に祓えて、ミッションコンプリートってことで!」
ブイっと二本指に立てる朝陽に、法月と八千代が顔を見合わせる。その後ろでは、ほかの先輩たちが同意するようにうんうんと何度も頷いている。
――そのさらに向こうから、滅多に聞かない声が響いた。
「――やっぱり、若い子の成長は目を瞠るものがあるね。君の成長を知れて、僕もとても嬉しいよ」
皆がびっくりして、声の主を探すべく人垣が真っ二つに割れる。その最奥に立つすらりとした長身に、思わず朝陽は声をひっくり返して叫んだ。
「師匠……宗次さん!?!?」
朝陽の声に応えるように、百徳院の現当主――吉備宗次は穏やかに微笑んだ。