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8.夢、あるいは真の契約



「お前なら、土蜘蛛(あいつ)をどうにか出来るんじゃないか」


 確信を持った強い眼差し。朝陽のそれを受け止めながら、八雲は失望に目を細めた。


(つまらん。この者なら、あるいはと思ったが……)


 この朝陽という少年を見たとき、鳥肌が立った。


 眩い輝きを放つ、純白の穢れなき霊気。その光は力強く、温かい。これほどまでに澄んだ霊気を持つ者がどんな人間なのか、八雲は興味が湧いた。


 だが、所詮はこの程度。次に彼が言うセリフはわかっている。


 力を貸せ。働け。自分の為に奉仕しろ。


 身の丈に合わない力を得たとき、欲望が芽吹いたとき、容易くひとは変わる。力を利用し、のし上がろうと欲が沸く。その欲はいずれ、心を深く、黒く、染め上げる――。


(こやつも所詮()()と同じ、か)


 他者を踏みにじり、蹴落とし、積みあがる屍の上で甘い汁を吸うケダモノたち。この少年も、いずれ同じになるのだろう。清廉な輝きを失い、澱みを胸に抱くようになるのだろう。


 別に構わないかと。八雲は大した感慨もなく頭を切り替える。


 輝きを失うならいい。人としてごく当たり前の、醜い穢れを背負えばいい。


 薄い笑みに上書きするように、八雲はにっこりと愛想笑いを浮かべた。


『ええ、もちろんです! わたくしなら瞬きの間に土蜘蛛(あやつ)を綺麗さっぱり滅してやれますとも!』


 両手を広げてみせれば、朝陽の目がきらりと光った。強い眼差しを冷ややかに受け止めながら、八雲は口ぶりだけは歌うように続ける。


『主殿はただ、命じてくださればよろしい。すべては、この八雲がなんなりと。いまこの時ばかりではありません。貴方に溢れんばかりの名声を。抱えきれないほどの栄光を。この世の富と栄光のすべてを、貴方様に献上いたしましょう』


 さあ、と。八雲は心の中で続ける。


 目に欲を宿すがいい。胸を渇きに疼かせるがいい。


(その時は一切の躊躇いなく、お前を魂ごと喰ろうてやろう——)


 秀麗な顔に笑みを張り付けたまま、八雲はじっと答えを待つ。永遠のような一瞬のあと、ついに朝陽が口を開いた――。





「断る」





『――――は?』


 まさか断られると思っていなかったのだろう。鳩が豆鉄砲をくらったような顔で、八雲が固まる。


 断る? 下級幽鬼の一体すら倒せない、ひよっこ退魔師の分際で? いまにもそんな声が聞こえてきそうな八雲に、朝陽は首の後ろをかいた。


「お前に任せた方が早いし、一生たちを確実に助けられるってのはわかってる。だけど、それじゃ俺が目指しているものになれない気がするんだ」


『貴方が目指すもの……?』


 八雲は訝しげに首を傾げる。それに、朝陽はこれまでと変わらない、まっすぐで力強い眼差しで答えた。


「俺は、幽鬼に怯える人の胸に、希望の光を宿せるような退魔師になりたい。そのために、俺は本当の意味で強くならなきゃいけないんだ」


 胸に拳をあてて、朝陽は瞼を伏せる。思い出すのは6歳の夏。その頃の朝陽には当然、退魔師としての知識もスキルもない。幽鬼はとんでもなく恐ろしい存在で、朝陽は泣いて逃げ回ることしか出来なかった。


 幸い、朝陽の祖母は小さな神社の元神主で、代々に伝わる独特な技で毎度幽鬼を追い払ってくれた。だから大事には至らなかったけれど、周りにはいつも朝陽の霊気目当ての幽鬼がうろついていた。近所の大人たちは朝陽に自分の子供を近づかせたがらず、朝陽には友達ひとり出来なかった。


 若き日の――百徳院当主になる前の吉備宗次に出会ったのは、そんな頃だった。


 夏の夕暮れ。いつも通り幽鬼に追いかけ回されていた朝陽の前に、宗次は現れた。すさまじい光の傍流で一瞬にして幽鬼を吹き飛ばした彼は、恐怖も忘れてぽかんとする朝陽に、振り返って微笑んだ。


“いつも心に光を宿していなさい”


 ぺたりと座り込む朝陽に、宗次は地面に膝をつけて視線を合わせた。その時の、まっすぐできらきらとした眼差しは、今でも瞼の裏に焼き付いている。


“闇は光に焦がれるが、光には闇を祓う強さがある。大丈夫。君のその輝きは、いずれ君を守る武器になる”


 その時に渡してくれた幽鬼除けの護符は、いまでも朝陽の宝物だ。その日から宗次は、朝陽の憧れとなり、目標にもなった。


「俺は、師匠みたいになりたい。師匠みたいに、幽鬼に泣いて怯えるしかなかった子供の心にも、熱い火を灯せるような退魔師になりたい。――まだ力不足だけど、俺はそのために百徳院に来たんだ」


 ぎゅっと手を握りしめ、朝陽は決意を瞳に宿す。


 けど、八雲の言うことも正しい。朝陽ひとりでは一生(いつき)たちを救えない。土蜘蛛を倒すどころか、土蜘蛛にもう一体、霊気たっぷりの新鮮な肉を与えてしまう。


 だから、と。朝陽は凛と八雲を見上げる。


「土蜘蛛を倒して、みんなを助ける。そのためにはお前の助けが必要だ。――手を貸してくれ、八雲。土蜘蛛(あいつ)からみんなを助けるために!」


 八雲が息を呑み、切れ長の目を瞠った。


 ――その目が、一瞬だけここではないどこかを眺めたような気が、朝陽にはした。


 懐かしむような――もういない誰かを愛おしむような。温かく優しげな眼差しに、不覚にも朝陽は目を奪われる。けれども理由を問う前に、八雲は『く、はは!』と笑い崩れた。


 ひいひい腹を押さえて笑う八雲に、朝陽はなんだか恥ずかしくなった。


「な、なんだよ! ひとの全力の夢を笑うなよ!」


『失敬! しかし、青臭いといいますか、愛らしいといいますか。主殿は(まっこと)、退魔師というものに夢を抱いてらっしゃるのですねえ』


「言うなよ! 自分でも思ってたけど!!」


 真っ赤になって朝陽は憤慨する。ちなみに朝陽のこの夢は、以前同期のみなに話したときは、虎之介には「ガキくせえ!」と爆笑され、一生には心底嫌そうな顔で「くだらない夢ですね」と一蹴された。


 それでも大切な夢なのだ。それでも譲れない目標なのだ。朝陽が拳を握りしめたとき、『ですが、ええ』と八雲が柔らかく朝陽を見下ろした。


『悪くはないですね。個人的には気に入りました』


「ほんとか? なんだかすっごく、生暖かい目をしてる気がするんだけど……」


『わたくしなりの愛情表現ですよ。――まったく。随分と喰らいがたき主に仕えてしまったものだ』


「え、なんて?」


 最後がよく聞き取れなくて、朝陽は身を乗り出す。けれども八雲は、元の胡散臭い笑みに戻って口元に手を添えた。


『それより、よろしいので? わたくし共が話し込んでいる間に、ご友人方はすっかり目を回してしまわれたようですが』


「やっば! そうだった!」


 八雲が言う通り、一生たちは土蜘蛛の糸にがんじがらめにされたままぐったりとしている。霊気を吸われて、意識を失ってしまったのだろう。一方の土蜘蛛は、朝陽たちを威嚇するようにカチカチと鋏のような足を鳴らしている。


 獲物を奪われまいとしているのか。はたまた朝陽も捕えようとしているのか。臨戦態勢をとる土蜘蛛に、朝陽も急いで懐から呪符を取り出した。


「そうだよな。お前も、俺たちとやり合うつもりしかないよな!」


 土蜘蛛が尖った腹を朝陽に向けるのと、朝陽が呪符を数枚、ばっと目の前に広げるのとが同時だった。きっとあそこから、一生たちを捕えたのと同じ蜘蛛の糸が飛び出してくる。まずは防御をしなければ!


 けれども朝陽が呪術を唱えようとしたそのとき、背後から凛とした声が飛んだ。


『――――祓火(はらいび)!!』


 次の瞬間、土蜘蛛の腹の周りで青白い炎の爆発がおこり、前に出ようとしていた朝陽は爆風で尻もちをつきそうになった。その炎の激しさたるや、一瞬、土蜘蛛の巨体が見えなくなったほどだ。


(な、なんだこの威力〜〜〜〜〜っ!?)


 煙が晴れ、あちこち焼け焦げた土蜘蛛が悶えるのを見て、朝陽は唖然とした。


 こんなにも圧倒的な呪力、先輩退魔師たちにすら見たことはない。


 この威力、もしかして。もしかしなくとも。一周回って笑い出しそうになる朝陽の背後で、そのもしかして(・・・・・)が嗜虐に満ちた笑みを浮かべる。


『よいでしょう。この八雲、貴方様を全力でお助け(さぽぉと)いたします』


 ジワジワと回復しながら、怒れる土蜘蛛が先ほどとは比べようもないほど凶悪に鋏を打ち鳴らす。一方で八雲も、糸を焼き尽くすのと同じ青白い炎を纏った呪印を背後に展開させながら、絹のような黒髪を風に揺らして凶悪に笑った。

 

『走りなさい、我が(あるじ)!! 祀殺神(しさつしん)八雲が、あやつを燃やし尽くしてしまうまえに――――!』


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