タヒぬ! 魔王と遊園地デート!
地獄の一丁目にやってきた命君。
「いきなり縁起の悪いことを言うなっ!」(命談)
青い空をバックにでかい観覧車がゆっくりと回っている。
お客さんたちの喧しい声に、憂鬱でも胸が高鳴ってきた。
俺はヘルグラッジを連れて遊園地に来ていた。
今日のヘルグラッジは白のTシャツに薄い水色のデニムと茶色のミニサドルバッグ、足元は学生物のローファーだ。靴のサイズはどうしても合わずローファーになってしまったが、それ以外は母ちゃんが貸してくれた。見た目だけはすごく可愛い。
そして並んでいるのは入場ゲート前のチケット売り場。長蛇の列になっている。
ヘルグラッジがぷるぷると拳を震わせ始めた。魔王さまが早速癇癪を起こしておりますがいかが致しましょう。こいつって本当に短気だよな。
「解せん! 何故魔王である余が列になど並ばなければならんのだ!」
「まあまあ。あと少しじゃんか」
俺は歯ぎしりしだしたヘルグラッジを何とか落ち着かせようとする。
ちなみに真琴は家で母ちゃんとお留守番だ。ヘルグラッジが人肉供給源として狙っているし、何より俺たちが出掛ける時間になっても眠っていた。子供はヘルグラッジの相手という苦行はせずにのんびりと遊んでいて欲しい。
小学四年生。いいな、俺もそれくらいの歳に戻りたい。
俺は最近疲れている。すべてはこいつのせいだけど。俺は隣のヘルグラッジをちらと見た。
そういえば昨夜も弥生ちゃんの家族LINEに『今日も帰れません。てへっ』ってメッセージを送ったものの、文面あれでよかったかな。『今日も帰れません。うふっ』のほうがよかったかも。
「ここ最近少食だったからな。腹が減った」
ヘルグラッジの言葉で俺の額に嫌な汗が噴き出た。
腹を空かせた魔王さまのほうへと恐る恐る瞳を眇めると、物騒な視線を巡らしながら口の端から舌の先端をぺろりと覗かせていた。こいつ周りの人間みんな肉だと思ってんな。
きょろきょろと辺りを見渡すヘルグラッジ。その時ヘルグラッジの顔が止まった。邪悪な捕食者は俺の尻付近を見てほくそ笑む。
「旨そうなガキだな」
「ひっ!」
背中側から声がして俺は振り向いた。
よくよく見ると野球帽を目深に被り、リュックサックを背負った少年が俺のすぐ後ろに立っている。
「た、助けて! にーちゃん助けて……! あ」
少年は両手で口を押さえた。
どこかで聞いた声だ。
「……お前まさか!」
俺は野球帽のブリムを摑み、取っ払う。
黒い髪の毛が一瞬ふわりと逆立ち、露わになったのは女の子みたいな顔だった。こいつの顔なら毎日家で見ている。
「……真琴」
「や、やあにーちゃん! 奇遇だねー……あは、あははは……」
決まりが悪そうに笑う真琴を連れ、俺は遊園地のチケットを購入した。小学生一人分の料金を追加で払って。
■ ■ ■
「……いつから俺たちをつけてたんだ?」
ヘルグラッジと真琴にソフトクリームを買ってやって、それぞれに渡しながら言う。
ヘルグラッジはソフトクリームを舐めることなくがつがつとクリーム部分から一気食い。お前な、少しは気品というものを……。
「昨日トイレの帰り……にーちゃんとヘルグラッジねーちゃんが話してたのが聞こえちゃってさ……遊園地に行くって……」
俺はアイスクリームショップの壁に背中を預けながら、
「それでついてきたのか……? なんで?」
「……なんかさ……心配でさ……」
真琴の声がどんどん小さくなる。
俺は頭をがしがしと搔いた。
「あぁもう解った! 今日はお前も一緒に楽しめ!」
一転して真琴がぱあっと顔を輝かせる。
「ホント⁉ ホントに⁉」
「ただヘルグラッジのことまでは責任持てないからな。こいつは魔獣だ」
「貴様誰が魔獣だと‼」
ブチ切れたヘルグラッジが俺の頭にかぶりつき、俺は頭から流血しながら続ける。
「ヘルグラッジ。実はお前もそれを望んでないか?」
「……ふぁんふぁお」
ヘルグラッジは俺の頭から口を外すと、青筋を浮かべて俺たちを睨みつけた。
「余がそんなことを望んでいる訳がなかろうが! 貴様ら仲良く八つ裂きにされたいか!」
俺には解る。これは「まんざらでもない」サインだ。
真琴にもそれが伝わったらしく、にっと微笑んで俺を見てくる。
ヘルグラッジの奴、案外扱いやすいところもあるんだよな。
仏頂面のヘルグラッジを見て、俺はふぅと溜息を吐いた。
■ ■ ■
本命のジェットコースターを前に、俺たちがやって来たのは煌びやかな装飾が施されたメリーゴーランド。ジェットコースターには怖くて乗れない真琴が是非ともと懇願してきたからだ。
小四でこんなのに乗りたいなんて真琴ってけっこうガキなんだな。
「わ~、にーちゃん見て! 馬が回ってるよ!」
「ヒャヒャヒャ、貴様の頭は馬以下だがな」
一瞬気まずい空気が流れかけたが、真琴はスルーして列に並んだ。
えらいぞ真琴。こいつはガキなのか大人なのか解らん。
「どれ。余も並ぶとしよう」
——思わぬ発言に俺は動揺する。
ヘルグラッジが?
今日は空から太陽が降ってくる終末の日だったかな。
「ヘルグラッジさん……本気ですか?」
俺は一応訊く。ヘルグラッジは可愛い小顔に不気味な笑みを浮かべ、
「無論だ。〈マーキス〉では休日はよく乗馬をして時間を潰したものよ。もっとも、乗っていたのは馬ではなく魔獣だったが」
五分ほどして順番がきて、ヘルグラッジと真琴は係のお姉さんに案内されてメリーゴーランドの馬に乗った。無事に終わってくれよ。
「にーちゃん写真撮ってねー!」
笑顔で手を振ってくる真琴。かなり幼いな。一体いくつだ。ヘルグラッジは馬に跨り、今か今かと興奮した面持ちで正面を見据えている。こいつも一体いくつなんだよ。
俺はメリーゴーランドの外からスマホカメラを向けながら一抹の不安を払拭できずにいた。
間もなくブザーが鳴り、メリーゴーランドが回りだした。
俺はスマホカメラ越しにヘルグラッジと真琴を見て、
「どうだー? 楽しいかー?」
「うん!」
肝心のヘルグラッジは?
「……やはり楽しさの欠片もないな。……今宵は宴なり。傀儡よ。壇上で踊り咲け。児戯とてそれを嗤う者おらず……《高速の独楽》!」
突如としてメリーゴーランドの回転速度が高速になった。
発生した強烈な遠心力で乗客たちが次々とメリーゴーランドの外へと投げ出されていく。既に真琴が乗る馬はロデオ状態だ。悲鳴を上げながら馬にしがみつく真琴にヘルグラッジが、
「ふむ。ようやく面白くなってきたがまだまだだな。《高速の独楽》を重ねがけするとしよう」
無情にも重ねがけされたヘルグラッジの魔法。メリーゴーランドはまさしく高速の独楽である。誰が乗っているのか判別できない。ついに力尽きた真琴がミサイルのように頭から近くの壁に突き刺さる!
■ ■ ■
……係のお姉さんも初めての事態だったようで、現場は混乱していた。俺は回転が終わり次第ヘルグラッジと真琴を連れて事故現場から逃走する。広場まで逃げた俺はしゃくり上げが止まらない真琴を近くに置いて、延々とヘルグラッジに説教をしていた。
「お前しばらく魔法禁止だ!」
「なんだと! 余にとって魔法を使うのは呼吸のようなものだぞ!」
「その呼吸が物騒なんだよ‼」
傍を行き交うお客さんたちが目を丸くして通り過ぎていく。
俺はヘルグラッジと付き合い始めて何度目か解らない深い溜息を吐いた。
さすがにげっそりした。もう嫌だ。もう……。
「……命よ。次は是非ともジェットコースターに乗ろうではないか」
俺の顔を覗き込んできたヘルグラッジが、にまっと微笑む。
こいつ……空気を読め!
俺はヘルグラッジの胸ぐらを摑んだ。……頭にきた。
「お前! いい加減にしろよ!」
「ほう。余の胸ぐらを摑むとはいい度胸だ。…………そうだな。貴様らと付き合うのも飽いた。つまらん野猿にしてはよくやったが……ジェットコースターに乗ったところで余との関係を終いにしないか?」
今までの苦労が走馬灯のように思い起こされた。あぁ、初めての彼女とはこれで終わるんだ。予感が確信に変わる。……望むところだ。こんな奴こっちから捨ててやる!
「ヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」
ヘルグラッジは高笑いしながらジェットコースターの方向へと歩いて行く。
この凶悪な彼女とついにオサラバか。胸のすく思いがするな。
いつの間にか泣き止んだ真琴が俺の上着の裾を引っ張っていた。首を横に振り、「やめて」と眼で訴えかけている。
俺は真琴の手を乱暴に払うと、ジェットコースターの方向へと急いだ。
ついに命とヘルグラッジが決裂。