なんでこんなことに! 魔王とお勉強!
今日は魔王さまがお勉強会を開いてくださるそうです。それではヘルグラッジさん一言どうぞ!
「死ね————っ‼」
ぐわ————っ‼
その後作者の行方を知る者は(以下略)
最近こんなことばかり言っている気がするが、今こそ言わせてほしい。どうしてこんなことに。
俺と真琴は丸いちゃぶ台の上に勉強道具を持ってきて、ヘルグラッジに勉強を見てもらっていた。先ほど食事中に真琴が「勉強見てよ!」と言ってしまったからか。我が弟ながら要らんことを口走りおってからに。
母ちゃんは先ほどスーパーでゲットした大金を銀行に預けてくるらしく、数分前に出掛けた。
ヘルグラッジは魔王らしく両手を広げる。
「余は大変頭がいい。貴様ら低能な山猿と違ってな」
「誰が山猿だ!」
「あはは……」
微笑むところを間違えて微笑んだ真琴を俺は目で刺す。
真琴はワークブックに視線を落として黙った。お前もヘルグラッジが言う「山猿」のなかに入ってるんだぞ。
「……ね、ねーねーヘルグラッジねーちゃん! この漢字解る?」
「無論だ。しかしまずは貴様自身で解いてみろ。何と読むと思う?」
漢字の練習をしているようだ。
「カ……カド!」
「はずれだ。それはこの場合『カク』と読む」
「なんでだよー?」
「そういう決まりだからだ」
ふふ、微笑ましいなぁ。俺は勉強好きだからそんなところでは躓かなかったけど。真琴、漢字頑張れよ!
「それを踏まえた上でこの角の大きさを測ってみよう。この点に分度器の真ん中を合わせて……」
算数だったんかい! 俺はちゃぶ台にずべしゃと突っ伏した。
「どうした命。貴様突っ伏している場合ではないぞ」
「ほーい……」
返事をしたものの、本気で真琴が心配になってきた。小四で「角」が読めない? そんなことあるんか。
真琴はけっこう……なんというか馬と鹿が合体した感じなのかも知れない。
俺は数学の問題集を解いていた。すらすら解けるぞ、楽勝だ。
「む、命。貴様そこを間違えておるぞ」
「へ?」
「ここにはxが入る。初歩的なミスをしよってからに」
……ちっ。その通りだから余計に腹が立つ。
ま、いいか。俺どういうワケか全部の教科得意だから。お前なんてあっという間に抜いてやるぜ!
ヘルグラッジは真琴の勉強を教え続ける。
——ふと思う。こういう日常もありなんじゃないか。魔王さまが突然暴発することもあるにはあるけど、これはこれで悪くない。これも一つの幸せの形だ。俺はこの魔王さまと結婚して……。
窓から小蠅が入ってきた。
小蠅は部屋のなかをぴゅんぴゅんと飛び回り、俺のツンツンの髪に留まった。
ヘルグラッジの眉間にシワが寄り、
「はあああぁあ‼ 《炎龍の咆哮》‼」
ヘルグラッジは左手に炎の龍を召喚した。
炎の龍は天井近くまで舞い上がり、俺の頭にむしゃりと嚙みつく。
サッシのガラスを見ると俺の頭に太くて紅い火柱が立っていた。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああっ⁉」
スプリンクラーも作動する。
髪がチリチリなのにずぶ濡れという珍奇な現象が起こった。
真琴は突然の事態に泣き喚き、ヘルグラッジは窓から外に逃げていった小蠅を恨めしそうに睨めつけ。結局逃がしたんかーい。
その後は大変だった。俺たちは母ちゃんが帰ってくる前に、ダメになった部屋を何とかしようと家財道具を一式運びだした。そしたらタイミング悪く母ちゃんが帰ってきて大目玉を食らい、部屋を見られて更に叱られた。その間ヘルグラッジは母ちゃんと目を合わせようとせず、ますます母ちゃんは俺たちをひどく叱った。
もう嫌だ。限界。小蠅が出ただけでこれだ。
夕暮れ時になって母ちゃんが改めて部屋を見渡す。
「これどうすんの……もう住めないじゃない……」
母ちゃんの嘆きにヘルグラッジは、
「ヒャヒャヒャそう言うな。余の魔術を甘く見るでない。《白日の乾き》」
部屋じゅうが白い光に包まれる。たちまち部屋の湿気が取れて元通りになった。
「あんたもっと早くそれしなさいよ‼」
母ちゃんがヘルグラッジの頭をグーで殴った。
一瞬背筋が冷えたが、ヘルグラッジは殴られた箇所を押さえつつ、
「余は魔王だぞ。雌猿が気安く殴るな」
と言うにとどめた。さすがに少し反省しているらしい。
俺たちが外に持ち出した家財道具を大急ぎで元の位置に戻しているうちに、就寝時間になった。夕飯の焼きおにぎりを速攻チンして胃に入れて、横になる。
「あー……疲れた……」
俺は布団のなかでそうぼやいていた。
それしか言葉が出てこない。
母ちゃんに至っては無口だ。そっぽを向いて口を利いてくれない。相当ご立腹なのかと思ったら、もう寝息を立てていた。母ちゃんも疲れたんだろう。
真琴は寝る前のトイレに行っていた。
「ヒャヒャヒャヒャヒャヒャ……」
「……何がそんなにおかしいんだよヘルグラッジ」
背を向けたままいつもより控えめに笑ったヘルグラッジがおかしくて、不覚にも俺まで少し笑いかける。
「〈マーキス〉の唯一の欠点は娯楽が少ないことだった」
「へえ……それがどうかしたのか」
ヘルグラッジはこちらに寝転がってにやりと口角を上げる。
「余は明日を首長のドラゴンになって待っていた」
首長のドラゴンというのは恐らく〈マーキス〉特有の言い回しなのだろう。それは無視するとして……はて。明日何かあったっけ?
ヘルグラッジは楽しそうに顔を綻ばす。
「余に申していたではないか。明日……遊園地に行くと。弥生として生きていた時も勉強ばかりで遊園地など行ったことがなかったからな。楽しみだ」
(ゲ!)
危うく口からゲの字が飛び出すところだった。俺はかろうじてゲの字を呑み込むことに成功する。
ヘルグラッジは本当に楽しみにしているらしい。窓からの月明かりに照らされたヘルグラッジの掛け布団が小刻みに揺れている。楽しみで笑っているのか。可愛いやっちゃ。
一応彼女だし、ここまで期待されて断ることはできない。俺は観念した。
「解った! 解ったヘルグラッジ! 明日は遊園地に行こう。ただし条件がある。絶対に人様に迷惑をかけないこと。……いいな?」
「ふん。いるのは人間もどきの山猿ばかりだ。人間になど迷惑のかけようがないわ」
もう迷惑かける気満々だなこいつ。
嫌な予感しかしないが……やむを得ん。明日は遊園地だな。
……はあ、なんか本当に疲れたよ。俺の人生これでいいのだろうか。せっかくできた彼女はヘルグラッジに転生するし、家は借金だらけだしまるでいいことがない。
この時、俺はこの会話を聞いている影がいることに気付かなかった。
今日も散々な一日でした。ご苦労、命君! 明日は遊園地だね。
「本当は弥生ちゃんと一緒に行きたかったよ~‼」(命談)