九死に一生! 魔王と掃除!
本日の生贄も命君です!
「不穏なことを言うな!」(命談)
買い出し先のスーパーで大儲けしてしまった俺たちは、帰るなり母ちゃんにお金を全部渡した。俺はこういうことに関してはキッチリしているんだ。
母ちゃんは目を丸くしていたけど、悪いことで儲けたお金じゃないと信じてくれた。ありがとう母ちゃん。
「じゃあ次は掃除お願いね!」
母ちゃんは俺と真琴、そしてヘルグラッジにそれぞれ箒とちりとり、ゴミ袋を渡すと自分は掃除機をかけ始めた。
さて、俺たちもアパートの共用廊下の掃除始めよう。今度は何も起きなきゃいいけど。
桜の花びらが共用廊下にだいぶ散っている。これはちょっと骨が折れそうだ。
「こういう時はヘルグラッジの魔法だよな!」
「だよねー。ヘルグラッジねーちゃん、何か魔法使ってよ! 僕ねーちゃんが他にどんな魔法使えるのか見てみたい!」
「……なんだと?」
軽い調子で言い放った俺たちにあからさまに不機嫌な声音のヘルグラッジ。
「余は便利屋ではないわ! くたばれ汚らわしい山猿ども! 《魔獣の口》!」
ゴミ袋の口を広げたヘルグラッジ。それがブラックホールのように俺たちを吸い込む。
「「ぎゃああああああああああああっ⁉」」
30リットルの大きさしかないはずなのに、俺たち兄弟がすっぽりと収まってしまった。
これ空間が歪んでないか?
とにかく出しやがれ!
じたばたとゴミ袋のなかで動く俺たちを嘲笑しながら、ヘルグラッジはゴミ袋の口を縛った。魔王は傲然と俺たちを足元に置く。
「さて。貴様らともお別れか。それなりに楽しめたぞ。ヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」
おまけにヘルグラッジの奴はゴミ袋を蹴ってきた。パニック状態で俺たちは藻搔き苦しむ。
「にーちゃん! 苦しい! 苦しいよーっ!」
「俺もだよ……! あれ? 何か臭い液体が……」
どろりとした温かい液体が背中全体を撫でる。
「ヒャヒャヒャ! 口に消化を助ける唾液は付き物であろう? この唾液はすこぶる強力でな。貴様らの最期だ」
「「そんなあ~っ‼」」
なおもゴミ袋を蹴破ろうとじたばた動く俺たち。ゴミ袋は伸縮こそすれまさに魔獣の口のなかのように分厚く、まったく破れる気配を見せない。これ本当にゴミ袋か?
「がぼっ⁉」
「どうした真琴⁉」
「魔獣のよだれ……飲んじゃ……た……げえぇぇええっ‼」
魔獣の唾液は相当不味かったらしい。真琴が吐いた。
『……おげええええええええええええええっ‼ 人間のゲロって不味い‼』
鼓膜が破れるかと思うほどのどでかい声が頭のなかに響き、俺たちはブパッとゴミ袋から吐き出された。魔獣も吐いたらしい。舌もないのにどこで味を感じていたんだろう。
「げほっ! げほげほっ! い、生きてる! 生きてるぞ! ありがとう真琴、ナイスゲロ!」
真琴は四つん這いになってまだ吐いている。
「おお、まさか《魔獣の口》が破られるとは。この魔王ヘルグラッジ、今だけは貴様らに敬意を払おう」
俺たち二人と共用廊下は魔獣のゲロでオートミールをぶちまけられたようになっている。
服はところどころ溶けているし、何よりすごい悪臭だ。
「あんたらー? 何やってんのー? 何かすごい音したけど」
掃除機をかけながら母ちゃんが言う。幸い顔がこちらを向いていない。
「あ、ああ、何でもないよ母ちゃん!」
こんな光景母ちゃんが見たら卒倒するか怒鳴り散らすかのどちらかだ。
俺は真琴の背中をさすりながら何とか落ち着かせる。
「うぇぇぇぇえん! 苦かった~っ!」
「真琴! 声抑えて」
真琴もすぐに状況を呑み込み、トーンを下げて泣いていた。
なかなか器用な奴。
ヘルグラッジ! すべての元凶のヘルグラッジは⁉
「うむ。やはりこの世界でも猫は可愛いな」
共用廊下の手すりから向かいのアパートの駐車場にたむろしている野良猫を眺めていた。
ふーん。こいつ猫好きだったのか……じゃなくて!
「お前な。平和に猫眺めてっとぶっ飛ばすぞ」
俺がヘルグラッジに摑みかからんとすると、すべての元凶は悪びれた様子もなく、ただ掌を俺に突き出した。初めてのリアクションに俺は思わず怯む。
「……どうしたよお前」
「こちらに来るな。臭う」
俺のこめかみの血管がぶちりと切れた。真琴が何か伝えようとしているけど知ったことか。俺は一気にヘルグラッジに詰め寄った。
「お前な‼ こちとらてめえのせいでゲロまみれなんだよ! 散々ひどい目に遭わせやがって! 今だけは敬意を払うっつったろ! 有言不実行する気か‼」
一気にまくし立てた。どうだヘルグラッジよ。俺だって言う時は言うんだぜ。これで少しは——
掃除機が床に落ちたような音がして俺は振り返る。
母ちゃんが瞠目して立ちすくんでいた。
ち、違うんだ母ちゃん! これはヘルグラッジが——
俺が振り返るとヘルグラッジの姿は既になく。
……ヘルグラッジは向かいのアパートの駐車場で何事もなかったかのように野良猫を愛でていた。あとで真琴に訊くと俺が振り向いた隙に瞬間移動してやがったんだとか。
母ちゃんは魔獣のような顔になって俺たちをぎろりと睨む。
「命‼ 真琴‼ なんつーことしてくれたの‼ こんなの母さんが怒られるでしょうが‼」
魔獣よりも怖い母ちゃんに一時間くらい説教され、俺たちは魔獣のゲロの後処理に追われるのだった。
やはりあの魔王は悪党だ!
「はあ……あとで風呂に入らないとな」(命談)
命君の受難は続く!