ぐへぇ! 魔王と洗濯!
虎口を脱したかに見える命たちだが、トラブルメーカーのヘルグラッジを舐めてはいけない……!
結局ヘルグラッジはハムを一口……いや、一瞬嚙んだ以外は何も口に入れなかった。
あとで腹減ったとか言いやがっても知らねえからな。
洗い物を済ませた母ちゃんがヘルグラッジに、
「お洗濯手伝ってくれる?」
と言っていた。すかさずヘルグラッジが渋面を作る。こいつは顔をしかめてばっかりだな。
土日祝日の洗濯は俺と真琴の仕事だ。
「余は魔王だぞ! 余にそのような雑用を押し付けるとは……覚悟はいいのであろうな⁉」
「あとでいくらでも食べられてあげるから。いま洗面所で音立ててるのがうちの洗濯機ね」
「……ほう。その胆力気に入った。今日は例外的に雑用を引き受けてやろう」
母ちゃんはヘルグラッジの扱いかたが上手いなぁ。
俺たち三人の目の前で縦型洗濯機がドルンドルンと叫びながら脱水を終えようとしていた。間もなく脱水が終わり、俺が三つのプラスチックバケツに洗濯物を取り分ける。
「ヒャヒャヒャ! たまにはこのような下々の者の慣習も学ばねばな」
「下々ってお前な」
若干キレかけて言うと、真琴が笑顔で、
「にーちゃん、ヘルグラッジねーちゃん! 早く行って早く終わらせようよ!」
「うむ、そうだな。行こうではないか」
……真琴は鎹だな。
俺が先頭に立ち、仲良く三人バケツを持って廊下を歩く。
「して、どこに干すのだ?」
「ベランダだよベランダ。ほらここ」
「またちっこいベランダだな。トロルが一匹乗るだけで崩れそうだ」
「やかましっ!」
まずは俺がベランダに出て、自分の体操服やら靴下やらを次々に干していく。干し終わって後ろを振り向こうとしたとき、「ぶっ!」という真琴の声が聞こえてきた。
また何かあったんか?
「キャハハハハハハハハハハ! お腹、お腹痛い……!」
振り向いて俺が目にしたものは。
戦隊ものの敵を彷彿とさせる水色の大きな目をした怪人……ではなくヘルグラッジ。
よく見ると顔に着けているのは母ちゃんの水色のブラジャーだ。
「どわあ! 何やってんだヘルグラッジ⁉」
「ん? これはこうやって使うものではないのか?」
俺はヘルグラッジの顔のブラジャーをばしりと奪い取って、
「ちっげーよ! これは胸に着けるブラジャーって下着で……! てかお前弥生ちゃんの記憶があるんだったらそれくらい解るだろうが!」
ブラジャーを解説する俺をヘルグラッジは鼻で嗤った。
「いやな? 貴様らがどんな間抜け面で笑うのかを見てみたくて道化を演じただけなのだが」
「地味に傷つく言いかたすんじゃねえよ」
真琴はまだ腹を抱えて笑っている。
悪い奴だとばかり思っていたけど、こいつは案外いいところもあるのかも知れない。
「フン。次は余が洗濯物を干してくれる。貴様のような生まれの悪い下郎は下がっていろ」
「へいへい下がりますよ」
誰が生まれの悪い下郎だっつーの。
ヘルグラッジにベランダ用のサンダルを譲り、俺は部屋のなかに戻った。
ヘルグラッジが洗濯物にハンガーを通し、物干し竿にフックをかけようとした瞬間。ぺちょりと音がした。
俺がヘルグラッジの手元を覗き込むと、魔王さまの左手、親指の付け根あたりに白い斑点ができていた。あちゃ~、こりゃ鳥さんにやられたな。
空を白い小鳥が横切っている。
ヘルグラッジがその矮躯をぷるぷると震わせ始めた。これはヤバいかも。
「許せん‼ 余は魔王ヘルグラッジだぞ‼ 下賤な生物が糞など落としてよいとでも思っているのか! たわけめ‼」
両の拳を握りしめてわーわー叫ぶヘルグラッジ。あのさ、見た目は弥生ちゃんなんだからもう少しおしとやかにしてくれよ。人間他の誰かと混ざってしまったらこんなものなのか。
「焼き鳥にしてくれる!」
不意に辺りが暗くなり、ヘルグラッジが左手に雷の玉を創り出した。
ちょっと待て動物虐待アカン。俺たちは二人がかりで押さえつける。
「落ち着けヘルグラッジ!」
「余は落ち着いている! ただ脱糞しよった愚劣な生物を殺処分するだけだ!」
「ヘルグラッジねーちゃん! その丸っこい雷をなんとかしてよぉ!」
「あ」
ヘルグラッジの間の抜けた声と同時に俺の身体を熱いものが通り抜ける。雷の玉が暴発したらしい。
「「あべべべべべべべぇぇぇええっ⁉」」
身を焦がす雷撃は同じく覆い被さっていた真琴も巻き添えにしたらしい。俺たちは仲良く痙攣し、黒焦げになった。
「ヒャヒャヒャ! 余の機嫌を取るのが本当に上手だな貴様ら! そんな貴様らに免じてあの害鳥は赦してやるとしよう」
「うえぇぇぇぇぇん……! にーちゃあん……!」
雷撃で溜まっていた涙も焼かれたのか、真琴が声だけで泣く。爆発したようなチリチリのアフロヘアになってしまった弟の頭髪に手を差し伸べて、俺はぽんぽんと撫でてやった。多分俺も同じ髪型してるんだろう。
なんで洗濯物干すだけでこんな目に遭わなきゃならねえんだ。というかなんでヘルグラッジは感電しねえんだよ。
「ふふふ余の顔を不思議そうに見ているな。『何故お前は感電しないのか』と思っているのであろう。余は自身の魔術で感電するほど魔法防御力が低くはない。それだけのことだ」
「そういうことかよ」
けほっと黒い煙の塊を吐き出し、俺は呟いた。
そこへ母ちゃんが通りかかる。
「あら三人とも。早く洗濯物干してね。そんな髪型変えて遊んでる暇ないよっ!」
母ちゃんに人の情があるのか少し疑わしくなってきた。
よくぞヘルグラッジの雷撃に耐えた命君!
今日はお祝いのパーティ!
「何のお祝いだよ‼」(命談)