プロローグ
「フロイド、あなた、私の専属バトラーで、どんな頼みでも叶えられると言っていたわよね?」
「リズお嬢様。それはそうですが、“何でも”と申しましても条件が」「分かっているわ」
昼過ぎの暖かな陽射しが射し込む窓際に置かれたテーブルと椅子。
そこで私はゆったり食後の紅茶とクッキーを楽しんでいた。
窓ガラスにぼんやり映る私の姿。
巻き毛の金髪に碧い瞳。ほっそりとした首、きめの細かい肌に豊かな胸を包み込んだ空色のドレス。容姿も完璧ね、ホント。間もなく十五歳になるけれど、もう大人の女性みたいだ。東洋人に比べ、西洋人は発育がよくて感動してしまう。
それはさておき。
「分かっているわ」とフロイドの言葉を制した私は、手に持っていたティーカップをティーソーサに戻す。
このフロイドというバトラー。
かなり有能。
こういうバトラーがついてくれていると、悪役令嬢に転生したとしても、断罪回避ができないわ!と絶望的になる必要もない。
なにせ、このフロイド。
この転生した乙女ゲームの世界には、まだ存在しない映写機が欲しいと頼んだら、ちゃんと作り出してくれるのだから。
何でもできるわけではない、条件があるというけれど。それは“一秒後に世界の裏側に連れて行け”とか、明らかに魔法でもないとできないようなことは無理です、ということ。この世界にまだ存在しない映写機を作り出すことも、普通に考えたら無理な頼みだと思う。でもそれはやってのけてしまうのだ。
つまりはこのフロイド、筆頭公爵家のハリス一族の長女である私の専属バトラーでありながら、発明王! だがゲームをプレイしていた時、このフロイド、見目麗しい背景モブとして、そこに存在していただけだった。
ホワイトブロンドの長髪を後ろで一本にまとめ、黒のテールコート姿で佇む姿は、実に秀麗。でもメインキャラではないから、彼のその才能は隠されたまま、リズはヒロインの攻略対象に断罪され、はかなく散っていった。
でも。
今回は違うわよ。前世でその乙女ゲーム『ハッピーエンドは君のもの』をスマホで私はやりこんでいたプレイヤーなのだから。いつどこでどのタイミングで何が起きるのか、すべて分かっている。さらにこのフロイドがいるのだ。乗り越えられない断罪など、ないはずよ!
「橋を一つ、破壊して欲しいだけよ」
「……橋、でございますか?」
「そうよ」
テーブルの上のクッキーを乗せた銀皿を動かし、あらかじめ用意していた手書きの地図を広げ、フロイドのことを呼ぶ。そして破壊して欲しい橋を示すと、フロイドは顎に手を当て、考え込む。
一応、この世界にも爆弾は存在する。それでも落としてと頼んでいる橋は、石造りのしっかりした橋であり、全長三百八十メートル、幅員十六メートルあった。川にちょっとかかっている短い橋、ではない。
それにちんたら破壊するわけにはいかないだろう。この橋は、ドロール河の上にかかり、王都につながる三つの橋のうちの一つだった。往来は相応にある。これを瞬時に破壊するのは、容易なことではない。
何より、橋は国とって重要なインフラだ。物資の流通、移動手段、戦争においても重視される。その橋を破壊する――ということに、人として抵抗があるのかしら?
「破壊はできます。しかも瞬時で可能です。ただ、橋は重要なインフラ、ですよね?」
なるほど。私の予想の後者を理由にためらっているのね。ならば……。
「また、予知夢を見たのよ」
「予知夢でございますか!」
ここは乙女ゲームの世界。ゲームの進行を知っている私は、この世界では“未来を知る女”でもある。この前世で知ったゲームの進行を話す時、私は“予知夢”という言い方にしていた。
「そう。いつもの予知夢で見たのよ。東にいる蛮族として知られるグレーマンの襲撃があるわ」
東にいる蛮族、グレーマンは、灰色クマと言われるクマを素手で倒すという。倒したクマの皮をはぎ、その毛皮を身に着けていることから、灰色の毛皮をまとった人間“グレーマン”という名で呼ばれていた。
このグレーマン達は遊牧民族で、大変好戦的。多くの季節を東の国で過ごすが、私のいるオスロー王国にも度々現れ、金品を奪い、女子供をさらう。ゲームでも度々このグレーマンに襲撃され、蓄えた金貨が減らされて、歯軋りすることも多かった。
「王都にある三つの橋のうち、第一の橋は、交易路として重視されているから、警備が厳しいでしょう。それに橋の周辺にはお店も多く、常にぎわっている。もう一つの第二の橋は、移動手段として使われ、常に渋滞しているわ」
「そうですね」とフロイドはこくこくと頷く。
「でも見て。三つ目の橋。つまりは第三の橋は、他の二つから離れている上に、森の中にある。それに王都へつながるルートの中では、一番遠回りになるでしょう。人気のない橋よ。それだけ警備も薄く、しかも森の中にある。蛮族からしたら、秘密裡に王都へ迫ることができるのよ。この第三の橋を、利用しない手はない――というわけよ」
「つまりこの橋があることで、グレーマンの襲撃に遭い、多くの被害が出る可能性があるのですね? この橋を破壊することで、グレーマンの襲撃を回避できると」
「その通りよ」と私が頷くと、フロイドは「そういった理由でしたら、橋は破壊しておきますね」とニッコリ笑う。それはまるで「好物のレモンタルトをご用意してお待ちしています」と答えるぐらいの気軽さだ。
私はそこで橋を落とすタイミングの希望を伝える。それに対するフロイドの返信は「かしこまりました」だ。