幸せの訪れ
ありきたりな異世界転生というやつを自分がしたのだと気がついたのは、生まれてすぐだったと思う。
見慣れぬ派手な髪色の両親に、中世ヨーロッパのようなインテリア。
ばぶばぶ、としかまだ喋れない自分。
自分でも不思議なほど冷静にこの状況を受け入れた。
頭上に輝くシャンデリアがキラキラしていて綺麗だ、なんてことを考える余裕もある。
「レオ~」
母親が俺の名前を呼ぶ。
生まれてすぐは言葉が分からなかったが、3ヶ月経った頃にやっと自分の名前や簡単な単語は理解出来るようになってきた。言語チートのようなものがなかったのは残念だと思う。だが、生まれてすぐに言葉を理解する赤ちゃんは不気味かもしれないからこれで良かったかもしれない。
転生して不便なのは言葉よりも精神年齢が肉体に引っ張られることだろうか。
少しでも嫌なことや不安なことがあると泣いてしまうし、喜怒哀楽がジェットコースターのように訪れるのだ。
「あー! ばーぶぅ」
今も母親に名前を呼ばれて幸せな気持ちになったから、手足をバタつかせ母親へ嬉しい気持ちを必死に伝えている。
「あらあら、元気ね~」
最近ようやく見慣れてきた碧眼が、嬉しそうに細められた。
伸びてきた手が俺を優しく持ち上げる。覚束無い手つきだが、俺が泣かないようにと配慮されていることを知っているし、もしものときは母親の隣に立つ乳母がいつでもフォローできるようにと目を光らせている。
だからこの人の腕の中はとても安心出来た。乳母のことも嫌いではないが、血の繋がりがそうさせるのか安心感があるのだ。
「可愛い子」
チュッと、頬にキスをした母親がなぜだか泣きそうに見えたのは気のせいだろうか?
逆光で、はっきりと表情が見えなかったから見間違えたのかもしれない。
それからすぐに母親から乳母の手に渡り、ご飯とオムツを交換され、気づいたときには眠りについていた。だから母親の表情のことなんて、2、3日引っ掛かっていたぐらいですぐに忘れてしまった。
異世界に転生してからそんな平凡で、だけど幸せな毎日を過ごしている。
※※※
夢を見ている。
異世界ではない現実世界の夢。
俺は暗闇に一人ポツンと立っていて、その先に古びたテレビが置いてある。
「お前みたいなゴミが俺の手を煩わせるな!!!」
ガシャーン。
皿が割れ、少年が父親らしき人物に頭を殴られる。
「ご、ごめんなさい……」
「なんだその目は?」
「ひっ」
お腹に背中。服から隠れる部分は殴られ、隠せない顔だけは殴られない。
腕や足にも痣が出来ているが、その少年は年中長袖長ズボンを着させられているから関係ない。
母親は化粧をしながら横目で少年を見て「死んだら面倒だからやりすぎないでよ」とだけ父親に言う。
これがこの少年の普通。
これが日常。
少年にとって生きていて良かったことなんてない。
なんとも後味の悪い夢を見させられていると思うのに、この夢はなかなか覚めない。
結局、乳母が起こしにくるまで少年の虚ろなその表情から目が離せなかった。
※※※
「レオ、お前は父さんの誇りだ!」
学園を卒業し、騎士としての道を歩むことを決めた俺は親不孝だったと思う。
父は文官でそれなりの要職に就いていたし、母も命の危険のある騎士にはなって欲しくないと嘆いていたのを聞いてしまったことがある。
それでも騎士になりたいと言った俺のために文官で剣の才能はないと自虐していた父は、騎士の道へ進むことを反対していた母をなだめ、祖父の友人である元騎士団長に俺の師になってもらえるように手配してくれた。
たった一人の跡継ぎ息子を戦場に出すのは母以外の周囲からも反対されただろうに、それでも父は俺の夢を尊重してくれたのだ。
そして、騎士になり着実に出世していき何度目かの任務で王族の命を救った俺は最年少の騎士団長に任命されることが決まったのだ。
「父上のおかげです」
父は目尻に涙を浮かべ力強く俺を抱き締めた。
隣にいる母は先ほどからハンカチで涙を拭っている。今回ばかりはかなり危険な任務だったから、心配してくれていたのだろう。
「お前の人生だ。大切にしなさい」
騎士団長になればこれまでよりも命の危険がある。
それでも父は変わらずに俺の夢を尊重してくれる。
「ありがとうございます」
※※※
また、この夢だ。
少年は少し成長したようだったが、相変わらず不幸といえる生活を送っているようだ。
「おいマヌケ」
「うわ、こいつクセー!」
「やめなよ~。可哀想じゃん」
「クスクス、貧乏人は大変ね」
家で虐げられていた少年は学校でも虐めに遭っているようだった。
同級生たちに囲まれ、暴力こそないが陰口や机へのラクガキ。持ち物へのイタズラ。
少年は抵抗することなくただジッと耐えている。
少年は死ぬことが唯一の救いだと思うようになっていた。
「虐め? 貴方そんなことで虐めだなんて言っていたら大人になって社会で生きていけないわよ」
なけなしの勇気で担任に相談したらそう返された。
翌日には告げ口がバレたのか同級生たちから暴力まで振るわれるようになってしまう。
少年は学習した。
希望を持つことは無意味だと。
抵抗せずただ耐えることが一番被害を最小限に抑えられる。
たまに無関係な人の、無責任な偽善で余計に傷を負ったこともあった。
他人に悟られると面倒なことになるからと、少年は不幸だということを上手く隠して生きるようになる。
憂鬱な表情は心配されるが、笑みを浮かべていれば心配されない。
そうやって1つずつアップデートして少年は自分なりに上手く生きていた。
大人になればマシになると、そう自分に言い聞かせて。
でも、それでも本当は…ーー
少年の悲痛な心の叫びが木霊する。
夢から覚める直前、からっぽの笑みを浮かべる少年と目が合ったような気がした。
※※※
「レオンハルト様」
「エミリア……綺麗だよ」
騎士団長に就任し、その2年後にエミリアとの挙式を迎えた。
籍自体は1年前に入れていたのだが、隣国との戦争が危ぶまれていたため式は挙げられなかったのだ。
時間はかかったが戦争になるかもしれないと思われていた隣国とは同盟を結べたし、婚約時代から文句も言わず待っていてくれたエミリアのためにも豪華な式にした。
疲弊した民たちのためにも祭りは必要だったということもある。皇太子殿下はすでに結婚式を挙げていたため、恥ずかしながら今回の立役者で英雄と呼ばれる俺に白羽の矢が立ったのだ。
「長く待たせてしまいすまなかった。これからは側に居られる」
「ふふ、どんなに離れていても私を愛していてくれればそれで良いのです」
愛する人のウェディングドレスはとても綺麗で、今までにない幸せを実感した。
異世界に転生し23年。未だに異世界だという気持ちがあったが、ようやくこの世界が現実なのだと受け入れられたように思う。ここが自分の生きる世界だと。
神聖な光が降り注ぐ教会で大勢に祝われながら、エミリアと2人永遠の誓いを交わした。
それから、すぐのことだった。
俺たちの間に子どもが出来たという知らせを聞いたのは。
※※※
またこの夢かとうんざりする気持ちになる。
この不幸な少年の一生を見せられるのはいいかげん嫌になってしまう。
自分が幸せであればあるほど、この少年の記憶らしきものは憂鬱にさせられるのだ。
「あはっ、あんた馬鹿ねぇ」
「そんな……なんで」
「あんたみたいなやつ、本気で好きになってもらえると思ったの?」
どうやら大人になった少年は愛する彼女に騙されていたようだ。
彼女の彼氏だと思われる男に少年はナイフで刺されていた。
男がナイフを抜いた瞬間、バランスを崩した少年の身体が地面へと倒れる。
見ていられないと目を逸らしたくなるが、夢だからか目線を外すことは叶わない。
「あ、愛してるって……」
「嘘よ、うーそ」
彼女の赤いピンヒールが目の前に迫る。
嘘?
彼は混乱したように頭を振る。
やっと自分を愛してくれる人を見つけたと思ったのに、少年はすがるように彼女の足に手を伸ばす。
「あんた丁度良かったのよね。お金もくれるし、アタシの代わりに借金してくれるし」
「そんな」
「でもねぇ、最近ちょっとウザすぎ。早く結婚したいだの、会いたいだの。あんたはただのATMなんだからさ~」
ガツンと、赤いピンヒールで顔を蹴られる。
痛みよりもショックが大きかったのか少年は身動き一つしない。
腹部から溢れる血溜まりがだんだんと大きくなっていく。
「でね、これ以上お金も引き出せそうもないからダーリンに頼んでごみ処理することにしたの。ね、ダーリン」
「オマエって、めちゃくちゃ殺しやすかったわ。心配する人間なんて居ねぇし、仕事も先月辞めさせて、家も引き払わせたからケーサツにバレる心配も無い。普通なら自殺に偽装したりすんだけどさ、たまにはこーやって殺るのもいいよな」
少年にトドメを刺すため振り下ろされるナイフがスローモーションのように見える。
「ばいばーい」
片手で数える程度のデートでも見せてもらえなかった彼女の本当の笑顔が、少年には何よりも辛かった。
この夢も終わりか。
俺はなんとも言えない気持ちで少年の最期を見届けた。
それから少年の目から光が失われると同時にテレビの画面は砂嵐に染まった。
※※※
「双子?」
両親に子どもが出来たと報告したとき、俺は初めて自分が双子だったことを知った。
「ええ、でもね……あなたの弟は産まれる前に亡くなってしまったの」
俺は元気に産まれ、もう片方は死産だったそうだ。
両親はこのことをずっと言えずにいたが、俺も親になるならこのことを知っていた方が良いだろうと話すことを決意したという。
幼い頃に俺を見て泣きそうになっていた母の表情はそういう意味だったのか。
「あなたが赤ちゃんの頃は思い出すことすら悲しくてね、双子だと知っていた者たちには口止めしたわ」
「お前に話す勇気もなかった……いつかは話そうと思っていたが、結局はこんなタイミングになってしまった」
「無事に産んであげられなかったけれど、私たちの大切な子に変わりはないわ。そしてあなたの弟でもある」
「伝えるのがこんなに遅くなってしまって申し訳ない。だが、お前に弟がいたことを覚えていてやってほしい」
パズルのピースが嵌まる音がした。
俺がこの世界に転生した最初の記憶が鮮明に甦る。
『君が僕の弟?』
『うれしい……な。僕1人じゃないんだ』
『ねぇ、どうして話してくれないの?』
『心臓の音が聞こえない……?』
『欲張ったのがダメだったのかなぁ。僕、ずっと兄弟が欲しかったから』
『僕はね、今が一番幸せ。だから君にあげるよ』
『僕がお兄ちゃんだから、弟のことは守ってあげないとね』
この世界にまだ定着していない、魂だったとき。
俺は自分の身体に上手く入れなくてフワフワ漂っていた。
誰かが話しかけてくれていたけど、話す器がなくてずっとフワフワフワフワ。
なんだかそのまま消えそうになった時、急に誰かに引っ張られて俺は異世界転生をした。
「兄上、なのですか?」
両親と別れ、自室へと戻りその場へ崩れ落ちる。
「あの身に覚えのない夢は、兄上の記憶なんですか?」
心臓移植した患者が、心臓の持ち主の記憶を思い出すことがあると何かで見たことがある。
「俺が兄上の身体を……」
本当は俺ではなくて、兄が産まれるはずだったのだ。
「俺はこの世界に生まれて幸せでした。でも、前世だって幸せで……」
あんな悲惨な人生じゃなかった。
平凡で、だけど幸せな人生だった。
「うっ……」
心臓が締め付けられる。
この身体の持ち主が泣いているのだと気づいたときには目の前に夢で何度も見た少年が立っていた。
「どうして俺に身体を譲ったんですか」
彼だって、この世界でならきっと幸せになれたのに。
『…ーー』
少年は笑って俺の頭を撫でた。
それから手を振って姿を消した。
※※※
ずっと孤独だった。
血の繋がった両親は高校に通っている途中で夜逃げし、僕は1人置いていかれた。
頼れる親戚も知り合いもいないから、高校も中退。
履歴書のいらない日雇いでなんとか収入を得て、なんとか毎日を生きていた。
ある日声をかけてきた女性が僕を好きだと言う。
人生で初めて愛をもらった。
愛をもらう代償は高かったけど、お金で愛がもらえるならなんてことはない。
ふと、僕は彼女が好きなのか疑問に思う。
でもそんな疑問になんの意味があるだろうか。
僕は彼女に結婚しようと言ってみた。
彼女はまだ早いわと話を逸らす。
僕は彼女に会いたいと言ってみた。
彼女は忙しいと断る。
なんてことだ。
彼女は僕ではなくてお金を愛していたのだ。
気づいたときにはナイフで刺されていて、最期に見た彼女の笑顔はとても輝いていた。
それが愛?
じゃあ僕には最初から無理だったんだ。
あんな風に笑う方法が分からない。
ああ、お腹が痛いな。
目も開けていられない。
そう思って目を閉じたのに、次の瞬間にはまた瞼を開けられたんだ。
それに不思議なくらい身体が軽い。
見たこともない金髪碧眼の女性が大きく膨らんだお腹を優しく撫でている。
なんだかムズムズする笑顔も浮かべていた。
生まれ変わった?
輪廻転生という言葉は知っている。
だから自分が生まれ変わったのだと分かった。
1人でこの世界を見て回っていたら、自分の近くにとても温かい存在があることに気がついた。
その存在はとても弱々しくて、今にも消えそうだったんだ。
僕はそろそろ母親のお腹の中に戻らなければいけなくて、それがもうすぐ自分の誕生なのだということを理解していた。
この弱々しい存在は僕の弟だと思う。
でも弟はいくら話しかけても返事をしてくれない。
僕が嫌いなのかなと思ったけど、僕がいろんなところにいくたびついてくる。
不思議な存在。
誕生が近づくにつれ、弟の気配が小さくなる。
どうして?
一緒にお腹の中へ行こうよと引っ張てみても弟はついてこない。
もしかして、弟はこのまま死んでしまうのだろうか。
嫌だと思った。
ずっと兄弟に憧れていたのに。
僕が一人っ子じゃなければ、僕に一緒に頑張れる存在がいれば。
何度も考えたことだ。
お兄ちゃんは弟を守るもの。
それなら、僕は弟を助けたい。
お父さんとお母さんも、僕よりこの子の方が愛せるだろう。
だから、僕は今にも消えそうな弟を母親のお腹へと押し込んだ。
入れる器は一つだけ。
でも、これでいい。
だって僕はお兄ちゃんだから。
弟は無事に産まれたようだった。
僕は消えると思っていたのに、なぜだかまだこの世にいる。
弟の身体から一定の範囲内しかいけなかったけど、それなりに楽しく過ごしていた。
弟が両親に愛されて育ったことが嬉しかった。
弟が騎士になると言ったときは僕も母親と同様に反対した。
弟が婚約者に恋をしたとき、二人の幸せを願った。
弟が戦争を止めに向かう道中、皇太子殿下に騎士の忠誠を誓う姿を誇らしく思った。
弟の結婚式、僕は嬉しくて、ほんの少し泣いてしまった。
そろそろ終わりだ。
魂だけの存在にしてはかなり長生きした。
なんの未練もなく終われると思っていたのに、弟が子どもが出来たと両親に報告したとき、僕の存在に気がついてしまった。
泣かないで欲しかった。
僕の存在のせいで悲しんで欲しくないのに、自分という存在が認められた気がして嬉しいと思う自分もいた。
『僕は幸せだったんだよ』
だからもし次があるなら、僕はきっと幸せになれる気がするんだ。
※※※
「おぎゃー! おぎゃー!」
部屋の中から聞こえた産声に俺は堪らず立ち上がる。
「ああ……無事に産まれてくれたのか!?」
医者に呼ばれるまでは中に入ってはいけないため、もどかしい気持ちはあれど部屋の前で待ち続ける。
一緒にいる父親もソワソワしているが、俺を落ち着けようと大丈夫だと声をかけてくれた。
「どうぞお入り下さい」
医者の声にすぐ扉を開ける。
ベッドの上でぐったりとしたエミリアと、その傍らで赤ん坊を抱く義母。母はエミリアの汗を拭ってやりながら優しく微笑んだ。
「母子ともに健康です」
医者が何かを言っているが、義母の腕の中にいる赤ん坊の姿に釘付けになってしまう。
俺とエミリアの子どもというのは、こんなにも愛おしいものなのか。
「良かった……ありがとうエミリア」
「名前は決められたのですか?」
「ああ……決めていた名前が一つだけあるんだ。君も気に入ってくれるといいのだが」
あの日消えてしまった兄の名を、俺は我が子に名付けようと決めていた。
不思議と我が子の魂が彼のものだという確信があったからだ。
貴方の名前が異世界でも違和感のない名前で良かったです。
…………お兄様、俺が貴方のお陰で幸せになれたように、今度は俺が、貴方が幸せになれるお手伝いをさせて下さい。
幸せの訪れる気配がした。
僕の名前を誰かが呼んで、それから、それから…ーー