第一部 公現祭篇 その九
神はクルミを与えてくださる。
しかしそれを割ってはくださらない。
フランツ・カフカ
9 ミソビッチョ
アーキア超大陸中央。シータル大森林にて。
一体の傘地蔵、ではなくボッチの俺は雨の中、しょんぼり立つ。
ザ―――……
「新しい組織名?」
「はい!我らはもはや聖皇の下僕たるアクリタークではございませぬ!我らが王たるマソラ殿の忠実なる官僚!」
それにしても雨がひどい。しかも寒いな、ここも。
「あのさ、王って呼ぶのはよしてって前にも言ったでしょうに」
吐く息が白い。雨が冷たすぎる。濃い鉛色の分厚い雲が森の空を埋め尽くし、渦巻く。
「しかし対外的に何処の国かと交渉する際に、マソラ殿の地位を相手に説明する必要がありますので」
幾筋もの細く茶色い濁流がそこかしこの足元を流れる。地上で暮らすみんなのために地下に水を引き込んでいるとはいえ、アルビジョワ迷宮が地下2階まで浸水するなんて、ちょっと信じられない。召喚される前にいた日本の首都圏にある外郭放水路や調節池みたいな構造物を迷宮にこしらえないとダメかなこりゃ。図面は頭に…………あったあった。しょうがない。おいおい造るとしよう。
「だからさ、そのために〝会頭〟って言葉、教えたよね?」
目の前で上がる唸り声を聞きながら俺は手作り蓑傘の尾を締めなおす。
グルルルルルルルルル………。
「そうでございました!カイトウすなわち組織の代表者でございますね!?」
重なる唸り声が動く。
同時に走り出す、星種子という名の正体不明の獣たち。
見た感じは土色のウシの頭に、黒光りする巨大ヤスデの体。奇怪なフォルムだ。
ヤスデのような体の節の数は二十を超えて、肢の本数は二百本以上ありそう。
その肢は歩行用と攻撃用に分業している。
攻撃用の肢は鎌やピッケルみたいに対象を薙いだり突き刺したりするだけじゃなくて、魔法も使う。属性は風。ついでに星種子と捕まえて肉をひねりつぶすと猛烈に臭い毒液を垂れ流す。俺はどうにか平気でも、他の生き物には良くない感じがする。みんなのためにもちゃんと後で成分を調べておこう。
「そうそう。王じゃなくて会頭。そして身内の間では俺はただのマソラ。ナガツマソラ。それ以上でもそれ以下でもない」
「申し訳ございませんでした。会頭マソラ殿」
ガシッ。
星種子が矢のように頭から突進してきたので止める。
ボフォワッ!!
「ヴォオッ!?」
目玉がはまっているべき二つの眼窩から生えてくる牛の角を俺は手で握り、業火で焼き始める。銀の蔓を星種子の体内に突き刺して伸展しつつ俺の放火細胞を体の隅々まで贈り届ける「火土産」。どうか、三秒以内に心も体も明るくなりますように。
「ォォォ…………」
全身が焦げて、毒液もろとも焼尽する。これ、何個目だろう?
こんな魔物擬きがシータルの大地のあちこちに眠っているらしい。それが目を覚ました。
休眠解除つまり〝発芽〟のシグナルは……この強烈な雨かな。まあいい。全員、とにかく明るくしてやる。
一度通信から意識を戻し、目の前で発芽しつつある星種子に集中する。地面からコブのようなものがいくつもいくつも生えている。生え出したばかりのは真っ白だけれど、時間が立つと茶色く変色してくる。その表面は徐々に硬質化し、やがて割けて中から魔物擬きが登場する。魔物擬きは最初小さいくせに、仲間の死骸や腐植土を食らって瞬く間に大きく成長して、ついにはこちらに襲い掛かってくる。
「やれやれ」
蓑傘の縁に集まった雨のしずくがボタボタと地面に落ちていく。
ス~……コォォォ……ガコンッ!
発芽種子だけじゃなくて、地中に眠る〝埋土種子〟にも届くかな?
「炎蛇」
ゴオオオオオオオオオオオオ―――ッ!!!!
とりあえず九千℃の熱で周囲の半径二百メートルを焼き尽くそう。燃えて散れ。鉄と珪素まで溶かせるかも……。
ドロ……ドロドロ………ゴポン。
あら、溶岩流ができちゃった。まあいいや。ようこそ地獄の入口へ。
「それでなんだっけ?アクリタークに代わる、君たち屍鬼魔王をくくる総称か」
「さようでございます。どうか、名を頂戴できれば望外の喜び!」
星種子の駆除がひと段落したので説明ドクロとの通信を再開しつつ、無機物の回収作業を始める俺。
鉄とケイ素は後でシギラリアの改修工事に使うから収納用亜空間に回収。と、そんなことをしているうちに、できたてほやほやの溶岩に、周囲にたまった大量の雨水が流れ込む。水蒸気と湯気と気温の低さが相まって辺り一面真っ白。まさにスチームサウナ状態になる。熱と煙のせいで、こりゃ森の中のどこにいても目立つわな。
ドドドドドドドドドドド……
星種子がさらにこちらへ参っておりまして、大変参っております。やれやれ。
ヴォアアアアアアアアッ!!!!!オウオウッ!!ギャアアーースッ!!!
「組織名か。そうだね……じゃあ、ミソビッチョ」
「ミソビッチョ?」
「うん。ミソビッチョ」
星種子、何匹いるのかな。一、二、………五百……千五百……二千…と六十六。
個体数、把握完了。
銀の蔓、完全展開。星種子を全て刺し貫け。
ギシュギシュギシュンッ!!!!!
そして……命食典儀、魔蛆生贄。
ゴックゥン。
二〇六六匹の星種子君。さっそくだけど俺の中で揺蕩い、消化され、糧となれ。
ゴックン。ゴックン。ゴックン……
こんにちは。さようなら。ごちそうさま。おやすみなさい。
「畏れながらマソラ殿。ミソビッチョとは一体どのような意味なのでございましょう?」
「ミソビッチョはね、俺の力の根源を表す言葉」
星種子より魔力素を回収。濃縮するべく魔柩への変換を開始。天の声さん。あとはよろしくお願いしますね。
「なんとっ!!マソラ殿の力の根源!?そのような畏れ多い言葉を我らごときの総称に使用してもよろしいのですか!!?」
「大げさだよ。こんなのただの言葉だ。もともとは俺のおばあちゃんが使っていた土地言葉。そんなことより、大切なのは中身。君たちに何ができて何をするのか。それが大事……」
おっと。
通信中に、また〝お客さん〟がくる。
第九波確認。今度は……………まだこんなにいるのか。種子というだけあって半端ない数だね。しかもレベル45。さっきより10ポイントも高い。
「火車」
集まった星種子たちの攻撃を正確に丁寧に躱す。お前たちの単調な攻撃も魔法も当たらないよ。でもそれはお前たちのレベルが低いからじゃない。
ここがシータル大森林という感覚器で、アルビジョワ迷宮という効果器で、シギラリアという神経だから。
ここはつまり、俺の体の中。
レベルも、攻撃の単調変調なんて関係ない。土中だろうと樹上だろうと夜だろうと昼だろうと関係ない。
「火車」
森の中のどこで何をしていようと、お前たちは俺に噛み砕かれ咀嚼され胃に収められた解体肉と最初から大差ない。
あとは俺の腸で吸収されるだけ。それなのに、必死に足掻いている。
この森で俺に魔法は通じない。時間と魔力素の無駄遣いだ。
噛む。切る。突き刺す。薙ぐ。潰す。
この森ではそれらがせいぜいシンプルで正しい。やったところで俺に食われるだけだけど。
「火車」
あとは俺から逃げる。俺から隠れる。でも見つかる。そして俺に食われる。これが一般解。
解答者はシータル大森林。シギラリア要塞。アルビジョワ迷宮。
それらと〝同化している〟俺。
「カシ!?下賜!!下々に賜る!!!さすがはマソラ殿!一族に古より伝わる禁断の呪言を惜しみなく配下の者に下賜されるとは計り知れぬ器の大きさ!至高の存在たるマソラ殿に永遠の忠誠を誓います!」
「ごめん。ノイズがひどくてよく聞き取れなかった」
「あっ!!お聞き苦しい声で大変申し訳ございません!!どうぞお許しを!!」
「嘘だよ。永遠の忠誠とか大げさだからいちいち言わなくていい。お互いに「よろしくお願いします」で結構。………火達磨」
ゴオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!
これでいよいよこちらも狩りつくしたみたいだ。ここはとりあえずケリがついた。
星種子たちの敗因は、そうだね。……森の中で、たった八八〇五匹で俺に挑んだこと。
八八〇五匹。
みんなには内緒にしたいけれど、俺の魔柩になる餌の数としては一桁足りない。下手すると二桁足りない。物足りない。でもまあ、いいや。〝大食い〟なんて燃費が悪そうで自慢にならない。でも腹ペコは腹ペコなんだよね。う~ん……みんなが仕留めた星種子もこっそり後で吸収させてもらえれば、腹八分目くらいにはなるかな。
「それより分掌にはミソビッチョ四百名全員を割り振れた?」
火達磨で体に灯した「ファイア」を鎮火させながら俺は説明ドクロに尋ねる。
「はい!すべてはマソラ殿の仰せのままに!」
「人事は現場責任者の君に一任するよ。そうだ、嫌でなければ君の名は今からゴリアテではなくファラデー。俺の尊敬する科学者の名前だ。どうかな?」
「……」
「あれ?もしも~し?」
「にゅおおおおおおお!!マソラ殿に名前をいただいたああああっ!!!!神サプライズ!!!しかも特殊スキル「普通男性の声」キタアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」
「キタアアアアア」のあたりから声がクリアになった説明ドクロもといファラデー。やっぱり「コマッチモ」と一緒で名前をつけると「経験共有」状態になるんだ。だったらできるだけみんなの名前をつけてあげよう。特殊スキルもみんな何か手に入るかもしれないし。
「これが終わったら忙しくなるから、みんなそのつもりでいてと伝えて」
「もちろんでございます。偉大なる御方、マソラ殿!!!……ん?なんだと!?アッスンタもう一度繰り返してほしい!まだピクピク肢を動かしている不届きな輩一匹が脱走して沼地に逃げ込んだだとぉ!?こちら西組司令官ゴリアテ改めファラデー!西部戦線異常アリ!!よって全隊員戦闘再開っ!!!森も沼地も灼熱の砂漠に変えるつもりで叩き潰す!!」
「砂漠はやりすぎだから、そこは手加減してって……聞いてないや」
説明ドクロのファラデーとの魔法暗号通信を俺は終える。ただのボッチに戻る。
ザ――……
ファラデーと仲間のキングリッチー一九九名、それと森の部族民四百名は、西に出没した星種子の大群二四三八匹の相手を終えて、死骸の回収を現在行っている。でも今の話だと一匹追加されるかも。彼らは名付けてチーム「西組」。
南のキングリッチーたち二百名と森の部族民四百名は、星種子一六六一匹と現在交戦中。その名もチーム「南組」。
北のイザベルとクリスティナ、コマッチモの三名は星種子五五五二匹を相手にしている。もう少しで殲滅できそうかな。ちなみに彼らのチーム名はもちろん「北組」かと思いきやクリスティナの強い要望で「北のスライム」に変更。
「さてさて」
十秒に一度暗号が変わる通信回線を俺は再び開く。今度は単独回線ではなく各組代表者全員に聞こえる共通回線。
「みんな聞こえる?繰り返すね。怪我には気を付けて。互いの調子を気にかけて。そして星種子を頼むね……テミル・ナリ・プラデアリーク。繰り返す。テミル・ナリ・プラデアリーク(森から奴らを絶滅させろ)」
神語を使い俺は号令を発する。
「「「了解!!!」」」
大雨のシータル大森林をキングリッチー四百体と戦闘可能な部族民八百人、そしてエルフ二人とヴァルキリースライム一匹が駆ける。理由はシータル大森林で一週間前から大量発生している正体不明の怪物「星種子」の駆除。
このための戦闘配置は、
北のスライム組。エルフ2名。ヴァルキリースライム1名。(リーダー:イザベル)
西組。キングリッチー200名。森の部族民400名。(リーダー:ファラデー)
南組。キングリッチー200名。森の部族民400名。(リーダー:亀人族シノイ族長)
東組。ボッチ1名。(リーダー:ナガツ・マタボッチ・マソラ)
こんな感じだ。
キングリッチーもといミソビッチョは最初、自分たちだけで星種子討伐をやりたがったけれど、俺はそれを拒否。森にすむ八部族の人たちと協力することをミソビッチョに求めた。同じ場所で一緒に生きていくってことがどういうことかわかってもらうために、これは大事なことだと俺なりに思っているから。
自分たちの生活の場を自分たちの手で守りたい。
部族の人たちだってそういう思いは絶対にある。まあ多少はやっぱり、俺に気を使って「戦闘に参加したい」と言ってくれているだけの部分もあるかもしれないけど。
何はともあれ、というわけで戦争開始。
妊婦やお年寄り、子供など戦闘に参加できない人たちは、アルビジョワ迷宮の地下25階に設けたゲストハウスに避難。その非戦闘民を守るのは、地下209階から転移魔法で運んできたギガントマキナ。あの人形君に任せておけば守備はばっちりだ。実際ギガントマキナはこの一週間で百四十八匹の星種子を退治してくれている。
で、残りの戦闘員は全員、一週間ぶっ通しで戦争。戦争。戦争。怪我をしたらアルビジョワに戻るように言っているけれど、戻ったという連絡が全然入ってきやしない。聞かなくても森の中のことなんて手に取るように分かる。けれどこういうのはあえて連絡を待ちたい。戦況も〝見る〟のではなく彼らから聞きたい。
「みんな怪我していないかな。傷ついているくせに黙っているだけかもしれない……だとしたらどうしよう。なんて考えたところで信じるしかないから考えるのはやめっと」
雨除けのタープを張る。その下でボッチの俺は独り、食事の準備にかかる。
銀の蔓を使って魔力素を相手から取り込めば、生きていくのに俺はもう困らない。
けれど、食事は食事でその行為自体が大事だと俺は思っている。
食事を作ったり、食べたり、食べながら誰かと話したりしていれば、俺も片鱗くらいは人間でいられる気がするから。
〝これ〟をやらなくなったら本当に俺はただの化け物でしかない。
「こほん」
咳を一つ。深呼吸をする。改めまして……
「さあ~今日もマソラのボッチクッキングの時間がやって参りました。今週は蜂料理特集ということで、朝・昼・晩とハチ料理を紹介してきました。週の前半は、日本のハチ料理を紹介するということで、ハチの子の大和煮、ハチの子ご飯、五平餅のたれ、ハチの子寿司、黒スズメバチの煮つけや油炒めといったものまでいただきました」
ボッチの、ボッチによる、ボッチのための盛大な拍手がタープを叩く雨音に対抗する。何とも言えずシュールだ。
「へ~っくしゅんっ!失礼しました。グス……はい。それでですね、食肉性のハチの幼虫を食べる際には、ハチが既に腐肉などを食べている可能性があるので腸の内容物には注意するのがポイントでした。腸は抜いてから調理するのがチョウ大事……な~んて言いながら週の半ばからは、海外のハチ料理にもチャレンジしていきました~」
パチパチパチパチパチ……
拍手の音が重なって聞こえる。くしゃみをしたせいの幻聴だろうけれど何だかテンションが上がってきた。
「振り返りますと、ハチの蛹をヒマワリ油で揚げたアメリカ風唐揚げ、ハチ幼虫のメキシカンタコス、インドネシア風ハチの子スープに、ラオス風蒸かしハチの子、マラウィ風ミツバチ幼虫のスナックなど、美味しゅうございました。さて、本日で最後となりますハチ料理特集ですが、今日はなんと」
「今日は何?腸だけにチョウ気になるわ」
「私も超気になりますマソラ様。あっ、チョウ気になるってさっきの、ダジャレだったんですね!ウケるっ!アッハハハハハハハハハハハッ!!」
「マソラ殿、星種子退治最終日のシメ料理はなんでございますか?それよりもなぜこんなに楽しい番組を最初から聞かせていただけないのでしょうか?はっ!?もしやまだ我々ミソビッチョは、このファラデーはマソラ殿が信用するに値しないと思われていて……くぅ」
「我らが主の創造する料理とは何と興味深いこと!ハチ成虫は刺すので嫌いですがハチの子は喉から手が出るほど好きでございます!!」
「………」
おかしい。
こんなはずはない。
俺のボッチクッキングを盗聴できるはずはない。
通信暗号は十秒に一度変えている。召喚される前の元の世界の諜報機関だって束になっても解読には最低三か月かかるくらい複雑に組んである。つまりカマドウマの俺は盗聴できても逆に盗聴されるはずなんて…………あ。
しまった。
ファラデーとのやり取りの後もう一度魔法暗号通信を入れて、切るのを忘れていた。
永津真天。生まれ変わって後、人生最大のミスを犯しました。
どうしよう。順風満帆の人生だと思ったのに、ここでいきなり墓穴を掘りました。
恥ずかしい。穴があったら入りたい。
けれど対星種子戦闘で開けた穴は全部豪雨の水が入ってちっちゃな湖になってる。
「マソラ?どうしたの?さてはこっそりハニービールを飲んでいるのね?」
「ハニービール!お姉ちゃんそれほんと!?」
「エルフの双子よ静かにせい!マソラ殿の超ボッチクッキングが聞こえぬであろうが!」
「ハニービールとはひょっとして神酒ネクタルのことでございますか我が主!!」
「みんな、結果報告を始めようか」
「「「「え~」」」」
ブーイングをはねのけて、シギラリア要塞で会頭たる地位にいる俺は威厳と尊厳を至急回復するためにみんなの戦績を聞き始めることにする。
「こちら北のスライム組。負傷及び死者ゼロ。星種子五五五二匹の討伐を完了。現在ヴァルキリースライムのコマッチモが死骸の回収を実行中」
「報告ありがとう」
「それよりボッチクッキングの最終料理はハニービールね?」
「違います。次、西組」
「はっ。こちら西組。負傷者一五八名。死者は鰻人族二名と人間族三名。どうにか星種子の討伐を完了しました。確認したところ、討伐数は二四三九匹」
「負傷者の救護と死者の回収を最優先。星種子の残骸回収はあとでいいから」
「ありがたきお言葉。皆にも伝えます!そして我が主にして会頭の無事のご帰還をお待ちしております!」
「こちら南組。負傷者は三〇〇名。死者は幸いにしておりませぬ。討伐数は一六六一匹……申し訳ありません。討伐数が最下位にもかかわらず負傷者数が最上位とは、森の八部族の首席としてまさに名折れ。どうか腹を切って詫びさせてくださいませ!!」
「断るよ。いいかい、一番厄介なところに君たちを送り込んだ。だから被害が多くて当たり前。こちらに死者が出なかったのだからちゃんとそこを喜んで欲しい。部族のみんなもミソビッチョもイザベルもクリスティナもコマッチモもみんなよくやった。助かったよ」
「マソラ様の方は大丈夫だったんですか?」
「なんとかね」
俺はタープの下で、女王バチ幼虫のオムレツを作り始める。
「数はそこそこだけれど、敵が比較的弱いところだったから問題ないかな。それより今回の事件の分析と今後の活動方針を確認したいから、みんな日暮れまでにアルビジョワ迷宮に戻ってほしい。戦闘に参加した人とミソビッチョは20階層から24階層でゆっくり休んで。ただし代表者は208階の俺の執務室に来てね」
「「「「了解」」」」
返事を聞いた後、今度は確実に暗号通信を切る。
東組。つまりシータル大森林の東地区。
シータル大森林に東接する冷たい砂漠はバルティア帝国つまり魔王領。そこから魔物が流れ込むのはいつものこと。けれど今回の大雨に乗じてさらに進入は増えた。
そして大雨による星種子の休眠解除。
森の地形は東側が一番低い。つまり水は東の大地に一番たまりやすく、土から流れ出した種子、最初からあった種子を含めて、把握した総数は二十万弱。今の戦力では俺以外に相手できない。
戦力――。
大規模戦闘用の大量破壊兵士。
それが完成すればミソビッチョ四百名は官僚としての仕事に専念できる。個別のミッションにはエルフの二人とスライムのコマッチモを投入できる。森の八部族の人たちの生活も安定したものにできる。
「急いで作らないと」
タープテントの下で起こした焚火でフライパンを動かしながら、俺は少しずつ構想を固めていくことにした。
「風?」
「そう、大いなる風のしわざ」
アルビジョワ迷宮地下208階。通称シルバーハウス。
名前は老人ホームみたいだけれど、実は、俺に与えられた執務室兼居住スペース。石で組んだ外壁。中の大きな空間は時計回りに大広間の執務室、ダイニングルーム、キッチン、書庫、武器庫、燃料置き場、書斎、寝室、玄関ホール、応接室と区切られる。「要らない」って言ったけれど「これだけは譲れない」とみんなに言われてこうなった。正直、豪華すぎて落ち着かない。慣れるのに時間がかかりそう。
「シータル大森林上空の大気が風によって意図的に操作されているの」
そのシルバーハウス内の執務室でエルフのイザベルが言う。
「湿った重い寒気と乾いた軽い暖気をそれぞれ集めて、わざと二つの空気の塊の上下関係を逆転させているから、冷たい雨がずっとやまないんです」
妹のクリスティナが補足説明をする。エルフに勝る気象予報士はきっといないだろうね。
「不安定な大気。普通重いものは下に、軽いものは上に来る。例えるなら体重の重い妹のクリスティナは下で軽い私は上。ところが風のせいでクリスティナが上で私が下にいる状態なの。だから重すぎて私が汗を流す。雨はこうして降るの」
「みなさん、お姉ちゃんのたわごとは無視してください」
「「「「……はい」」」」
執務室に詰めた一同、目の前のテーブルに用意されたハチミツレモンティーを静かに飲む。ホットだけに心も体もホッとする。なんて言っても誰も笑わな……
「ホットだけにホッとしますなぁ」
「「「「……」」」」
ファラデー。ありがとう。
「コホン!……広域の大森林一帯の気象を、長時間にわたって操る。そんなことが可能な者がいるとすれば、聖皇か魔王ウェスパシアくらいのものでございましょう。もちろんなさろうと思えば至高のマソラ殿も可能であることは言うまでもございません」
キングリッチーであるファラデーのその言葉に、八人の部族長たちも首を縦に振る。その彼らの手には既に空になった湯飲み。そこへ控えている族長の付き人たちとコマッチモが新しいハチミツレモンティーを入れにやってくる。
ズズズ……
みんなで紅茶をすする。あったかい。ボッチの心にも体にも優しい味だ。
「理論上もう一つだけ、可能な存在がいるわ」
「?」
湯飲みから口を離したイザベルが瞼を上げる。今度はボケるなよ。フリじゃないからね。
「風の大精霊フルングニル。自我を持つ魔力素の超結晶体の一つ。それがこのシータル大森林に風を集めている。自らの意思で」
部屋に詰めているキングリッチーたちと族長が「あっ」という顔をする。なるほど、大精霊か。そう言えばそんなのがいた。自我を持つ魔力素。言われてみるとこの存在ってなんかちょっと、引っかかる。
「大精霊はしかし、いずれも封印されるか支配を受けているのがこの世界の理と伝え聞いております。風の大精霊様は封印されているはずでは?」
鹿人族の族長が皆に確認するように言う。
「そうらしいね。俺が召喚されたこの世界の書籍にも、それらしい記述はあったよ」
アントピウス聖皇国のソペリエル図書館の情報によれば、大精霊は初代聖皇クルクリオ・ユウェナリスの手で生み出されたらしい。でもこれは眉唾情報。禁書の中にすら生み出した手順、儀式の詳細が何一つ残っていないから妖しい。つまり、なんでも自分たちの教祖の功績にして自分のポジションを高めたがる連中の作り話である可能性が高い。とはいえ、存在する大精霊の数に関しては信ぴょう性があると俺は思っている。で、その大精霊は全部で六柱あるとされる。
光の大精霊バルドル。
風の大精霊フルングニル。
土の大精霊ダヌ。
火の大精霊レギン。
水の大精霊ユミル。
闇の大精霊ミアハ。
このうち所在が分かっているのは水のユミルと闇のミアハを除く四柱。光のバルドルはアーキア超大陸南南西のアントピウス聖法国のハニエル大聖堂に安置。火のレギンは大陸東の魔王領つまりバルティア帝国の魔王城バベル内部にあるが取り扱いは不明。土のダヌは大陸西のマルコジェノバ連合国のヘキト大迷宮に安置。そして風のフルングニルは大陸北のオルフェス王国の風の塔ペニエルに安置されているはず。
「大精霊レギンは裏切りの火怨。大精霊バルドルは誠実の照命。よって火の大精霊レギンは魔王を加護し、光の大精霊バルドルは聖皇を加護する……という寝言みたいな与太話が本に書いてあったね。別の本にも同じ内容で書き方が異なる記述があったよ。魔王は火の大精霊を支配し、聖皇は光の大精霊に寄生するってね。こっちの記述の方が俺は好きだ」
「それでつまりは、居場所が判明しつつ、何者かに所有されている大精霊は火と光の二柱ということでよろしいのでしょうか?」
「水の大精霊と闇の大精霊を抜きにすれば、それであってるんじゃない?ね?お姉ちゃん」
「そうね。……居場所が判明しつつも所有されずにいる二柱、土の大精霊ダヌと風の大精霊フルングニル」
深刻な表情でそう言うイザベルは、空になった湯飲みを縁の一点でテーブルに立たせようとしている。銀の蔓をそっと伸ばして倒したいな、あれ。
「無知なワシらにどうか教えてほしいエルフの姫君よ。その二柱はなぜ……」
「何者にも所有されないのか、かしら?」
「はい」
蛙人族族長が顔をこすりながら尋ねる。よく見たらこの長老、顔から脱皮始めちゃったよ。カエルって脱皮するんだ。知らなかった。
「土の大精霊ダヌに関しては私たちも聞いたことがない。だけど風の大精霊フルングニルに関してはよく聞いたわ」
「うん。エルフの里じゃ、一歳の子供でも知ってたよ」
レモンティーをもつクリスティナが懐かしそうに目を細めてほほ笑む。
「「だってフルングニル様は絶対に負けないから」」
双子がいつも通り突然ハモる。シンプルでストロングな回答にみんなが押し黙る。
「風の大精霊はそんなに強いの?」
ハチミツレモンを啜りながら仕方なく俺が尋ねる。双子は首を左右に振る。
「大精霊にはたいてい守護者がいるわ。強いのはその守護者」
「隕鉄の星獣バハムート。里にあった伝承だとレベルは確か99です」
「「「「「「!」」」」」」
部族長らとキングリッチーが、イザベルとクリスティナを見たまま固まる。
「風属性魔法無効化の戟鱗に覆われた黒獣。つまりエルフの魔法は一切効かないの」
「しかも土属性魔法無力化の加護があります。要するに弱点属性がない怪物です」
コマッチモが俺の近くに来る。ハチミツレモンティーを注ぎながら尋ねてくる。
ん?聞こえてるよ。大丈夫。俺の脳組織の一部はコマッチモへちゃんと移植できているみたいだから、これくらいの距離なら全然問題ないよ。念話はしっかり通じてるから安心して。
で、何?晩ご飯どうするって?
そうだね……
「はっ!?もしや今回の星種子は隕鉄の星獣の仕業ということになるのか!?」
地下4階層で野生のウサギが大繁殖していたよね?
あれにしよ。ウサギ鍋をみんなで食べようか。体も温まると思うし。
そうだそうだ、ねぇコマッチモ。
ついでなんだけど、ウシやブタやニワトリの畜産がアルビジョワで軌道に乗るまではウサギの繁殖に専念するって、避難してきている部族の人たちにあとで伝えておいて。頼むよ。
「おそらく、そう。星獣は本能的に大精霊を守ろうとする」
姉いわく。
「このシギラリア要塞から一番近くにある大精霊の星廟は」
妹いわく。
「風の塔ペニエル」
姉。
「シギラリアを中心としてシータル大森林を幻影結界が包んだこと」
妹。
「そして桁違いの魔力を持つマソラが地上に出たことで危険を察知した隕鉄の星獣バハムートが」
「マソラ様を大精霊に近づかせないため、歳月をかけて周到に準備しておいた星種子の仕掛けを」
「「発動させたとしてもおかしくはない」」
エルフの双子の息ピッタリの解説。聞いている方が怖くてチビッちゃいそうになる。蝲蛄人族の族長なんてザリガニみたいな口から白い泡が出て……あらやだウンコまで。
ん?なになにコマッチモ。こっちも仕事中なんだからちょっと待ってよ。なになに?ウサギ鍋以外に何が食べたいって?
だいたいコマッチモってウサギ料理とか作れるの?え……ウサギのサラダにウサギとマッシュルームのシチュー、ウサギのサドルとビーツに、ウサギのチョコレートソースがけ、ついでにレモンとセージのウサギパイ。参りました。すごいね。一生そばにいてほしいな。やっぱり二人だけでどこか遠くに行ってウサギ肉でも食べてのんびり暮らしたくなってきたよ。
「マソラ殿。どういたしましょう?」
呼ばれた俺は、膝の上の紅いコマッチモを撫でたまま、俯いて黙る。そんなに不安そうな目で見つめられると恥ずかしい。
「交渉してみよう」
考え込んだふりをするために長い沈黙をため込んだ後、そう発する。
「俺はこの森の会頭。この森に雨を降らせ続けられれば草木はことごとく枯れる。獣も鳥も棲めなくなる。それにまた星種子なんてあっちこっちにばらまかれたら傍迷惑だ。だから大精霊と星獣に、俺達とはお互いに干渉しあわないよう交渉してみるよ」
あらあら、開いた口がふさがらないなんて顔しないでよみんな。鼠人族族長のヒゲが蝸牛人族族長の触覚をバシバシ叩いてる。迷惑なヒゲ。
「……正気なの?」
「マソラ様、いくらなんでも星獣バハムートが相手じゃ危険すぎます!」
「レベル99で弱点属性なしの隕鉄の星獣。それを従える大精霊が我々との交渉のテーブルにつくとは、恐れながらとても……」
「そもそも大精霊のような存在と交渉など聞いたことがございません!」
「このままじゃジリ貧だし、せっかく動き始めたシギラリア要塞を俺も簡単に手放したくはないからね。やれるだけやってみるよ」
怒りといら立ちを隠し、穏やかな作り笑いを俺は浮かべる。
こんなの考えるまでもない。
高位の精霊とやらも超能力をもつ獣とやらも十中八九、人間との説得や交渉に応じるようなタマじゃない。
ましてや彼らは、生まれて十数年しか生きていない高校生のチンチクリンとはわけが違う。世の辛酸をいくらでもなめてきた、伝説みたいな存在だ。それが、レベル6しかない正体不明の人擬きが目の前に現れて「こっちにちょっかい出さないならお前たちと仲良くしてやる」なんて言ってきて受け入れるわけがあるだろうか。こんなの考えるまでもない。向こう様は一蹴するに決まってる。話し合いで共生の方法を探る余地なんて〝毛〟ほどもない。あるいは時間をかければその方法は見つかるかもしれないけれど、時間はない。雨はやまずに今も降り続けている。土の中は水まみれの酸欠になって根は腐る。生物は窒息する。森は死ぬ。何もかも死ぬ。
相手は交渉を望んでいない。この豪雨はその、何よりの証拠。
となれば、やっぱり〝ああ〟なる。
そのときはやっぱり、俺がヤるしかないよね。相手が誰であろうと。
ピョピョンッ!
コマッチモが俺の膝から慌てて逃げていく。ごめんごめん。ウサギ料理、頼むね。
「わかりました。ではさっそくミソビッチョ一同でマソラ殿をペニエルまで」
「随行員は三名。イザベル、クリスティナ、コマッチモ。それと〝神輿〟を使う」
「あの者たちを、本当にお使いになられるのですか?」
「そうだよ。俺の神輿を担ぐと誓った彼らを連れていく。良い訓練にもなる」
「マソラ殿!いくらマソラ様がお強くそこのエルフ二人と並々ならぬ関係であられるのは承知しておりますが、なぜ我らミソビッチョをお連れになられないのですか!?」
「理由は二つ。一つは交渉しに来たのであって戦争をしに来たんじゃないと相手方に理解してもらうため。イザベルとクリスティナはあくまで俺の護衛、コマッチモは秘書だね。もう一つはさっきも言ったけれど君たちはアルビジョワ迷宮改造の大事な仕事があるでしょ?」
「なるほど!愚問をお許しくださりませ!!畏まりました!!」
「族長の皆さん。皆さんもどうか、このミソビッチョたちにこれからもご協力お願いします。とりあえずはアイアンスケ―リーフットとシリコンカイロウドウケツ、オイルボトリオコッカス・オーランチオキトリウムの養殖を彼らとともに軌道に乗せてください」
「「「「「「「「仰せのままに」」」」」」」」
部族長たちはそれぞれ頭を下げてくれる。
会議が終わる。各々席を立ち、体を伸ばしたりしてストレッチをする。こういうところはみんな素朴で、田舎の町内会の集まりみたいで好きなんだよなぁ。
「マソラ」
「マソラ様」
そこへ現れる真剣な表情の美女二人。ユリの良い匂いが強く匂ってくる。
「なに?二人とも真剣な顔して」
「私はマソラともっと並々ならぬ関係になりたいわ」
「ずるいお姉ちゃん!私のほうがもっともっと並々ならぬ関係になる!」
「そっか。実はさっきコマッチモにこう言ったんだ。イザベルとクリスティナとコマッチモの三人の中で、転移装置を使わずに地下4階に最初にたどり着いた一人をお嫁さんにしたいって」
「待ちなさいクリスティナ!!」
「マソラ様のお嫁さんは私だから!!」
「「「「「「「「単純すぎる……」」」」」」」」
こうして俺はエルフ二人とヴァルキリースライム一匹を連れ、風の塔ペニエルへ赴くことにした。
lUNAE LUMEN
corruptio mundus
vivere