第一部 公現祭篇 その四
ぼくはひとりで部屋にいなければならない。
床の上に寝ていればベッドからおちることがないように、
ひとりでいれば何事も起こらない。
フランツ・カフカ
4. 姫と魔女「書」
アルビジョワ迷宮でナガツマソラが行方不明になる一か月前のこと。
「これより召喚者同士のチーム戦サーリュを実施する!」
アントピウス聖皇国ゼデギエル城。
「チームは既に四つに分けてある。今回は総当たり戦だ」
実技訓練の場所として設けられた円形闘技場内で同じタイミングで召喚された三十六名が訓練教官から説明を受けている。
「サーリュは1セット15分間の3セットマッチだ!」
(私は最強であることを示し続けないといけない)
自分の力を誇示したくてうずうずする者。勝ち負けにこだわる者。
沼田千尋 Lv22(召喚者)
生命力:1100/1100 魔力:3000/3000
攻撃力:900 防御力:400 敏捷性:700 幸運値:45
魔法攻撃力:2000 魔法防御力:1400 耐性:火属性、風属性
特殊スキル:信仰剣
「1チームで出場できるのは最大9名!」
(アイツガチでムカつく。今日こそ脚の骨を折ってやる)
恨みをここで晴らしたい者。
竹越沙友磨:Lv17(召喚者)
生命力:850/850 魔力:110/110
攻撃力:500 防御力:180 敏捷性:90 幸運値:28
魔法攻撃力:45 魔法防御力:50 耐性:火属性
「攻撃前衛が5名、守備後衛が4名。これが目安だが、自分たちの戦略に応じて変えて構わない!」
(もっとレベルが上がれば強い魔法とか使えるんだよね。楽しみ楽しみ)
高みに至ることを目指す者。
吉澤春馬 Lv23(召喚者)
生命力:2000/2000 魔力:1400/1400
攻撃力:2200 防御力:900 敏捷性:500 幸運値:40
魔法攻撃力:1500 魔法防御力:700 耐性:光属性、風属性
特殊スキル:戦秒鞭
「自陣と相手陣地にフラッグがある!」
(勇者の僕はここで力を発揮して全員を引っ張っていかなければならないんだ)
使命感に燃える者。
山野井冬愛 Lv19(召喚者)
生命力:1300/1300 魔力:900/900
攻撃力:1100 防御力:400 敏捷性:300 幸運値:40
魔法攻撃力:900 魔法防御力:700 耐性:光属性
特殊スキル:自己暗示
「相手チームのフラッグを抜き取るか……」
(負けたらリーダーとして、チームの一人一人に何て言葉かけようかなぁ)
勝ち負けのあとを心配する者。
岡安竜太 Lv18(召喚者)
生命力:700/700 魔力:1000/1000
攻撃力:400 防御力:500 敏捷性:200 幸運値:100
魔法攻撃力:500 魔法防御力:400 耐性:水属性
特殊スキル:地獄耳
そして、
「攻撃を相手に命中させて、相手チームのプレイヤーをおどれだけ戦闘不能にさせたかで勝敗が決まる!」
(今日はマソラ君何食べるんだろう?ハルネ的にはマソラ君の作ったイノシシカレーが超絶食べたい気分なんだけど、でもマソラ君が作らなくてもマソラ君がお店で選んだ料理を一緒に食べられるならなんでもいいもん!)
チーム戦などどうでもいい者。
赤荻晴音:Lv14(召喚者)
生命力:420/420 魔力:550/550
攻撃力:130 防御力:170 敏捷性:35 幸運値:80
魔法攻撃力:700 魔法防御力:630 耐性:光属性
(むむ!?マソラ君センサーに反応あり!)
チーム竹越の一人、赤荻晴音はサッと後ろをふりかえる。
「ん?どうした赤荻?」
「あ、いや、なんでもないよ」
(あ~もう!なんでマソラ君の前に大羽君がいるの!見えないからどいてよ!)
晴音の後ろにはチーム竹越最大の物理障壁、大羽剛がいる。
長身で筋骨たくましい大羽の後ろに、晴音の気になるナガツマソラがいる。
(なぬ!?)
その時、異世界召喚されたことよりも強烈な衝撃が晴音を襲う。
大羽が体を揺らしたその瞬間、彼の背後にナガツマソラが見える。
しかもそのナガツマソラは、隣の岡安チームの女子とコソコソ話している。
(誰ダレ誰だれ誰ダレ誰なの!?)
晴音の中で〝マソラ君警報〟がけたたましく鳴り響く。
叫びそうになるのを必死にこらえているうちに、訓練教官の説明は終わり、召喚者は各々(おのおの)用意された控場所に散っていく。
「ねぇねぇマソラ君」
「どったの?」
晴音刑事、さっそく被害者から職務質問を開始。
「さっき誰かと話していなかった?」
「さっき?」
「うん、ほら今試合の説明があったでしょ?その時に話してなかったかなぁって」
「ああ。ちょっとね」
晴音刑事、犯人の名前を吐かせるまであと一歩と確信する。
「彼女は二年九組のし……」
「おいマソラ!」
ちょうどその時、チーム竹越のリーダー竹越沙友磨と宮良翔平がナガツマソラのところにやってくる。
「話がある。ついて来い」
こうしてナガツマソラは二人に連れていかれる。大切な場面で邪魔された晴音は悔しさと苛立たしさを必死にこらえる。
同時に、ナガツマソラに話しかけていた女子を探す。
(いた。こっちを見て……ない。あの目、あの表情、絶対マソラ君を追ってる)
茶髪のロング。
三つ編みとカジュアルなねじりを加えた綱編込。
その同級生が竹越と宮良に連れられて出て行ったナガツマソラの通った扉をうすぼんやりと見ていた。
「負けない」
「ん?どうしたの晴音ちゃん?」
化粧をみっともなく直していた古舘に問われる晴音は闘志を燃やし始める。
「負けられない戦いがここにあるの」
「へぇ、珍しく燃えてんねぇ」
(特に女には)
女刑事は黒髪セミロングを改めて結びなおし、召喚者赤荻晴音に戻った。
試合が始まり、二ゲーム目になる。
チーム竹越とぶつかるのは、チーム岡安。
「よお。てめぇは前から気に入らねぇと思ってたんだ。負けたら俺の靴をなめろ」
ぼんやりとした風貌のリーダー岡安竜太に挑発をかます竹越。だが、
「ぼ、僕が代わりに舐めます!な、舐め舐めさせてください!!」
弩Mの曽根義宗が空気を読まず、性癖をエンジン全開にする。
「んだよこいつ!?」
「はっはっは。わりぃ。こいつは曽根義宗。曽根。今は止めといた方がいい」
「ご、ごめんよリーダー!僕はただのブタです!ブタと呼んでください!」
「おい。調子こいて騒いでっとぶっ殺すぞ」
近づいて曽根の襟をつかもうとする宮良を大羽が慌てて止める。
「アンタらさ、チンピラ臭が半端ないんだよ。それにつけてる香水もセンスゼロ」
「うん!お前、ニオイも顔もキショイぞ!!」
その宮良に対し、岡安の女房役の深堀彩芽と、大羽を女にしたように筋骨隆々の石原野々花が挑発で返す。
もっとも、石原の場合は思ったことを素直に口にしただけだったが、宮良の殺意が曽根から石原に移るには十分すぎた。
試合が始まるまでの数分間、互いに罵り合ったり仲間をかばったりの応酬が続く。そんな中、もはや仲間も敵もどうでもよくなっている召喚者が一人。また刑事に戻る。
(ちょっとなんで!?なんでマソラ君いないの!?)
デカ、さっきまでいたはずのガイシャがいないことに焦りまくる。
「てめぇのところは八人で大丈夫なのか?」
「まぁな。お前さんのところが八人だっていうもんだからこっちも数を合わせた」
チーム竹越は最初から八人しかいない。つまりナガツマソラがいない。
その申告をあらかじめ聞かされたチーム岡安は相手に合わせ、八人で出撃することにした。
「バカかてめぇ。これはハンデに決まってんだろうが」
「先ほど裏で「役立たずは失せろ」とあのテクニシャンに抜かしていた口が、よくほざく」
チーム岡安で「参謀やってくんね?」と岡安に頼まれている室野井創が縁なし眼鏡を左中指でずり上げながら鋭く指摘する。
(へ?)
事情を知った晴音刑事が愕然とする。しかしそれは、事件の始まりに過ぎなかった。
(ちょい待ち!よりによってあの女を外すってどういうこと――っ!!!)
チーム岡安の中で、数合わせのために外れた一人。
それは先ほどから晴音刑事が追い続けていた茶髪タイトロープの同級生だった。
円形闘技場から五キロほど離れた場所にある街はずれ。
聖都アスクレピオスに近い低山から湧き出した水は集まり渓流となり、聖都に引き込まれている。引き込まれた水は生活用水として都市の水路を血管のように流れる。
「お姉ちゃんは、あの人のガールフレンド?」
「え?」
その水路の一つに、茶髪タイトロープの少女はいた。
雫石瞳:Lv12(召喚者)
生命力:60/60 魔力:1729/1729
攻撃力:10 防御力:20 敏捷性:10 幸運値:0
魔法攻撃力:20 魔法防御力:90 耐性:闇属性
特殊スキル:不解書
「それともあの人の奥さん?」「フィアンセ~?」「セフレ?」「奴隷?」
「どれも全部違います」
「じゃあお姉ちゃんは本物のお姉ちゃん?」「妹とか~?」
「いいえ。それも違います」
奴隷の鬼人族が薪に火をおこし、その上に円柱状の寸動鍋を据えてガラガラと湯を沸かしている。その湯はこれから羊毛を洗うのに使われる。
奴隷の主人の子どもたちのベビーシッターもしなければならない鬼人族たちはけれど束の間、ベビーシッター役をタイトロープの召喚者に任せている。
おかげでタイトロープと裕福な子どもたちが見ているのと同じ光景をじっくり観察することができた。
「じゃあなんでずっとあの人を見てるの?」
「そういうあなたたちはどうしてあの人を見ているのですか?」
「え?だってすごいじゃん!」「超スゴイ」「怖いけどなんか凄ぇ」
「そうですね。それと一緒です。だからじっと見ている」
タイトロープが視線を子どもたちから元に戻す。
すると子どもたちも鬼人族が用意してくれた椅子用の切り株に座りなおし、同じ方を見る。
シュッ。ズズ。ズッズッズッズッ……
永津真天:Lv5(召喚者)
生命力:240/240 魔力:1719/1729
攻撃力:120 防御力:156 敏捷性:144 幸運値:12
魔法攻撃力:12 魔法防御力:96 耐性:土属性
特殊スキル:収納魔法
全員の視線の先にはナガツマソラがいる。
革エプロンに皮手袋をつけた彼は額に汗を浮かせながら魔物の解体を行っている。
そしてその隣では鬼人族たちと同じく、焚火と寸動鍋がいくつも設けられている。ただ鬼人族たちの鍋とは異なり、グツグツブクブク音と泡を立てる寸動鍋からはどれもこれも、鼻が曲がるような異臭が上がっている。
(この人が役立たずだったら、私なんてゴミ以下の能無しじゃないか)
その異臭を嗅ぎながら、タイトロープはナガツマソラと自分を比較する。
雫石瞳:Lv12(召喚者)
生命力:60/60 魔力:1729/1729
攻撃力:10 防御力:20 敏捷性:10 幸運値:0
魔法攻撃力:20 魔法防御力:90 耐性:闇属性
特殊スキル:不解書
永津真天:Lv5(召喚者)
生命力:240/240 魔力:1711/1729
攻撃力:120 防御力:156 敏捷性:144 幸運値:12
魔法攻撃力:12 魔法防御力:96 耐性:土属性
特殊スキル:収納魔法
タイトロープの召喚者の名前は、雫石瞳といった。
雫石は尋常ではない速さと正確さで魔物を解体していくナガツマソラを、まばたきせずに見入っている。
(職人ギルドから聞いた。……召喚者ナガツマソラの持ち込む獣の皮膚と内臓の血の寄り方がおかしいって。獲物が死んでから解体したら絶対に起きない血の寄り方が、肉全体に起きている。そのおかげで鮮度が異常に良い肉が市場に出回って、街の商人ギルドがびっくりしているって。……まさか、生きたまま獣を丁寧に解体している?殺しながら丁寧に解体している?何をしているの?というか、なんでそんなに手際がいいの?あなたは一体、何?)
表皮切開。胸骨切断。食道結束。骨盤切断。肛門結束。内臓摘出。洗浄。
動物のイノシシですら人間族が行えばこの内臓出しまで三十分以上かかるものが、ナガツマソラの手にかかるとイノシシは無論、魔物ですら十分と経ずに終わる。
しかもナガツマソラは急いでいるふうでもない。
額に汗しているがその動作は流れるように滑らかかつ涼やかで、見苦しくない。
解体には慣れている鬼人族はもちろん、解体に関して素人の子どもや雫石ですら、ナガツマソラの手捌きがハイレベルであることを直感的に理解する。
(まるで、最初からバラバラだったものを取り出しているみたい)
荷運び(ベクター)としてチームからこき使われることで筋力もあるナガツマソラは、洗浄を終えた120キログラムもある重い魔物を一人でハンガーに吊るす。剝皮開始。
皮を剥き、頭部を切断し、洗浄を行う。手際の良さに感動した鬼人族が我慢できなくなり、羊毛の洗浄などそっちのけでナガツマソラの仕事を手伝い始める。
ノミやダニがつくから解体途中の毛皮には決して触るなと親からきつく言われている子どもたちも鬼人族を見て我慢できなくなり、切り株から立ち上がってナガツマソラのところに駆け寄る。
鬼人族が素早く捕まえて取り除いたノミやダニを、キャッキャ言いながら子どもたちが踏みつけて殺していく。
「……」
みんなでわいわい解体と剝皮を行っている様子を、下草の上に座っている雫石瞳は平静を装って見つめ続ける。けれどやはりジリジリしてきて、鞄から羊皮紙と黒炭を取り出す。ナガツマソラを見て思いつく漢字を次々に書き始める。
(永津君をいつも追いかけている同級生のあの子みたいに私も永津君を好きなのかな。でもちょっと違う気がする。単純に)
「スー、フゥー」
(憧れているだけだ。おばあちゃんが昔言ってた。女は尊敬と恋愛の区別がつかないって。きっとそれだ。私はこの人に憧れているんだ。だからこうやって、近くにいようとする。……でも少し、可笑しい。あの赤荻晴音さんがこの状況を今どう思っているか考えたら、ちょっぴり楽しい)
「スー、フゥー」
雫石は深呼吸をゆっくりとくりかえす。自分を笑うのをやめる。
(永津君の価値にどうか、彼のチームメイトがいつまでも気づきませんように)
ナガツマソラによる魔物の上半身の処理が始まる。
ナイフが煌めく。
第五肋骨と第六肋骨の間を切断。
胸椎外し。胸膜外し。肋骨外し。前足骨外し。筋膜外し。リンパ節除去。
(そうすればこうやって、除け者にされた永津君の仕事をずっと見ていられる。頼まれたら嫌な顔一つせず引き受けてくれる永津君の仕事をすぐ傍で見ていられる)
続いて下半身の処理。
ハンガーから下ろし、腎臓とヒレ肉を外す。腰椎を切断。脊椎外し。肋骨外し。股関節外し。後ろ足の骨外し。
そして切り分け。
刃に付着した体液をしっかりふき取る。再び刃面に鋭い光が戻る。
(でも室野井君の話だと、これが見納めかもしれない。……レアモンスターをいくら狩れたとしても、永津君がその場に一緒にいて解体処理しなければ価値を引き出せないことに、あの竹越とかいう馬鹿で幼稚なリーダーも今回の件でさすがに気づいただろう、か。換金所のスタッフさん、ついに本当のこと言っちゃったんだ……でもそれも、仕方ないこと。永津君の価値が認められるのはうれしいけれど、この大切な時間を奪われるのは……)
「けっこう堪えるかも」
解体が完了した肉が石の上に並べられる。
ナガツマソラはその肉の一つをよく洗い、異臭を上げる鍋の方へ移動する。
無性に話しかけたくなった雫石は胸に手を当てるのをやめ、思い切って立ち上がり、ナガツマソラの傍へ行く。
「それが、良い香りの素ですか?」
(同じ質問を何度もして、私ってバカみたい)
血のニオイに交じる、ナガツマソラの汗の匂いをたっぷり吸い込みながら、雫石は思う。
「そう。解体をしている最中にたまたま見つけた〝匂い器官〟だね」
ナガツマソラの手には、魔物アロガリアビーバーの肛門付近の肉がある。
アロガリアビーバー一匹から生涯で一度しか採取できない香料を、ナガツマソラは繰り返す解体の過程で偶然見つけた。
ただしその市場価値は皆無で、解体業者はみな捨てていた。
魔物アロガリアビーバー。
野外に出没し、平均レベルは2と低い。
アロガリアビーバー Lv2(魔物)
生命力:9/9 魔力:5/5
攻撃力:10 防御力:10 敏捷性:40 幸運値:2
魔法攻撃力:0 魔法防御力:10 耐性:土属性
特殊スキル:疾哮嗅
ただし嗅覚が鋭くそれなりに知性と敏捷性が高いため、なかなか捕まえることができない。
捕まえられるのは獲物を貪ることに夢中になっている所を急襲できた時か、罠猟のプロフェッショナルの罠にかかった時にほぼ限られていたが、ナガツマソラの場合、後者だった。
魔物が体を洗う蒐場、休む寝場所、好きな餌場、獣道……。
チーム竹越から仲間外れにされて一人でいる間、ナガツマソラはアロガリアビーバーの生活圏と彼らの習性を分析し、自作の括り罠で次々にアロガリアビーバーを捕獲して市場に卸している。
このため聖都アスクレピオスの青空市場では「アロガリアハンターが異世界から召喚された」として、ナガツマソラの名前はそこそこ知られていた。
なお魔物アロガリアビーバー一匹あたりの取引価格は決して高くないが、安くもない。
アロガリアビーバーには一定の需要がある。
この魔物に需要が一定量あるのは、その頭蓋骨が工芸品として人気があり、またその肉の栄養価が高いことに理由があった。
ただし味はブタやニワトリなどの普通の養殖肉に比べて落ちる。そういうわけで、骨は金持ちに、肉は貧乏人に求められた。
「オッフオフ!オフ!フオッフ!オッ!」
鬼人族たちの声がする。
ナガツマソラと雫石瞳が振り返ると、彼らは銅貨を一枚手に取り、ナガツマソラに見えるように掲げ、汚れていない石の上に置く。
「分かった!どうぞ!」
オーガに返事をするナガツマソラ。
オーガはナガツマソラが切りとったばかりの肉の塊を手に取り、それを清流でジャバジャバと洗った後、生のままムシャムシャと魔物の肉を食べ始める。強靭な顎をもつ鬼人族が美味そうに肉を咀嚼する。他の鬼人族もそれに続く。
子供たちは魔物肉の生食いを親にきつく止められているので恨めしそうに鬼人族たちを見る。
食いたいものを食う奴隷。
食いたいのに食えない主人。
主従がひっくり返る瞬間。
ナガツマソラと雫石瞳はそれらを眺め、束の間見つめあい、互いに微笑む。
雫石瞳:Lv12(召喚者)
生命力:60/60 魔力:1729/1729
攻撃力:10 防御力:20 敏捷性:10 幸運値:0
魔法攻撃力:20 魔法防御力:90 耐性:闇属性
特殊スキル:不解書
永津真天:Lv5(召喚者)
生命力:240/240 魔力:1694/1729
攻撃力:120 防御力:156 敏捷性:144 幸運値:12
魔法攻撃力:12 魔法防御力:96 耐性:土属性
特殊スキル:収納魔法
そして寸胴鍋に向き直る。
「じゃあ始めようか」
「はい。お願いします」
ナガツマソラは悪臭の絶えない鍋の中に、アロガリアビーバーの香り肉をボトボトと入れていく。鍋には水以外に予めウシの骨や皮が投入されていて、そこから膠が溶けだしている。その膠の悪臭が徐々にアロガリアビーバーの香りに隠れていく。
「そうでした、はい。これ」
「ん?ああ。おおきに」
雫石瞳は手間賃として、銅貨二十枚の入ったズタ袋をナガツマソラに渡す。
ナガツマソラは袋を小さく一度だけ振ってジャラリと鳴らした後、受け取った中身を確認もせず、ズタ袋を収納用の亜空間にしまい込み、かわりに亜空間からウシの胃袋を使って作った大きめの袋を取り出す。
中には煤が大量に入っている。
煤は雫石が植木店で買ってナガツマソラに渡したものだった。
その煤を、ナガツマソラが寸胴鍋に投入していく。
彼は雫石瞳に頼まれて、墨汁を作っていた。
字を、書きたいんです――。
異世界に来て二週間が経つ。
もともと書道が得意で、字を書くことで自分の気持ちを整理して生きてきた雫石瞳は墨を欲した。「召喚者の中で一番器用な男」と陰で噂のあったナガツマソラを尋ねた最初は、彼にさして期待などしていなかった。ところが、
「煤を君が買ってくれるなら作ってもいい。それとタダじゃないよ」
意外な返事と手間賃の銅貨二十枚の要求が、雫石を喜ばせた。
墨汁は煤と膠があればできる。
ただしそれだけでは悪臭がするため、香料が要る。
その香料を、ナガツマソラは買わずに手に入れる手段を見つけた。しかもついでに高額のスカルまで作れる手段。
こうして出来上がった魔物アロガリアビーバーの尻肉の匂いのする墨汁は、雫石瞳をひっそりと慰めた。
以来、雫石は城からの給金の三分の一を、ナガツマソラの作る墨汁を買うために使っている。残りは墨汁で書きつける呼紙の費用に充てている。
呼紙。
異世界に召喚される前の日本の和紙と同じ製法でつくられ、羊皮紙の三倍もの値段がする呼紙を雫石は惜しげもなく買い求めては、書きたい文字をそこに一心不乱に書き連ねていた。ナガツマソラが作り、彼から買った動物毛の筆で。
衣食住のすべてを、武器防具も何もかもきりつめて、雫石瞳は書いていた。
「あれ、どうしたの?」
だから〝それ〟を満たすナガツマソラの存在が、
「書きたくなったんです。この場で、今すぐ」
彼女の中で小さいわけがなかった。
「そっか。じゃあ筵を貸すよ」
「おいくらですか?」
「ひどいな。いくら俺だってそこまでがめつくないよ」
「知っています。言ってみたかっただけです。……うふ」
ナガツマソラの隣で墨汁作りを見ているうちに、「これが最後かもしれない」と考えた雫石瞳はナガツマソラの用意した植物性の敷物の上に正座し、鞄から書道用の道具を全部取り出して並べる。
文鎮と硯は自ら河原を散策して拾ったもの。それを使い、取り出した呼紙を固定する。
(十三種の動物の毛を使った筆と、瓶に入れた墨汁は……私の一生の宝物)
宝物の液体を硯に注ぎ、宝物の筆を握る。
「……」
(何を、書こうか……)
書きたい文字はいくらでもある。
でも、この瞬間のために、この場面のために、この聖域のために、何を書けばいいのか、雫石は迷った。
「何を書くの?」
男が問う。
「……何を書いたらいいですか?」
女が返す。
「書きたい文字があったんじゃないの?」
男が笑って問い返す。
「たくさん、あります。でも、どれがいいのか分からなくなってしまって」
「そもそも何を書こうとしたの?」
「あなたを、書きたいと思いました」
「俺を書いてくれるの?」
「はい」
「そっか。雫石さんは書道の達人だったよね。俺はどんな文字になりそう?」
「……」
女は男にそう言われて、男を改めてじっくり見る。
永津真天:L v5(召カ ン者)
生 命リョク:240/240 魔力:16 94/1729
攻撃力:120 防御力:156 ビン捷性:1 4 4 幸 運値:12
マホウ攻撃 力:12 魔法防ギョ力:96 耐性:土属性
特殊スキ ル:収納魔法
黒髪ショートで、前髪は長め。瞳は女の好きな漆黒。髪も瞳も、見えないけれど多くのことを語り出してきそうな夜闇色。
そんな髪と瞳を持つ、血のこびりついたエプロン姿の男は首を傾けて、微笑んでいる。その手には再び解体用ナイフがあり、新たに革砥石がある。
男が目線を落とし、研磨剤の塗布された牛革張りの棒に刃が当てられるたび、ナイフは不気味な輝きを取り戻していく。
「…………………そっか」
女も目線を落とす。
口を半開きにさせて、思いついた文字を書き始める。
女の意識が、女の体全体にいきわたる。
唇の端からよだれが零れ落ちて呼紙を汚す。けれど女はもう気づかない。
シ ズク イ
シ
ヒトミ:Lv12(召
カンシャ)
セイ命
力:60/60
魔力:1 72 9/172 9
コウゲキリョク:10 防御リョク:20 敏捷 性:10
幸運値:0
魔法攻
撃 力:20 魔法防御
力:90 耐性:闇 属性
特 殊スキル:不解書
男は刃を研ぐのを止め、肉食獣のように息をひそめ、その一部始終を凝視する。
「できました」
言って、女は筆を置く。文鎮を外す。それを男に向ける。
「よだれ付きでうれしいよ」
「?……あ、ぃや!」
言われて女は我に返る。唇の唾液と紙についたシミに気づき、雫石の頬が真っ赤に染まる。けれどもう遅い。「変わってるね、雫石さんは」と肩まで揺らして笑うナガツマソラに対し、半泣きになりながら必死に弁明する。
「冗談冗談。ところでさ、どうして俺は〝これ〟なの?」
懐。
呼紙の上には一文字、「懐」とだけあった。
「立心偏じゃなくて土偏だったら妹に何回か言われたことがあるけれど、「懐かしい」のは初めてだよ」
「そうですか?」
雫石は透き通るような目をマソラに向ける。
雫石瞳:Lv12(召喚者)
生命力:60/60 魔力:1442/1729
攻撃力:10 防御力:20 敏捷性:10 幸運値:0
魔法攻撃力:20 魔法防御力:90 耐性:闇属性
特殊スキル:不解書
永津真天:Lv5(召喚者)
生命力:240/240 魔力:1694/1729
攻撃力:120 防御力:156 敏捷性:144 幸運値:12
魔法攻撃力:12 魔法防御力:96 耐性:土属性
特殊スキル:収納魔法
「うん。……えっと、あのさ。ここは笑うところなんだけれど」
「なぜですか?」
「なぜって、う~ん。君、やっぱり変わってるね」
「あなたほどではないと思います」
「言ってくれるじゃん」
そう言われた雫石は目を閉じ、プイと顔をマソラから背ける。
「「懐」……「衣」の間に泪を挟む字です。死者の衣に泪を注ぐ字です。哀惜の念の詰まる字です。「壊れる」の「壊」と音が同じでよく似ていますが、そこが異なる文字です」
遠くを見ながら雫石は「懐」を説く。
「へぇ」
言われてマソラはもう一度「懐」の文字をちらりと見る。そして雫石にすぐ目線を戻した時、突き刺すようにまっすぐな彼女の視線と巡り合う。
「痛い。傷い。哀しい。辛い。酸い。……いろいろと見えたんですけれど、この字が一番、弱くて、人らしくて、美しくて、あなたに重なると感じました」
「………そ。ありがとう」
ナイフを鞘に戻したナガツマソラは呼紙に書かれた文字を最後しげしげと眺め、それを大切に折りたたむ。革砥石とともに亜空間にしまう。
「マソラく~んっ!!!!!!!」
ちょうどその時、二人のもとに爆走してくる召喚者の声がした。
赤荻晴音:Lv14(召喚者)
生命力:192/420 魔力:174/550
攻撃力:130 防御力:170 敏捷性:35 幸運値:80
魔法攻撃力:700 魔法防御力:630 耐性:光属性
「なんでしょうアレ。……魔物かと思ったらギリギリ同級生のようですね」
新たに呼紙を一枚セットしながら真顔で言う雫石瞳。
「ひどいことを言うね、まったく」
頭をポリポリかきながら苦笑しつつ、墨汁の出来のチェックに戻ろうとするナガツマソラ。
「マソラ君!!その子誰なの――!!!!!」
「ボッチ仲間だよ――!!」
「ボ、ボッチ!?……くっ、否定できません」
精神的ダメージを食らい一度だけ筆を止めた雫石だったが、その後はナガツマソラのように苦笑し、そして一気に書き上げる。
「はあっ!はあっ!はあっ!はあっ!」
「おつかれさま。模擬試合はどうだった?」
全力疾走してきた赤荻晴音をナガツマソラがねぎらう。
「負けたよ!でもそんなことどうだっていいの!それより、マソラ君こんなところで何してるの!?」
「痴話ケンカだ~」「修羅場ナウ」と外野の子どもたちが騒がしい。
羊毛の処理に戻った鬼人族たちも三人を見てグフグフ笑っている。
「アロガリアビーバーのヘッドスカルを作ってるんだ。俺の召喚者手当って竹越たちにカツアゲされて飛んじゃうんだ。だからこうして売り物を作って売って、生計を立ててるの」
「そうだったの!?あの人たち、ほんっとに嫌い!…………あの、それでその、失礼な質問ですみません。お名前をもう一度聞いてもいいですか?」
マソラにプリプリ怒った後、雫石の方へ向き直り態度を改める晴音。
「雫石瞳です。永津君と同じただのボッチなので、お気になさらないでください」
「絶対気になります!」
顔を真っ赤にして主張する乙女。
「それはまたどうしてですか?」
上品かつ淑やかに返す乙女。
「それはえっと、その……」
「永津君にはヘッドスカルのついでに墨汁を作ってもらっていました。その墨のおかげで私は異世界に来ても好きな書道ができます。ところで拙筆ですが一つどうぞ」
「そんないきなり………」
「ん?どったの?……」
呼紙を渡された途端フリーズする晴音の顔を見、持っている紙を見るナガツマソラ。
「♡晴天♡」
目を潤ませ耳まで赤くし震える「晴」音。
呆れたようにため息をつく真「天」。
赤荻晴音:Lv14(召喚者)
生命力:420/420 魔力:550/550
攻撃力:130 防御力:170 敏捷性:35 幸運値:80
魔法攻撃力:700 魔法防御力:630 耐性:光属性
「雫石先生。二つ質問があります。一つ。なぜ絵文字が入っているのか。二つ。なぜ二文字で、そこに込めた意味はなにか、です」
「全部で三つも質問をしたので答えません。日本男児らしくお察しください」
道具をてきぱき片付けながら雫石瞳は表情を変えずにナガツマソラに返す。
「では先に失礼します。永津君。墨汁ができたら連絡をください」
「了解。さっきはボッチって言ってごめんね」
「いいえ、気にしないでください。私は正真正銘のボッチです。どこかのアロガリアハンターなどよりもずっと」
「アロガリアハンター?」
「「知らぬは本人ばかりなり」。やはりさっきの一文字よりもこの言葉の方がよさそうですね」
「よく分からないけれどありがとう」
「では本当に失礼します。たった二文字で全回復できる赤荻さんもお元気で」
「あっ、はい!これほんとに、ほんとにありがとうございます!一生の宝物にします!」
その時、一陣の強い風が三人を襲う。焚火の炎が激しく揺らめく。
「あっ!」
晴音の持っていた「♡晴天♡」が彼女の手を離れ、空に舞い上がる。
「待って!待って待って!!」
赤荻晴音。再び爆走開始。
子どもたちと鬼人族にゲラゲラ笑われながら、その場から消える。
肉の解体に使用した後出しっぱなしだったハンガーが吹っ飛んだせいでマソラは慌て、雫石は舞い上がる一枚の呼紙を目で追う。
(一生の宝物……そっか。私にもそんなことができるのか)
雫石瞳は鞄を肩にかけると、微笑んでいた口を結び、ゼデキエル城へと先に戻っていった。
duo homines