演じること。演じつづけた先に見えるもの
駅から球場まで、幹線道路沿いに歩いて10分ほどで着く。
俺は、その途中にある小さな公園の入口のフェンスに座り、通りを歩く人達を見ている。
目的はない。
ただ、見るだけだ。缶コーヒーを呑みながら。
呑むのは、いつも同じ缶コーヒーだった。それは甘味の後に、独特な苦みがくる。コーヒーの苦みとは違う。後味の悪い、舌の上をひっかくような苦みだ。呑んだ後、なんだか細かい傷のようなものが舌についたような気分になる。
それが昔吸っていた煙草に似ていると気づいたのは、つい最近のことだった。
煙草は辞めた。5年前のあの日に。
辞めようと思ったわけじゃない。あの日、あの出来事があってから、まるで息をするかのように吸っていた煙草を吸おうと思わなくなっていた。すっぽりと、ルーティンの中から抜け落ちたのだ。
抜け落ちていると気づいたのは、あの日からずいぶんと経ってからだった。気づけたのは、あの日、あの出来事の傷が癒えてきて、余白が出てきたからじゃない。
傷は、癒えない。
肉体が滅んで魂だけが残る未来があるのだとしたら、魂が消えさるまでの間、永遠にそれは残るだろう。それはまるで水を溜めた浴槽の中にずっと浸かっているかのように、ずっとそれは体の周りにあるし、心臓を圧迫し、そしてそれは目には見えない心にまで届いている。
今も、届きつづけている。
煙草を吸う。
それが自分から抜け落ちていると気づいた時、さしたるショックは受けなかった。
喫煙者時代、人間ドッグで医者から、
「肺が真っ黒ですよ」となじられたあの時と同じような感覚だった。
「このままだと、確実に肺がんになりますよ」と中年の女性医師は言った。苛立った口調だった。それは俺の肺が黒いせいじゃない。何か他に原因があり、たまたまそこに患者として俺が来て肺が黒かったせいで起きた出来事のように思えた。
でも、口にはしなかった。口にすることで、相手がどんなリアクションになるのはか明白だ。
「苦しんで死ぬことになりますよ」と医師は付け加えた。
「苦しまないで死ぬ方法があるんですか?」と俺は聞いていた。
一瞬、医師は驚いた顔をした後、患者に向けるとは思えないような言葉を浴びせかけてきた。
俺がまいた種だった。
時々、そんなことを言ってしまう。
ふと浮かんだ疑問を、そのまま口にしてしまう癖だ。
心がエアポケットのような状態になった時、しでかすミスだった。大抵、それは相手との関係を急激に悪化させてしまう。
煙草を吸う。
それはまるでそれはなくてはならないことのように、そこにあった。どんなリスクを提示されても揺るがない立ち位置で、そこにあった。
煙草がいらない。
それは何とも言えない不思議な感触だった。失ったはずなのに、失っていない。でも何か獲得した感触も勝ち得た何かもない。プラスとマイナスの位置取りがつかめないまま、ここまで来ていた。