皇太子の憂鬱
流行りに乗ってみた結果です。後日手直しするかもしれません。
「きゃあっ!」
「っ!」
悲鳴と共に突然、上から人が落ちてきた。ちょうど真下を歩いていた青年が反射的に落ちてきた人を受け止める。落ちてきたのは深紅の髪を持つ少女だった。落ちてきた恐怖からか閉じられた目が開けば、髪の色に負けないくらいの深い赤色がある。何が起こったのかと、腕の中でキョトンとしていたが、直ぐに慌てて降りたかと思うと、勢い良く青年に向けて頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ! 重かったですよね」
「……いや、そうでもない」
「えっと、その……ありがとうございました! それと、ごめんなさいっ!」
それだけを青年に告げて、少女はそのまま走り去っていく。一連の出来事に、青年は呆然としていた。すると、そのすぐ側にいたもう一人の青年が声をかける。
「大丈夫か、セイン?」
「ああ」
「全く……どこをどうしたら、上から降ってくるんだ? そもそも、お前以外にもここは通っただろうに。タイミングがいいと言うか、何と言うか」
言われて青年は上を見た。上からということならば、可能性は木の上に登っていたということになるだろう。道筋には木々が並んでいるが、わざわざ木に登ってまで見るものは何もない。
「もしかすると、お前を待っていたのかもしれないな」
「……迷惑だ」
「仕方ないだろ? セインドゥール・クラシアス・ティアリス皇太子殿下」
その言葉に、僅かに眉を寄せる青年だが、周囲からの痛いほどの熱視線は最早慣れたものだった。
白銀髪に濃紫の瞳。皇族特有の色を持つ青年は、この世界、フォーミリアで唯一の帝国の皇太子だった。次期皇帝と成るべく育てられ、それに相応しくあるようにとセインドゥール自身も努力してきた。そのお陰か、周囲の評価は上々で、皇太子の地位は揺るがないものとなりつつある。そんなセインドゥールと共にいる青年は幼なじみであり、公爵家子息のヴェスティン・フォン・リアードだ。ダークグレーの髪色に深緑色の瞳をしており、剣の腕が立つヴェスティンは、セインドゥールの護衛も兼ねていつも側にいた。
朝のとんだ遭遇に若干の疲れを感じながら、セインドゥールはヴェスティンと共に学院の校舎へと向かったのだった。
本日は、由緒正しい国立学院の入学式だ。登校するのは、新入生のみだが、セインドゥールは在校生代表として挨拶がある。ヴェスティンは、その付き添い兼護衛として共に来ていた。
学院は3年間の学ぶ期間があり、セインドゥールらは2年生だ。それでも、皇太子という立場上、学院生のトップである学生会の会長を務めている。他の学院生がやりにくいという理由も多分に含まれており、その点については仕方ないことなのでセインドゥールも了承していることだ。
講堂の在校生代表席に座りながら、セインドゥールは壇上の少女を見ていた。朝、セインドゥールの上に落ちてきた少女だったからだ。その名は、リリアナ・ミューラという。新入生代表として壇上に立っていた。セインドゥールはミューラという家名に聞き覚えはない。即ち、貴族ではないということになる。現存している貴族家については全て記憶しているセインドゥールなので、間違いないはずだ。
平民で新入生代表。新入生代表は、首席が務めることになっている。
「……今年は、荒れそうだな」
「同感」
セインドゥールの呟きに隣に座っていたヴェスティンもしみじみと答えた。
良くも悪くも学院生、否、貴族はプライドの塊である。学院は拓かれているとは言え平民が通うには難しい問題がある。金銭的な問題だ。だからこそ、特待生制度があり、成績が優秀であればその制度を利用して平民でも通うことが可能となっている。それでも、これまで学院の新入生のうちで平民が首席となったことはない。新入生代表として、顔を晒してしまった時点で注目されることは避けられなくなったと言える。
「どうする?」
「様子見だ」
「まっ、そうだな」
関わらなければいいかという風に、この時のセインドゥールは考えていた。皇太子でもあるセインドゥールに対して、軽々しく近づくことはしてはいけない。貴族であれば、暗黙の了解だ。
だが、翌日から例の新入生代表のリリアナは、上級生らに接触し始めていた。
帝国騎士団長子息や、伯爵家次男、更にはヴェスティンの異母弟に至るまで関わりを持つまでになっていったのだ。彼らはセインドゥールらと共に学生会に所属しているメンバーでもあった。
そんなことを噂程度に聞いていたセインドゥールだったが、それから2ヶ月後、本来ならば部外者は立ち入れない学生会室にまで、リリアナはやってきたことで関わらざるを得なくなったことに肩を落とした。教室では令嬢らから避けられており居心地が悪くしていて可哀想なので連れてきたというのが、彼らの言い分だ。
セインドゥールとヴェスティンは、リリアナの入室を許可していない。セインドゥールに至っては、話しかけることさえ許可していないのだ。しかし、平民ということで貴族としてのマナーに疎いということを免罪符にセインドゥールに近寄ってくる。回数が重なれば、流石のセインドゥールでも口調が厳しくなるのは仕方がないだろう。
「セインドゥール様!」
「……名を呼ぶ許可を与えた覚えはない。部外者は出ていけ」
「殿下っ、リリアナは部外者ではありませんっ! 彼女は優秀です。必ず役立つはずです!」
「カイン、それを決めるのは私であり、お前ではないはずだが?」
「そ、れは……」
こうしてリリアナを邪険にあつかえば、必死に弁護してくる。彼らの存在が疎ましく感じても仕方ないだろう。セインドゥールには、学生会としての仕事以外にも公務がある。下手をすれば、もう授業など受けていられないほどには切迫しているのだ。それを尚も滞らせようとするならば、彼らも部外者として追い出してしまいたい程だ。
そんな日が続いたある日、セインドゥールはめずらしく一人で学生会室にいた。授業中であるため、他の連中はいない。ヴェスティンには一人にすることを渋られたが、セインドゥールが譲らなかったのだ。
溜まっている作業に夢中になっていると、学生会室の扉が開いた。しかし、セインドゥールは集中していて気がついていない。
「……セインドゥール様」
「っ!?」
ほのかに香る匂いに気付き、セインドゥールは漸くそれに気がついた。気がついた時には、腕を首に回されている。この声は、リリアナだ。最近、物理的にも精神的にも疲弊していたからか、セインドゥールにしては珍しく鍵をかけるのを忘れていたらしい。己の所業にセインドゥールは舌打ちをしたくなった。皇太子という立場にあるものに、あるまじき行動だ。驚きに染まる頭で、冷静に状況を把握する。
ここにいるのは、リリアナ一人。セインドゥールに何かを仕掛けるつもりなのかはわかるが、それが何かはわからない。
「……何が目的だ?」
「目的だなんて……あたしは貴方が苦しそうにしているから、側にいたいなって思っただけで……」
「苦しそう、だと?」
「皇太子様だって一人の人間でしょ? なのに、貴方だけが頑張る必要はないと思う。疲れたら休んでほしいの。苦しいならあたしが側にいるから……一人でもう頑張らないで。あたしは何があっても絶対に側にいるから」
優しく労るように告げられる言葉をセインドゥールは黙って聞いていた。目的が何かと問えば、セインドゥールの側にいたいだけだという。全く意味がわからない。
リリアナの言葉は、まるでセインドゥールが皇太子として認められるまでのことを知っているようでもあった。
確かに、皇太子という立場が重荷に感じたことはある。皇帝は長子であるセインドゥールには特別厳しかったし、皇后である母にも優しくされた記憶はあまりない。弟や妹に対しては、優しい母であることもわかっていたし、昔は羨んでいたこともある。それでも、セインドゥールは独りだったことはないし、蔑まれるほどに落ちぶれているつもりもない。しかも、数ヵ月前に会ったばかりのリリアナにだ。平民の少女に、皇太子の責務を理解してもらおうなどとは微塵も思わない。
「だから、セインドゥール様」
「……名を呼ぶなと言った。何度言えばわかる」
「え……」
一段と低い声が出た。そんなセインドゥールに驚いたリリアナの隙を突いて、リリアナを捕らえる。文字通り、拘束した。
「な、何するんですかっ?」
「……私を誰か知っているだろう?暗殺しに来たと言われた方がよっぽど良かった。まさか私に同情してくるとはな」
「なっ! 同情じゃありません! あたしは貴方が好きだから!」
「私のことを何も知らないお前がか? 笑わせる」
セインドゥールの容姿は整っている。笑みを浮かべれば視線を向けられた女性らが思わず赤面してしまうほどには、女性が好む顔を持っているだろう。加えて、次期皇帝だ。その妻の座を欲しがる者は多い。だからこそ、セインドゥールはこう言った手合いに慣れていた。
「ほ、本当だもん! あたしは、ずっとセイン様が好きで……だってあたしは、あたしならちゃんと貴方を見ていられる! セイン様を愛するたった一人になってあげられる! どうしてちゃんとセリフ言ったのに……間違ってないはずなのに」
「……連れていけ」
いつの間にか学生会室へ現れていた騎士たちが、リリアナの両手を拘束して連れていった。最後まで喚きながら、セインドゥールを呼んでいたがセインドゥールにとってはどうでもいいことだ。
「……はぁ、やるか」
再び一人になったところで、今度はちゃんと学生会室に鍵をかけてから作業へと戻った。
それから数時間後、授業が終わった。と同時に学生会室にヴェスティンが顔を出す。その顔は焦りに満ちていた。
「セイン!」
「ヴェスティンか、随分早いな」
「早いな、じゃない! お前、何やってんだ!」
「何って……あぁ、聞いたのか」
「もし暗殺者だったらどうする!? 無事だったから良かったものの……もっと自分の立場を考えろっ!」
次から次へと叱咤の言葉がヴェスティンから飛び出す。それもセインドゥールのことを案じているからだということは、長い付き合いから良くわかっていた。
セインドゥールとしては己を軽んじたことはないが、皇太子の代わりはいくらでもいると考えている。弟も二人いるし、叔父も健在だ。必ずしもセインドゥールである必要はない。だが、皇族として生まれた責任を果たす必要はあるだろう。そこに愛情などなくてもいいのだ。リリアナが言う側にいる人は、セインドゥールは必要としていない。そんなことを言えば、目の前にいる友人が烈火のごとく怒りだすことは知っているので、口にだすことはしないが。
「聞いているのかっ! セインっ」
「……聞いている」
半分ほど聞き逃しながら、セインドゥールは拘束された少女のことを考えた。
皇太子に対する不敬罪と傷害未遂罪での拘束にはなるだろうが、それほど大きな処罰にはならないはずだ。直ぐに戻ってくるだろう。その後も彼らがリリアナに懸想し、支障が出るほどの行動に出るならば今後についても考えなければならない。
それほど学院生活に時間を掛けることは出来なさそうだが、それもセインドゥールが持つ責任の範囲でやらなければならない。暫くは授業に出ることは叶わないなと考えながら、ヴェスティンの小言へと意識を戻すことにした。