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第一話



あの日の記憶が繰り返される。


人々の笑顔、下駄の鳴る音、光る玩具、じっとりと肌にまとわりつく空気、暗闇から聞こえる虫の声。


そして、私を呼ぶ妹の……





「……あっつい」


汗を流し、髪を肌に張り付けながら歩く女が独り言ちる。


もう日が傾き、段々と夜が近付いて来ているにもかかわらず、夏の不快な暑さが和らがない。


そんな中、この女、佐々木幸(ササキユキ)は家への帰路を歩いていた。


看護専門学校三年生。今年度冬、国家試験を受ける。

今日はそのための国試勉強をしに図書館へ行っていたのだ。


しかしあまりの暑さにユキは家を出たことを後悔していた。


「こんな暑いなら家で勉強しとけばよかった」


そんなことをつぶやきながら何気なく辺りを見回したとき、古びた鳥居が視界に入った。


その奥には、木の根に押し上げられガタガタに割れたコンクリートの階段が続いている。


青々とした桜の木に遮られて見えないが、階段の先には小さな社があるはずだ。


お盆になれば祭りが開催され、毎年多くの屋台が出展され賑わう神社だが、今は人っ子一人おらず閑散としている。



その神社の鳥居を見つめ、何かバツの悪そうな、そして同時に決心したかのような顔をしたユキは、汗ばんだ足を神社の方へと進めた。


(試験の合格祈願するだけだから……)


あの日以来、十年間足を踏み入れなかった鳥居の向こうにユキは歩いていく。







十年前、私が十一歳、妹が九歳だった頃。


妹は生まれつき体が弱く、激しい運動や遠出ができない子だった。


両親はそんな妹にかかりきりだったし、私もよく妹の世話を焼いていた。


そうして甘やかされた妹は我儘な少女に成長していた。


今思えば、周りの子達と同じように遊べないフラストレーションがその性格に拍車をかけていたのかもしれない。


あの夏の日、両親は家を空けていた。

近所の神社で開催される夏祭りに行く約束をしていたのに、突然仕事が入ったとかで出ていってしまったのだ。


夏祭りは夕暮れから始まるため、子供二人で行かせるわけにもいかない。

両親は私たち姉妹にとても申し訳なさそうに謝った。

そして「今度絶対、家族皆でどこか遊びに行こうね」と言って家を出ていった。


しかし妹は納得しなかった。

忙しい両親が約束をやぶることは珍しくなかったが、今回ばかりは我慢出来なかったらしい。



「お姉ちゃん、なんでお祭り行っちゃいけないの?私行きたい!約束したのに、嘘つき!」


幼く小さな顔をしかめながら、妹は私にそう言った。


私も同感だった。だけど両親の都合が分からない歳でもなかった。


「しょうがないよ、お母さんたちお仕事だもん」


「しょうがなくない!」


聞き分けのない妹に少し苛立った。

それと同時に、可哀想だと思った。


そうだ、この子はいつも友達と遊びに行ったり出来ないんだ。

きっと私より妹の方がつらいんだ。


そう思うと、だんだんと両親に腹が立ってきた。



私はもう十一歳、来年は六年生だ。

近所の神社くらい平気で行って帰って来られる。

妹の世話を焼くのは慣れてる。

私がついていれば大丈夫なんじゃないか。



子供じみた考えだった。だけどその時は自分がとても正しいように思えたのだ。


私は妹に声をかけた。


「ねえ、ふたりで行こうか」


「えっ?」


私の言葉に、妹は驚いたような顔をする。


「でもお母さん、ふたりで行くのはダメだって…」


戸惑う妹の言葉に被せるように言う。


「大丈夫!前にふたりで遊びに行ったことあるでしょ?昼も夜も変わらないよ。先に約束やぶったのはお母さん達なんだから、ちょっとくらいいいじゃん!」



私のその言葉が、まるで魔法みたいに妹の心の隙間に入り込んだ。


「いいの?ホントにいいの?」


期待を込めた目で私を見つめてくる。


「いいよ!私もう五年生だし、マナちゃんだって3年生になったでしょ。他の三年生の子達はみんな子供同士で遊びに行ったりしてるよ。フツウはそうだよ!」



他の子達は、フツウは…無意識のうちに、最も妹に効果的な言葉が口をついて出た。


妹、愛佳(マナカ)は素直な子だった。

少し我儘なだけで、本当はしっかりした子だったのだ。


それを私は唆した。


少ない小銭を二人して握りしめ、ポケットに家の鍵を突っ込み、私達は夕暮れの町を歩き出した。






神社のある方向からは賑やかな声と音楽が聞こえてくる。


周りの人達も皆、小さな姉妹と同じ所を目指しているようだ。

浴衣を着ている人もちらほらといる。



マナカはユキの隣でわくわくしながら歩いていた。


(お姉ちゃんとお祭り!お姉ちゃんとお祭り!)


まさかあの姉が自分を祭りに連れて行ってくれるとは思っていなかった。


良くも悪くも親の言うことをきちんと守る姉だったのだ。


マナカは祭りに行けることと同じくらい、姉が自分と一緒に祭りに行ってくれることが嬉しかった。




神社に着くと、普段の様子からは想像もつかないほど多くの町民が集まっていた。


どこからかイカやトウモロコシの焼ける匂いがする。

マナカの大好きな綿菓子、ベビーカステラ、キラキラ光る指輪や金魚。


親の言いつけをやぶり、子供だけで来ているということも相まって、なんだか特別なことをしている気分になっていた。


人混みの向こうに見える射的の屋台では、マナカのクラスメイトの男子たちが楽しそうに遊んでいる。


(ほんとだ!みんな子供同士で来てる!)


姉のユキが言っていたことは事実であった事が、マナカに大きな安心感を与えた。



「マナちゃん、まずは何する?」


ユキがマナカに声をかける。


「えっ!えーっと…スーパーボールすくい!あと綿菓子食べたい!」


「それならあっちだよ、行こう!」


「うん!」






気が付くと辺りはすっかり暗くなっていた。


人混みから少し離れると、茂みや木陰が真っ黒になって奥行きすら分からない。



マナカはユキを探していた。


少しよそに気を取られている間にはぐれてしまったのだ。


「お姉ちゃん、どこ?」


蚊の鳴くような小さな声で姉を呼ぶ。

しかし応える声はない。


言い知れぬ不安がマナカを襲う。


途方に暮れて歩いていたその時、人のいない暗闇の向こうから何かの気配を感じた。


懐かしいような、行かなければいけないような…そんな感覚を覚えるものだった。


恐怖よりも好奇心が勝った九歳の少女は、そちらの方向へと歩みを進めた。




「マナちゃん?」


振り向いた時には妹は後ろにいなかった。


「え…」


見渡す限り、人、人、人…


とても一人では妹を見つけられそうにない。


(どうしよう…探さなきゃ…)


それから私は妹のマナカを探しまわった。

しかし、探せど探せど見つからない。


不安と罪悪感で泣きそうになる。


そうしてキョロキョロうろうろしていると、ふいに横から声をかけられた。


「あれ、ユキちゃん?」


声のした方向を見ると、友達のお父さんが立っていた。







その後事情を話し、町内会の大人達が手分けして妹を探してくれたが、結局見つかることはなかった。


警察にも通報し、捜索しても見つからない。目撃情報もない。


近所でもしばらくの間噂された。

小学生の女の子が神隠しにあったと。



あれから十年、妹はまだ、見つかっていない。






ユキは確かな足取りで神社の階段を登っていた。


手入れされていない草むらから、ジージーと虫の音が聞こえてくる。


階段を登り終えると、砂利の敷き詰められた広場に出た。石畳が鳥居から社まで真っ直ぐのびている。



(こんなところでマナちゃんは行方不明になったのか…)


見たところ、少女を誘拐するのに適した場所とは思えない。


それに、あの時は周りに大勢の人がいたはずだ。



ユキはその場の勢いでこの神社に足を踏み入れたことを後悔していた。


(やっぱりもう帰ろう。まだ私には向き合うのは早い…)


ユキが帰ろうと回れ右をしたときだった。



「お姉ちゃん」



忘れもしない、あの子の、妹の声が聞こえた。



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