03
「あのー……なんで俺が、おじょー様と戦う流れになってンのか、いまだによく分かんないンだけど……?」
「ふん! そんなの、自分の胸に聞いてみなさい!」
「トモくん……」
学園の屋外運動場で向かい合う、アレサとトモ。周囲には、ウィリアをはじめとしたたくさんの生徒たちが、ギャラリーとして二人を取り囲んでいる。
太陽は沈みはじめ、そんな彼女たちの長い影を作っている。結局、アレサとトモの一対一の勝負は、その日の放課後を使って行われることになったのだ。
今朝のように、アレサが突然突拍子もないことを言い出すのは、何も今に始まったことではなかった。むしろ彼女は、口を開けば訳の分からないことを言うと噂されて、学園中の生徒や教師から飽きられていたくらいだ。
だから、いつもならば今朝の勝負の話も、「あーあ、また残念お嬢様がバカなこと言ってる」なんて思われて、適当に流されてしまうことも十分にあり得たはずだった。
だが、今回はそうはならなかった。
その理由は……朝の後片付けを終えて登校してきた、アレサ付きのメイドだった。
「さあ! ついに始まりました、お嬢様と異世界転生者の因縁の対決! 勝利をつかみとるのは、いったいどちらなのか⁉
実況は私、サウスレッド家の美少女メイド、メイ・メイ・エミリア・スティワートがお送りします!」
彼女が、面白がってそれをイベントとして企画し、運動場を貸し切ったり周囲に広めるなど、先導して推し進めてしまったのだ。そのせいで、二人の勝負は流されるどころか、学園全体の生徒が知るような無駄に規模の大きなものになっていたのだった。
「先手を取らせてあげるわ。好きな武器を使っていいから、どこからでもどうぞ?」
彼女のそんな言葉どおり、トモの近くには、学園中からかき集められた剣や槍や斧などのさまざまな種類の武器が置かれていた。それらは、多くは武術演習用に作られた模造品だったが、中には整備された真剣も混じっているようだった。
対するアレサの武器は、昨日の夜と同じ。つまり、トモがドラゴンを倒したときに使った、先端が尖っていない金属の棒だ。
サヤに入っているときならまだかろうじて様になるが、ひとたびそこから出せば、とても武器には見えない。トモの世界で言うなら、建築工事の現場に転がっている鉄芯のようだ。アレサはそんなものを運動場の地面に垂直に立て、上端に右手を添えた状態で、余裕ぶっていたのだった。
「だ、だから、俺は戦うつもりなんかねーっつーか……。だいたい、男の俺が女のおじょー様と戦うとか、フェアじゃないっしょ?」
「男とか女とか……全く、器の小さい人間ですわね! そんなの、関係ないですわよ!」
「だ、だって、おじょー様の持ってるそのレイピアって、刃がついてない飾りもんでしょ? なんか構えも全然デタラメで、隙だらけだし……。正直、勝負になンないと思うぜ? 俺も女の子をケガさせたくなんかねーし……今からでも、やめらンないかな?」
トモは、威勢がいい割には全く驚異を感じないアレサに対して、苦笑を隠せない。しかしその様子が、更にアレサの心の火に油を注ぐ。
「きぃー! ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと来なさいって言ってるでしょ! これは、ウィリアを賭けた真剣勝負なんですわよっ!
この勝負に勝ったほうが、ウィリアの純潔を手にいれることができる! ウィリアを妻としてめとり、毎日ウィリアの作るご飯を食べることができるのよ!」
「あ、あのー、アレサちゃん……? あたし、そんな約束してないよね……?」
勝負を申し込んだ朝から今までの間に、アレサの妄想はすっかり膨らみ切っていて、もはや原形が分からなくなるほどに独自のストーリーができあがっていた。
「勝負の勝者は、毎朝ウィリアに『いってらっしゃい』って家を送り出される! 毎晩ウィリアに『おかえりなさい』って迎えられる!
さらには、『一緒にご飯食べる? 一緒にお風呂入る? それとも一緒に……する?』なんてことまで言われちゃったりして…………キャー、ウィリアったら大胆なんだからっ!」
「いやいやいや……」
「そういう、大事な勝負なのですわ! だから、手加減なんていらないのですわよ!」
アレサは感情が高ぶり過ぎて、だいぶ煩悩がダダ漏れだ。ウィリアをはじめとした周囲のギャラリーも完全にドン引きで、そこかしこから悲鳴が聞こえてきていた。
ただ、
「おーっと出ました! お嬢様お得意の、妄想トーク! これはヒドい! 転生者のトモ選手も、あまりの気持ち悪さに手が出せない模様です! ここだけの話、私も毎日お嬢様のこんな姿を見せられていて、頭がおかしくなりそうなのです!
はっ、そうか…………ということはもしかしたらこれは、精神攻撃の一種なのでしょうか⁉ 既にトモ選手は、お嬢様の術中にはまっているということなのでしょうかっ⁉
そのあたりどう考えますか、解説のウィリアさん?」
「メイちゃん、完全に面白がってるよね……」
メイドの少女だけは、相変わらずアレサをバカにすることに余念がないのだった。
「はいはい……分かったよ。やればいーンだろ、やれば。じゃあ、さっさと終わらせよーぜ?」
結局トモも、今のアレサに何を言ってもラチがあかないことを悟ったようだ。やる気なく、武器の山の中から木刀を拾いあげる。
「いっくゼー?」
そして、最大限に手を抜いた様子で、アレサに斬りかかってきた。
「……ふん」
それを見ても、アレサは相変わらず、金属の円柱棒を杖をつくように地面に突き立てた姿勢のままだ。
「寸止めできなかったら、ごめんなー?」
まもなくして、攻撃の間合いに入ったトモが、ガラ空きのアレサの頭に木刀を振り下ろしてきた。手を抜いているとはいえ、さすがにチート能力によって武器の扱いが完璧になっているトモの太刀筋は鋭い。
そしてその剣道の「面」のような攻撃は、瞬く間にアレサの脳天に直撃…………するはずだったのだが。
今にも木刀がアレサの頭に達しようかというところで、アレサは自分の金属棒の、地面に接している先端を蹴った。
すると、蹴ったほうとは反対側――アレサの手が触れているほうの先端――を固定された支点として、金属棒は振り子のように素早く弧を描いて動いた。そして蹴った先端が、振り下ろされたトモの手元にヒットし、彼の木刀を高く空中に弾き飛ばしてしまったのだった。
「……え?」
その場の誰もが、何が起きたのか理解できなかった。木刀を弾かれたトモでさえ、呆気に取られて反応できなかった。
そのくらい、それは鮮やかな手際だった。
木刀を失って無防備なトモの額に、アレサは金属棒の先を「トン……」とあてる。
そして、
「あら、ごめんなさい。寸止めできませんでしたわ」
と、イヤミったらしくほほえんだ。
「マ、マジかよ……」
トモは驚愕のあまり、立ち尽くしている。実況席のメイドだけが、この事態を予測していたかのように、静かにつぶやいた。
「ここだけの話ですけど……このお嬢様を、あまり甘く見ないほうがいいですよ……?」
やがて。ギャラリーたちがざわざわと騒ぎ始めると、呆然としていたトモも、やっと正気を取り戻した。
「お、驚いたな……。あんた、結構つえーんだな……」
「そうですの? あなたが弱いだけじゃなくって? だって女のわたくしじゃあ、男には勝てないはずなんですものね?」
「ふっ、言ってくれんじゃん……。これなら、手加減はいらねーみたいだな」
「あら? むしろ、わたくしの方が、手加減してあげたほうがよろしいんじゃなくって?」
飛ばされて近くの地面に落ちた木刀を拾い、間合いをとって構えるトモ。今度は、さっきのようなやる気のない態度ではない。
「いや……次はお互い本気でやろーぜ? 俺も、やっと自分の本気がどのくらいなのか知れそうで、楽しみだよ。昨日のモンスターは、本気出す前に倒しちゃったしね」
「そう……ね」
一瞬、悲しい顔を作るアレサ。
しかし、それはすぐに普通の表情に戻ったので、周囲の誰にも気付かれなかった。
そしてそこから本格的に、二人の勝負が始まった。
「『猛毒の雲』!」
「おーっと! 転生者のトモが、魔法で攻撃だー!」
彼の右手から飛び出したのは、昨日ドラゴンを倒したときに使ったものによく似ている、雲の魔法。しかしそれよりも色が濃く、凶悪な雰囲気のする暗雲だ。
それは、雲の粒子に毒性を含んでいる水と風と闇属性の合体魔法だった。直撃すれば全身が麻痺してしまうばかりか、そのままにしておけば死のおそれさえある、危険な高等攻撃魔法だ。
しかし、アレサはその雲が自分の目の前にやってきたところで、体に触れる前に金属棒でそれを上方向にはね飛ばしてしまった。ただの金属ならばそんなことは不可能だが、実は彼女の持っていた武器には、高位の魔法使いに依頼して、魔法反射の付与魔法がかけてもらってあったのだった。
空中に打ち上げられたその雲は、そこで本物の雲としての在り方を思い出したかのようにバラバラに霧散してしまった。
しかし、トモはひるまない。
「やっぱ、これじゃダメだよな……!」
「なーんと! さっきの魔法は、フェイントだったー! 転生者の本当の狙いは、次の第二撃だー!」
雲の魔法を打ち上げたことで空いたアレサの懐に、彼は小さなジャンプで飛び込む。そしてその勢いのまま、木刀で彼女の胴を凪ぎ払おうとした。しかし……。
「あら……」
まるで、うっかり不注意で落としてしまった、とでも言うように。そこで突然、アレサは持っていた金属棒を手放した。
棒は、重力に引かれるまま、地面に向かって落ちていく。そしてその刀身が、トモの木刀の軌道と重なった瞬間。
アレサは両手で棒のそれぞれの端を掴み、空いた中央部分でトモの攻撃を受け、そのまま体の横に流してしまった。
「うわわっ!」
完全に攻撃を受け止めたわけではなく、むしろその攻撃の勢いを利用して、トモの力を外に逃がしたのだ。行き場をなくした自分の力に引っ張られ、トモは体勢を崩してしまった。
「……く、くっそ!」
しかし、持ち前の運動能力の高さの現れか、トモはなんとか倒れることなく踏みとどまる。そして、素早く次の攻撃にうつる。
「こ、これならどうだっ! 『倍速化』!」
次の攻撃は、アレサの喉元を狙った突き。しかも、風の魔法でそのスピードを加速させた、超高速の攻撃だ。チートによる達人級の剣術に、そんな加速が加わったとあれば、本来ならばその攻撃は、回避不可能とさえいえるだろう。
しかし……アレサは、体をわずかにスライドさせて、その攻撃をなんなく回避してしまった。
彼女は木刀自体の動きではなく、その木刀を動かすトモの体や、腕の角度を観察していた。だから、攻撃が放たれるよりも前に、事前に次の攻撃が予知できていたのだ。
アレサの顔のすぐ横を、トモの突きが空振りする。
「は、外れた⁉」
予想外の展開に、対応が遅れるトモ。その隙にアレサは、突き出されたトモの手元を掴んで、自分のほうに強く引いた。
そのせいで、彼は今度は完全にバランスを崩してしまう。そして、受け身をとることもできずに、顔から地面に倒れてしまったのだった。
「ぐはっ!」
腕を引いたときに、アレサは同時に倒れるトモから木刀を奪っていたらしい。彼女はそれをトモに差し出しながら、彼を小バカにするような表情を作る。
「はい、落としましたわよ? うふふ……」
「あ、ああ……」
トモは立ちあがり、その木刀を受けとる。彼には、失礼なアレサの態度に苛立つ様子はない。
「あんた、マジですげーな……」
むしろ彼は、彼女が自分をここまで苦戦させてくれたことが、心底楽しいという感じだった。
「相手の力を利用して、無駄のない動きで相手を制圧する。つまり、『棒術プラス合気道』みたいなもんか? いや……そーいや実際の合気道でも、竹刀とか杖を使うことはあるって、聞いたことがあるな……」
「アイキドー? ふん、何よそれ? 全然違うわ。これは、わたくしの家に伝わる、独自の戦闘術ですわ」
「独自の、戦闘術?」
「はい、それでは説明させていただきます!」
すかさず、実況のメイドが補足する。
「ここだけの話ですが、お嬢様が生まれ育ったサウスレッド家では、代々王家の要人の護衛を生業とし、男も女も、その重要な職務を全うするために厳しい訓練を重ねてきました。戦士や魔法使い、あるいはモンスターなどの敵を複数相手にしても引けをとらないだけの剣の技術が、親から子へ、子から孫へと、連綿と伝えられてきたのです。
今のアレサお嬢様が私たちに見せたのも、そのような長い歴史に支えられた技というわけです。
今日では、要人警護は民間企業に委託することが主流になり、サウスレッド家もその分野からは退いたと言われていますが……かつての誇りとサウスレッド流剣術の極意は、今もなお健在といったところでしょうか!」
自分の家系を褒められたのが嬉しかったのか、アレサは自慢げに高笑いをして、続ける。
「おーほっほっほ! メイメイが今、言った通りよ! 今あなたが受けたのは、お父様やご先祖様たちが代々築き上げきたサウスレッド流剣術を、わたくしが受け継いだもの!
いいえ、その剣術をわたくしが解体して、この金属の杖を使った『パリィ』を中心として再構築させた、いわば真・サウスレッド流杖術なんですわ!」
「パリィ……つまり、『受け流し』ってことか」
「ええ! そうですわ! 相手の力を利用して攻撃をかわすことこそ、わたくしの杖術の基本にして、真骨頂なのですわ!」
「薄々分かってきてたけど……つまりあんたは、ただの温室育ちのおじょー様じゃねーってわけだな……」
純粋に、感心しているトモ。
「なんか、ますます面白くなってきたって感じだぜ。…………じゃあ、これならどうだっ⁉」
そう言うなり、彼は不意を突いてアレサに切りかかった。しかし、
「そんなの、余裕でパリィですわ!」
そんな言葉とともに、アレサは金属杖の最小限の動きでその攻撃を受け流してしまった。
「くっそ……じゃあ、これならっ⁉」
間髪を入れず、次の攻撃を続けるトモ。だが、それも、
「ダメね、それもパリィよっ!」
更に次も、
「な、なんのっ!」
「はい、パリィ!」
その次も、
「まだまだぁーっ!」
「やっぱりパリィね!」
その次の次も、
「うぉりゃあぁぁーっ!」
「パリィ! パリィ! パリィ! ぜーんぶ、パリィですわ!」
……そんなふうに。
そこからしばらくの間、トモはアレサに絶え間なく攻め続けた。だが、その全ての攻撃を、アレサはことごとく金属杖による受け流しでやり過ごしてしまったのだった。
「はあ……はあ……はあ……」
連続して攻撃を続けたので、さすがに息があがっているトモ。落ち着くまで、いったん距離をとって体を休めている。
「す、すげーな、あんた……。マジで、全然攻撃があたんねーや……」
「そうでしょう! そうでしょう!」
一方のアレサは、ここまで自分の思い通りの展開になっていることで、完全に調子にのってしまったようだ。戦いの疲れも忘れて、見下すほど背筋を反りかえらせて、勝ち誇っている。
「悪いことは言わないから、もう諦めなさいっ! しょっぼいチートごときでいい気になっているあなた風情では、この杖術を極めたわたくしには、一撃だって当てることなんてできないんですわ!
このわたくし、アレサ・サウス・レッドは……パリィを極め、パリィを愛し、パリィに愛された、パリィの申し子……。
すなわちパリィピープル……パリピなのですからっ!
おーほっほっほ! おーほっほっほーっ!」
「いや……それだと、別の意味になっちゃうンだけど……」
その言葉が、トモの世界でどんな意味を持つかなど、もちろんアレサは知らない。だが、はたからみるかぎりは本当にパリピのように、テンションを上げまくっているアレサだった。
「パリピであるこのわたくしの前では、どんな攻撃だってムダムダムダ! もはや、わたくしの勝利は決まったも同然なんですわっ! さすがにこれでウィリアも、どちらがより格上か、どちらが尊敬に足る存在であるかが分かったでしょうね⁉
貴女を守ることができるのは、鼻の下を伸ばす以外は何もできない下心丸出しのエロ猿などではなく! より高貴で、より気高く、より美しい……幼い頃から誰よりも貴女を想い続けてきたこのわたくし! この、アレサ・サウス・レッドだけなのですわ!」
『アレサさんも、結構鼻の下伸ばしてるとき多いですよ?』
いつの間にか近くにいたヌル子がツッコミを入れるが、アレサは無視する。
「さあ、ウィリア! 貴女のかわいい顔を見せてちょうだい!
潤んだ瞳でわたくしを見る、貴女の表情を! 昨日の『恋する乙女の表情』を、他の誰でもなく、このわたくしに……!」
そんな妄想めいた言葉とともに。アレサは、メイドの隣にいたウィリアのほうを振り返った。
「あ、あれ……?」
だが、すでにそこにはウィリアの姿はなかった。
「大丈夫!? トモくん!」
「あ? なんだウィリアか……。あぶねーから下がってろよ」
「で、でも、このままだと、トモくん、アレサちゃんに……」
「バーカ。チートで超強くなってるこの俺が、おじょー様なんかに負けるわけねーだろ? 今までのは、ただの準備運動だっつーの」
「そ、それなら、いいけど……。でも私、トモくんのことが心配で……」
「……そっか。心配させちまったなら、悪かったな? でも、マジで安心しろよ。俺は、誰にも負けたりしねーからさ」
「うん……そうだよね」
「…………」
「でも……あんまり無理しないでね?」
彼女はトモの隣で、例の「恋する乙女の表情」を向けていたのだった。
「ふ、ふ、ふ……」
「つーわけで、二回戦いいかな、おじょー様? 次は、さっきみたいに簡単にやられたりしねーぜ?」
「ふ、ふ、ふ……」
『ふ?』
「ようやく体が暖まってきて、今なら本当の全力が出せそーなんだよね」
「ふ、ふ……ぶ、ぶ、ぶ…………」
『ぶ?』
うつむいて、さっきから奇妙なつぶやきを続けてるアレサ。隣でヌル子が首をかしげている。
「いくぜっ! おじょー様! 覚悟しろよ⁉」
「……ぶ…………ぶ……………………ぶ…………」
やがてアレサは顔を上げ、鬼のような怒りの表情で、
「ぶち殺しますわ!」
と叫ぶと、我を忘れてトモに向かっていったのだった。