05
馬車が目的地に着いたとたん、アレサは外に飛び出した。その場所は、アレサの暮らしている屋敷だ。彼女は自宅に帰ってきたのだ。
屋敷の中を走り抜け、階段を駆け上り、三階建ての屋上に出る。そして彼女は、声の限り叫んだ。
「メイメイ!」
その視線の先には、落下防止用の手すりの「外側」に立つメイがいたのだった。
「あ、貴女! なんでそんなところにいるのよ! 危ないでしょうがっ! バカなことはやめて、早くこちらにきなさい!」
「ああ、お嬢様……」
メイド服のエプロンをたなびかせながら、振り返ってアレサを見るメイ。地上では他のメイドや執事たちが集まり、深刻な表情で屋上を見上げたり、地面に膝を落として涙を流したりしている。
メイは今まさに、屋敷の屋上から飛び降りようとしていたのだ。
「全く……。もう少しだけ遅く帰ってきてくれれば、『全てが終わったあと』だったのに……。相変わらず、間が悪いですね。もういっそ、尊敬しますよ」
うっすらと、笑みをこぼすメイ。
同時に、彼女の体がフラッと揺れる。地上の人だかりから、悲鳴が起こる。
その瞬間、アレサは駆け出していた。
トモとの戦いでも見せたことのないほどの超高速で、屋上の縁にいるメイのもとへと飛び出していた。
しかし……。
「『閃光の矢』……」
そんなアレサより一瞬早く、メイが魔法を唱える。彼女の手から稲光りの刃が飛び出し、アレサに向かっていく。防御など微塵も考えずに全速力で駆けていた彼女は、その攻撃を避けられない。
光のエネルギーはアレサの顔の左側に直撃し、彼女はその衝撃で後ろに吹き飛ばされてしまった。
「きゃあっ!」
「ああ……申し訳ありませんでしたね……。牽制のつもりで、当てる気はなかったのですが……」
その様子があまりにも痛々しく、罪悪感にさいなまれたのか……メイは一度崩したバランスを自ら立て直し、元の場所に戻っていた。
「くっ……」
魔法で傷ついた左目を押さえながら、すぐに起き上がるアレサ。メイがまだ無事であることを確認して、小さく安堵の声をもらす。それから、メイをこれ以上刺激しないように一端距離を取りつつ、落ち着いて説得を始めた。
「わ、分かったわ、メイメイ……貴女の話を聞きましょう。
こんなことをするからには、きっと何か困っていることがあるのでしょう? それを教えてちょうだい。
それが、わたくしにできることなら……いいえ。それがどれだけ困難なことであったとしても、必ず貴女の要求をかなえると約束するわ。何か欲しいものがあるなら、わたくしの命をかけてでも手に入れて見せるわ。
だから……どうかもう、こんなことはやめましょう?」
「ふふ……何でも、ですか……? それはすごいですね……」
「そ、そうよ……。欲しいものがあるなら、お金でも何でも、貴女にあげると言っているのよ。だから……」
アレサは説得を続ける振りをしつつ、そばに来ていたメイド長に小声で指示する。
「何をボケッとしてるのよ……! 今のうちに、拘束魔法かなにかで、あの子の動きを止めるのよ……!」
しかし。
そのメイド長は首をブンブンと振って、即座に答える。
「や、やってます! そんなこと、さっきから何度もやってます! でも、ダメなんです! どういうわけだか、今のあの子には魔法が全然効かないんです! まるで、魔法防御力が倍増したみたいに……!」
「魔法が、効かない……? そうか、『魔の山』だわ……」
その意味に気付き、アレサは青ざめる。
「あの山には、わたくしたちの見たこともないような植物が、普通に生えている……。きっと彼女、わたくしと一緒に登山したときに、『魔法防御を倍増させるキノコ』でも見つけたのよ……。ああ……だからあのとき、急に下山するなんて言ったんだわ……」
彼女の予想した通り、メイはアレサと『魔の山』を上っていたときに、偶然魔法効果を打ち消す植物を発見した。そして、適当な理由をつけてアレサより一足先に下山し、その植物の効果を最大限に発揮する薬として、調合していたのだ。
だが、今さらそれに気付いたところで、どうしようもない。
いや、そもそもあの時点でメイがそんな植物を持っていたと気付けたとしても、まさかこの展開までは想像できるはずがない。彼女が、「魔法で邪魔されずに自殺しようとしていた」なんて、分かるはずがなかったのだ。
「メ、メイメイ……貴女……正気なの? 魔法が効かないってことは、回復魔法だって効かないってことなのよ……? その状態で屋上から飛び降りたりしたら……貴女のその傷を癒すことなんて、誰にも出来ないってことなのよ……?」
この世界では、医療魔法が高度に発達している。魔法さえ使えるなら、瀕死の重症からでも復活することは可能だ。だが、もしもその魔法が通用しない状態で大ケガを負ってしまったとしたら……その結果は、想像に難くない。
それは、今のメイの「意志」がそれだけ強いということを現していたのだった。
メイは口を緩ませ、フッと軽く鼻を鳴らす。
「貴女は相変わらず、間が悪くて、空気が読めなくて、世間知らずで……正真正銘の、残念お嬢様ですね」
「ね、ねえメイメイ……このお屋敷全部でもお母様の学園でも、何でもあげるから……。だからとにかく、お願いよ……。こんなことはもうやめてよ……。わたくしは、貴女にこんなことをして欲しくないのよ……。だから、お願いだから……」
アレサの説得は、すでにただの懇願になっている。
さきほどのメイの攻撃でできた彼女の傷からは、押さえていても絶え間なく血が流れ続けている。いつの間にか、その血の流れに涙が混ざって、色が薄くなっていた。
「メイメイ……。ねえ……メイメイ……」
「まったく……」
そこでまた、メイはまっすぐにアレサを見つめる。
そして、いつも通りの無表情のまま――しかし、その瞳の奥にかすかに優しい光を灯しながら――、
「でも……そんな残念お嬢様だから……私は、貴女のことを好きになったのですけどね」
とつぶやいた。
「……え?」
アレサは言葉を失う。
すぐにはメイの言ったことを理解できず、混乱さえする暇もなく、ただただ思考停止する。
だが、やがてゆっくりと頭の中が動き始め、「その言葉」の意味を理解し始める。それに合わせるように、アレサの瞳にうつったメイの表情も少しずつ変化していく。いつものクールな無表情から、まるで、我が子を見る母親のように柔らかな笑顔になっていった。
「アレサお嬢様……貴女はかつて、この世界に居場所をなくした私を拾ってくれましたね……?
どんな者に対しても偏見をもたず、等しく相手を尊重することのできる強い心で、落ちぶれて腐っていた私に、手を差し伸べてくれましたね……」
今まで見たこともないほどに優しい表情と声で、メイは話し続ける。
「最初は私も、そんな貴女の行動に裏があると疑って反発してしまいましたが……でも、すぐに分かりました。
貴女の心には裏表なんてないってこと。貴女は本当に気高く、強く、清らかな心をもった美しい人物だということ。
そして……そんな貴女に、私が恋をしてしまっていたことに……」
「メ、メイメイ……」
「たとえ貴女がウィリアに夢中で、私の気持ちには絶対に応えてくれないと分かっていても……。私の想いに、気づくことさえないのだとしても……。私は構わなかった。
貴女がいてくれれば、私は生きることができた。
貴女のそばにいられるなら、この世界がどれだけ理不尽で救いがなかったとしても、生きていたいと思えたのです。
貴女は私の全てだったのです」
「そ、そんな……」
思いもよらない彼女の「告白」に、アレサは困惑が隠せない。
「わ、わたくしは……今までそんなこと、全然気付かなかった……。あ、貴女が、そんなことを思ってくれていたなんて……」
本当にアレサにとってそれは、晴天の霹靂だった。今まで一度も、冗談でも思ったことのないような、予想外の事実だった。
……きっとそれは、いままでメイがそれだけ上手に、自分の気持ちを隠し続けてきたということなのだろう。
「もしも、本当に私の欲しいものをなんでもいただけるというのなら……私はずっと、貴女が欲しかった。
貴女の心が欲しかった。私が貴女を想うのと同じほどの、貴女の私への想いが欲しかった。貴女の、全てが欲しかった……」
「あ……あ……」
困惑しながらも、アレサは意を決して叫ぶ。
「あ、あげるわ! わたくしの心も体も、何もかも!」
周囲のメイド長たちから、そして地上の人だかりから、困惑の声が上がる。しかし、アレサは気にせずに叫ぶ。
「メイメイ! 貴女が今やろうとしていることをやめて、こちらに来てくれるなら……。貴女がこれからも、わたくしのそばにいてくれるなら……。貴女にわたくしの全てをあげるわ! だから、お願い! 早くそこから……!」
「もう、遅いんですよ……」
「え……」
優しい笑顔のまま、メイは続ける。
「確かにこれまで、私は貴女のことが好きだった。貴女は私の全てだった……はずなのに……。もう、今ではそうではなくなってしまったんです。あの、転生者がやって来てからね……」
「⁉」
その瞬間、アレサの心に強い衝撃が走った。イカヅチに体を引き裂かれてバラバラにされてしまったような感覚に襲われた。
彼女は、メイがこれから何を言おうとしているのかを瞬間的に感じ取ってしまったのだ。
「あの転生者がやって来てから、私の貴女への想いは、日に日に薄れていってしまった……。貴女のことを考えているときの、暖かくて嬉しくて、少しだけ心が痛む……そんな感情が、どこかにいってしまった……。
貴女のことを想うと、それを邪魔するように、代わりにあの転生者のことが思い出されるのです。貴女との想い出が、貴女への強い愛情が、あの転生者への想いに変わっていくのです。頭の中が上書きされていくかのように、あの転生者をいとおしく想う気持ちに侵食されていくのです。
そんなこと、あるはずがないのに。
そんなこと、あってはならないのに。
あまりにもあっけなく。あまりにも残酷に。私は、貴女を想う気持ちを忘れはじめていたのです……」
「で、でも、それは……」
それがトモのチート能力のせいだということは、アレサには痛いほど分かっていた。彼女は、ウィリアや他の少女たちがその力でトモに夢中になっていくのを目の当たりにしてきたのだから。
しかし……。
「それは、私があの転生者に恋をしているから?
私が彼を好きになったから、今まで想い続けていたお嬢様よりも、会ったばかりのあの転生者のことを考えてしまっているのでしょうか……?」
「そ、そうよ……。きっと、貴女は、あのナバタメ・トモ・ヒトに恋をしたのよ! わたくしを思い続けた期間なんて、関係ないわよ! だ、だって、『恋愛感情は理屈ではない』のでしょう⁉ だ、だから……!」
しかし、アレサはそれでも、チートのことをメイに言うことは出来なかった。
「そう、ですね……。そうなのかもしれません……。これはただの、私の心変わりなのかもしれません……」
「だ、だったらわたくしのことなんか気にしないで……!」
トモの魅了能力を隠したまま、ごまかしの言葉を並べるアレサ。そんなアレサに、メイは突き放すように言う。
「でも私は、そんな自分が許せないのです」
「メイメイ……」
「どんなことがあっても貴女を愛すると決めていたのに……。愛し続けることができると、思っていたのに……。それなのに……こうも簡単に、その想いを失ってしまうなんて……。お嬢様のことを好きだから、私は私でいられたのです。お嬢様を好きでない私なんて、私だと思えないのです。
そう……恋は理屈ではない。
でもだからこそ、私の中の『恋以外の理屈の部分』全てが、今の自分を許せないのです……」
「…………」
思い詰めた表情のメイ。
それでもアレサはまだ、真実を伝えることを躊躇してしまっていた。
もしも、トモの魅了能力のことをメイに伝えれば、確かに彼女は、今の自分の気持ちの理由は分かるだろう。それはもしかしたら、彼女が自分を許せない気持ちを、少しは緩めるかもしれない。
しかし……。
それは同時に、もう一つのことを彼女に気づかせてしまう。それは……トモが現れてからもアレサは変わらずウィリアのことが好きなのに、自分のアレサへの気持ちはトモの魅了によって薄められているということ。アレサは自分の想いを持ったままなのに、自分はそうではないという事実だ。
そもそも、なぜアレサに魅了が効かないのかは、誰にも分かっていない。その力を与えた張本人のヌル子でさえも、その理由は分からなかった。だが、その事を今のメイに伝えたとして、それがなんになるだろうか。
たとえトモの魅了にかかるかどうかが、その個人の恋愛感情の強弱に関係するとは限らないとしても。魅了にかからずウィリアのことを好きなアレサがいるのに、自分はトモに惹かれてしまっているという事実が、変わる訳ではない。
それでは結局、今と同じことだ。メイはきっと、そんな状況に置かれている自分を許せないだろう。
だから、アレサはチートのことをメイに言うことができなかったのだった。
そこで、また。
ユラリとメイの体が動いた。しかも今度は、明らかにもとの位置に戻るつもりのないような、大きな動きだ。
周囲から、「ああっ!」という声が聞こえてくる。
「メ、メイメイ! やめなさい! メイメイ!」
アレサはまた駆け出す。
しかし、今度は流れ続ける血で左目を完全にふさがれていていつもの瞬発力が出せないうえに、そもそもメイとの距離がありすぎて、とても間に合わない。
「アレサ、お嬢様……」
屋上から踏み出しながら、アレサのほうを振り向くメイ。
「メイメイ! ダ、ダメよっ! やめて!」
彼女の体が、ゆっくりと斜めに倒れていく。その映像に合わせるように、アレサの動きもスローモーションになってしまう。その中で、思考だけがフル回転しているのがもどかしい。
普段通りの落ち着いた口調で、メイは話しかける。
「お願いです……。どうか、まだ貴女を好きな私でいられるうちに、いかせてください……」
「待って、メイメイ! いやっ……!」
そこで彼女は、ニッコリと笑顔を浮かべた。今まで誰も見たことのないくらいにかわいらしく、完璧な笑顔だ。
そして、まるで冗談でも言うように、
「私は貴女が、大好きです…………ここだけの話ですけどね……」
とつぶやいた。
「メェーイィィーッ!」
アレサの悲痛な叫び声も、届かない。
メイはそのまま、地面へと向かって落ちていった。その場の誰にも、それを止めることは出来なかった。




