05
次の日、サウスレッド学園では予定通り朝から丸一日を使って、理数、人文系を含む全教科の中間テストが行われた。そしてその結果は、更に次の日の午後には、各学年別に廊下の壁に貼り出される形で発表された。
「……ほ……ほ……ほ…………おほほほ…………おーほっほっほ! おーほっほっほっほー!」
廊下中に響き渡る、アレサの残念な高笑い。
自分の成績を見ようと集まってきていた他の学生たちが、何事かと、彼女のほうを振り返っている。
「ざまあ見なさい! 重い知りなさい! これが、これこそが、わたくしの実力ですわ! わたくしのウィリアへの愛の力ですわ! わたくしが本気を出せば、ざっとこんなものですのよ!
おーほっほっほ! おーほっほっほー!」
「あー、こりゃまいったなー。ははは」
「ト、トモくん……」
廊下に貼り出された紙には、中間テストの全科目の合計点と氏名が、上位者から順番に書いてある。その順位表の最後のほうに、アレサとトモの名前が並んでいた。
アレサ・サウスレッド 215点
ナバタメ・トモ・ヒト 194点
アレサはその二人の名前のところをバァンと叩いて、高らかに宣言する。
「215対194! 数字は、ハッキリと現しているわ! この勝負の勝者がわたくしであるという、動かない事実をねっ! これであなたは、おとなしくウィリアから手を引くのよっ!
おーほっほっほーっ!」
「ちょ、ちょっとアレサちゃん! そんなのって……」
「あーあ、しゃーねーなー」
「ト、トモくんまで⁉」
勝ち誇っているアレサは当然として、負けたはずのトモのほうも、この結果に不満はないようだ。
少しも悔しそうでなく、むしろニヤケ顔を浮かべている。
無理もない。
トモはもともと、この試験でアレサに負けるように、かなり手を抜いていたのだ。ただでさえ、異世界の試験ということで分からない部分も多かったが、その上更にわざと適当なことを書いて点を下げるように努めてきたのだ。だから今のこの状況は、トモにとって予定通りの結果というわけだった。
……さすがに、まさかアレサの点数がここまで低くて僅差になるとは思っていなかったようだが。
だからむしろ、この場で一番慌てているのはウィリアだった。
「あ、あたし、そんな約束なんて了解してないもん! あんなの、アレサちゃんが勝手に言ってるだけでしょっ⁉ だからこんなテストの結果なんて、トモくんが気にすることなくって……」
「大丈夫よ、ウィリア! もう何も心配しなくていいのよ! 貴女はこのアレサ・サウス・レッドが、嫌らしい魔の手から救いだしたのだから!
寝不足で注意力が乱れて、得意な人文系の科目の答えを書く場所を一つずつズレて書いていたと気付いたときには、心臓が止まりかけましたけど……やっぱり天は、わたくしに味方をしているのね⁉ 最後に勝つのは正義と愛だと、大昔から決まっているのよ!
さあ、ウィリア! 遠慮なんていらないわっ! わたくしの胸に思いっきり飛び込んでいらっしゃい!」
「だ、だから、アレサちゃん! 私はそんな約束なんて……」
「おー、いーぞー。おじょー様、もっとやれー」
「トモくんまで、変なこと言わないでよっ⁉」
点数表の貼り出された廊下で、そんなふうに騒いでいるアレサたち。トモを中心に、取り囲む多数のギャラリーたちも面白がって彼女たちをはやし立てている。ウィリアを除くその場の全員が、今の状況を楽しんでいるようだ。
「もおーう! あたしはこんなの、絶対に認めないからーっ!」
唯一この状況に納得ができないウィリアは、いつもアレサがやっているように、思いのたけを大声で叫ぶのだった。
そのとき。
突然廊下の向こうから、彼女たちのもとへと走ってくる者がいた。
「おぉーい! ナバタメ・トモ・ヒトはいるかー⁉ 誰か、彼がいる場所を知っている者はいないかー⁉」
「え?」
駆けてきたのは、立派な白いヒゲを携えた初老の男。アレサたちのクラスの、数学教師だった。
彼を誘導するように、アレサたちを取り囲んでいたギャラリーたちが道を開けていく。自然とその教師は、アレサたちの前へとやって来た。
「トモはっ⁉ ナバタメ・トモ・ヒトは、ここにいるかね⁉」
「えーと……一応それって、俺のことっすけど……?」
「おお! 君がトモだな⁉ よかった!」
その教師は、キョトンとしているトモの手を強く握って握手を交わす。そしてそのまま彼を思いっきり抱き締めた。
「ちょっ! な、なにすんすか⁉」
「素晴らしい! 素晴らしいぞ、トモ!」
その光景に、呆気に取られるギャラリー。
アレサの隣には、いつも通りいつの間にかやって来ていたヌル子が、『ぐふふ……トモくんとおじ様の組み合わせとは、なかなかどうして……これはこれで……。ご、ごちそうさまですぅ……』と言いながらヨダレを垂らしていた。
「……何よ、これ?」
せっかく試験に勝った余韻に浸っていたところを邪魔されたアレサは、機嫌悪そうに尋ねる。
「あんたがあいつに与えたチャームは、女だけが対象じゃなかったの? 中年男にも効くの?」
『はっ! いけないいけない……。うっかり、いつものアレサさんみたいに妄想の世界に入ってしまっていました。女神たるもの、たまさかのBLチャンスにも動揺してはいけませんよね。ヌル子、反省です!』
冷ややかな表情でにらみつけているアレサに気づき、ようやく正気を取り戻すヌル子。口もとのヨダレをゴシゴシとふいて、『こ、こほん』と咳払いをしてから、
『アレサさん……残念なことにこれは、トモくんの魅了能力の効果ではありませんよ? 愛情とは、別の原因なのです』
と言った。
「別に、わたくしは全然残念じゃないですわよ……」
ヌル子の言葉通り、それからその男性教師はトモの体から離れて、言った。
「トモ! 中間試験の、君の答案を見させてもらったぞ! 私は感動した! 君の答えは、どれも素晴らしかった!」
「え? そ、そうなんすか? でも俺、ただ普通に問題解いただけっすよ? 順位だって、そんなにいいほうじゃないし……」
壁に目を向けて、苦笑いをするトモ。確かに彼の名前は、貼り出された紙の中で最後から二番目に書いてあった――ちなみに最後は、トモによく絡んでくるノームの少女だ――。
しかしその教師は、興奮が覚めない様子でまくし立てる。
「いいや! 誰がなんと言おうと、あれは素晴らしい答案だった! この世界の既存の概念を軽く飛び越した全く新しい概念に満ちていて、私は感銘を受けたのだ!
……例えば、君の計算式の中に書かれていた、・がそうだ。『1・1』とか、『0・5』とか……あれは、1よりも小さな数を表現しているのだろう? あんなもの、私は初めて見たぞ!」
「いやいや、計算式の点って……それ、ただの小数点っすよね? そんな大騒ぎするほどのことじゃあ……」
「小数点⁉ なるほど、1よりも小さな数だから、小数というわけかっ!」
子供のように目を輝かせる数学教師。
「素晴らしい! いや、実に素晴らしい!
この世界では、1よりも小さな数は分数で表現するのが普通だが……そうか、小数という形で表現をすればよいのか! なるほどな!
これで、さまざまな計算がやり易くなる。今まで出来なかったことも出来るようになる! この世界の数学を飛躍的に推し進める偉大な発見だよ、これは!
聞くに、君は異世界から来たそうじゃないか! 君のような子供が普通にこんな発想を持っているなんて、なんて先進的な世界なんだ! きっと他にも、我々の知らない画期的な考え方をたくさん知っているはずだな⁉ 君の持っているそんな知識は、数学だけじゃなくこの世界の全ての学問にとって大きなプラスになるはずだ! どうか、私たちにそれを教えてくれないだろうか⁉ お願いだ! ぜひ君の知識を吸収させて欲しい! これは私だけではなく、この学園全体……いや、きっとこの世界の研究者全員の意思だ!
ああ、もちろんただとは言わない。それなりの報酬は用意するし、この学園でも、私たち教師が出来る限りの優遇をさせてもらおう。君には、それだけの価値がある! 君はこの世界の希望だ!」
「い、いやあ、そんなこと言われても困るって言うか……。だ、だいたい、俺の答案って、結構間違いだらけじゃなかったっすか?
…………つーか、あんまりいい点とらないように、わざと間違えたつもりだったんだけどな」
「点数? そんなもの、どうでもいい! この世界より進んだ考えを持つ君の答案を、この世界の人間が評価することに、何の意味がある⁉ 君は、この世界の新しい歴史を作っているんだ!
あえて点をつけるなら、満点……全教科満点だよ! ははは!」
「マ、マジっすか……」
小数を使った程度くらいのことであり得ないくらいに誉めちぎられ、トモはタジタジだった。
しかし。
そもそも小数という概念は、トモの世界でも、中世ヨーロッパではかなり後期になってから使われるようになったものだ。現代日本からやって来たトモにとってはなんでもないことだが、文明レベルが中世のこの世界の人間にとってはとても先進的に見えたとしても、無理はないのだったのだ。
ウィリアは自分のことのように喜び、トモの腕に抱きつく。
「すごいよトモくん! おめでとおーっ!」
他のクラスメイトも、口々にトモへの称賛の言葉を向ける。
「ふ~ん。やっぱキミって、タダモノじゃなかったんだ……。あらためて、惚れ直しちゃったな♥️」
「こんなに先生に褒めていただけるなんて……あ、あなた、なかなかやるじゃない? もしもあなたさえよければ、次の選挙で学級委員の書記あたりに推薦してあげても、いいわよ?」
「あたちは、トモトモはやれば出来る子だって、はじめから知ってたなのー」
さっきまでアレサの回りにいたギャラリーたちの輪は、今ではすっかりその中心をトモにうつしている。しかも今の彼ら彼女らがトモに向けているのは、アレサのときのような苦笑いではない。まるで芸能人を取り囲むファンのように、誰もが心からの笑顔でトモを見ているのだ。
アレサは完全にその輪から追い出され、蚊帳の外になってしまっていた。
「ちょ、ちょっと……な、なんなのよ、これ……? わたくしは、勝負に勝ったはずでしょ? なのに、どうしてあいつばっかり……」
「ほんとにトモくんすごいよっ! 勉強でも、アレサちゃんに勝っちゃうんだもん!」
「ちょ、ちょっとウィリア⁉」
「え? そ、そうなの? これ、そういう感じになっちゃってんの?」
「うふふ……そりゃそうでしょ。だってキミは、さっきセンセが言った通り、全教科満点なんだよ? お嬢様の点なんか……ぶっちぎりでヌイちゃってるんだよ♥️♥️」
「中間テストの満点は1000点なのー。アレサの200ぽっちより、全然大きいのー。それくらい、あたちでもわかるなのー」
「というか、アレサさん⁉ 1000点満点で215点とか、普通に赤点ですからね! 理事長の娘のあなたが赤点なんて……まったく! 学級委員長の私の顔に、泥を塗らないでもらえるかしら⁉」
「な、な、な……」
最後のトドメに。気まずそうに笑うトモが、アレサに「なんか、ごめんな」と小さく頭を下げた。
「な、な、な…………何でこうなるのよー!」
結局、今回も最後に叫ぶのは、順当にアレサの役目となってしまったようだ。
「やれやれ……」
離れて一部始終を見ていたメイは、これまで何回も見たようなそんなアレサの姿に、あきれて首を振るのだった。




